大坂力士乱闘事件
次の日も暑かった。
京のような盆地特有の蒸し暑さはないけど、それでも暑いものは暑い。
昨日の天下浪士も無事に捕獲したし、やることは特になかった。
大坂に江戸から来ている千数名の兵も気になるけど、今日、会津藩の人達が江戸に帰るように説得をするらしい。
それにしても、なんでこの時期に数千名の兵なんだ?
京でも、戦になるかもしれないと大騒ぎになっているらしいけど、私の知っている歴史では、この時期にそんな大きな戦はない。
だから、大丈夫だろう。
でも、芹沢さんは自分たちを預かっている会津藩は出ているのに、自分たちが出られないことがもどかしいらしい。
それは、攘夷と関係するとかしないとか。
この時代は、攘夷という言葉が流行語大賞になるぐらい流行っていた。私以外の隊のみんなも、その攘夷という言葉を使って論議をしているところをよく見た。
日本を一つにまとめ、外国の植民地にさせない。そういう考えだ。だいぶ後に、植民地になるところか、他の国を植民地にしてしまうのだけど。
それを知っているのは、この時代では私とお師匠様ぐらいだろう。だから、むやみにその論議に入ることはできなかった。っていうか、攘夷ということをあまりよく知らないと言えば知らないのだけど…。
ちなみに、そのことでもどかしい思いをしている芹沢さんたちと夕涼みに出かけるのは、夕方からになった。
「ええっ、源さん行かないのですか?」
私は驚きつつ尋ねた。源さんから、俺は近藤さんと用事があるから行けない。楽しんで来い。なんて言われたから。
「だから、さっきも言ったろ。」
「分かりました。なんか、心配だなぁ。」
「何が心配なんだ。楽しんでくればいいだろう。」
「はい。」
そうなんだけど、なぜか知らないけど不安になっていた。なんでこんなに不安になっているのだろう。 川で舟に乗って夕涼みなんて、楽しそうに決まっているのに。
堂島川という川、今で言うと淀川に舟を浮かべて、宴会が始まった。
やっぱり陸にいるときより、舟の上にいるほうが涼しい。時々風が舟の中に入ってきて、涼しさを感じる。
「今日は、無礼講だ。遠慮せずに飲め。」
芹沢さんがお酒を飲みながら言った。
「芹沢さん、あまり飲みすぎないでくださいね。」
「蒼良、今日ぐらいはいいだろう。中山道の居酒屋の時みたいに、水を入れるなよ。」
バ、バレてた。
「分かりました。水は入れないので、飲みすぎないでくださいね。飲みすぎは健康にも周りにもよくないですよ。」
酒乱で暴れられた日には、周囲に多大なる迷惑がかかる。そのせいで、自分が死ぬことになるのに。
悪い人ではないから、阻止できるなら、今のうちに災いを摘み取って阻止したい。
「分かった、分かった。」
絶対に口先だけで言っているだろう。というような感じで芹沢さんは言った。
「蒼良も、飲めばいいじゃないか。」
山南さんがお酒を注ごうとしてくれたけど、
「私は、お師匠様と20才までお酒は飲まないと約束をしているので。」
山南さんからお銚子をとり、逆にお酒を注いであげた。
「こんなうまいものを飲まないなんて。天野先生には内緒にしておくぞ。」
「いや、山南さんが内緒にしても、絶対にバレそうなので、遠慮しておきます。」
「そうか、残念だな。」
そう言い残して、山南さんは自分の席へ行った。
みんなが盛り上がっている中、沖田さんは舟から外の風景を見ていた。
「沖田さんは、飲まないのですか?」
「いや、飲んでるよ。」
すでに何本か、お銚子が空になって転がっていた。弱いと思いきや、意外と強かったのか。
「蒼良、あそこに歩いている人が何か面白いよ。」
「別に、普通ですよ。」
「普通なのが面白い。」
そう言いながら、ケラケラ笑っていた。すみません、全然面白くないのですが…。
「沖田さん、酔ってます?」
「酔ってないよ。」
「酔っている人は、たいていそう言いますよ。」
「その言い方が面白い。」
そう言って、またケラケラと笑い出した。酔うと笑い上戸になるのか?ま、よって暴れるよりは危害がないからいいけど。
みんなが盛り上がっている中、一人だけ、盛り上がってない人がいた。
それは、斎藤さんだった。こういうところが嫌いなのかな。
「斎藤さんは、飲んでいますか?」
「・・・。」
無言だった。というか、なんか顔色が悪い。それに、顔に汗をたくさんかいている。暑くてかく汗とは別なもの。油汗というのか?
「どうしたのですか?具合が悪いのですか?」
「ちょっと、腹が痛い。」
「ええっ、舟を止めますか?」
「いや、そこまでしなくとも大丈夫だ。」
しかし、全然大丈夫そうに見えなかった。
しばらくそばにいて、汗を拭いてあげたりした。でも、良くなる気配は全然ない。
ちょっと待て。この風景というか、この感じ、どこかで見たような気がする。
大坂、舟で夕涼み、斎藤さんの腹痛。この3つのキーワードが妙に引っかかる。何かあるはず。なんだっけ?
「おい、斉藤、具合悪いのか?」
永倉さんが気がつき、声をかけてきた。
「いや、大丈夫だ。」
「大丈夫そうには見えないぞ。」
永倉さんが声をかけてくれたことにより、みんなが斎藤さんの異変に気がついた。
「舟を止めて降りよう。」
芹沢さんがそう言い、舟を止めた。
みんなで斎藤さんを気遣いながら降りたけど、突然降ろされたので、自分たちが降ろされた場所がよくわからない。
「あそこの橋を渡れば、場所がわかるかもしれん。とりあえず、橋を渡るぞ。大丈夫か?」
芹沢さんが斎藤さんに声をかけた。斎藤さんはうなづいた。
斎藤さんを介抱しながら橋を渡った。わたっている途中で、向こうから力士が来るのが見えた。
そこで私は気がついた。これは、大坂力士乱闘事件だ。間違いなければ、向こうから来る力士がちょっかいを出してくるはず。
「邪魔だ、どけっ!」
向こうから来た力士が叫んだ。やっぱり来た。
「そっちの方こそ、どけ。」
芹沢さんも負けずに言う。
「どけどけどけ!」
力士の方も、どんどん近づいてくる。すれ違いざま、隊の誰かが足を踏まれる。力士の踏まれるのだから、相当痛い。というか、重いか。
「無礼者っ!」
それを見た芹沢さんが、持っていた鉄扇で力士を殴りつける。ちなみに、鉄扇でも、本気で殴られれば、死ぬこともある。
そして、何事もなかったかのように私たちは進む。
斎藤さんは、体の大きい島田さんに支えられている。
「場所が分かったぞ。近くに住吉楼と言う揚屋があるはずだ。そこまで歩けるか?」
芹沢さんが、斎藤さんに言った。斎藤さんは、介抱されながらうなずいた。
しかし、蜆橋と言う橋を渡り終えたところに、またもや力士が邪魔をしてきた。
今度は数人で殴る。この時は、みんな軽装だったので、刀ではなく、脇差と言うちょっと短めの刀だったり、持っていなかったりして、しかも、斎藤さんを介抱中だったので、殴るだけで済ませたというような感じだ。
なんとか、住吉楼に到着。
斎藤さんは横になって休んでいた。他の人たちはさっきの続きとばかりに飲み始めた。
「蒼良、何かそわそわしているけど、どうした?」
ケラケラ笑いながら沖田さんがやって来た。
笑っている場合ではない。私の記憶が正しければ、このあと力士が50人ぐらい乗り込んでくるはず。
このメンバーで、50人も倒せるのだろうか?
「おい、出てこいっ!」
外からそんな声がした。もしかして、もう来たのか?外を見ると、やっぱり力士50人ぐらいが六角棒という、太い棒を持ってやってきた。
「あ、さっきの力士だ。芹沢さん、なんだかたくさん来ましたよ。」
沖田さんも、私の横から外を見て、ケラケラと笑いながら言った。っていうか、笑い事ではないと思うけど…。
「殴っただけでは、おとなしくならんかったか。仕方ない。行くぞ。無礼をしたのは向こうだからな。容赦なく切り捨ててやる。」
芹沢さんの合図で私たちは飛び出した。
力士50人対浪士組。もう、これは軽い暴騰だ。
山南さん何かは、脇差で切り込んでいるけど、私は刀も何も持っていないし、みんなと比べると体も小さい。もちろん女なので、力もない。
そこで役に立ったのが、痴漢対策にお師匠様から教えてもらった相手の力を利用して倒す護身術だ。ちなみに、現代では全く使うことがなかったのだけど…。
ちらっと見ると、なんと、斎藤さんまで参加している。
「斎藤さん、大丈夫なのですか?」
斎藤さんのそばに行くと、力士が手をだしてきたので、護身術でかわそうと思ったら、斎藤さんが倒した。
「女にかばってもらうほど、俺も弱っちゃいない。」
そう言って、戦闘の中へ。顔色が悪いけど、大丈夫そうだ。
必死で戦い、気が付けば、力士たちは去っていった。
私たちに怪我はなかった。向こうは一人が抱えられて去っていったのは分かったけど、後はわからない。
もう、揚屋で遊ぶ気分にもなれなかったのか、そのまま京屋へ帰ることになった。
夕涼みに行ったのに、なぜかクタクタになって帰ってきた私たちに近藤さんが気がついた。
「何があったんだ?」
みんな酔っ払っていたので、私が今まであったことを説明した。
「そりゃ、大変だ。今夜もまたここに来るかもしれん。奉行所に届けよう。」
「いや、もう来ないですよ。」
「いや、2度も来たのだ。来ないとも言えない。蒼良、一緒に来てくれ。」
近藤さんは、泊まっている宿のご主人にも説明した。
「ああ、明日、京と大坂の相撲興行があるから、多分そこの連中やろう。とにかく、奉行所に届けたほうがええ。」
みんなが酔っ払っていなければ、私じゃなく、その人が一緒に行ったのだろうけど、私以外まともな人がいなかったので、近藤さんと一緒について行った。
奉行所に行き、今まであったことを説明した。
実は、行くまでに近藤さんと打ち合わせをし、舟での夕涼みは、舟を使った水稽古にし、力士50人は、何者かの集団にしたほうがいいということで、舟を使った水稽古中になんだか知らない集団に襲われたと言う説明になった。
「なんだかわからん集団って、お前たちの方もわしから見たら、わけが分からん集団だがな。」
奉行所の人がそう言った。それはどういう意味だっ!
私がムッとしたのと同じく、近藤さんもムッとしたらしい。
「とにかく、また襲ってきたら、今度は一人残らず切り捨てるゆえ、承知しておいてもらいたい。」
「襲ってくるということは、お前たちが先に何かをしたのか?ま、どちらが悪いかは、調べればわかるからな。」
なんなの、この人。
奉行所からの帰りに、その人の悪口で近藤さんと盛り上がった。
実はその人、内山 彦次郎と言う人で、後にまたかかわり合うことになる。
結局力士たちはこなかった。そのまま夜が明けた。
「そ、蒼良、顔のあざはなんだ?」
私の顔を見て驚いた源さんが言った。えっ、あざ?
鏡を見ると、口の右端にあざができていた。昨日の力士との戦いの名誉の負傷かな。暗かったから、全然気がつかなかった。
源さんに昨日の出来事を話していると、京屋の玄関が騒がしくなった。
玄関に出てみると、力士がいた。思わず身構えてしまったけど…。
「そんな、身構えんでください。」
昨日の態度と比べると、妙に丁寧だ。しかも親切というか…。
その力士と、近藤さんとで話をした。
「実は、うちのとこも奉行所にいったんですわ。そしたら、壬生浪士組の方も来はったいうんで、話を聞いたら、どうも相手はうちの力士らしいということになりましてな。相手が誰か知らんかったさかい、無礼を働いてしもうて、えろうすんません。」
その力士は頭をたたみにこすりつけるようにして謝ってきた。
「いや、話を聞いたら、そちらは怪我人も出たそうで。」
「ええ、一人死にました。」
ええっ、死人が出たのか?
「いや、でも、うちが悪いさかい、気にせんといてください。本当に申し訳ない。」
「いやいや、こちらは怪我人もいないので、大したことはない。これを機会にこれからも色々あるかもしれないが、よろしく頼む。」
近藤さんが軽く頭を下げると、力士の方もいやいや、こちらこそという感じで、仲直りが成立した。
力士が帰ったあと、入れ違うように土方さんたちが来た。
「あれ、土方さんたちも、大坂に来たのですか?」
「おっ、お前っ!その顔のあざはなんだっ!」
という訳で、土方さんが来て早々昨日のことを説明したのだった。
「お前のあざの原因はわかった。あのな、お前、自分が女だって、自覚があるか?」
「あ、忘れてました。」
「おいっ!女らしくしろとは言えないが、せめて、そういう争いは避けるとか、顔に傷を作らないようにするとかできんのか?」
「ここにいたら、それは無理でしょう。」
「ま、そうだがな。まさか源さんもいないところで、こんなことが起きるとは思わなかった。」
「私だって、あんな大乱闘になるとは思いませんでしたよ。」
「できれば、お前は女だから人も切って欲しくないが…。ここにいたらそれは無理だろうが…。でも、傷が残って行き遅れになるようなことになったら、天野先生に向ける顔がない。」
「行き遅れって、どこにですか?」
「嫁だっ!」
「なに言ってんですか。まだ18才ですよ。」
「適齢期じゃねぇかっ!」
えっ、そうなのか?確かに、江戸時代だと適齢期になるのかもしれないけど…。
「まだ早いですよ~。あ、何かあったら、土方さんがもらってくれればいいですよ。」
「ばかやろう。ガキに興味はねぇっ!」
どうせ、そう言われると思っていたよ…。でも、分かったと言われても困るしなぁ。
「あ、そういえば、なんで土方さんたち大坂に来たのですか?私はてっきり昨日の力士事件のことを耳にしてきたと思ったのですが。」
「そんなに早く耳に入るか。」
そうだ、ここは江戸時代だった。現代なら近藤さんが携帯で土方さんに連絡していたのだろう。
「大坂に、老中が連れてきた兵がいるだろう。」
「ああ、千数百人の。」
「そうだ。江戸に帰るように家茂公が説得するため、大坂に来たから、その警護で一緒に来た。」
「そうだったのですか。」
「家茂公も、いつかまだ決まってないけど、ここから船に乗って江戸に帰るらしいぞ。ま、こんだけ騒がれたら帰らざるえないだろうよ。」
家茂公も、3月から帰るのなんのって言っていて、反対されていた。やっと帰れるんだ。これっていいことなのか?
「攘夷は江戸でするってことらしい。」
「そうなんですか。」
やっぱり、その言葉をよく知らない。
「あ、そうだ。天野先生から文を預かった。」
お師匠様から手紙?
読んでみると一言。
「力士乱闘事件があるはずじゃ。気をつけろ。」
と書いてあった。
お師匠様、それはもう終わりました。




