七里の渡し
十月になった。
現代になおすと十一月の中旬から下旬ぐらいにあたる。
この時期になると、朝と夜が寒いなぁと感じるようになってきた。
私たちの旅は順調で、ずうっと山道を歩き、鈴鹿峠を越えてしばらく歩くと海が見えてきた。
「海が見えましたよっ!」
海なんて、久しぶりに見るぞ。
京に海はないし、大坂に行けば海はあるけど、最近大坂に行く用事がなかった。
「海ぐらいで大げさだな」
そう言った土方さんも、嬉しそうに見えたのは気のせいか?
「京には海がなかったもんな。蒼良も嬉しいんだよな。俺も嬉しいぞ」
東海道は、太平洋側にある。
中山道が山の中にあって、見える景色は山ばかりだっけど、東海道は海がちらほらと見える。
最初はそのたびにはしゃいでいたけど、そのうち、海が見える景色にも慣れてきてはしゃぐことは無くなった。
私たちの旅は順調で、この日は桑名宿と言うところに着いた。
綺麗なお城が立っている城下町で、大きな町だった。
と言うのも、この東海道の中でこれから行く宮宿と言う町に次ぐ二番目に大きな町になるらしい。
「大きな町ですね。お城も建っているし」
「そうだな、立派な城だな」
源さんも、城を見上げてそう言った。
「お前、桑名藩って知らねぇって言わねぇよな?」
えっ?
「し、知らないと何かあるのですか?」
知らないんだけど、もしかして捕まるとかそう言うことがあるのか?
「お前、本当に知らんのか?」
「歳、そんな怖い顔するなよ。蒼良だって、藩の一つや二つぐらい知らない藩があるだろう。俺だって知らない藩があるだ」
源さんが一生懸命フォローしてくれた。
ありがとう、源さん。
「でも、桑名藩だぞ。知らねぇってことがあるか?」
桑名藩って、何かあるのか?
「松平容保公の実の弟がいて、京都所司代をやっている藩だぞ。それでもわからないのか?」
ああっ!思い出したっ!
一会桑政権の桑の人だっ!
この時の政治は、一ツ橋慶喜の一と、会津藩の松平容保の会、そしてここ、桑名藩の松平定敬の桑という、この三人が中心となって政治をしていた。
今はそれが崩壊しているのだけど。
「歴史の授業でやりましたよ」
うん、確かに習った。
「はあ?」
しかし、二人からは怪訝な顔をされて聞き返されてしまった。
この時代のことを習ったのだから、ここで授業でやりましたと言うのはおかしいことだった。
「あ、思い出しました。桑名藩」
「そうだろう。有名だろうが」
「蒼良だって、長旅で疲れが出たんだよな」
源さんがそう言ってくれた。
「源さんは、こいつのかた持ちすぎだろう」
「蒼良がかわいいからに決まっているだろう。なぁ」
いや、そこで返事を求められても、困りますから。
「源さんのばかな親が始まったぞ」
土方さんはそう言って苦笑いをしていた。
「ばかな親でも、親ばかでも何でもいい。俺は蒼良の親代わりだからな」
そ、そうだったのか?
宿に入り、荷物の整理をした。
宿の障子を開けると、海が見えた。
「明日は、船に乗るぞ」
土方さんがその海を見ながらそう言った。
えっ?
「東海道ですよね」
「そうだ」
東海道で、船に乗るところなんてあったか?
新幹線を想像したけど、船なんてあったか?
「東海道は海沿いにあって川も広くて大きいから、たびたび船で渡る場所もあるんだぞ」
源さんが優しく教えてくれた。
そうなんだ。
「いや、今回は川じゃねぇ。海を渡る」
そ、そうなのか?
「船がいやなら、陸路があるぞ。回り道になるがな。俺は船に乗る」
土方さんは何言ってんだ。
土方さんが船に乗るなら、私だって船に乗るに決まっているじゃないか。
「乗りますよ」
置いて行かれそうだったので、あわててそう言った。
ここで置いて行かれたら、独りで帰る自信はないですからねっ!
ちなみに、この海での移動距離が七里あったことから、七里の渡しと呼ばれたらしい。
次の日、戸を開けたらいい天気だった。
「天気が良くてよかったな」
空を見て土方さんが言った。
「天気が悪いと何かあるのですか?」
「悪天候だと、船が出ねぇだろう。晴れるまでここで足止めだ」
そ、そうなんだ。
急ぎの旅ではないけど、ここで足止めって言うのも嫌だなぁ。
「船が沈没してお陀仏ってこともあるしな」
そ、そんなことがあるのかっ!
「縁起でもないことを言わないでくださいよ」
しかも船に乗る前からそんなこと言って縁起が悪い。
「源さんからも一言、言ってくださいよ」
源さんの方を見ると、源さんはさえない表情をしていた。
「どうしたんだ?」
土方さんもその表情に気がついたみたいで、源さんに声をかけた。
「船に乗るんだよな?」
源さんは恐る恐る聞いてきた。
「そうだ」
「陸路もあるって言っていたよな。俺、そっちから行こうかな……」
えっ、そうなのか?
「源さん、大丈夫ですか? 急にどうしたのですか?」
急にそんなことを言いだすなんて、源さんらしくない。
「船なんて、人間の乗るものじゃないぞ」
そ、そうなのか?普通に人が乗っているが……。
「あんなものに乗ったら具合が悪くなるじゃないかっ! 俺はあんな思いをするなら、陸路を行くからな」
もしかして、源さんは船酔いをするのか?
「船酔いは、酒飲んで酔ってれば大丈夫だ」
土方さんは、なにごともない顔でそう言ったけど、そんな話、聞いたことないぞ。
でも、お酒飲んで酔わないのなら、飲んだほうがいいよな。
「わかりました。私がお酒を飲みます」
「お前はただ酒が飲みてぇだけだろうがっ!」
あ、ばれた。
「じゃあ、源さんに付き合って飲みますから」
「お前は飲むなっ!」
えっ、だめなのか?
「土方さん、酔い止め薬か何かあるのですか?」
乗り物酔い止めの薬があれば、それを飲ませたほうがいいだろう。
「酔わねぇ方法が一つあるぞ」
そうなのか?
「船に賊と言う字を書き、最後の点の部分をを自分の額に書けば大丈夫だ」
それって、本当なのか?
いまいち信用できないけど。
「それをしたら酔わないのか? 早速頼む」
いや、それをしても酔うと思うけど……。
でも、ここで効き目がないと言ったら、源さんを船に乗せるのが難しくなるだろう。
ここは土方さんの同調しておこう。
「おう、俺がやってやる」
と言う事で、源さんも一緒に船に乗ることになった。
「これで大丈夫だ」
船に乗ると、船の方に賊と言う字の上の点がない文字を土方さんが書いた。
船に書いて大丈夫なのか?と思っていたけど、所々に同じような字が書いてあったので、船酔いになる人ってけっこういるんだなぁと思った。
そして、最後の点を源さんの額の上に書いた。
額に点を書かれた源さんは、なんか間抜けに見えた。
思わず土方さんと笑ってしまった。
しかし、源さんはそんな事を気にしなかった。
「船に酔うより、額に点を書かれて笑われた方がましだ」
と言って笑うぐらいだ。
そんなに船酔いってひどいものなのか?
それにしても、この船が木造でできていて、すぐに壊れそうな感じの船だ。
この船で大丈夫なのか?
船酔いより、無事にたどり着けるのかが心配になってきた。
そんな中、船は出港した。
七里と言われたけど、何キロなのかいまいちよくわからない。
後で距離を計算してみたところ、一里は約3.9キロなので、七里は約27キロぐらいと言う事になる。
意外と船に乗るんだなぁ。
それにしても、酔い止め薬が無いこの時代、土方さんが源さんにやったおまじないのようなものは効くのか?
恐る恐る源さんを観察してみた。
船はものすごく揺れていたけど、源さんが酔う気配は全くなかった。
むしろ、
「おい、また波がきたぞ。今度は船がものすごい勢いで浮き上がったぞ。すごいな」
と言ってはしゃいでいた。
「源さん、気持ち悪くはないのですか?」
「ああ、すっかり忘れてた。これが効いているんだろう」
源さんは、額の点をポンとたたいてそう言った。
本当に効くんだ。
「蒼良は大丈夫か?」
「大丈夫です」
長州から京へ帰るときに船を使ったけど、その時も大丈夫だった。
だから、お酒も強いけど船も強いのだろう。
船と酒とでは酔い方も違うのだろうけど。
「ところで、歳はどこに行った?」
そう言えば、土方さんを見かけないぞ。
確かに一緒に船に乗ったのに。
土方さんを探すと、土方さんは船の端っこに海に向かってしゃがみこんでいた。
「土方さん、探しましたよ」
船が揺れるので、よろよろしながら土方さんの方へ歩いた。
「く、来るなっ!」
青白い顔をした土方さんが私にそう言った。
来るなって?
そう言った後の土方さんはウッと口を押え、そのまま海に向かって顔を出していた。
気持ち悪くてどうやら吐いているらしい。
大丈夫か?
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だから、来るな」
いや、全然大丈夫に見えないからね。
「こんなみっともねぇ姿をおまえに見られたくねぇんだよ」
そんなことを言っている場合じゃないでしょう。
「大丈夫ですよ。全然みっともなくないですから」
そう言って私は土方さんに近づいた。
近くまで来ると船が大きく揺れたので、私はかがみこんでいる土方さんの上に座ってしまった。
「お、お前っ! わざとか?」
「す、すみません、船が揺れたもので」
あわてて私は土方さんの上からどけると、再び土方さんは口をおさえて海の方を向いた。
これは、重症だわ。
「あ、いたいた。えっ、もしかして歳、船酔いか?」
源さんが楽しそうな顔をしてやってきた。
「船酔い、辛いだろう」
「源さんは楽しそうだな」
「これのおかげかな」
源さんの額の点にみんなの視線が行く。
「土方さんもやりますか? これ」
「そりゃいい。歳が教えたんだから、歳もやれ。効くぞ」
源さんが矢立と言う、筆箱を出し始めた。
「ほら、書いてやるからこっち向け」
「嫌だ。そんな間抜けなものを絶対にしたくねぇっ! そんなら船に酔っていた方がましだっ!」
そ、そうなのか?私だったら、点を書いてもらうが。
そう怒鳴ってすぐ、再び海の方に向かってかがみ始めた土方さん。
「そこまで嫌がるのなら仕方ないな」
源さんは矢立をしまった。
早く岸に着きますように祈るしかない。
とにかく、早く着いてっ!
やっと宮宿と言うところに着いた。
早く着いてと祈った割に意外と時間がかかった。
四時間ぐらい乗っていたんじゃないのか?
朝出たからまだ昼すぎだった。
いつもならこのまま旅を続けるのだろうけど、土方さんがぐったりしていたから、宿を探してそこに落ち着くことにした。
宿に着くと、さっそく土方さんを寝かした。
「まだ揺れているみたいだ」
そうつぶやいて土方さんは横になった。
確かに、酔っていなくても揺れているように感じるもん。
「歳も船に弱かったとはな。いい発見が出来たぞ」
源さんが楽しそうにそう言った。
これっていい発見なのか?
宮宿は、東海道で一番大きな宿場町だ。
しかし、土方さんが起きないので、源さんと適当なところで夕飯を済ませた。
乗り物酔いには、梅干しがさっぱりしていていいと聞いたので、梅干しを買って帰ってきた。
土方さんはまだ寝ていた。
大丈夫だろうか?と思いつつ、私たちも寝ることになった。
ゴソゴソと音がしたような感じがして、目がさめた。
も、もしかして、泥棒か?
ここは寝ているふりをして、相手のすきをうかがうぞ。
相手の気配が私の近くになったので、今がチャンス!と思い、飛び起きた。
それと同時に、頭に何かがぶつかって、目の中に星が飛んだ。
本当に星って飛ぶんだなぁなんて思いながら、ぶつけた額をおさえてかがみこんでしまった。
それでも、相手にスキを見せてはいけないと思い、すぐに体勢を立て直して相手を見ると、土方さんが額をおさえて座り込んでいた。
あれ?土方さん?
「お前は、一体何なんだっ!」
あれ?
「泥棒じゃなかったのですか?」
ゴソゴソと荷物をあさる音がしたし。
「俺だっ! あれから何も食ってねぇから腹がへったんだっ! だから食い物がないか探していた」
そ、そうだったのね。
「てっきり泥棒かと思いましたよ」
「ぐっすり寝ているなぁって、お前の寝顔を見ていたのに、突然起き上がりやがってっ!」
「す、すみませんっ!」
あれ?でもなんで私の寝顔なんて見ていたんだ?
「そんなことより、何か食いもんないか? 腹がへった」
お腹がすいたと言う事は、よくなったってことなんだよね。
「ありますよ」
さっき買ってきたんだよね。
と言う事で、梅干しを出した。
それを見た土方さんは固まっていた。
「お前、梅干しで腹がいっぱいになると思うか?」
な、ならないですよね。
お腹いっぱいになるぐらい梅干を食べたら、健康に悪そうだし。
「ならないですよね。乗り物酔いには梅干しのようなものを食べたらすっきりするかと思って買ってきたのですが……」
私がそう言うと、土方さんは梅干しをつまんで食べた。
「せっかく買ってきたんだから、食べねぇと損だろう」
「でも、おなか一杯になりませんよ」
「それは、これから食いに行けばいいだろう。こんなに大きな宿場町なんだから、夜やっている店があるだろう」
あ、確かに。
「一緒に来い。梅干しのお礼をしてやる」
梅干しのお礼って、怖いのですがっ!
「なにをするつもりですか?」
「お前が良かれと思って買ってきたんだろ? その梅干を食べたら、お前の言う通りすっきりしたから、お礼をしてやるって言ってんだよ。行くぞ」
どうやら、復讐ではないらしい。
「はいっ!」
「源さんが寝ているから起こすなよ」
と言う事で、そろぉっと部屋から出て、夜の町に繰り出したのだった。
土方さんが元気になってよかった。
「次は、源さんにしたおまじないを土方さんもしたほうがいいですよ」
そうすれば、酔わないだろう。
あんなに効くとは思わなかった。
「ぜってぇに嫌だっ! これから船に乗らなければいいんだ。いいか、帰りは陸路で行くからな」
そ、そうなのか?