銀杏
九月になった。
現代に直すと十月の中旬から下旬あたりになる。
この時期になると気候もだいぶ良くなってきた。
巡察していても気分がいいぐらいのちょうどいい気候だ。
木々も赤や黄色に色づき始めていた。
そろそろ紅葉狩りかな?でも、まだ早いかな?
嵐山あたりだと、京より気温が低いから見れるかもしれないなぁ。
そうか、嵐山かぁ。
そろそろ土方さんが
「行くぞ」
と言い出しそうだなぁ。
そう思っていたら、
「行くぞ」
と、本当に言い出したから驚いた。
「俳句の材料を探しにですか?」
「はあ? 何言ってんだ?」
そこに反応してこないと言う事は、違うのか?
「そんなのんきなことをしに行くんじゃねぇよ」
えっ、そうなのか?
そんなのんきなことをしているのが土方さんだと思うのだけど。
私は、俳句なんて作りませんからね。
「隊士を募集しに行くんだ」
えっ?ずいぶんと近場に募集しに行くんだなぁ。
前は、近藤さんが
「隊士は江戸の人間がいいな」
みたいなことを言っていたから、江戸まで言って隊士を募集していたけど、そうも言ってられなくなったのか?
「それじゃあ、ついでに紅葉狩りもしましょうよ」
せっかく嵐山に行くのだから、紅葉が見たいじゃないか。
「お前、一緒に行くつもりだったのか?」
えっ、行ったらいけなかったのか?
「いや、お前に行く気が無くても連れて行っていたが。お前が行く気ならちょうどいい」
「当たり前じゃないですか。もしかしたら、京で紅葉が見れるのが最後になるかもしれないのですよ」
「はあ? 京?」
あれ?
「嵐山って京ですよね」
これは間違ってないよな?
「そうだが……」
「嵐山に隊士を募集しに行くんですよね」
「はあ?」
えっ、やっぱり違うのか?
「嵐山で隊士募集してどうするんだ?」
それは私が聞きたいのですが。
「隊士は江戸で募集するのに決まっているだろうが」
やっぱりそうだよね。
と言う事は、今まで土方さんが話していたことは、江戸のことだったのだ。
あれ、待てよ。
「お前をどうやって誘うか考えていたが、お前が江戸行きに乗り気でよかった」
そうなのだ。
知らないうちに、江戸行きオッケーって言っていたのだ。
「今回は源さんも一緒だ。身内だけの気楽な旅になりそうだぞ」
いや、私、まだ江戸に行くとは……。
「お前一人を屯所に置いておくのは色々と心配だからな。お前も一緒なら、俺の心配も減るってもんだ」
言っていたんだよなぁ。
「わかりましたっ! こうなったら、江戸でもどこまでも一緒に行きますっ!」
仕方ない、どこまでも一緒に行ってやるっ!
そんな決意を口に出したのに、
「行くのは、江戸だけだからな」
と、冷たく言われてしまった。
はい、そうですね。
今回は江戸ですよね。
それなら早いほうがいい。
「それなら行きましょう、江戸へっ!」
「お前、気が早すぎるだろう。それなりの支度ってもんがあるだろ。江戸に行くと言う事は、数日留守にするってことだからな。ある程度仕事をしたりしてからだな」
そ、そうなのか?
確かに、この時代は新幹線なんて言う便利な物がない。
京から江戸への旅は、日帰りなんてもんじゃなく、一週間から二週間近くかけて歩いて行くのだ。
歩きなんて気が遠くなる。
「で、いつ出るのですか?」
「俺の仕事が終わり、支度ができ次第だな」
「それはいつなのですか?」
「そんなことわかるかっ!」
まだ具体的な日にちとかも決まってないらしい。
「そのうち行くから、支度しとけ」
そう一言言われてしまった。
支度って、何すればいいんだろう?
江戸行きの支度かぁ。
草鞋とか足袋を大量に持って行くのはわかっているんだよね。
だって、毎日歩くから草鞋は破けちゃうし、足袋も汚れてしまうから。
他には何が必要なんだろう?
お土産を持って行っても、腐るものは持って行けないしなぁ。
「蒼良先生」
考えながら巡察をしていると、前から買い物帰りらしい鉄之助君が走ってきた。
「鉄之助君は、買い物だったの?」
「はい。土方先生に頼まれたのです」
鉄之助君は土方さんの小姓だった。
と言う事は、土方さんが江戸に行くと、鉄之助君は仕事がないからお休みって言うことになるのかな?
「鉄之助君、やっと休めるね」
私のその言葉に首をかしげる鉄之助君。
あれ?わからないのか?
「土方さんが江戸に隊士募集しに行くから、土方さんいなくなるでしょ。だから、その間休めるね」
私のその言葉を聞いて、鉄之助君は笑った。
「蒼良先生、そんな簡単に休めませんよ。土方先生がいない間は、近藤先生の手伝いをするように言われていますから」
そうなのか?
「いない時ぐらい休ませてあげればいいのに」
やっぱり鬼副長だわ。
「いいのですよ。私も動いている方が楽ですから」
そうなのか?
「でも、土方さんにこき使われて辛いときは、私が助けてあげるから、言ってね」
でも、土方さんは鉄之助君が辛くなるぐらいこき使う事はないだろう。
土方さんも、鬼副長とか言われているけど、結構周りに気を使っているからなぁ。
「ありがとうございます」
鉄之助君は頭を下げた。
しばらく鉄之助君と一緒に歩いていた。
すると、変なにおいがしてきた。
なんだ、この匂いは。
あえて言えば、厠の臭いと言うのか?
でも、ここまで臭うと言う事は、大量に厠があるってことか?
「鉄之助君、なんか臭くない?」
鉄之助君を見ると、鉄之助君は上を見上げていた。
私も一緒に上を見ると、イチョウの木があり、葉が黄色く色づき始めていた。
「蒼良先生は、この匂いを知らないのですか?」
えっ、この匂いに何かあるのか?
「銀杏ですよ」
ぎんなん?
「ああ、よく茶碗蒸しとかに入っているやつだね」
豆のようなやつだろう。
「あれ、美味しいよね。これがそれなんだ」
下に実が落ちていたので、手で取ろうとした。
美味しいものがこんなに落ちているんだもの。
拾わないと損だろう。
「蒼良先生、だめですっ!」
ぎんなんを拾おうとした私の手を鉄之助君が止めた。
「直接触ると、かぶれます」
そ、そうなのか?知らなかった。
「ちょっと道具を持ってきますね」
そう言うと、鉄之助君は荷物を持ったまま走り去っていった。
そして帰ってきた鉄之助君の手には、木製版のトングのようなものと袋を持ってきた。
「これで拾うのです」
鉄之助君は慣れた手つきでトングで銀杏をとっていった。
私は鉄之助君のその作業をずうっと見ていた。
作業が終わると、
「お待たせしました」
と、鉄之助君が頭を下げてきた。
「これって、すぐ食べれるの?」
食べれるものなら早く食べたいなぁ。
「これからが色々と大変なのですよ。まだ実が熟していないものもありますから、まずは熟すまで待ちます」
そ、そうなのか?
ずいぶんと長くかかりそうだなぁ。
その日から、土方さんの部屋が臭くなった。
土方さんの部屋は私の部屋でもあるので私も臭い。
と言うのも、鉄之助君が銀杏が熟すまでの置き場がないというので、
「それならここに置けばいいよ」
と、私たちの部屋の縁側に置かせてあげた。
それが間違いだった。
「お前が軽くここに置けなんて言ったから、こうなったんだぞ」
そ、そうなのか?
「でも、これを我慢すれば、美味しい銀杏が食べれるのですよ」
「その我慢が出来ねぇんだろうがっ!」
それを言われると、私もそうなんだけど。
「外に出ても臭いし、部屋も臭いし、どうすりゃいいんだっ!」
そんなこと、私に言われても知りませんよ。
「その理由は一つですよ」
これしか考えられないだろうと思い、私は言った。
「その理由はなんだ?」
「それは、ここに銀杏があるからですよ」
しばらく沈黙がただよった。
「お前……」
そう言ってすずりを持ち上げた土方さんを、必死になってなだめた。
「これさえ我慢すれば、後は美味しいのですよ」
「でも、この銀杏が毎日量が増えているのは気のせいか?」
いや、気のせいじゃない。
鉄之助君が、毎日どこからか銀杏を持ってきてはここに並べているのだから。
「鉄之助君が、毎日楽しそうに増やしています」
「そうなんだよな。あいつの楽しそうな顔を見ると、何も言えねぇんだよな。ま、いいか」
そうなんだよね。
鉄之助君は新選組に来る前はものすごく苦労をしてきたらしい。
だから、ここにいる間はその苦労を忘れるぐらい楽しんでもらいたい。
だから、楽しそうにしていると、何も言えないよね。
しかし、毎日匂いは強烈になってきた。
これ以上強烈になったらどうしようと思っていると、鉄之助君がたらいを持ってきて、縁側に置いてあった銀杏を入れていった。
「もう熟したからな」
土方さんがその様子を見て一言そう言った。
「はい。そろそろ食べれそうです」
そうなのか?
「これからこれを洗います」
えっ、全部洗うのか?
「手伝うよ」
私がそう言うと、戸惑っていた鉄之助君。
「食べ物は早く食べたいし、一人より、二人でやった方が早く食べれるからね」
「それは食い意地が張っているって言うんだ」
うっ、うるさいっ!
鉄之助君のことを思ってそう言ったんだぞっ!
そんな私たちのやり取りを見て、鉄之助君は笑っていた。
たらいに入れられた銀杏は、水を入れて棒でかき混ぜるという事を何回か繰り返すと、中から種が出てきた。
あ、この種はよくスーパーで売っている種だ。
こうやって取れるんだ。
思わず、水の中に手を入れようとしたら、鉄之助君に止められた。
そう、銀杏は手があれる。
だから、棒でかき混ぜて種を出しているのだ。
全部種を出して、綺麗に洗った後、やっと手で触ることが出来た。
これで食べれそうだぞと思っていたら、再び土方さんの部屋で干されていた。
「え、まだ食べれないの?」
「数日干して乾燥させないと食べれません」
そ、そうだったのかっ!
前と同じように銀杏を干していたけど、今回は果肉がないから匂いはしなかった。
数日後、鉄之助君が再び動き始めた。
「もう食べれるの?」
「火を入れれば食べれますよ」
「お前は本当に食い意地が張ってるな」
うっ、うるさいっ!
台所に行き、銀杏を焼いた。
「ちょっと亀裂を入れてから、厚手の封筒に入れて二回ぐらい折ってレンジでチンすればすぐできるよ」
その言葉に、台所担当の佐々山さんと鉄之助君がはあ?って顔をしていた。
この時代に電子レンジでチンなんて言葉はなかったのだった。
佐々山さんと鉄之助君の素早い作業を私は台所の片隅に座ってじいっと見ていた。
「蒼良先生、出来ましたよ」
鉄之助君の声が聞こえ、目が覚めた。
どうやらうたた寝をしていたらしい。
「えっ、出来た? 食べれる?」
「食べれますよ。土方先生と一緒に食べましょう」
土方さんはいいよ。
そう言いたかったけど、一緒に匂いを我慢したからいいか。
銀杏を部屋に持って行き、みんなで食べた。
「お前、あまり食べすぎると、病気になるぞ」
土方さんにそう言われた。
「土方さんが私にたくさん食べられちゃって、自分が食べる分が無くなるからそう言うのですか?」
病気になるなんて聞いたことないぞ。
「そんなことないですよ。あまり食べすぎるとけいれんを起こして倒れてそのまま亡くなる人もいるのですよ」
鉄之助君が説明してくれた。
そ、そうなのか?
そう言えば、そんなにたくさん食べたことはない。
茶碗蒸しに入っているぐらいだ。
後は、楊枝で三つぐらい串刺しになっているのを食べたぐらいかな。
「そうか、だから量が少ないんだ」
今、少ない理由が分かったぞ。
「もしかして、知らなかったのか?」
知りませんでした。
「知らねぇって怖いな、鉄之助」
そこで何で鉄之助君に同意を求めるかな?
同意を求められた鉄之助君は、楽しそうに笑っていた。




