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幕末へ タイムスリップ  作者: 英 亜莉子
慶応3年6月
343/506

梅雨が明ける

 六月になった。

 現代で言うと七月中旬から下旬あたりになる。

 この時期になると、雨が霧雨から音をたてて降る雨になってくる。

 そして、蒸し暑い。

 なんでこんなに湿気があるんだ。

 蒸し暑いよぉ。

「お前、俺の前でゴロゴロするな」

 書き物をしていた土方さんがその腕を止めて言った。

「こんなに蒸し暑いと、何もする気がしませんっ!」

 暑いだけで体力消耗中だ。

「お前はっ! 寒ければ寒いで火鉢を占領するし、暑ければ暑いでゴロゴロするし。いったい何なんだっ!」

「人間です」

 私がそう言ったら、

「お、お前っ!」

 といった土方さんの筆を持った右腕がわなわなとふるえていた。

 あ、これ以上刺激をすると何かが飛んできそうだな。

「じ、冗談ですよ、冗談」

 ここは冗談でごまかそう。

 それにしても暑い。

 こうやって言い合いしているだけでも汗が出てくる。

「この暑さでバテてたら、夏が来たらどうすんだ?」

「ああ、きっと死んでますね」

 うん、暑さで死んでるね。

 毎年そう思っていて、何とか生きているんだけどね。

 この時代、部屋を快適な温度にしてくれるエアコンがないから、もう暑いときは耐えるしかない。

 と言っても、現代ほど暑いわけではないのだけど。

「お前、夏が来るたびに死んでたら、一体なんかい死んでんだ?」

「大丈夫です。冬が来ても半分死んでますから」

「お、お前……」

 土方さんが絶句していた。

 何も飛んでくる気配がなかったので、とりあえず安心した。

 ゴロゴロし始めると、

「だから、ゴロゴロしてんじゃねぇっ!」

 と、今度は振り返って私の方を見てそう言った土方さん。

「びっ、びっくりしたぁ」

 驚いて起き上がってしまった。

「いいか、俺の前でゴロゴロするなっ!」

 そ、そうなのか?

「なんでですか?」

「理由はない」

 そう言った土方さん。

 でも、土方さんの右に握られている筆がさっきから動いてなかった。

 もしかして……。

「俳句が思い浮かばないとか……」

 さっきから筆が動いていないと思っていたら、そうか、俳句を作っていたのかっ!

「梅雨は夏の季語なんですかね?」

 どちらかというと夏の季語なんだろうなぁ。

「うっ、うるせぇっ!」

 や、やっぱり、作っていたのか?

「これが俳句を作っているように見えるか?」

 書いていたものを見せてくれた。

 ミミズがはって歩いたような文字が書いてある。

 もちろん、そんな文字は読めない。

「やっぱり、俳句を作っていたのですか?」

「これのどこが俳句だっ!」

 俳句だか何だかわかりませんよっ!

「俺だって色々書いて出さねぇといけねぇものがあるんだよっ!」

「ああ、報告書ですね」

「そんなようなものだっ!」

 そうなんだ。

「一生懸命考え込んでいたようなので、俳句を作っているとばかり……」

 と言っていたら、土方さんの左手にすずりがにぎられた。

 こ、これは、そのすずりが飛んできそうだぞっ!

「じ、巡察に行ってきますっ!」

 私はそう言うと、急いで部屋を出た。


 土方さんに巡察だと言って出てきたけど、本当に巡察だった。

 今日は源さんと巡察だ。

 外を見ると雨は降っていないけど、黒い雲が立ち込めていて、今にも降りそうな感じだ。

 しかも、ゴロゴロと音が鳴っているような……。

「雷が鳴っているな」

 源さんが屯所の中から空を見て言った。

「やっぱり雷だったのですね」

 雷が鳴っていると言う事は、降りそうだなぁ。

「こんな日は嫌だなぁ」

 そう言いながら、源さんは草鞋わらじを履こうとしていた。

「蒸しているし、雷もなっているし、一番嫌な天気ですね」

蒼良そらもそう思うか? そうだよなぁ。古傷が痛むような天気だよな」

 ん?源さんに古傷なんてあるのか?

「昔、怪我か何かしたのですか?」

「いや、してないが、俺も年だからな。色々体に出てくるんだよ」

 そ、そうなのか?

「源さんって、何歳ですか?」

「俺か? もう39歳だ」

 そ、そうだったんだ。

「思っていたより若いと思っているんだろ?」

「い、いえ、そ、そんなことは思っていませんよ」

 な、なんでわかったんだろう?

「俺は老け顔だからな。実際の年より年をとって見られるんだ」

 確かにそうかも……。

「それにしても、こんな時に巡察って言うのもな……」

 源さんが話している途中で止まった。

 何かあったのかな?そう思って源さんを見ると、玄関を出たところで、なぜか中腰で固まっていた。

「源さん、どうかしたのですか?」

 中腰で固まっているって、普通じゃないだろう。

 あわててかけよった。

「そ、蒼良、こ、腰が……」

「もしかして、またやったのですか?」

 そう聞いたら、コクコクと源さんがうなずいた。

 だいぶ前にも源さんはぎっくり腰になり、山崎さんに治療してもらったという過去がある。

「山崎さん呼んできます」

 山崎さんは元鍼灸師なので、治療もしてくれるだろう。

 急いで呼んでこよう。


 山崎さんを呼びに行ったのに、来たのはなぜか土方さんだった。

「なんだ、久々になったな。大丈夫か?」

 と言いつつも、源さんの腰を楽しそうにさわる土方さん。

「と、歳、本当に痛いからさわるなっ!」

「そんなこと言わなくてもいいだろう」

 なんか楽しそうだな、土方さん。

「蒼良、早く山崎を呼んで来てくれ」

「山崎か? あいつなら今、俺が仕事を頼んだ」

「な、なんだってぇっ!」

 思わず源さんと声をそろえて言ってしまった。

 しかし、源さんはその後に腰をおさえて

「いてて」

 と言っていた。

 土方さんが本当の鬼に見えるぞ。

「というのは冗談だ」

 土方さんは笑顔でそう言った。

 そ、そうなのか?

「と言う事は、山崎さんは屯所の中にいると言う事ですね」

「いると思うぞ。探して来い」

「わかりました」

「おい、歳。俺をこの場所から移動してもらえんか?」

 源さんが中腰で固まったまま土方さんに言った。

「源さん、悪いな。俺は仕事の途中なんだ」

 な、なんで仕事の途中の人がここにいるんだっ!

「土方さん、仕事は?」

「お前は俺のことを気にせずに山崎呼んでこい」

 確かにそうだよな。

 土方さん、仕事どうなっているんだろう?

 そう思いながら山崎さんを探しに行った。


「ああ、この前と同じですね」

 山崎さんは固まっている源さんを見てそう言った。

「あの、土方さんは?」

「あいつは、楽しそうに帰って行ったぞ」

 そ、そうなのか?

「とりあえず、ここから中に動かします」

 山崎さんは慣れた手つきで源さんを屯所の中に運んでいった。

 そして針治療が始まった。

 手際がいいなぁと思いながらそれを見ていた。

「おい、お前何してんだ?」

 土方さんの声が聞こえてきた。

 何をしているって……。

「源さんが治療されているのを見ているのですが」

 見ればわかるだろう。

「巡察はどうするんだ?」

 あ、巡察。

 すっかり忘れていた。

「源さんの代わりに俺が行く。行くぞ」

 え、そうなのか?

「土方さん、仕事があったんじゃないのですか?」

「終わらねぇからいい」

 そうなるのか?そこは終わらせようよ。

「ほら、行くぞ」

 土方さんが歩き始めた。

 土方さんと巡察か。

 さぼれないじゃないか。

「おい、いつまで待たせるんだっ!」

「は、はい、すみませんっ!」

「蒼良、すまんなぁ。俺の腰がこうならなければなぁ」

「いや、源さんは悪くないですよ」

「今度、一緒に巡察しような」

 源さんは、腰に針がたくさんささった状態でそう言った。

 なんか、本当に痛そうだよなぁ。

 そう思いつつ、部屋を後にしたのだった。


「降って来やがったっ!」

 土方さんがそう言い始めると同時に、大粒の雨がものすごい勢いで降ってきた。

 土方さんと一緒に雨宿りが出来る場所に入った。

 入ったところは甘味処だった。

「いいのですか?」

 これは、さぼってもいいぞってことなのか?

「いいもなにも、こんな大雨じゃ軒下でもぬれるだろう。こういう時は店に入ったほうがいいんだ」

 そうなのか?確かに、ザーと音をたてて勢いよく雨が降っているから、軒下でもぬれてしまうだろう。

 そのうちにゴロゴロと雷が鳴りだした。

「土方さんが珍しく巡察に出てくるから、雷が鳴りましたよ」

「なんだとっ! これは梅雨が明けるってことだろ?」

 そう言えば、雷が鳴ると梅雨が明けるなんて話を聞いたことがある。

「もうそろそろ明けてもおかしくねぇしな」

 そうか、夏が来るのか。

「それなら、くず切り注文してもいいですか?」

「お前、俺の話を聞いてたか?」

 聞いてましたよ。

 梅雨が明ける話でしょ。

 でも、隣の人が美味しそうにくず切りを食べていたので、食べたくなってしまったのですよ。

「しょうがねぇな。くず切り二つっ!」

 そう言って、土方さんはくず切りを注文した。

「なんで二つなのですか?」

「俺も食いてぇんだよっ! お前が美味しそうに食べてんのを黙って見てろって言うのか?」

「いや、一緒に食べましょう」

 黙って見られたら、食べにくいじゃないか。

 そう言えば、関西のくず切りと、関東のくず切りって違うんだよなぁ。

 この時代の関西のくず切りを食べるのも、この夏が最後かもしれないなぁ。

 来年の今頃は、私たちはどこにいるんだろう?

 ふと、くず切りを食べる手を止めてしまった。

「どうした?」

 それに気がついた土方さんが声かけてきた。

「京で過ごす最後の夏になりますね」

 土方さんは私が未来から来たことを知っている。

 だから、私のその言葉に黙ってうなずいた。

「そうか、最後の夏か」

「な、何言っているのですかっ! 人生最後の夏じゃないですよ」

「おい、誰も人生最後の夏だとは言ってねぇだろうが」

 そう言われると、そうだった。

「それとも、人生最後の夏になるのか?」

 いや、それはない。

「来年も夏はありますよ」

「とりあえず、来年の夏もあるんだな」

 その言い方って、来年あたり死んじゃいそうな言い方だよな。

「そんな顔するな。俺はそんな簡単に死なねぇよ」

 土方さんはぐしゃっと私の頭をなでた。

 そうだよね。

 うん、確かに土方さんはそう簡単には死ななかった。

 って言うか、私が死なせないんだからねっ!


 くず切りを食べてお店の外を見ると、日が出ていた。

 でも、雨は音をたてて降っている。

「これは、虹が見えるかもしれねぇぞ」

 日が出ているのに雨が降ると、光が反射して虹が見える。

 それを待っていると、黒い雲の上から虹が出ていた。

「あ、虹ですよ」

 この時代、空気がきれいだから、虹も綺麗に見える。

「二重に出ているな」

「いいことあるかもしれないですよ」

「お前は面白いことを言うな」

 そう言っている間に、雨は止んだ。

 軒下から雫が滴っているけど、外に出るには問題なかった。

「よし、虹の方向へ向かって巡察に行くぞ」

「面白い巡察ですね」

「せっかく出ているんだから、ゆっくり見たいだろ」

「ところで、虹って季語なのですかね?」

「お前……人がいい気持ちになっているときに……」

 土方さんに俳句の話は禁句だった。

 それなら句集なんて作らなければいいのに。

 なんて思いながら、土方さんの後をついて行った。

「梅雨が、明けたかもな」

 土方さんが真っ青な夏空を見てそう言った。

 この時代、梅雨が明けたと教えてくれる親切な人はいない。

 でも、空を見ればわかった。

 綺麗な夏の空だった。

 京で過ごす最後の夏が始まろうとしていた。

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