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幕末へ タイムスリップ  作者: 英 亜莉子
文久3年5月
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お産の立会い

 雨が降っている。もう数日降っている。

 旧暦の5月は梅雨だ。梅雨だから、毎日雨が降るのは仕方がない。

 仕方がないけど…

「ああっ!この雨、いつまで降るのだろう…。」

 傘をさして街を歩きながらつぶやいてみた。

 こんな雨の日も、巡察はある。

「梅雨だからな、仕方ない。」

 隣には、斎藤さんがいる。今日は斎藤さんと巡察だ。

 憂鬱な気持ちで歩いていると、ぬかるみに足を突っ込んでしまい、足袋も泥だらけになり、憂鬱さが大きくなる。

 コンクリートの道路じゃないので、雨が降るとすぐに道が泥でぬかるむ。屯所で足袋を洗うも、雨で乾かないから、濡れた足袋が増える一方だ。

 現代みたいに乾燥機なんて便利な代物もないので、隊服も洗えない。

 斎藤さんの隊服も、なんか、血のようなものがついているし…。

「ああっ!雨ばかりで飽きた…。」

「雨も、作物には必要だ。それに、蒼良そらは、この前まではしゃいでいただろう。」

 確かにはしゃいでいた。

 だって、こんな紙で出来た時代劇に出てくるような傘をさすの初めてだったし、道路がぬかるんでいるのを見るのも初めてで楽しかった。

 でも、この傘も、現代のように便利なものではない。意外と水分を含むと重くなるし、しかも、紙でできているから、と長時間さして歩くと、穴があいてしまうのだ。

 ああ、憂鬱だ。

「斎藤さん、今日も京は平和だったということで、巡察終了しましょう。」

「ダメだ。もし何かあったらどうする。」

 けっこう真面目な斎藤さん。

「何もないですよ。雨だし。静かじゃないですか。」

 しかし、私がそう言ったのと同時に、男女の怒鳴り声が聞こえてきたのだった。

「なんだ?」

「なんでしょう?」

 斎藤さんは、泥水をはねさせながら、声のする方向へ走っていった。

 私も後を付いていった。


 着いたところは、長屋だった。

 長屋の中から声が聞こえた。斎藤さんがその長屋の戸を開けると、夫婦とみられる男女が土間で喧嘩をしていた。

 女性の方は破裂しそうなお腹をしていた。妊娠しているらしい。

「夫婦喧嘩ですよ。行きましょう。」

 私が行こうとすると、

「止めなければ。」

 そう言って、斎藤さんは喧嘩を止めようとした。

「斎藤さん、夫婦喧嘩は犬も食わないって言うじゃないですか。」

 ほっておいても仲直りするから、他人が仲裁に入るものじゃないという意味だ。

「しかし、このまま放っておいて、何かあったらどうする?」

「何もないですよ。」

 しかし、あったのだ。

 なんと、女性の方がいきなり産気づいたのだ。

「ああっ、痛いっ!」

 大きなお腹を抱えてうずくまってしまったのだ。

「だ、大丈夫ですか?」

 私が近づくと、

「あんさんら、誰や?」

 旦那さんなのか、男性の方が私たちのことを不審に思ったのか、話しかけてきた。

「京都守護職預り、壬生浪士組だ。巡察中に大声か聞こえたから、ここに来た。」

 誰か聞かれたらこう答えるといいというお手本のように、斎藤さんは言った。

「あんさんらに用はない。」

「でも、そちらの女性が苦しんでいるではないか。」

「関係ないやろう。」

 斎藤さんと旦那さんで言い合いしている間も、女性は痛がってうずくまっている。

「大丈夫ですか?」

 腰の辺りをさすると、

「そこ、さすってもらえると、痛みが収まる感じがする。」

 そう言われたので、さすり続けた。

「どこか横になりましょう。立てますか?」

 女性は首を振った。どうしよう…。ずうっと土間にいるわけにもいかないし。

 そんな間も、男性陣はまだ言い合いをしている。

「ちょいとっ!取上婆とりあげばば呼んできてやっ!」

 お腹が痛がっていた女性が、いきなり立ち上がって言い合いしている男性陣に怒鳴った。

「は、はいっ!」

 男性陣、慌てて取上婆、現代でいう産婆さんを呼びに外に駆け出した。

 っていうか、斎藤さんまで一緒に飛び出していかなくてもいいと思うのだけど…。

「陣痛が収まっとるうちに、準備せなあかんさかい、手伝どうてください。」

「分かりました。言うとおり動くので、指示してください。」

 その女性の指示で動き、出産の準備が終わる頃、再び女性のお腹が痛み出したのか、うずくまった。

「大丈夫ですか?」

 私は、さっきと同じように腰をさすった。

「大丈夫。陣痛やさかい。」

 でも、顔には玉のような汗が浮かんでいる。その汗を手ぬぐいで拭いていると、男性陣が取上婆と言う人を連れて戻って来た。

 

「あんたっ!あんたは湯を沸かしぃ。」

 取上婆は斎藤さんを指さしていった。

「えっ、俺が?」

「とやかく言わんではようっ!」

「分かった。」

「それと、あんたっ!」

 今度は旦那さんを指さした。

「長時間になるさかい、米炊いて、握り飯でも作っとき。」

「はい。」

「なんでここには男ばかりなんや。使えへんなぁ。」

 取上婆がそうぼやいたとき、

「こいつは女です。」

 と、斎藤さんが私を指さしていった。

「えっ、なんでこんな時だけ女扱いなんですか?」

「女が必要とされているんだ。協力しろ。」

 なんで、斎藤さんは、私が女だって、知っているのだ?

「なんや、男の格好しとるさかい、男かと思うとったわ。じゃぁ、あんた!あんたは、妊婦のそばにいてや。」

 取上婆に言われた。反論の余地もなかった。

「わては、よそにいるさかい、何かあったら呼んでや。」

「ええっ、行っちゃうのですか?」

 知識のない私たちを置いていかないでっ!

「当たり前やろう。お産はここだけやないんや。よそもあるさかい。」

「いない間に生まれたらどうするんだ?」

 心配な顔をして、斎藤さんが聞いた。

「大丈夫や。まだ生まれへん。あんたが陣痛の間の刻をはかっといてや。」

 私が?大丈夫なのか?

「ほないくで~」

 行かないでくれ~と言う、私たちの心の叫びを無視して、取上婆は行ってしまった。

「ああ、痛いっ!」

 女性がまた痛がったので、私は腰をさすった。

 女性の声に我に返った男性陣は、取上婆に言われた仕事をし始めた。

「陣痛の刻をはかれと言われたので、収まったら教えてください。」

 そう言いながら、女性の腰をさすりつつ、顔の汗を拭いたりした。


 ひたすら繰り返しだった。女性が痛がり始めたら腰をさすり、時間を計る。時計なんてないから、もう感覚だ。さっきより早い時間に痛がり始めたなぁとか。

 でも、陣痛がないときは女性も元気で、旦那さんが握ったおにぎりを食べたりしていた。

 そんなことをしているうちに、気が付けば夜になっていた。

「斎藤さん、屯所に連絡しないで大丈夫ですかね。」

 お湯を沸かし続けている斎藤さんに聞いた。

「さっき、他の者が巡察でこの近くを通ったのを見かけたから、頼んでおいた。」

 さすが、斎藤さんだ。

 

 夜も深くなり、女性の陣痛の間隔も、だいぶ短くなってきた。

 もう、陣痛の休み時間なんてものはなくなり、ずうっと痛がっている状態だ。

 旦那さんに頼んで、取上婆を呼びに行ったほうがいいかもしれないと思っていたら、取上婆の方から来た。

「計算通りや。」

 さすが、取上婆だ。

「これからが本番やでっ!気合いれなぁあかんで。」

 取上婆のその一言で、周りに緊張が走った。

 女性はひたすらいきんで赤ちゃんを出そうとしていた。

 この時代は呼吸法とかそういうものがなく、短時間で一気に出すほうがいいらしい。

「ほら、もっと力いれや。」

 女性の叫び声とともに、私も何か力が入ってしまった。

「あんたは、力いれんでもええっ!」

 怒られてしまった。


 そして、外から明かりが差し込んできたとき、赤ちゃんが出てきた。

 取上婆がへその緒を切ると、元気に泣き始めた。

「男の子や。頑張ったな。」

 まだ血がついている赤ちゃんを、女性は嬉しそうに抱いた。

「わぁ、かわいいっ!」

 私も、思わず声を上げてしまった。私のその声を聞いた女性は、私にも赤ちゃんを抱かしてくれた。

 小さくて、フニャフニャで、守ってあげたくなる。

 

 赤ちゃんを産湯にいれてからまた連れてきてくれた。

 今度は男性陣も感動の対面だ。

「可愛いなぁ。誰に似てるんや?」

「ええところは全部わてや。」

 そんな夫婦の会話が聞こえた。そういえば、この二人、生まれる前は喧嘩していたのでは?

 やっぱり、夫婦喧嘩は犬も食わないなのだ。

 気が付けば、取上婆もいなくなっていた。

 私たちも夫婦の時間を邪魔してはいけないので、静かに去った。


「はぁ、疲れましたね。」

 私が言うと、

「ちょっと休んでいこう。」

 そう言って斎藤さんは、加茂川、現代では鴨川の土手に腰掛けた。

「そういえば、なんで私が女だって知っているのですか?」

「花魁の姿があれだけ似合うのは女しかいないだろう。」

 そんなに前からバレてたのか。

「近藤さんは知らないようだが、土方さんは知っているようだし。色々訳がありそうだな。」

 おおありですよ。

「他のみなさんには、言わないでください。」

「言われなくても、そんなこと言わない。」

 よかったぁ。

 そういえば、雨が降っていない。お産で忙しくてそんなこと気にしている暇もなかったせいか、今気がついた。

「雨、降ってないですよ。久しぶりの青空ですね。」

 空を見ながらそういったとき、右肩にドスンと重い物が乗ってきた。

 見てみると、斎藤さんの頭だった。

 疲れて寝ているらしい。

 そういえば、寝ないでずうっとお湯を沸かし続けていたもんなぁ。現代のように電気ポットとか、蛇口をひねればお湯が出てくるようになっていれば、一晩中お湯を沸かし続けていることもないのだろうけど。

 よく考えたら、火をおこしてお湯を沸かすのも大変なことなのだなぁ。


 湿気を含んだ、梅雨独特の湿った風が、斎藤さんの髪の毛を揺らした。端正な寝顔がちらっと見え、胸がドキドキしてしまった。

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