永倉さんが病気?
梅雨に入ったらしい。
ここ数日、しとしとと雨が降っている。
数日前まで綺麗な青空が広がっていたのに、今はどんよりと雨雲がたれこめている。
そして、寒い。
梅雨に入ると一時的に寒くなるけど、どうもそれみたいだ。
この時代、梅雨を教えてくれる親切な人はいない。
こんな日の巡察は本当に憂鬱だ。
番傘をさすのだけど、この傘、基本的には和紙でできているので、水をすうと重くなる。
そして壊れやすい。
京に来てもう何本目の傘になるのだろう。
傘がすぐに壊れるから、傘つくりの浪人の内職があるんだけどね。
それと、靴なんて物はなく、草履なので足袋がすぐにぬれる。
乾燥機と言うものもないので、ぬれると雨の日が続いているので洗濯もできないし、乾かすこともできない。
ぬれる足袋がたまっていくのだ。
それが一人だけではなく、隊士の人数分にそれが起きる。
そう、ぬれた足袋が屯所内にあふれるのだ。
大部屋なんかは、何とも言えない臭いに襲われている。
そこに平気でいる人たちがすごいと思ってしまう。
ずうっといると慣れてしまうものなのか?
「原田さん、大部屋って、臭くないですか?」
一緒に巡察をしている原田さんに思わず聞いてしまった。
「ああ、外から帰って来た時は臭いと思うが、後はあまり思わないな。鼻が慣れるって言うのか?」
やっぱりなれるものらしい。
「蒼良も、大部屋に一日いれば鼻が慣れるぞ」
いや、それは遠慮したい。
「あっ!」
そこで原田さんが何かに気がついたような声を出した。
「どうかしましたか?」
不審な人物か何かいたのか?
傘を持ったまま、周りに視線をはりめぐらす。
「いや、そう言うんじゃないんだ」
どうしたんだ?
「実は最近、新八が元気ないんだ。もしかして大部屋の臭いでおかしくなったのかと、一瞬思ったんだが……」
永倉さんが元気がない?
「どんな感じなのですか?」
「たまに天井を見てはため息をつくんだ」
永倉さんが、ため息?
「それはおかしいですね」
「蒼良もそう思うだろう?」
匂いで何かがだめになるってそう言うことがあるのか?
「何言っても生返事なんだ」
それは、明らかにおかしい。
「何かあったのですかね。あっ!」
私もあることに気がついた。
「どうかしたか?」
私が声をあげたものだから、原田さんが聞いてきた。
「もしかして、恋の病とか……」
私がそう言ったら、原田さんが大笑いをした。
「新八が恋の病って、ありえないだろう」
そうなのか?
永倉さんだって、恋することがあると思うが……。
「例えば最近、馴染みの芸妓さんにふられたとか、島原に行ったら嫌われたとか……」
「蒼良、相手が全部商売をしている女になっているが……」
「そうですか?」
そんなことはないと思うのだけど……。
「話しているだけじゃわからないと思うから、蒼良も新八を見て見ろ。そっちの方が話が早い」
そう言われるとそうだよね。
「わかりました。巡察後に大部屋におじゃまします」
そう言ってから気がついた。
大部屋、臭かったんだ……。
恐る恐る大部屋に顔を出した。
「あれ? 臭くない」
かび臭いような、洗濯物の生乾きのような匂いが混じった匂いがするかと思っていたけど、普通だった。
「ぬれた足袋とか全部洗って道場で干すことになったから、匂いは消えたかもしれないな」
原田さんが私を招き入れながらそう言った。
かもしれないという、匂いがわからなくなっているのもなんか怖いような感じがするのだけど……。
「新八はあそこにいるよ」
原田さんが指さした方を見ると、広い縁側に腰を掛けて、ぼんやりと雨雲をながめている永倉さんがいた。
「永倉さん、巡察中に見つけた美味しい大福を買ってきたので、一緒に食べませんか?」
私が永倉さんに近づいてそう言った。
すると、ぼんやりと視線を私に向けてきたけど、すぐに雨雲に戻っていった。
「いらない」
い、いらないのか?
普段なら、
「おっ、いただくぜっ!」
と言って、真っ先に手を伸ばしてきそうなんだけど。
「新八、俺も食うぞ」
原田さんは永倉さんの前で大福を口に入れた。
永倉さんは、原田さんをチラッと見ただけだった。
「おかしいだろ?」
原田さんがそう言ってきた。
おかしい。
確かにおかしい。
「永倉さん、梅雨で心が暗くなっちゃいましたか?」
「新八、そんな日は飲みに行くのが一番だ。久々に島原に行ってみるか?」
「あ、いいですねっ! こういう日は飲むのが一番ですよ」
「蒼良も行くか?」
「行きますっ!」
二人でそんな会話で盛り上げていたのだけど、永倉さんは相変わらず雨雲を見ていた。
おかしい、やっぱりおかしい。
原田さんと目があい、二人でうなずきあってしまった。
「おかしいだろ?」
「おかしいですね。もしかして、病気か何かじゃ……」
「新八が病気か? 一番病気にならなそうな感じがするが、元気がないからな。そうかもしれないな。どんな病気だ?」
どんな病気だと聞かれてもなぁ……。
「大部屋の臭いで鼻が曲がって、心まで曲がってしまう病気ですかね?」
「蒼良、そんな病気があるのか?」
ないと思うのだけど、病名がそれしか思いつかない。
「病気だったら、医者に診せたほうがいいな」
「良順先生の所に連れて行きますか?」
「そうだな。それがいいかもしれないな」
と言う事で、原田さんと一緒に永倉さんを病院へ連れて行った。
「異常なし。健康そのものだぞ」
良順先生は、一通り永倉さんを見た後そう言った。
「でも、様子がおかしいんだ」
原田さんが良順先生の診断に反論するように言った。
「でも、異常はどこにも見つからん。恋の病か何かじゃないか?」
「良順先生もそう思ったりしますか?」
思わずそう聞いてしまった。
私だって最初そう思ったもん。
「それ以外ないだろう。後は屯所がまた汚くなっているか」
その言葉に原田さんと一緒に黙り込んでしまった。
過去に、屯所が汚すぎで良順先生に怒られて大掃除をしたことがあるのだ。
それから衛生面ではかなり気を使ってきていると思うのだけど。
ここ数日、例の匂いで臭かったからなぁ。
「また汚くしているのか?」
良順先生が私たちをにらみつけて来たので、原田さんと一緒にブンブンと首を横にふった。
「数日前まで臭かったが、今は臭くないから大丈夫だと思うが……」
「そうなのですよ。生乾きの洗濯物とか山になっていたので、それなりに匂いもしていましたが、今は道場に移動したので大丈夫だと思いますよ」
「洗濯物が山になって臭うのは、この時期どこも一緒だろう」
そ、そうなのか?
「そうだよな。何も屯所だけが臭いわけではないんだ。じゃあ、新八はなんで具合が悪いんだ?」
原田さんがそう言ったので、みんなで永倉さんを見てしまった。
永倉さんは見られていることに気がつかないらしく、私たちと視線を合わせないままため息をついていた。
やっぱりおかしいよ。
「後は、酒でも飲んで、日頃の憂さを晴らしてやるといいだろう。もうそれしかないな」
良順先生ももうお手上げらしい。
「健康だと言う事がわかっただけでもよかったかもしれないな」
原田さんが永倉さんを見ながらそう言った。
病気じゃないと言う事は、なんで元気がないんだろう?
「もしかして……」
私がそう言うと、原田さんと良順先生が私のことを見てきた。
「蒼良は、なにか心当たりがあるのか?」
あるというか、ふと思っただけなのだけど。
「全て梅雨のこの気候が悪いんじゃないかと思うのですが……」
そう、全部このジメジメした空気のせいだ。
私はそう思ったのだけど、原田さんと良順先生はそう思わなかったみたいで、
「それはないだろう」
と、二人から言われてしまった。
そ、そうなのか?
結局、元気がないままの永倉さんを連れて、雨の中屯所に向かって歩いていた。
どうすれば元気になるんだろう?
そんなことを考えながら原田さんと歩いていた。
「おっ、あれは平助じゃないか?」
原田さんが指をさした方を見ると、藤堂さんが傘をさしてこちらに向かってきていた。
まだ私たちに気がついていなかったので、
「おい、平助っ!」
と、原田さんが手をあげて藤堂さんを呼び止めた。
「あれ? みんなおそろいでどうしたの? もしかして、これから飲みに行くとか?」
藤堂さんがそう言った時、
「へ、平助っ!」
と、永倉さんの両手が藤堂さんの肩にのった。
永倉さんがさしていた傘と、藤堂さんがさしていた傘が落ちた。
「し、新八さん?」
藤堂さんが驚いてそう言った。
そりゃ、会ってすぐに名前呼ばれて肩に手をのせられたら、誰だって驚くよね。
「平助っ! お前、相変わらず小さいなっ!」
永倉さんがいつもと変わらない様子でそう言った。
あれ?いつも通りの戻っている?
「新八さんみたいに、無駄に大きいのもどうかと思うけどね」
「なんだとっ! 平助、いつからそんな生意気な口をきくようになった?」
そう言いながら、永倉さんは両手をグーの手にして、藤堂さんの頭をグリグリと両方からしめつけていた。
「新八さん、痛いよ」
その様子を見ていた私は思わず原田さんと目を合わせてしまった。
「もしかして、治ったとか?」
「やっぱり、そう思いますよね」
永倉さんの病気が治ったのか?
「俺が病気だって? アハハッ! 俺が病気なんてするわけないだろう」
永倉さんは、お酒を飲みながらそう言った。
だって、ここ最近元気がなかったみたいだし、誰だってそう思うじゃないか。
「そうなんだ、新八さん元気なかったんだ」
藤堂さんもお酒を飲みながらそう言った。
藤堂さんと会って元気を取り戻した永倉さんは、
「久々に平助に会ったから、飲みに行くぞっ!」
と言い出し、みんなで島原に来ていた。
というわけで、今はみんなで飲んでいる。
「そうなのですよ。何を言っても雨雲をながめていて、元気なかったのですよ」
「だから、病気かもしれないと思って、良順先生の所に行ったら、病気じゃないって言われるし。おい、新八。お前、なんで元気なかったんだ?」
原田さんが永倉さんにお酒をつぎながらそう聞いた。
「なんでだろうな」
本人もわからないらしい。
「やっぱり、梅雨のせいですよ」
私がそう言ったら、
「そんなことあるの?」
と、藤堂さんに笑いながら言われてしまった。
そんなことがあるかもしれないじゃないかっ!
「寂しかったのかもな」
永倉さんがしみじみとそう言った。
「寂しかった?」
その言葉が信じられなくて、三人で声をそろえて言ってしまった。
「そうだ、寂しかったんだ。平助、お前のせいだぞ」
永倉さんのその声で、一斉に藤堂さんを見た。
「え、私のせい?」
「そうだ。急に新選組からいなくなりやがって。俺がどんなに寂しい思いをしていたか」
そうだったのか。
やっぱり……。
「恋の病だったのですね」
私がそうつぶやいたら、
「蒼良、それは違うだろう。というか、平助と新八が出来ているとか俺は想像したくないんだが」
原田さん、それが普通の反応ですよ。
「俺が平助を好きだって? 冗談じゃない。蒼良のように男色じゃない」
最後の一言は余計だろう。
「私だって、遠慮してもらいたいですよ」
藤堂さんもそう言って永倉さんを拒否していた。
じゃあなんなんだ?
「普段、こうやってからかいあう相手がいなくなるのは、寂しいと言う事だ」
永倉さんがそう一言言った。
そう言われると、永倉さんと藤堂さんはよく二人でからかいあっていた。
だから、その相手がいなくなると余計に寂しく感じるのかもしれない。
最近、天気も雨ばかりで寂しかったから、余計だろう。
「ま、病気じゃなくてよかったよ」
原田さんがそう言って永倉さんの背中を叩いた。
「私も京にいるのだから、会った時にこうやって飲めばいいのですよ。いつでも新八さんの相手になってあげるよ」
「おい、平助。なってあげるよとは生意気だな」
今度は、頭のてっぺんをグリグリとされる藤堂さん。
「痛いよ。これ以上背が伸びなくなったら、新八さんのせいだ」
「大丈夫だ。お前の身長はもう止まっているだろう」
「これから伸びるかもしれないじゃないか」
二人で楽しそうに言い合っていた。
御陵衛士と新選組って、仲が悪かったような感じがするのだけど、今の感じだと仲がいいよね。
でも、いつかは仲が悪くなっちゃうのかな。
そうなったら、永倉さんはどうなっちゃうのかな?
「蒼良、大丈夫だ。新八のことだから、あとは自分で何とかするさ」
私が複雑な思いで見ていたのに原田さんが気がついたらしい。
そう言ってくれた。
そうだよね。
永倉さんは強い人だから。
そう思いながら、私も徳利を一本あけた。
とりあえず、今は仲良く楽しもう。