田中さん脱走
夜の巡察っていまだになれない。
この時代の夜は、街灯と言うものがないので基本的に真っ暗だ。
星がきれいに見えると言う長所もあるのだけど、暗くて歩きにくいと言う短所もある。
「蒼良っ! 大丈夫か?」
この日の夜も、原田さんと巡察中に石につまづいたらしく、転びそうになったところを原田さんが支えてくれた。
原田さんの肩に飛び込むような形になった。
「前、ちゃんと見えているか?」
原田さんにしがみつき、体制を立て直した。
「原田さんは、前が見えるのですか?」
逆に聞いてみた。
一応、少し先なら提灯の明かりがあるから見えるのだけど、その先になるとかなり見えにくい。
「やっぱり見えないのか?」
原田さんが私の顔をのぞき込んでいた。
「見えなくはないですよ」
見えにくいのだ。
「俺につかまれ」
原田さんが私の前に自分の腕を出してきた。
「すみません。腕をお借りします」
遠慮なく腕にしがみついた。
これで少しは転ばなくて済みそうかな?
そう思っていたら、
「ギャアギャア」
と言う声が聞こえてきた。
驚いて、
「うわぁっ!」
と叫んだら、
「うわぁっ! どうした?」
と、原田さんも驚いた。
原田さんは、私の叫び声に驚いたらしい。
「今、ギャアギャアって言う声が聞こえましたが」
化け物の声か?もしかして、この世のものではない……
想像しただけでも怖くなったので、原田さんの腕にしがみついた。
「あれは猫の鳴き声だ」
え、猫?
「今は春で、動物にとっては恋の季節だろう」
そ、そうなのか?
そう言えば、猫の鳴き声ってたまに人間の赤ちゃんの泣き声に聞こえる時があるよね。
「ギャア」
という鳴き声がしたと思ったら、物陰から何かが飛び出してきた。
「うわぁっ!」
驚いて、原田さんに抱きついてしまった。
「あ、蒼良、猫だ、猫」
ん?猫?また猫か?
「ほら、あそこにいるだろ。あれが飛び出してきたんだ」
原田さんが指さしている方を見ると、猫が毛づくろいをしていた。
なんだ、あれが飛び出してきたのか。
「蒼良、いつまでしがみついている? 俺は別にかまわないが……」
あっ、原田さんに抱きついたままだった。
「す、すみませんっ!」
あわてて原田さんから離れた。
ここら辺はお寺が多く、お寺が多いと言う事はお墓も多いと言う事だ。
お墓が多いと言う事は、この世のものではないものもきっといるのだろう、多分。
だから妙に物音とかに敏感になっている私がいる。
「あ、あれはたなかじゃないか?」
ん?たなか?
「た、たなかって何ですか? もしかして、原田さんには見えるけど、私には見えないとかって言うものですか?」
ドキドキしながら聞いてみた。
この世のものではない……。
「うちの隊の田中だよ」
「うちの隊のって、亡くなった人が出てきたなんて言わないですよね」
ここた辺にうちの隊士だった人たちの墓ってあったか?
「何言ってんだ? うちの隊の田中だって。ほら、あそこにいるだろう?」
原田さんが指さした方を見ると、人が立っていた。
思わず足があるか確認してしまった。
ちゃんと足が二本あった。
「おい、こんなところで何してんだ?」
原田さんが近づいて声をかけたら、田中さんと言う人は飛び上がって驚いた。
そ、そんなに驚くこともないともうけど……。
私も人に言える立場じゃないんだけどね。
「い、いや、ちょっとな」
歯切れが悪いような感じでそう言った。
「わかった、女だな」
原田さんは、からかうようにそう言った。
「そうだな、恋の季節だからな」
そう言いながら原田さんは田中さんの背中をバンッと叩いた。
「そ、そうなんだよ。ここらへんに女がいるんだ」
あははと、田中さんは笑った。
「邪魔したな」
原田さんがそう言ってその場を後にしたので、私もついて行くようにして行った。
ここは寺町と呼ばれていて、お寺が多い場所だ。
「田中さんの恋のお相手って、もしかして……」
「幽霊か? とかって言うなよ」
い、言いませんよ。
怖いこと言わないでください。
「で、相手がどうした?」
そう、相手だ。
「尼僧さんとか?」
私がそう言ったら、原田さんが笑っていた。
「それはないと思うがな」
そ、そうなのか?
そして朝が来た。
巡察も無事に終わり、朝寝を楽しんでいた。
「なにっ! 脱走しただとっ!」
土方さんのその声によって起こされた。
「あいつは前から伊東さんの勉強会に出席したりして、伊東派と意見を同じくしていたからな。もしかしたら、御陵衛士の所へ行っているかもしれねぇぞ。すぐに追えっ!」
「わかりました」
と言う声とともに襖が開く音が聞こえ、人の気配が消えた。
「何かあったのですか?」
そう言いながら起き上がった。
あんな大きな怒鳴り声を聞いたらもう寝てられないだろう。
「起こしちまったか?」
「はい。何かあったのですか?」
「起こすつもりはなかったんだ。悪かったな」
私も、起きるつもりがなかったのですがね。
「隊士が脱走した。一昨日から姿が見えなくなったらしい」
そ、そうなのか?
「誰ですか? 脱走した隊士は」
私の睡眠から起こした隊士は誰だ?
「田中寅三だ」
そうか、そいつかっ!
ん?田中?
「昨日、会ったような気がするのですが……」
うん、会ったよ。
「なんだと? いつ、どこでどんな感じで会ったんだ?」
すごい剣幕で土方さんがせまってきた。
こ、怖いのですがっ!
「落ち着きましょう」
「これが落ち着いてられるかっ!」
そ、そうなのか?
「確か、夜の巡察の時に寺町と呼ばれているあたりで見かけました。お付き合いしている女性がいるのか、その人の所に行くと言ってましたよ」
だから、脱走じゃないと思うのだけど……。
「なるほど、女か。まさか、その女の名前は、御陵衛士と言うんじゃねぇだろうな?」
ずいぶんと変わった名前の女の人だなぁ。
「えいしと言う名前の女性ですか?」
ごりょうと言うのは名字で。
「はあ? お前、本気でそう言っているのか?」
「本気ですよ。えいしかぁ。やっぱり尼僧さんですかね?」
「お前……」
土方さんがそう言って絶句していた。
なんか悪いことを言ったか?
「いいか、耳の穴ほじくってよく聞け。御陵衛士だ。伊東さんが作った組織だって、お前が言ったんだろ?」
「ああ、その御陵衛士ですか」
なんだ、てっきり尼僧さんかと思ったじゃないか。
「そのって、普通はその御陵衛士だろう。他になにがある?」
確かに、他には思いつきませんね。
「最初に土方さんがそう言う名前の女だって言ったから……」
勘違いしたんじゃないか。
「普通は勘違いしねぇよ」
そうなのか?
「そうだ、田中のことを聞いてんだよ。お前の変な冗談につきあっている場合じゃないんだ」
いや、冗談を言ってませんから。
って、勝手につきあってるのは土方さんじゃないか。
「寺町で会ったんだな?」
「はい。あ、この前沖田さんと行ったお寺もそのあたりにありました」
本満寺と言うお寺だったなぁ。
「総司となんで寺に行ったんだ?」
「牡丹を見に行ったのですよ。とっても綺麗でした。あ、牡丹は春の……」
「うるせぇっ!」
季語と言う言葉に妙に敏感になる土方さん。
誰も、俳句作れとは言ってないのに。
「総司と牡丹を見に行ったんだな? なんで見に行った?」
なんでって……。
「沖田さんがいい場所があるって連れて行ってくれたのですよ」
そんなことより……。
「今は田中さんのことじゃないのですか?」
「そうだった。お前のせいで話が離れてしまうだろう」
わ、私のせいなのかっ!
私はそんなに関係してないと思うのですがっ!
「昨夜、左之と巡察中にそこで見たと言う事だな」
さっきからそう言っていると思ったのだけど。
「よし、さっそく左之と行って来い」
えっ、私が?
「お前、田中を見たんだろ? それならお前と左之で行った方がいいだろう」
そうなのか?
「あのですね、昨夜巡察だったのですが……」
だから、今は少しでも寝たいのですが……。
「そんなことはわかってる。さっさと行って来い」
結局、私が行くのか。
「わかりました」
「本当は休みなのに、悪いな。頼んだぞ」
そう言われると、文句言えないじゃないか。
「行ってきます」
そう言って部屋を出たのだった。
原田さんも田中さんの脱走を聞いたのか、私が呼びに行こうとしたら、途中であった。
「あいつ、女の所なんて言っていたが、あれは脱走の途中だったんだな」
私と会うと、原田さんはそう言った。
「私もてっきり相手はえいしと言う名前の尼僧さんだと……」
「はあ?」
「すみません、こっちの話です」
「とにかく、昨夜の場所に行こう」
というわけで、原田さんと再び寺町へ向かった。
昨夜、私たちと会った田中さんは、このままじゃ見つかると思い、もう遠くへ行ってしまったかもしれない。
いや、そうあってほしいなぁと思っていた。
と言うのも、脱走したら、切腹が待っているからだ。
切腹なんて、やるのはもちろん、見るのも嫌だ。
避けれるものなら避けたほうがいいものだ。
しかし、私たちの願いは届かず、田中さんは昨夜とそんなに変わらない場所にいた。
「お前、なんで逃げなかったんだ」
原田さんが田中さんにそう言った。
私も、逃げていてほしいと思っていた。
「どちらかというと、俺は御陵衛士になりたかったんだ」
そう言えば、土方さんもそんなことを言っていたなぁ。
田中さんは伊東さんの勉強会に出ていたって。
「それなら、伊東さんが隊を出た時に一緒に行けばよかったのですよ」
それが一番いい方法だったのに。
「その時に行き損ねたから、昨夜行ったんだ。そしたら、断られた」
そ、そうなのか?
なんで伊東さんは断ったんだろう?
「とにかく、俺はお前を探しに出てお前を見つけた。これが何を意味しているか分かっているな?」
原田さんは田中さんの顔を見てそう言った。
「覚悟はできている」
田中さんはそう言って両手を出してきた。
その両手に原田さんが無言で縄をかけた。
今も昔も、捕まるときは同じように手を出すんだなぁなんて、他人事のように思ってしまった。
田中さんは次の日切腹した。
私は見なかったけど、原田さんは見たらしい。
「あの時、脱走しているってわかっていたら、もっとうまくやれたのにな」
原田さんは悲しそうにそう言った。
「原田さんのせいではないですよ。伊東さんが断ったのがいけないのですよ」
そう、伊東さんが悪い。
「蒼良、伊東さんだって、新選組から来た人間を全部入れてたら、土方さんや近藤さんがいい思いしないだろう」
確かにそうだよね。
私だってそんなことをしたら腹が立つもん。
「離隊するときに、お互いの隊の人間のやり取りはしないって約束したらしいぞ」
あ、そんな話を歴史で聞いたことがある。
その関係で、これからも色々と事件があるのだ。
「これも、仕方ないのかな」
原田さんが、そう言って悲しい顔で空を見上げた。
空は、悲しいぐらいに青かった。




