沈丁花
節分も無事に何とか終わり、数日が過ぎた。
現代の立春は、まだ寒いなぁと言う感じだけど、旧暦の立春は本当に暖かくて春らしくなってくる。
暖かいと眠くなってくるなぁと思いながら、手を上にあげて思い切って伸びをするついでにあくびもしてみる。
しかし、道場から聞こえてきた声に眠気が吹き飛んだ。
「もう向かってくる人がいないの? こんなんじゃ一番隊いらなくなっちゃうよ」
この声は、沖田さんじゃないかっ!
なんで安静にしていないといけない人が、道場でしかも隊士に稽古をしているんだ?
ダッシュで道場へ行くと、沖田さんが一人で竹刀を持って立っていて、他の人たちはみんな沖田さんに打たれたのだろう。
あおむけになって倒れこんでいた。
安静にしていないといけないのに、なんでこんなにたくさんの人を倒してんだ?
「あ、蒼良。蒼良も稽古やる?」
何が稽古だっ!
ブンブンと首を横にふった。
「沖田さん、これはいったい何ですかっ!」
「なにって、稽古だよ」
そりゃわかっている。
「なんでみんなが倒れているのですかっ!」
「ああ、僕が倒したからね。蒼良、本当にみんなを稽古しているの? みんな弱いじゃん」
いや、あんたが強すぎるんだ。
とっても剣が強い沖田さんは、自分のレベルに合わせて稽古をするので、稽古を受ける方は大変なのだ。
いや、言いたいのはそんなことではない。
「なんで安静なのに、ここにいるのですかっ!」
言いたかったことはそれだ。
「ああ、暇だから」
いや、暇だからって、それはないだろう。
「今すぐ部屋に帰りますよっ!」
沖田さんの持っていた竹刀をかたし、沖田さんの手を引っ張って道場を出ようとした。
「まだ帰りたくないなぁ」
帰りたくないと言われても、部屋で安静にしていないとだめだろう。
「だって、部屋に行っても暇なんだもん」
「暇なら寝ていればいいじゃないですかっ!」
寝ていれば、その分体力も消費しないから、労咳の進行も遅れるかもしれないだろう。
「寝ていても暇なんだよ。寝てばかりいると、腰が痛くなるし」
「腰が痛くなったら、山崎さんに何とかしてもらえばいいのですよ」
「ええ、嫌だなぁ。蒼良がいい」
私がいいと言われても、私は沖田さんの腰を治せませんからね。
って、今、腰云々言っている場合じゃないのよ。
「とにかく、部屋に行きますっ!」
私が再び沖田さんの手を引っ張った時、
「あっ!」
と、沖田さんが言った。
何かあったのか?
「今日は、良順先生のところに行く日だった」
そ、そうだったのか?
そんな大事な日に何で稽古をしているんだ?
稽古して隊士を倒している暇はないだろう。
「早く行かないとだめじゃないですか」
「うん、そうなんだけどね。一人で行きたくないんだよね」
ちょっと不安そうな顔で沖田さんがそう言った。
そ、そうなのか?
「私が一緒に行きますよ」
沖田さんの労咳が少しでも良くなるなら、良順先生のところに行くぐらい何でもないことだ。
「ありがとう」
沖田さんは笑顔でそう言った。
「変わりなし。よくもなってないし、悪くもなってない」
良順先生は一通り診察を終えるとそう言った。
それっていいことなのか?
首をかしげていると、
「うん、よかった」
と沖田さんが言ったので、いいことらしい。
「だから、稽古して大丈夫だよ、蒼良」
そ、そうなのか?
「いや、長生きしたいなら、安静だ」
沖田さんの言葉を取り消すように良順先生がそう言った。
やっぱり駄目じゃないか。
「だってさっき、よくなってないけど悪くもなってないって先生が言ったじゃん」
「確かに言ったが、そもそも労咳はよくならん病気だろう。それは当たり前のことだ。悪くなってなければとりあえずは大丈夫だろう。これからも今まで通りの生活をするようにと言う事だ。稽古なんて、とんでもない」
ほら、良順先生も言っているじゃないか。
「蒼良君、これからもしっかりと監視を頼む」
「わかりました」
しっかりと監視します。
「ええ、蒼良の監視はうるさいからなぁ」
沖田さんの場合、少しぐらいうるさくないと、言う事聞かないだろう。
「部屋にこもりっきりもよくないから、散歩ぐらいはさせてもいいだろう」
え、そうなのか?
「でも、沖田さんの散歩は距離が長いですよ」
「どこら辺まで行くんだ?」
「僕の散歩は普通だよ」
沖田さんはそう言うけど、普通じゃないと思いますよ。
「屯所から、大田神社まで行くこともありますよ」
確か、菖蒲を見に行った記憶がある。
「それぐらいなら、許容範囲だろう」
そ、そうなのか?
私から見たら、けっこう距離があったと思ったけど。
この時代には、自動車と言うものが無く、どこへ行くのも歩いて行くのが普通だ。
だから、私にとってはこれはバスに乗っていく距離だろうと言う距離でも、この時代の人たちは普通に歩いて行くのだ。
「ほら、散歩ぐらいなら大丈夫じゃん」
沖田さんは勝ち誇ったように言った。
そうなのね。
「とにかく、まだまだ安静だ。わかったな」
「はいはい」
良順先生の言葉に、沖田さんは軽くうなずいた。
屯所に帰ると、どこからかいい香りがしてきた。
この香りは……。
キョロキョロと見回してみると、その香りのもとを見つけた。
「沈丁花だ」
私は指をさしてそう言った。
低い木に、小さく薄いピンク色の花が丸く固まって咲いている。
その花が咲くと、とってもいい香りがするのだ。
現代では、三月当たりに咲き、この花の香りがすると、春が近いんだなぁと思っていた。
この花が咲いたと言う事は、もうすぐ本格的な春が来るってことだ。
「あそこだと、とれないね」
沖田さんが沈丁花を見てそう言った。
その沈丁花は、西本願寺の敷地の中に咲いていたのだ。
新選組の屯所も西本願寺にあるのだけど、西本願寺のお坊さんたちにものすごく嫌われているせいか、中に柵が作られている。
柵からこちら側は新選組の敷地になっているけど、向こう側は西本願寺の敷地だ。
一歩でもその場所に踏み入れたところを見つかると、ものすごい勢いで怒られるらしい。
土方さんが。
「香りがするので、別にとらなくてもいいですよ」
とった日には、またものすごい勢いで怒られるのだろう。
土方さんが。
「せっかくだからとってあげるよ」
「いや、いいですよ。中に入ったら怒られますよ」
「ばれなければ大丈夫だよ」
いや、ばれるだろう。
だって花をとったら木が折れるんだから、誰かが見たらすぐわかるじゃないか。
そんなことを思っている間にも、沖田さんは中に入って行った。
「沖田さん、だめですよ」
「大丈夫、大丈夫。いくら本願寺の坊さんも、ここまでは見ちゃいないよ」
スタスタと中に入って行く沖田さん。
それを追って私も中に入る。
「ここまで見とるんやけどな」
沖田さんと私が沈丁花のそばに行ったときに、後ろからそう言う声が聞こえてきた。
このよく通るお坊さん独特の声はもしかして……。
やっぱり、ばれたのか?
「なんてね。驚いた?」
恐る恐る振り向いたら、藤堂さんがいた。
「平助、心臓に悪いよ。思わず斬ろうとしちゃったじゃん」
えっ、斬るのか?
「証拠隠滅ね」
沖田さんが私にそう言った。
証拠隠滅じゃなく、人殺しじゃないかっ!
「だ、だめですよ、そんなことしたら」
「冗談だよ。蒼良はすぐ本気にするんだから」
本気にするだろうがっ!
「総司も人が悪いなぁ。危うく斬られるところだったよ」
藤堂さんは沖田さんの冗談をわかっていたのか、笑顔でそう言っていた。
わかる人にはわかる冗談なのか?
「で、なんで二人でここにいるの?」
「蒼良が沈丁花をどうしてもほしいって言うから」
「いや、そこまで言ってませんよ。私は見つかったら大変だから止めたのですよ」
「でも、今見つかったら、僕と同罪になるよ」
沖田さんが私を見てそう言った。
そ、そうなのか?
「は、早く出ましょうよ」
沖田さんの袖を引っ張った時、
「そこで何しとんのやっ!」
と言う声が聞こえてきた。
「来たよっ! 逃げろっ!」
藤堂さんの声が聞こえ、三人で慌てて逃げたのだった。
「で、三人で西本願寺に入ったと言う事だな」
土方さんにそう言われた。
慌てて逃げたのだけど、やっぱり見つかっていて、土方さんが呼びだされ、こってりと怒られたらしい。
「お前はこれで何度目だ?」
何度目なんだ?
指を出して数え始めたら、
「もういいっ!」
と言われてしまった。
せっかく数えていたのに。
「とにかく、二度と入るなよ」
「はい」
私だって、好きで入ったわけではないんだけどなぁ。
「それにしてもお前はそんなに沈丁花がほしいのか?」
「いや、そう言うわけではないのですよ。ただ、いい香りがするなぁと思っていたのですよ。ほら、沈丁花は春の季語になっているじゃないですか」
「うるせぇっ!」
春の季語になっていると言っているだけで、俳句のはの字も言ってないぞ。
季語とかの話をすると、敏感に反応する土方さん。
そんな反応するなら、俳句集なんて作らなければいいのに。
「蒼良」
屯所を歩いていると沖田さんに会った。
沖田さんからいい香りがする。
「今日は沖田さんからいい香りがするのですが」
思わず聞いてしまった。
「ああ、これを蒼良にあげようと思ってね」
と言って、後ろに隠していた手を出してきた。
その手に握られていたのは、沈丁花だった。
「ま、まさか、西本願寺から?」
「違うよ。散歩のときに見つけたからとってきた」
とってきたって、よその家の庭か何かか?
不安が顔に出たのか、
「心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんともらって来たんだから」
そ、そうなのか?
「それなら、遠慮せずいただきます。ありがとうございます」
沖田さんから沈丁花を受け取った。
いい香りがただよってきた。
「蒼良の好きな花だから、屯所の中にも植えといたよ」
えっ、そうなのか?
沖田さんに案内されたところに行くと、小さい苗木が何本か植えられていた。
「もらった人に聞いたら、こうやったら簡単に大きくなるらしいよ。来年の今頃はきっと満開になっているよ」
「そうですね」
でも、来年の今頃はきっとここにはいない。
嬉しそうに話している沖田さんにそれを言うことが出来なかった。
「そう言えば、沈丁花の花言葉って知ってます?」
「え、花言葉?」
この時代、花言葉ってないのか?
「花に意味があるのですよ。沈丁花は永遠と不滅と栄光などがありますね」
新選組も、その言葉にあやかりたいわ。
「それなら、この花を植えておくと、いいことあるかもね」
いいことをつくらないと。
「そうですね」
そう思いながら、私は沖田さんに言った。
「僕も、この苗木の花が見たいから長生きしないとね」
沖田さんは笑顔で私のそう言ってくれたのだった。