伊東さんの出張
「伊東さんが長期出張するらしい」
ある日のこと、何事もないような感じで土方さんがそう言った。
「いよいよですね」
いよいよきたかっと言う感じだ。
「なにがいよいよなんだ?」
土方さんが私の顔を見て言った。
「伊東さんが隊を抜ける準備を始めるのですよ」
確か、長州や長崎の方へ行き、新選組の反対勢力にある重要人物たちを会う。
そこで、伊東さんは新選組から脱退することを語り、伊東さんがいない間に、隊士である篠原さんと言う人が、孝明天皇の御陵、簡単に言うとお墓を守る人、御陵衛士を拝命する手続きをする。
これ、何とかして阻止できないかなぁ。
阻止できれば、藤堂さんだって亡くなることがないし。
あ、でも、伊東さんがそのまま隊いることになるよなぁ。
それは嫌だなぁ。
伊東さんが隊からいなくなって、藤堂さんがそのまま残る。
そんな方法があるのだろうか?
「おい、伊東さんが隊を抜けるって、具体的にどうやって抜けるんだ?」
土方さんに聞かれたので、これから伊東さんたちに起こることを全部話した。
「御陵衛士か。やっぱり伊東さんはうめぇよなぁ」
「感心している場合じゃないですよ」
伊東さんに感心するなんて。
あれは悪知恵が働くと言うのですよ。
「感心してねぇよ。こういう抜け方をされると、文句も言えねぇだろうが」
確かに。
「近藤さんが、伊東さんが抜けることを許さなければいいのですよ。全員切腹っ! って言えばいいのですよ」
「そんなこと出来るかっ! お前が一番に切腹を嫌がるくせに、よくそう言うことを言うよな」
あはは、確かに。
昔の人たちはよくこういうことを名誉の死としてやったよなぁと思う。
「切腹させるなら、お前が介錯しやがれっ!」
介錯とは、切腹する人がお腹を自分で切った時に、苦しまないように首をはねること。
そんなの、絶対に嫌だっ!
「遠慮します」
「それに、伊東さんのことだから、近藤さんもうなずかざるえない状態に持って行くんだろうな」
一応、伊東さんは近藤さんのお気に入りだしね。
「一番は、伊東さんの出張の許可を出さなければいいと思うのですが」
そうすれば、伊東さんが新選組の反対勢力に近づくこともできないし、何もできなくなると思うのだけど。
「もうだしちまったよ。近藤さんが」
ああ、遅かったか。
近藤さんのことだから、まんべんの笑顔で
「気を付けて行って来い」
なんて言っているんだろうなぁ。
「今日は、伊東さんが出張に行くから、送り出すための宴会があるらしいが、お前は行くのか?」
宴会があるのか?
「土方さんはいくのですか?」
「俺は仕事があるから行かねぇよ。行きたいとも思わねぇし」
そうだよね。
「私も、行きたくないので、行きません」
私がそう言ったら、土方さんが嬉しそうな顔をしていた。
「蒼良、今日は伊東先生を送り出す会をするのだけど、来る?」
屯所で藤堂さんに会うと、さっそくそう言われた。
「私は欠席します」
「え、どうして? お酒飲み放題だよ」
お酒飲み放題だからって、それだけの理由で参加すると思っているのか?
「でも、私は伊東さんとあまり仲良くなかったので、欠席します」
「伊東さんは、蒼良を気に入っているみたいだけど」
いや、伊東さんに気に入られても困るのだけど。
「私は遠慮します」
「酒が飲めるのに、お前が遠慮するとは思わなかったな」
斎藤さんがそう言いながら近づいてきた。
いつから話を聞いていたんだ?
「お酒でつられませんよ」
残念でした。
「飲み放題だぞ」
ニヤリと笑いながら斎藤さんがそう言った。
「行きませんっ!」
「摂津の灘産の名酒が出るらしいが、お前は行かないのか。残念だな」
そ、そうなのか?
この時代、日本酒で名酒と呼ばれているのが、今で言う兵庫県にあたる摂津の伊丹、池田、灘の良質なお米と良質な水で作られたお酒だ。
江戸近辺には、名酒と呼ばれるものが無かったので、ここから船に乗せられて江戸まで運んでいたらしい。
それを下り酒と呼ばれていた。
そんな名酒が出るのか?
「どこで宴会をやるのですか?」
「蒼良、やっと興味を持ってくれたの? 島原だよ」
島原か。
楓ちゃんのことも気になるしなぁ。
近藤さんが好きな楓ちゃんは、近藤さんに子供が出来たと聞いた時、ものすごくショックを受けていた。
その後どうしているのかわからないでいた。
楓ちゃんの様子を見に行くのもいいかな?
「わかりました、行きます」
「蒼良が来てくれると嬉しいよ。一緒に行こう。夕方迎えに行くから」
藤堂さんは嬉しそうに去っていった。
「酒でつられたな」
残された斎藤さんがニヤリと笑ってそう言った。
「つ、つられてませんよ。ほら、芸妓さんの楓ちゃんがどうしているか気になったからですよ」
「ちなみに、名酒が出るかどうかはわからんからな」
え、そうなのか?
「斎藤さんが、名酒が出ると言ったんじゃないですか」
「出るとは言ってない。出るらしいと言ったんだ」
そうなのか?
出ないとショックなのですが。
いや、それが目的じゃないけど、でも、どうせ行くなら、名酒が飲みたいじゃないか。
「お前は、楓とかって奴の様子を見るために行くのだろう? なら、酒は関係ないだろう」
確かに、確かにそうなんだけど……。
「お前が宴会に来るなら、楽しい宴会になりそうだ」
斎藤さんは笑顔でそう言って去っていった。
どう楽しくなると言うのだ?
「さぁ、今日は無礼講だ。遠慮せずに飲みたまえ」
伊東さんがそう言って、みんなについで回っていた。
「蒼良君は、これかな」
伊東さんはそう言いながら徳利を渡してきた。
なんで、私は徳利なのよ。
ちゃんとお猪口についでもらいたいけど。
そう思いつつも、徳利に手を出し、
「いただきます」
と言って、空にしてしまった私。
「これって、名酒ですか?」
斎藤さんが名酒が出るかもなんて言っていたから、気になって聞いてしまった。
「さすが蒼良君、よくわかったね。灘産の酒だよ」
わーい、名酒じゃないか。
名前を聞いた途端、普通のお酒が名酒のように美味しく感じた。
「お前は、酒なら何でもいいのだろう?」
横で同じく徳利で飲んでいた斎藤さんに言われてしまった。
「そ、そんなことないですよ。いつもよりおいしく感じますよ」
「そうか? お前が飲んでいるのは、いつもの酒と同じだと思ったが」
ほ、本当か?
「よく周りを見て見ろ。徳利の色が違うだろう?」
斎藤さんに言われて周りを見ると、確かに、茶色っぽい徳利と黒っぽい徳利がある。
「茶色っぽい徳利が灘産の酒だ」
そうなのか?
ちなみに、私が持っている徳利は、黒っぽいものだ。
「それじゃあこれは、伊丹産かな?」
「いつもの普通の酒だ」
ええっ、そうなのか?いつもより美味しいと思ったのに。
「こっちが灘産だ」
斎藤さんが、目の前に茶色っぽい徳利を出してきて飲んだ。
そうなんだ。
私も茶色っぽい徳利をもらって飲んでみた。
確かに、黒っぽいものより美味しいかも。
「本当ですね。こっちの方が美味しいです」
私がそう言うと、斎藤さんは大笑いしだした。
「お前は本当に面白いな」
な、何なんだ?
「どっちも同じ灘産の酒だ。伊東さんが奮発したのだろう」
そ、そうなのか?
「だって、斎藤さんが違うって言ったのですよ」
だから、黒っぽい方が美味しく感じたんじゃないか。
「お前は、酒の味がわからんようだな。酒なら何でもいいのだろう?」
「そ、そんなこと……」
ないと思うのですが……。
斎藤さんが変なことを言うから、自信なくなったじゃないか。
「どこ産でも、酒は酒だ。飲んで旨ければ何でもいいんだ」
斎藤さんはそう言って、徳利を空にした。
そう、その通りですよ。
私も、徳利を空にした。
うん、どちらの酒もうまいぞっ!
しばらくすると、芸妓さんたちが入ってきた。
その中に牡丹ちゃんと楓ちゃんもいた。
私の横に牡丹ちゃんがきた。
「蒼良はんが、伊東はんたちを一緒に来るなんて、珍しいね」
自分でも、伊東さんの宴会に来るなんて、珍しいと思っているよ。
「お酒につられたわけじゃないですからね」
一応そう言うと、斎藤さんがお酒を吹き出して笑っているのが見えた。
だから、つられたわけじゃないって言っているじゃないか。
私は……、そうだ、楓ちゃんが心配で来たのだった。
「楓ちゃん、最近どう?」
私と最後に会った時は、嘘やっ!と叫んでいたような感じがしたけど。
「あれから大変やったんよ」
やっぱり、そうだったのか。
「近藤はんの家まで様子見に行ったんよ」
そこまでしたのか?
「そこで、子供を抱いて嬉しそうにしている近藤はんを見たらしいよ」
見ちゃったのか。
「でも、それがよかったんやろうな。きっぱりとあきらめたわ」
ずいぶんと簡単にあきらめられたなぁ。
でも、この場合はそっちのほうがいいのだけど。
「よかったね」
「それがよくないんよ」
そ、そうなのか?
「何かあったの?」
「別な人を好きになったらしいで」
え、は、早いな。
「相手が近藤さん以外なら、応援できると思う」
「蒼良はん、ほんまにそう思う?」
えっ?
「もしかして、また相手が悪いとか?」
「悪うはないけど、うちは反対やな」
そうなんだ。
「で、誰なの? 次のお相手は」
「見てわからん?」
え?と思い、楓ちゃんの姿を探したら、伊東さんにひっついていた。
「もしかして、伊東さんとか?」
「そうや」
またなんで伊東さんなの?
「私も反対だな」
「さっきは、応援するって言うとったやないの」
確かに言ったけど、相手にもよるでしょう。
伊東さんは奥さんがいたけど、奥さんが伊東さんに会いたくて、伊東さんの親が倒れたと嘘の手紙を書き、江戸に帰ってきた伊東さんがそれが嘘だったことをしり、離婚した。
妾さんがいるのかいないのかはわからないのだけど……。
でも、伊東さんと結ばれてもいいことないと思うけどなぁ。
「伊東さん、早死にするから、また楓ちゃんが辛い思いをしちゃうよ」
「え、なんか病気なん?」
あ、これは未来のことだから、言ったらだめだった。
「いや、早死にしそうな顔しているじゃん」
と言って、ごまかした。
「そうなん? うちは普通に見えるけど」
私も普通に見えます。
「とにかく、伊東さんはやめたほうがいい」
「蒼良はんもそう思う? なら、楓はんを止めてくれる? もううちでは止められんのや」
惚れたら一直線な人がいるらしいが、楓ちゃんがどうもそうらしい。
「ほっとけばいいだろう」
横で話を聞いていた斎藤さんがそう言ってきた。
「そんな無責任なこと出来ませんよ」
友達が不幸になることがわかっているのに、それを見ているだけなんて。
「惚れたはれたと言う話に、他人が入っても仕方ないだろう」
斎藤さんはそう言いながら、徳利を空にした。
「そうや、楓はんを斎藤はんに惚れさせればええんや」
牡丹ちゃんがナイスな意見を出してきた。
そうだ、それが一番いいかも
「俺は関係ないだろう」
「でも、斎藤さんなら長生きするから、不幸にならないと思いますよ」
「なんだ、その早死にするとか長生きするとかさっきから言っているが」
あ、これは未来の話。
「いや、こっちのことです。斎藤さんは長生きしそうだなぁなんて思ったりしていたのですよ」
「こっちだって、選ぶ意思と言うものがあるだろう」
「それなら、斎藤さんが楓ちゃんを選べばうまくいくじゃないですか」
「そんな問題じゃないだろう」
「そんな問題やないんよ」
牡丹ちゃんと斎藤さんが声をそろえてそう言ってきた。
そ、そうなのか?
うまくいくと思ったのだけど。
「私は蒼良君が大好きなんだが、蒼良君に嫌われているみたいで悲しいよ」
伊東さんが酔っ払っているのかレロレロとそう言ってきた。
「伊東さん、明日出発じゃないのですか?」
こんなに酔っ払っていいのか?
「蒼良君も一緒に行く?」
これは完全に酔ってるわ。
「新選組の仕事があるから行きません」
「そんなこと言わずに、一緒に行こうよ」
この酔っ払いを何とかしてくれ。
「蒼良は、私が連れて行きますよ」
藤堂さんがレロレロとそう言ってきた。
もしかして、藤堂さんも酔っているか?
「だから伊東先生、早く帰ってきてください」
「私も早く買ってきて、藤堂君に会いたいよ」
「伊東先生っ!」
「藤堂君っ!」
だから、私の前で男二人で抱き合わないでくれ。
抱き合うなとは言わない、よそでやってくれ。
「飲みすぎですよ、二人とも」
特に伊東さんは明日出発なのに、二日酔いとかになって大丈夫なのか?
「酔ってないから」
伊東さんがふらつきながらそう言ってきた。
思いっきり酔っているだろう。
「伊東さん、私をおいて行かないで」
「藤堂君、待っているからね」
一生やっていろ。
「蒼良も一緒に連れて行きます」
なんで私も一緒に行かないといけないんだ?
「待ってるぞ」
だから、私は行かないって。
この酔っ払いめっ!
酔いつぶれても、次の日はやってくるわけで。
朝、厠に起きたらこの時期にしては珍しく霧が出ていた。
「行ってくる」
伊東さんの声が聞こえてきた。
ふと見て見ると、
「ご無事での帰還を祈ってます」
と言って頭を下げている藤堂さんの姿が見えた。
伊東さんは三人ぐらいで旅立って行った。
霧に消えるまで藤堂さんが見送っていた。
昨日、酔って抱き合っていたけど、まさか、本当にできているわけじゃないよね。
「あ、蒼良。一緒に見送りに来たの? もう伊東先生は行っちゃったよ」
いや、見送りに来たわけじゃないです。
「厠に来たのですよ」
「ああ、昨日飲んだから、厠が近いんだよ」
藤堂さんの方が私より酔っていたのに、今見ると、昨日酔いつぶれた人には見えない。
「藤堂さんは、二日酔いとか大丈夫ですか?」
思わず聞いてしまった。
「ああ、酔わなかったよ。伊東さんが旅立つ前の日だから緊張していたのかな」
いや、あなた、思いっきり酔ってましたからね。
「伊東さんはいつ帰って来るのかな?」
確か……、
「三月あたりだったと思いましたよ」
藤堂さんは私が未来から来たことを知っているので、なんで知っているんだ?と言う事を言ってこなかった。
「それなら、みんなで花見ができるね」
伊東さんが帰ってきた後は、そんな悠長なことをしている場合じゃないと思う。
「藤堂さん……」
それを言おうとして、口を開いたら、
「わかっているよ」
と言われてしまった。
「それどころじゃないよね。私も新選組を後にするだろうし」
やっぱり、伊東さんと一緒に行ってしまうのか?
「行くのですか?」
「うん。私は伊東先生とどこまでも一緒について行くことを決めた。ここに連れてきたのも私だしね」
「一緒に行ったら、死んでしまうかもしれないのに、それでも一緒に行くのですか?」
「私は、伊東さんの思いや考え方が好きだから。ついて行かないで後悔するより、ついて行って後悔する方を選ぶよ」
そこまで考えていたのか。
それならもう止めることは無理だろう。
なんとなく無理だろうなぁと思っていた。
でも、これだけは守ってもらいたい。
「藤堂さん、死なないでください」
「蒼良の歴史通りに進んでいるから、私は死んでしまうかもしれない。でも、そうなったときはそうなったときだね」
そんな、悲しいことを言わないでほしい。
「藤堂さんが伊東さんと一緒に新選組を出ても、油小路に行かなければ大丈夫です。なにがあっても油小路にだけは行かないでください」
藤堂さんは、油小路で遺体になっている伊東さんを引き取りに行ったときに、新選組の隊士に斬られてしまう。
永倉さんが逃がしてくれようとしていたのにもかかわらず、そこで斬られて死んでしまうのだ。
「ありがとう。私のことをそこまで考えてくれていたのだね」
そう言って、私を抱きしめてきた。
それで歴史が変わればいいけど、変わらなかったら?
藤堂さんが油小路に行ってしまったら?
それをさせなければいいだろう。
「約束してください。ぜったにに油小路に近づかないって」
藤堂さんの腕の中で、必死になって私は行った。
「わかった、絶対に近づかない。約束するよ」
どこまでこの約束をはたしてくれるのか?
心配だけど、今はこれしか方法がない。
藤堂さんだって、ぜったに死なせないからねっ!