孝明天皇崩御
年末が近づくにつれて私はあることがずうっと気になっていた。
それは、孝明天皇のこと。
歴史通りならこの年末に亡くなる。
そしてその後は、追放されていた長州派の人たちが復帰して、幕府派は遠くに追いやられる。
それとともに、新選組も追いやられていく。
なんとかそれを阻止したいと思い、とりあえず孝明天皇の崩御を阻止しようと思ったけど、そこに近づくつてがなかなか見つからなかった。
そんなときに、お師匠様が登場し、
「この件はわしに任せろ」
と言ってきた。
きっと顔の広いお師匠様のことだから、孝明天皇専属のお医者さんか誰かを知っていて、病気を阻止できるかもしれない。
そう思っていた。
しかし、歴史を変えると言う事は、簡単ではない。
大きな川の流れを変えるようなものなのだ。
私も、何回も失敗した。
でも、少しだけ変えるのに成功したものもある。
今回の孝明天皇の件は、はっきり言って自信はない。
ただ、何もしないで見ているのなら、出来る限り歴史に抵抗したいと思っていた。
あれから何日か経ち、いよいよ年末になった。
お師匠様とは、あの時から孝明天皇の話はしていないので、どうなっているのかはわからない。
十二月中旬あたりに近藤さんと土方さんが話をしていて、
「孝明天皇が発熱をしたらしい」
と言う事は耳に入った。
「発熱って……」
それを聞いて驚いた私に、
「単なる風邪らしいぞ。熱があるのに無理して行事に参加したらしい。それで熱が出たのだろう。そんな驚くことじゃねぇだろう」
と、土方さんが言った。
確かに、驚くことじゃない。
発熱した時期が時期だけにもしかしてと思ってしまった。
風邪なら大丈夫だろう。
そう思い、ホッとした。
しかし、それから数日後。
「孝明天皇は、どうも疱瘡らしいぞ」
と、土方さんが言ってきた。
「え、疱瘡ですかっ!」
「びっくりしたなぁ。そんな力込めて言わなくてもいいだろう」
力も込めたくなるだろう。
だって、孝明天皇の死因が疱瘡なんだから。
「疱瘡って、治る物なのですか?」
「もしかして、疱瘡を知らないとか?」
水疱瘡なら知っているけど、単なる疱瘡はあまり聞いたことがない。
土方さんの説明だと、高熱が出て、体中に湿疹ができるらしい。
治ればいいけど、ほとんどの人が無くなってしまう病気らしい。
そして治っても、運が悪ければ湿疹の痕が残ってしまい、それで嫁入り話がつぶれることもあるらしい。
「お前は、労咳にはならないらしいが、疱瘡も大丈夫なのか?」
それって、どうなんだろう?
首をかしげていると、
「もしかして、お前が知らないってことは、お前の時代には疱瘡と言う病気も無くなっているのか?」
土方さんは、私が未来から来たことを知っている。
聞いたことがないから、そうなのかな?
後で調べてみると、現代では一応根絶しているらしい。
「お前の時代は、すごい時代になっているな。病気で亡くなる人間が居ねぇんじゃねぇのか?」
「そんなことはないですよ」
医学は進歩しているとはいえ、この時代では考えられないような病気があったりする。
で、話を元に戻す。
「もしかして、孝明天皇が亡くなったりとかしないですよね」
歴史ではなくなることになっているけど、それを認めたくないのと、誰かに大丈夫だよと言う言葉を言ってほしいと言う思いで聞いてみた。
「医者が一日中ついて看病しているらしいから、大丈夫だろう。薬もいいものを飲んでいると思うぞ」
そうだよね。
大丈夫だよね。
気休めだとわかっていたけど、その気休めがほしかった。
「孝明天皇は思ったより調子がいいらしいぞ」
数日後、土方さんと近藤さんの部屋に行ったときに、近藤さんが嬉しそうにそう言ってきた。
「容保公が孝明天皇を見舞いに行ったらしいんだ。思っていたより元気でよかったと言っていた」
「そりゃよかったな。お前もホッとしただろう?」
土方さんがポンッと軽く背中を叩いてきた。
「な、なんでそんなことを……」
「だって、孝明天皇のことを心配していただろう? 熱が出たと言えば不安そうな顔していたしな。まるで勤王派だな」
土方さんは笑いながらそう言った。
「そんなんじゃないですよ」
勤王派とか幕府派とか言っている場合じゃないのだ。
孝明天皇の命がかかっていて、新選組のこれからもかかっているのだ。
「わかった、わかった」
と、軽く土方さんは言った。
わかっていないだろう。
それにしても、孝明天皇がよくなってきたと言う事は、お師匠様が何とかしてくれたのか?
このままよくなって、回復してくれればいいのだけど。
しかし、その日はやってきた。
十二月二十六日の朝のこと。
「歳っ! 大変だっ!」
近藤さんがあわててやってきた。
「近藤さん、どうした?」
「孝明天皇が昨夜崩御された」
「な、なんだってっ! 昨日まで元気なって食欲も元に戻ってきて、治るのも時間の問題だって言っていたじゃないかっ!」
「わしもそう聞いていたが、容体が急変したらしいぞ」
そ、そうなのか?
「それって、本当のことですか?」
信じられなくてそう聞いてしまった。
だって、よくなっているって聞いていたから、もう大丈夫だと思っていた。
「おい、近藤さんがこんな嘘をついてどうすんだ?」
土方さんにそう言われてしまった。
確かにそうだよね。
またしても歴史を変えることはできなかった。
新選組はどうなっちゃうんだろう?歴史通りに進んだら……。
「おい、大丈夫か?」
土方さんが私の肩をつかんでゆすっていた。
一瞬、頭の中が真っ白になっていたので、遠い目でもしていたのだろう。
「だ、大丈夫です」
なんとかそう言った時、
「蒼良、天野先生が来ているよ」
と、藤堂さんが呼びに来たのだった。
藤堂さんに案内され、客間に行ったら、広い客間の真ん中に小さくなってお師匠様が座っていた。
「お、お師匠様……」
小さい背中に話しかけた。
「あ、蒼良。すまん、すまなかった」
お師匠様はそう言って頭を下げてきた。
「わしは、孝明天皇の侍医と知り合いになった。そして、疱瘡に気を付けるように言ったんじゃ」
やっぱり顔が広いお師匠様は、そこまでつてを作っていたんだ。
「その侍医も、最近は人の出入りも多くなってきたから、疱瘡をふくむ感染症には十分気をつけなければと言っていたんじゃ。それで、わしも色々と手をつくしたんじゃが……蒼良、すまなかった」
お師匠様は話が済むと再び頭を下げた。
「お師匠様、頭をあげてください。今回のことは、誰のせいでもないのです。歴史を変えることは、そう簡単に行かないものなのですよ。だから、今回のことは、私たちが歴史に負けただけのことなのですよ」
「蒼良は、歴史に負けて、悔しくないのか?」
お師匠様が頭をあげてそう言ってきた。
「く、悔しいですよ。でも、どんなに悔しがっていても、私たちがこうやっている間にも歴史はこのまま進んで行くのですよ」
「蒼良、もしかして、こういう思いを何回もしたのか?」
お師匠様が聞いてきた。
私はコクンとうなずいた。
うなずいた時に目から涙が大量にあふれ出ていた。
「そうか、そうじゃったのか」
お師匠様も下を向いてうなだれていた。
しばらく沈黙が流れた。
「よし、起きてしまったものは仕方ない。歴史を変えられなかったことも仕方ないことじゃ。落ち込んでも変わる物じゃないからな」
お師匠様の言う通りだ。
「これからは、少しでも新選組が助かるように地道に変えていくしかないな」
「そうですね。私も、出来る限りやってみます」
「よし、頼んだぞ、蒼良」
「はいっ! 任せてください」
「これで安心じゃ」
そう言ってお師匠様は立ち上がった。
「わしは、傷心を癒す旅に出る」
えっ?
「新選組が助かるように、地道に変えるんじゃなかったのですか?」
「蒼良は、まかせろって言ったんじゃろうが」
確かに、そう言いましたよ。
でも、話の流れ的に、わしも頑張るからって言う感じじゃなかったのか?
「もしかして、傷心のわしをこき使おうと思っていたのか?」
いや、そんなことは思っていない。
ただ、少しでも協力してくれたらありがたいなぁと思っていたのだけど……。
「こんなに傷ついて悲しんでいるの年寄りをこき使おうと思っているのか?」
「そ、そんなこと思っていませんよ。ただ……」
手伝ってほしいのですがと言おうとしたら、
「さすが、わしの一番弟子の蒼良じゃっ!」
と、お師匠様は私の両手を自分の両手でつつみこむように握ってきた。
そこまでされちゃうと、そこから先の言葉が言えないじゃないかっ!
「頼んだぞ、蒼良」
お師匠様は笑顔で言った。
「わ、わかりました」
一人で頑張ろう。
お師匠様が帰る前、せめて沖田さんのちゃんとした薬をもらおうと思い、
「お師匠様、沖田さんの薬だけでもなんとかなりませんか?」
と言ってみた。
「ん? この前、大量に結核の薬を持ってきたじゃろう?」
確かに、持ってきましたよ、薬は。
お師匠様のお弟子さんでお医者さんがいて、そこからもらってきたのですよね。
「その薬、結核の薬じゃありませんでした」
「なんじゃとっ!」
驚いているお師匠様に、この前もらってきた薬袋に入った薬を渡した。
その中に説明書が入っている。
お師匠様は、江戸にタイムスリップして云々って話をしたのだろう。
それを聞いたそのお弟子さんは、とうとうボケたかと思ったのだろう。
薬袋の中に入っているお薬の説明と言う紙を見て、お師匠様はわなわなとふるえだした。
「に、認知症だとっ! あいつめっ! 破門じゃっ!」
えっ、それだけで破門?
ただ、お師匠様の話を信じなかっただけだろう。
実際、タイムスリップとかって信じられないことをしているし。
「あの、お師匠様?」
「破門じゃっ! 許せんぞっ!」
私がお師匠様を呼んだのだけど、ブツブツとそう言いながら屯所を去っていったのだった。
大丈夫かなぁ、そのお弟子さん。
夜になり、部屋の隅に座り込んで、これからのことを考えこんでいた。
現代のように電気が無く、行燈の明かりだけなので、隅の方は暗い。
だから、隅に座っている私に今まで気がつかなかったらしい。
私を発見した土方さんは、
「うわぁっ!」
と、驚いた声をあげていた。
その声に私もびっくりしてしまい、
「ひいぃっ!」
と、言う声を出してしまった。
「お前、そんなところにいたのかっ! 気がつかなかったぞ。そのせいで驚いただろうがっ! 出たかと思ったぞ」
な、何が出たと思ったんだ?
「私だって、土方さんが急に大きな声を出したから、驚きましたよ」
「お前がそんなところにいるのが悪いっ!」
そう言いながらも、行燈を私の近くに持ってきてくれた。
私の周りがほのかに明るくなった。
「そんな隅っこに座り込んで、なにがあった?」
私の目線に顔を合わせてきた土方さんの表情が、優しかった。
あまりに優しかったから、今までの不安がふきだすように涙が出てきた。
そんな私を優しく包み込むように抱きしめてくれた。
私は土方さんの肩を借りて泣いたのだった。
「お前、そんなことを一人で考えてたのか?」
一通り泣いて落ち着いた後、土方さんに孝明天皇が亡くなった後、新選組がどうなるか話した。
「だから、孝明天皇が亡くなることは何としても阻止しなければならなかったのですよ」
「お前は、そんなことを一人で背負い込んでいたのか?」
一人ではない。
一応、お師匠様も背負い込んでいた。
「いいか、新選組はそう簡単に無くならねぇよ。ちゃんと守るから安心しろ」
歴史ではこれから新選組にとって辛い時期になる。
でも、土方さんにそう言われると、本当に無くならないような感じがしてきた。
だからコクンとうなずいた。
「それとだな、一人で抱え込むな。俺もお前の重荷を抱えてやるから、これからはなんでも俺に言って、俺に相談しろ。わかったか?」
土方さんが、私の顔をのぞき込んでそう言ってきた。
お師匠様しか頼る人がいないと思っていた。
だから、お師匠様がいない今、全部自分で解決しないといけないなぁと思っていた。
でも、土方さんにそう言われて、ああ、土方さんもいるじゃないかと思った。
心の負担がものすごく軽くなった。
「わ、わかりました」
そう言った私は笑顔になっていたらしい。
「やっといつもの笑顔が戻ってきたな」
土方さんはそう言って私の頭を優しくなでてくれた。
私は、一人じゃないんだなぁと思い、心に温かいものが出来た感じがしたのだった。