原田さんが風邪をひく
現代になおすと、十一月中旬から下旬あたりになる。
この時期の夜勤はとっても寒い。
当たり前っていえば当たり前のことなんだけど……。
「蒼良、その格好は寒くないか?」
一緒に巡察していた原田さんに言われてしまった。
「昼間、温かかったので。夜になるとこんなに寒くなるとは思わなかったのですよ」
私は肩をふるわせながらそう言った。
「これを着ろ」
原田さんは、自分が一番上に羽織っている着物を私にかけてくれた。
すでに冬用の羽織なのか、厚手の布で作ってあるものだった。
「いや、原田さんが寒くなっちゃうじゃないですか」
あわてて羽織を原田さんにかけなおした。
「俺は大丈夫だ。夜はまだ長いから、蒼良が着ていろ」
「すみません」
まだ夜の巡察も始まったばかりだし、ここで寒くて脱落するのも申し訳ない。
羽織を借りるのも申し訳ないんだけどね。
「原田さんが寒くなったら、すぐに言ってくださいね」
「俺は大丈だって」
原田さんは、私の頭をなでてくれた。
「急に寒くなりましたね」
さっきも言ったけど、日が暮れた途端に寒くなったのだ。
「もう十月だからな。寒くなるよな。そしてあっという間に十二月になるぞ。一年が早いな」
原田さんの言う通り、一年一年が早い。
「年末は、また八木さんのところでお餅つきをやるのですかね」
「あの人のことだから、やるだろう。また手伝いに来いとかって言うんだろうな」
確かに。
「でも八木さんは、手伝うとお餅をくれるから、お正月のお餅は助かりますね」
そう、人使いは荒いけど、面倒をよく見てくれるのだ。
「手伝わないとくれないだろう」
そうなのか?
「毎年手伝っているので、何とも言えないのですが……」
私、気がついたら、毎年八木さんの家に行って手伝っていたわ。
「蒼良はえらいなぁ」
原田さんはそう言って笑っていた。
「いや、お餅が食べれるのが楽しみなんですよ」
私がそう言うと、再び原田さんが笑っていた。
「橋の上に誰かいませんか?」
しばらく巡察をしていると、橋が見えてきた。
川沿いなので、街中を巡察しているときより寒いのだけど、その橋の上にたたずむ人が気になった。
「確かにいるな。こんなに寒いのにあんなところで何してんだろうな? 行ってみるか」
「そうですね、気になりますし」
と言う事で、原田さんと橋の上に行くことになった。
「なにしているんだ?」
原田さんが男の人に向かってそう言った。
「し、死なせてくれ」
えっ?
その言葉に思わず原田さんと顔を見合わせてしまった。
「なにがあったか知らないが、死んでもいいことないぞ」
原田さんが男の人に近づきながらそう言った。
「く、来るな」
男の人は、原田さんが近づいた分だけ後ずさった。
「だめですよ。あなたが亡くなったら、悲しむ人がたくさんいますよ。奥さんとか……」
「俺は妻なんかいない」
あ、独身か。
「俺みたいな男のところに嫁に来る女なんかいないさ」
もしかして、私は禁句な一言を言ってしまったか?
「いいか、早まるなよ」
原田さんも普通じゃない状態を察したようで、男の人に近づきながらそう言った。
「く、来るなっ! 来ると、川に飛び込むぞっ!」
男の人は、川の欄干の方へ行き、体を橋から乗り出した。
「あ、危ないっ!」
あのままだと、落ちてしまうぞ。
「だから、落ち着けって言っているだろう」
原田さんはそう言いながらそろぉっと近づいた。
「無事に確保できそうですか?」
原田さんに聞いたら、
「あれは脅しだ。本当に飛び込む気があれば、とっくに飛び込んでいるだろう」
と、余裕な顔で言った。
確かにそうだよなぁ。
私たちの会話が聞こえてしまったみたいで、
「お、俺は本気だぞっ!」
と、男の人は、体の半分以上外に乗り出した。
危なくて、見てられない。
でも、これが仕事だから逃げるわけにはいかないもんね。
そう思っていると、身を乗り出した男の人がバランスを崩したみたいで、外に堕ちそうになった。
「あ、危ないっ!」
私が叫ぶより前に原田さんが走り出していて、その男の人を欄干から離したのだけど……。
「ああ、原田さんっ!」
今度は原田さんが勢い余って欄干の外へ消えていった。
川から、バッシャンと水の大きな音がした。
私はあわてて欄干に走り寄り、下をのぞき込んだ。
死んじゃったらどうしよう?
いや、原田さんはまだ死なないと思うのだけど。
ああ、でも、万が一ってこともあるから。
川をのぞき込んでいると、バシャンという音とともに、原田さんが顔出した。
「は、原田さんっ! 大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫だ。蒼良、そいつを捕まえといてくれ」
原田さんがそう言ったので、男の人を見ると、男の人も心配そうな顔で川をのぞき込んでいた。
私は素早く男の人の腕をつかんだ。
「俺が上がってくるまでそこに居ろよっ! 人を川に落としやがってっ!」
原田さんは岸の方へ泳いでいった。
この時代は泳げない人が多いと聞いたけど、原田さんは泳げるんだぁ。
原田さんは、着物から水滴を垂らしながら私たちの方へ来た。
「いいか、ここから飛び降りても死なないってことがわかっただろう?」
原田さんが寒さでふるえながらそう言った。
私は、原田さんから借りた羽織を原田さんにかけた。
「悪いな、蒼良」
そんなこと言っている場合じゃないですから。
「で、このままお前を帰すのも気にくわないから、屯所に連れて行く」
原田さんが男の人に言った。
え、そうなのか?
「蒼良、捕縛しろ」
「はいっ!」
私は持っていた縄で男の人をグルグル巻きにした。
「公務執行妨害で屯所に来てもらいます」
決まった。
そう思ったのだけど、
「え、こうむ……えっ?」
男の人と原田さんにそう言われてしまった。
次の日、原田さんが男の人と、もう二度と死ぬなんて考えないと約束をし、屯所から解放した。
「あのまま返したら、またどこかで飛び降りそうだったからな」
それで屯所に捕縛したのか。
「原田さんは、優しいですね」
私がそう言うと、原田さんの笑顔は固まっていた。
どうしたんだろう?
そしてそのまま原田さんの体が傾いたので、私はあわてて手を出して原田さんが地面にぶつからないようにした。
「原田さん、大丈夫ですか?」
顔色が悪いぞ。
おでこに手をあてると、とても熱くなっていた。
これは、熱がある。
しかも、かなり高いぞ。
昨日、川に落ちてから屯所までずぶ濡れのまま歩いていた。
ずぶ濡れじゃなくても寒かったんだから、原田さんはもっと寒かっただろう。
とにかく、寝せないと。
「良順先生が来てくれたぞ」
永倉さんがそう言って部屋に入ってきた。
熱が出た原田さんは、大部屋じゃなく、個室で寝ていた。
「沖田君のところに来ていたんだが、永倉君に呼び止められだ。で、どうした?」
布団で寝ている原田さんを見て、良順先生は診察を始めた。
「こ、これは……」
良順先生がそうつぶやいた時、
「何か悪い病気なのか? もしかして、死んじまうのか?」
と、永倉さんが原田さんの顔を見ながらそう言った。
そ、そうなのか?
まだ死なないと思っていたけど、変なふうに歴史を変えてしまったのか?
「左之っ! まだ死ぬなっ!」
永倉さんが、寝ている原田さんを揺すりながらそう言った。
「俺を残していくなよ」
今度は泣き始めた。
え、え、本当に、そうなの?
良順先生を見ると、軽く咳払いをしていた。
「風邪だ」
「えっ?」
二人で良順先生を見てしまった。
「単なる風邪だ。二~三日ぐらい寝てれば治るだろう」
そうなのか?
「紛らわしいなぁ。俺はてっきり……」
確かに、良順先生の言い方が……。
「わしはいつもこういう言い方だが」
そ、そうなのか?
「新八、うるさい」
原田さんが薄目を開けてそう言った。
「生きてたかっ!」
興奮して原田さんを揺さぶる永倉さんに、良順先生が、
「うるさい」
と言って、げんこつを落とした。
えっ、良順先生?
「風邪とはいえ、病人なんだから、ゆっくり休ませてやれ」
良順先生はそう言うと、荷物をまとめて帰っていった。
「左之、ゆっくり休めよ」
永倉さんも部屋を出て行った。
「手ぬぐいをぬらす水を取り替えてきますね。あと、お水も持ってきますね」
私も部屋を出た。
手拭いと水が入った桶と、湯呑に水を入れて原田さんが寝ている部屋に戻ってくると、沖田さんがいた。
「これ、すごく効く薬なんだよ」
と言って出してきたものをどこかで見たことあるような感じがしたのは、気のせいか?
「気を使わせて悪いな」
原田さんが沖田さんにそう言った。
「あ、蒼良が水を持ってきたから、それで飲むといいよ」
沖田さんは私から湯呑を取り、薬を原田さんに渡した。
その薬は、茶色の粉薬だった。
やっぱりどこかで見たことあるぞ。
しばらく考えて思い出した。
確か、江戸に行ったときに沖田さんのお姉さんのおみつさんからもらった薬じゃないか。
そしてその名も……。
「木乃伊」
原田さんが持っている薬を指さして言ってしまった。
「蒼良、シイッ!」
沖田さんが、人差し指を私の口元に持ってきた。
「えっ、なんだ?」
怪訝に思ったのか、原田さんが飲もうとした薬の手を止めてそう言った。
「気にしないで、飲んじゃってよ」
飲めって、あんたは飲まなかったじゃないかっ!
それに、まったく効かないと思うけど。
「じゃあ遠慮なく」
飲もうとした原田さんに、
「だめですっ!」
と言ってしまった。
「どうした、蒼良?」
再び手を止めて原田さんが私の方を見た。
「それ、効きませんからっ!」
「蒼良、なんてことを言うんだい?」
沖田さんこそ、変な薬を飲ませようとしてっ!
って、最初私が沖田さんに飲ませようとしたんだけど……。
でも、あれは知らなかったんだからね。
「なんで効かないんだ?」
原田さんは薬を見て言った。
「その薬は木乃伊と言って、死んだ人間の死体を乾燥させたやつを削って作ったものですから」
よくそんな薬をつくるよなぁ。
「えっ?」
原田さんは薬をもって固まっていた。
「左之さん、飲んじゃって、飲んじゃって」
「総司、飲めるわけないだろう。人間だぞ、人間」
原田さんは薬を沖田さんに返した。
「もうちょっとだったのに」
恨めし気に私を見る沖田さん。
何がもうちょっとだっ!
「なんでその薬を飲ませようとしたのですか?」
薬をふところに入れている沖田さんに聞いた。
「おみつ姉さんからもらった薬を捨てたらばちがあたるじゃないか」
そ、そうなのか?
「だから、処分に困っていたんだよ」
だからって人に飲ませなくても……。
「誰かに飲ませてこよう」
沖田さんは楽しそうにそう言って部屋を出た。
おみつさんに言いつけてやるからなっ!
ふと気がついたら、私も原田さんの布団の上に倒れこんで寝ていた。
上には、羽織がかけてあった。
「蒼良、起きたか?」
布団の中から声がした。
そうだ、原田さんが寝ているんだった。
「重かったですよね」
私はそう言って飛び起きた。
「重くない。温かかったから、まだそこで寝ていていいぞ」
いや、寝れませんから。
原田さんの顔色を見たら、少し良くなっていた。
おでこにのせている手拭いを替えるついでに手をのせてみた。
「さっきより、熱が下がってますね」
よかった、よかった。
「俺はまだもうちょっとこのままでいたいな」
原田さんがあおむけに寝たまま天井を見てそう言った。
「どうしてですか?」
「蒼良がずうっとそばにいてくれるから」
な、何を急に言い出すんだっ!
「でも、このままだと、蒼良と出掛けられないな。よし、治ったら、一緒にどこかへ行こう。どこがいい?」
どこがいいかなぁ。
「原田さんは行きたいところがありますか?」
思いつかなかったので、逆に聞いてみた。
「そうだな。俺はまだ紅葉を見てないんだよな」
そうだったんだ。
「でも、紅葉ももう終わっちゃいそうですよ」
「そうなんだよなぁ。どこへ行くかなぁ。落語でも聞きに行くか?」
え、落語?
「聞いたことあるか?」
「いや、まだないです」
「それなら、治ったら一緒に行こう。俺も早く治さないとな」
原田さんは笑顔でそう言うと、目を閉じた。
それから静かな寝息が聞こえてきた。
落語かぁ。
楽しみだなぁ。
そう思いながら私は、桶の水を取り替えに部屋を出たのだった。




