香水(においみず)
「山崎と一緒に大坂の鴻池家へ行け」
ある日突然土方さんに言われた。
「鴻池さんのところで何かあったのですか?」
山崎さんと一緒と言う事は、また夫婦役で潜入とか、そう言う事なのか?
「いや、何もない」
えっ?
「何もないのになんで行くのですか?」
かえって迷惑だろう。
「お前ら、二人そろって長州で鴻池さんの世話になっといて、挨拶に行ったか?」
それは、確か……。
「長州から帰って来た時に、土方さんと一緒に行ったじゃないですか」
「あれは、世話になった挨拶と言うか、お前が勝手につけで物を食ったり買ったりした報告だっただろう」
そ、そう言われると、確かにそうなんだけど。
「山崎も無事に帰ってきたことだし、二人そろって挨拶に行ってもばちは当たらねぇだろう」
確かにそれはそうだ。
「そうですね。何か手土産を持って行ったほうがいいですよね」
手ぶらでってわけにはいかないだろう。
「でも、あの人は何でも持ってそうだから、いらねぇって言われるぞ」
そうなんだよね。
長州で焼き物を買って、それを渡した時もあるからいいって言われちゃったし。
買ったと言っても、鴻池さんのつけで勝手に買ったんだけど。
「それより、援助を頼んどいてくれ」
「えっ?」
お世話になった挨拶に行くのに、お金を出せと言うのですか?
なんかそれもおかしいと思うのですが。
「実は、そっちが本命だ。どうせ行くなら、長州にお世話になったんだからお前らが行った方がいいだろうと思ったんだ」
そ、そうなのか?
「長州では色々とお世話になりました。と言ってから、お金をくださいと言えばいいのですか?」
「お前、そう露骨に言うものじゃないだろう」
いや、どうせいうんだから、一緒だろう。
「俺が文を書くから、それを鴻池さんに渡せばいい」
それでいいのか?
「お前に口で言えって頼んだら何を言うかわからんからな」
確かに……って、そこは否定をするところか?
「それなら、土方さんがわざわざ文を書かなくても、山崎さんに頼めばいいじゃないですか」
「それも考えたがな。お礼を言いに行くのに、金を貸せと、お礼を言ったその同じ口で言えるか?」
ああ、確かにそうだわ。
「色々考えているのですね」
そこまであまり考えてなかったわ。
「当たり前だろ。一応副長だからな」
と、土方さんは胸を張って言っていたけど、
「何も考えてなさそうで、考えているのですね」
と、私が言ったら、
「何も考えてなさそうってなんだっ!」
と、怒り出した。
「あ、すみません、口がすべりました」
と言ってごまかした。
ごまかしになっていなかったんだけど。
「それでわざわざ二人で来てくれたんやな。おおきに」
大坂の鴻池さんのお屋敷に山崎さんと顔を出したら、鴻池さんが喜んでくれて、笑顔でそう言ってくれた。
笑顔でそう言われると、土方さんの文を出しずらいなぁと思っていたけど、山崎さんが、
「これは副長からの文です」
と、普通の顔で出していた。
すごい、普通に出してる。
鴻池さんはその文を私たちの前で広げているときに、小さい声で山崎さんに、
「山崎さん、よくこの状態で土方さんの文を出せましたね」
と聞いてしまった。
「蒼良さんは文の内容を知っているのですか?」
どうやら山崎さんは文の内容を知らなかったらしい。
「あまりいい内容の物じゃないですよ」
「そうなんですか?」
そう言った山崎さんと話した後、二人で文を読んでいる鴻池さんを見てしまった。
そんな私たちと目があった鴻池さんは、ニッコリと笑った。
「わかったで。土方はんによろしく伝えてや」
「えっ、本当にいいのですか?」
ありがとうございますと言うべきなのに、そう言ってしまった。
「鴻池さんも、調子にのって新選組にお金をかけても、何も返って来ませんからね」
返ってくるどころか、明治になったら幕府に力を貸したと言う事で逮捕されちゃうかもしれない。
「蒼良さん、なんてことを言うのですか」
山崎さんに小声で言われてしまった。
「大丈夫やで。ちゃんと返してもろうてるさかい」
そうなのか?
「うちになんかあったら、新選組の人たちが色々守ってくれてるやろ?」
そう言われるとそんなことがあったような感じもする。
って言うか、ここまで助けてくれたんだから、守るのが当たり前じゃないか。
「わかりました。鴻池さんに何かあったら、全力で守りますね」
「蒼良はん、頼んだで」
どんとまかせておいてくださいっ!
「ところで、今日は変わった物を手に入れたで。今度こそ蒼良はんのわからん物だと思うで」
鴻池さんは笑顔でそう言うと、その手に入れたものを取りに行った。
鴻池さんは、私が来ると変わったものを出してくる。
しかし、その変わったものは、私がいた現代では普通にあるものなので、私はすぐにわかってしまう。
それがいつからか、鴻池さんが私のわからないものを出してやろうと思っているみたいで、私が来るたびに色々なものを出してくる。
今のところ、私が全勝している。
今日は何を用意しているのだろう。
私のわからないものを出したいのなら、この時代の物を出せば一発で鴻池さんが勝つと思うんだけど。
鴻池さんは、奥から小さな瓶を持ってきた。
「異国の人間が持っとったから、うちが買ったんや。日本中探してもここしかないから、今度こそ蒼良はんの知らん物やと思うで」
そう言いながら、小さな瓶を渡してきた。
瓶の中には透明な液体が入っていた。
「ふたがついていますが、開けていいですか?」
小さな瓶を手にした私は、鴻池さんに聞いた。
「ええで」
鴻池さんがそう言ったので、そおっと瓶のふたを開けてみた。
瓶の中から、甘い香りがした。
バニラのような甘い香りだ。
バニラエッセンスかなぁ?
「なめていいですか?」
バニラエッセンスなら、お菓子作りの時に使うからなめれるだろう。
「なめる物やないで」
食べられないものか。
食べられないもので、香りのするものと言ったら、もうこれしかないだろう。
「香水ですか?」
「こうすい?」
鴻池さんに聞き返された。
違うのかな?
「それはどう言うものや?」
「体につけて使うのですよ。いい香りが体からするのですよ。異国の人たちはお風呂に入らないから、これをつけて体の臭いをごまかすと言うことを聞いたことがあります」
「蒼良はん、正解や」
香水だったらしい。
「なんでこれまで知っとるんや? 今度こそ勝ったと思うたのに」
鴻池さんは信じられないと言う感じでそう言った。
「お師匠様から教わったのですよ」
「でも、日本ではこれ一つしかないって異国の人間が言うとったで。もしかして、うちはだまされたんか?」
「い、いや、それはないですよ」
多分。
このまま黙っていたら、異国の人が鴻池さんに怒られると思ってそう言ったのだけど。
「異国の人間は、信用できんわ」
鴻池さんは、私の言葉が耳に入っていない。
怒られちゃう異国の人、ごめんね。
「これ、お返しします」
小さな瓶のふたを閉めて、鴻池さんの方に返すと、
「蒼良はんが好きに使えばええ。うちはいらんさかい」
と言われてしまった。
そ、そんな高価なものをいただいていいのか?
「これはどうやって使うのですか?」
横にいた山崎さんに聞かれた。
「これですか?」
私は小さな瓶のふたを開けた。
「山崎さん、手首を出してください」
私がそう言うと、山崎さんは手首を出してきた。
そこに、香水を一滴たらした。
その後、私の手首を山崎さんの手首につけて、ポンポンと手首でたたいた。
「これでいい香りがすると思いますと」
「なんや、つけ方まで知っとるやないか」
鴻池さんは私を見て驚いていた。
「なんか、甘いにおいがしますね」
山崎さんは鼻をヒクヒクと動かしながらそう言った。
「この香水は、甘い香りみたいですよ」
「私は、ちょっと香りが甘すぎて苦手です」
そ、そうなのか?
つけちゃったぞ。
「ちょっと洗って落としてきます」
山崎さんが立ちあがって行ってしまった。
洗っただけで香りが落ちるかなぁ?
「まだ鼻の奥に匂いがあるような感じがします」
鴻池さんの家を出て、いつも新選組が大坂に来ると宿泊する宿、京屋へ向かって歩いているときに、山崎さんが鼻をヒクヒクと動かしながらそう言った。
「すみません。手首につけちゃって」
「いや、蒼良さんは悪くないですよ。私にこうすい? の使い方を教えてくれただけですから」
山崎さんは優しい笑顔でそう言ってくれた。
「ただ、この匂いはちょっと苦手です」
そうなのね。
香水は、人によって好みがあるからね。
「風が吹くと、まだ匂いがするように感じる」
あ、それはもしかして。
「私もつけたから、私から匂いがするのだと思いますよ」
宿についたらお風呂でもいただこうかしら。
「それなら、お香をたきましょう」
ん?おこう?
山崎さんは、黒くて丸い薬ののような形をした物を出してきた。
「何ですか? これ」
「もしかして、知らないのですか?」
初めて見るような感じがする。
「女性なら誰でも知っている物だと思いましたが。蒼良さんは変わった人ですね」
なんか、グサッとくることを優しい笑顔で言ったよな?
「でも、そう言う蒼良さんが好きですよ」
そう言われると、何も言えなくなってしまうじゃないか。
「あ、ありがとうございます」
とりあえず、お礼の言葉を言った。
「で、これは何ですか?」
私は、その薬のような形をしたものを指さした。
「これがお香です。ここに火をつけて……」
山崎さんはそう言うと、火をもらいに行ってしまった。
この時代、ライターとか簡単に火をつけれるものがない。
しばらくすると、陶器でできた丸いふたのついた器を持ってきた。
その器のふたには穴が開いていて、そこから煙が出ていた。
「この煙の匂いをかいでみてください」
山崎さんに言われ、匂いをかいでみたら、いい匂いがしていた。
この香り、かいだことあるぞ。
「沈丁花の香りに似ていますね」
春先になると咲いている沈丁花の香りに似ている。
「さすが蒼良さん。これは沈香という香りで、沈丁花の木からも香りの材料をとっているのですよ」
そう言いながら、山崎さんは自分の着物を煙が出ている器の上にかぶせた。
「こうすると、香りが着物についていいのですよ。蒼良さんもやってみますか?」
山崎さんに誘われたので、私も着物をかぶせた。
しばらくしてから、その着物を着たら、ほんのりと沈香の香りがした。
「これ、いいですね」
着物を着て一回転してみると、ほんのりと香りがした。
「異国のお香もいいですが、私はやっぱりこれが好きです」
「自然な感じがしますね」
「でしょ」
山崎さんは優しい笑顔でそう言った。
「お、いい匂いがするな。お香をたいたのか?」
屯所に帰ったら、土方さんに言われた。
「はい、わかりましたか? さすが土方さん。俳句を作るだけありますね」
「おい、これに俳句は関係ねぇぞ」
はい、確かにそうですね。
「そう言えば、これと同じ匂いをかいだぞ」
そ、そうなのか?
「山崎……。あ、山崎も同じ匂いがしてたぞ」
「ああ、それはそうですよ。だって、山崎さんと一緒にお香をたいたので」
同じ匂いがするだろう。
「山崎と同じ匂いか。気にくわねぇな」
そんなことをブツブツ言いながら、土方さんは書き物を始めたのだった。
何が気にくわないって言うんだ?




