家茂公下坂
「21日、家茂公が下坂することになり、その道中の警護をすることになった。」
近藤さんが嬉しそうに報告した。
下坂というのは、大坂に行くということ。大坂に行って摂海巡視するらしい。簡単に言うと、大坂湾を視察するということ。
やっと家茂公のために働けるとあって、近藤さんはとても喜んでいる。
「あの羽織を着るのか?」
土方さんは、ちょっと不満そうに言った。
「着るに決まっているじゃないですか。し…壬生浪士組を世の中に知らせるいい機会ですよ。」
危うく、新選組というところだった。
「土方さんは、羽織を着たくないのでしょ。」
沖田さんが、にこやかに言った。
「あんな派手なの着れるか。」
「あれぐらいしないと、目立たないじゃないですか。」
「蒼良、なぜ目立つ必要がある。」
「なぜと言われても…。」
あの羽織がトレードマークみたいなものだし。
「せっかくの機会だ。歳もちゃんと羽織を来て、きちんとしないとな。」
近藤さんのその一言で、土方さんも納得したらしい。さすが近藤さん。
21日が近づくに連れて、隊内はそわそわした忙しさと、ワクワクした嬉しさに包まれた。
「この前大坂に行ったけど、観光が全然出来なかったからなぁ。有名な所ってどこだろう。」
ひとりごとで言っていたら、
「遊びに行くんじゃないんだぞっ!」
と、おなじみの怒鳴り声が聞こえた。
「せっかく大坂に行くのだから、楽しまないと損ですよ。」
「公務なのに、何を楽しむんだ、ばかやろう。」
やっぱり、羽織を切るのが嫌なのか、不機嫌な土方さんだった。
いよいよ21日になった。
会津藩の人たちと一緒に、道中を警護することになった。
例のダンダラの羽織を20人ぐらいで着て、大坂まで警護をした。とても目立つみたいで、道中の色々な人に注目をされた。
私は、本物の羽織を着て本当に警護しているのが何か信じられなかった。将軍家茂も有名な人だし、直接見てはいないけど、同じところにいることにすごいと思った。普通の人だと体験できないだろうなぁ。タイムスリップしたかいがあったというものだ。
大坂に入ると、家茂公は大坂城に。私たちは、大坂八軒家の一つ京屋と言う船宿に泊まった。大坂八軒家というのは、船宿が8軒あると言う単純な意味。船で大坂に入れるところなので、物流がとても便利ということで、人の往来もあり、賑やかな場所だった。
その夜は、初めての公務を全うできたということで、みんなで宴会になった。
もう飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだ。芹沢さんが暴れないか心配になったけど、この時もまだ酒乱ではなかった。
窓の方を見ると、土方さんが一人でたたずんでいた。
「土方さんは、飲まないのですか?」
「俺は、あまり酒は好きではない。蒼良は?飲んでないようだが。」
「飲酒は、お師匠様から禁止されています。お酒飲んだ日には破門されてしまうので。」
「天野先生は、お前に禁酒を命ずるとは、いいことだ。」
「それは、どういう意味ですか?」
「お前が酒飲んで酔っ払った日には、暴れそうだからな。」
私は芹沢さんかっ!
「あ、そうだ。せっかく大坂に来たのだから、鴻池さんのところに挨拶に行こう。」
「そうですね。鴻池さんのおかげで羽織ができたようなものですからね。」
「やっぱり、あの羽織派手だよな。でも、みんなで着ると、なかなかいいものだな。」
「あ、やっと気に入りましたか?」
「気に入ってはいない。派手だからな。でも、いい宣伝にはなる。大坂では隊士も募集しようと思っているからな。」
「人が集まるといいですね。」
きっと集まるだろう。
「おい、蒼良と土方さん、そんなところで何やってんだ?夜はこれからだぞ!飲むぞっ!」
すっかり出来上がっている永倉さんが呼びに来た。
「永倉さん、すっかり酔ってるじゃないですか。」
「俺は、よっとらんぞ!」
「酔っぱらいは、たいていそう言いますよ。ほどほどにしておかないと、明日起きれませんよ。」
「明日は、ゆっくり休むといい。当分大坂にいることになるからな。今日は飲めるだけのんどけ。」
そう言いながら、土方さんは永倉さんにお酒を注いだ。
大丈夫かなぁ…。
案の定、次の日は、二日酔いでほとんどの人が動けなかった。しかし、この人は元気だった。
「みんな飲みすぎだよ。」
「なんで沖田さんは元気なのですか?」
「僕は、ほとんどのんでないから。蒼良も飲んでなかったね。」
「お師匠様から禁酒を言われているので、飲んでません。」
「蒼良の酔っ払った姿も見てみたかったなぁ。」
私は見世物かっ!
前日に土方さんに言われていたので、一緒に鴻池さんのところへ行った。
そこで、カステラを出された。
「わぁ、カステラだぁ。」
ずうっと和菓子系のものばかり食べていたので、こういう洋風のものが恋しくなっていたところに出されたので、嬉しかった。
「蒼良はん、知っとったか。知らん思うてたけど。」
「蒼良は、天野先生に色々教わっていたみたいで、色々なものを知っている。異国の言葉もしゃべれるしな。」
「ほほう、天野先生に?」
「えっ、知っているのですか?」
「知っとるも何も、よう世話になっとる。」
お師匠様、どんだけ顔が広いんだか。
そんなことを思いながら、カステラをいただいた。
「んんー。美味しい。」
「そんなに美味しいか?俺は甘すぎてなんか好かん。」
「ま、色々ですな。このカステイラは長崎の福砂屋言うとこから買ったんや。」
「福砂屋って、有名じゃないですか。」
「蒼良はんは知っとったんかい?」
「コウモリのマークで有名ですよ。」
「こうもりのまあく?」
あれ?まだこのマークじゃなかったのか?
後で分かったのだけど、このコウモリのマークは、明治時代から使われたものらしい。またやってしまったわけだ。
ちなみに、中国で桃と並んでコウモリは縁起のいいものだったので、マークに使用したらしい。
「こいつ、たまに変なこと言うので、気にしないほうがいい。」
普段なら土方さんのその一言に食いついていたけど、今は、誤魔化せると思い、感謝した。
「そういえば、噂に聞いたで。変わった羽織を着て来とか。」
「そうなんです。ダンダラ模様の羽織。あれ、鴻池さんのおかげで出来たので、お礼を言いに来ました。」
「ああ、例の200両か。あれは会津藩が出したんやろうが。」
「でも、鴻池さんのおかげです。ありがとうございます。」
「いえいえ、どういたしまして。蒼良はんは、ほんまにおもろいなぁ。」
「こいつのこの性格は、今出来上がったものでもないらしい。」
土方さん、それはどういう意味だっ!
鴻池さんの家を訪ねた後、あっちこっちに隊士募集のことを書いた紙を貼った。もちろん、印刷ではなく、1枚1枚手書きだ。
これで隊士がどれぐらい増えるのだろう。すごく楽しみになってきた。
2~3日後ぐらいに、家里 次郎さんという人が切腹した。
この人は殿内さんたちの仲間で、殿内さんが殺されたあたりに自分も危ないと思ったのか、脱隊していた人だ。
なんで脱隊している人がこんなところで切腹かというと、運悪く芹沢さんたちに見つかったらしい。
隊規に、脱隊したら切腹となっているので、隊規通り切腹になった。
これで、壬生浪士組内の派閥が3派あったのが、芹沢派と近藤派の2派になった。




