江戸時代で運動会?
これは、私のささいな一言から始まった。
七月も下旬になり、旧暦なので現代に直すと九月の下旬あたりになるのか、だいぶ秋らしくなった日のこと。
秋の青空を見上げ、それに向かって両手をあげた私は、
「なんか、運動会って感じの空だぁっ!」
と、屯所の庭で叫んでいたのを土方さんが見つけた。
「なんだ、運動会って?」
誰もいないと思っていたから、声が聞こえた時は驚いた。
「な、何ですか、突然」
声のした方を見ると、土方さんが屯所の長い縁側に立っていた。
そこは、大部屋だったと思うけど、なんでそこにいるんだ?
「大部屋に用があって立ち寄ったら、外からお前の声が聞こえたんだ。で、なんだ、その運動会ってやつは」
縁側の上で私を見下ろすように腕を組んで立っていた。
運動会……どう説明すればいいんだ?
「あのですね、日頃の鍛錬の成果を組に分かれて競い合うと言うか……」
この説明でわかるかなぁ。
「なるほど。で、今日はその運動会ひよりなのか?」
「運動会って、秋に行われていたので、秋らしい日になったなぁと思ってつぶやいたのですよ」
最近は、春にやるところも多いらしいけど。
「ずいぶんでかい声でつぶやくんだな」
わ、悪かったですねっ!
「その運動会ってやつ、悪くねぇな」
土方さん、何を考えているんだ?
「よし、やってみるか。その運動会ってやつを」
そ、そうなのか?
「本気でそう言ってます?」
恐る恐る聞いてみると、
「本気だ」
と、あっさり言われてしまった。
「なんか準備があるのか?」
準備と言えば、色々あるぞ。
「まず、競い合うものを決めます」
徒競走とか、組体操とか、障害物競走とか、色々あったよなぁ。
「そうか。それは何とかなりそうだぞ」
そうなのか?江戸時代でも、徒競走とかあったのか?
「後はなんだ?」
後は……
「組み分けをしなければいけませんね」
「それも何とかなるだろう」
そうなんだ。
「他にはなにがある?」
運動会と言えば……
「万国旗とお弁当っ!」
「はあ? 万国旗ってなんだ?」
それはこの時代にはなかったよね。
「異国の旗を飾るのですよ」
「それは却下だ。なんでわざわざ異国の旗を飾らなければならないんだ」
そうだよね、この時代だとそうなるよね。
「後、弁当ってなんだ? あの食べる弁当か?」
それ以外何があるんだ?
「そうですが……」
「弁当の早食い競争でもするのか?」
「いや、違いますよ。お昼にみんなで食べるのですよ」
「それも運動会ってやつなのか?」
「もう、欠かせないものですよ。運動会には」
ちなみに、体育祭になると家族でお弁当を食べるなんてことは無くなるよね。
「よし、わかった。早速やってみよう」
本当に運動会をやるのか?
数日後。
土方さんの号令で、屯所の庭に集められるだけの隊士が集められた。
その数は百人以上。
「まず何をするんだ?」
その百人以上の前で堂々と私に聞いてくる土方さん。
他の隊士たちが怪訝な顔をしている。
「なにをするか、説明したのですか?」
「まだだ」
まずはそこからだろう。
私の思っていたことが分かったのか、隊士たちの方を見て土方さんが、
「これから、運動会をやる」
と、一言言った。
「えっ、運動会?」
というつぶやきがあちらこちらから聞こえ、
「なんだそりゃ?」
という声に変わっていった。
「あの……説明になっていないと思うのですが……」
「俺もよくわからんからな」
よくわからないでそれをやろうとしてたんかいっ!
「お前から説明しろ」
ええっ、私が説明をするのか?
「あ、あのですね……」
私が隊士たちに向かって声を出すと、いっせいに私に視線が集まった。
ち、ちょっと、緊張するのですがっ!
「組み分けをして、日頃の鍛錬の成果を競い合います」
私がそう言うと、一瞬シーンとなったけど、再びざわざわしだした。
ど、どうすればいいんだ?
「楽しそうだな。その運動会ってやつをやってみよう」
永倉さんが前に出てきてそう言ってくれた。
「で、まずは組み分けか。どうするんだ?」
永倉さんが私に聞いてきた。
「どうやって組み分けをするのですか?」
土方さんに聞いたら、
「どうするんだ?」
と、聞き返されてしまった。
いや、聞き返されても困るのだけど。
「とりあえず二組に分かれましょう。あ……い組とろ組でどうですか?」
赤と白と言おうとしたけど、そう言って通じなかったら困るから、いろはのいとろで組を作ってみた。
「それでいいぞ。二組に分けるんだな。よし、一・三・五・七・九番隊はい組。二・四・六・八番隊とその他はろ組だ。それで別れろ」
土方さんがそう言うと、真ん中から二つに分かれた。
そう言う組み分け方法もあるのね。
でも、その他って?
「その他って、なんだ?」
私の代わりに永倉さんが質問してくれた。
「その他は、監察方などがいるだろう。それと俺だ」
そ、そうなのか?土方さんも参加するのか?
永倉さんもそう言う目で見ていたのだろう。
「俺が参加するのは、いけねぇのか?」
と、土方さんが言ってきた。
「いや、別に悪くはないよ」
永倉さんはそう言った。
でも、審判みたいな人は誰がするんだ?
「競技をして、それを評価する人はいないのですか?」
「そんな人間がいるのか?」
私が聞いたら、逆に土方さんに聞かれてしまった。
えっ、いらないのか?
「お前も組に入れ。お前はい組だぞ」
本当にいなくていいのか?と思っている間に、土方さんにそう言われ、私はい組の方へ行った。
い組は、あまり知っている人がいなかった。
斎藤さんと沖田さんぐらいだ。
えっ、沖田さん?
「な、なんで沖田さんがいるのですかっ!」
運動会に参加するつもりでいるのか?安静にしていないといけないのに。
「土方さんが集合をかけたからいるんだよ」
なんだ、それだけか。
参加する気はないのだな。
「運動会って、楽しそうだね。なにがあるんだろう?」
沖田さんは嬉しそうにそう言った。
やっぱり参加するつもりなのかいっ!
「沖田さんは無理ですよ」
「えっ、なんで? 僕は楽しみなんだけど、蒼良は悲しくなるようなことを平気で言うんだね」
いや、そう言うつもりじゃないんだけど。
「僕だけ参加させないなんて、意地悪するんだ」
いや、そんな気持ちは全然ないんだけど。
「ひどいや」
なんか、勝手にひどい人になってないか?私。
「蒼良は、ひどいや」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃないのですよ」
沖田さんが心配だから言ったんだけど。
「そう。なら、参加してもいいよね。僕がいないと、蒼良が大変だしね」
そ、そうなのか?
「蒼良の嫌いな武田君も同じ組だよ」
そ、そうなのか?
「知り合いは斎藤君しかいないしね」
「沖田さん、一緒に頑張りましょうっ!」
これ以上、知り合いを減らしたくないわ。
ろ組を見ると、土方さんをはじめ、永倉さん、原田さん、源さん、藤堂さんなど、知っている人がたくさんいて楽しそうだ。
この組み分けって、公平なようで、不公平じゃないのか?
「まずは、何をするんだ?」
土方さんにそう聞かれた。
って、全部考えてたんじゃないのか?
「とりあえず、走りましょうか?」
私は横に線をひいた。
百メートルぐらい離れたところにちょうど原田さんが立っていたので、線を引いてくれと頼んだら、快く線を引いてくれた。
「これから、い組とろ組から二人ずつ出して、ここに四人並んで一緒に走ります。向こうに線が引いてあるので、最初に線のところに着いた人が勝ちになります」
私が説明すると、
「面白そうだな」
「よし、やるぞ」
という隊士たちの前向きなつぶやきが聞こえてきた。
「全員やるときりがないから、各組二十人出せ。十回それが出来れば十分日頃の鍛錬の成果を見れるだろう」
土方さんがそう言うと、各組で選手の選定が始まった。
各々二十人出た。
最初に二人ずつ、四人がスタートした。
一位と二位の差が大きかったので、簡単に順位が決まった。
しかし、五回目の時は、順位に差が出来なかった。
「い組の方が速かったっ!」
「いや、ろ組だっ!」
言い合いが始まった。
こういう時のために審判が必要なんだけど、今回はあえてそう言う人を置かなかったしなぁ。
「よし、やるか?」
「やってやろうじゃないのっ!」
荒くれ者の集まる新選組。
大人しく言い合いしている間はまだよかった。
しかし、どこからか竹刀が出てきて、殴り合いや、竹刀を使っての喧嘩に発展した。
「やめろっ!」
最初は、私たちも必死に止めていたけど、横を見ると、沖田さんが一人を竹刀で倒していた。
「お、沖田さん?」
「大丈夫だよ。気絶しているだけだから」
いや、そう言う問題じゃなくて、安静にしているはずの人間が、なんで人を倒しているんだ?
しかも、止める立場なのに。
でも、沖田さんだけじゃなく、永倉さんも竹刀を持って暴れていた。
これじゃあ、運動会どころじゃないじゃないかっ!
「おい、何してんだっ!」
近藤さんの声が聞こえてきた。
「歳、急いでこれを止めろっ!」
そう言った近藤さんの顔が、血の気がひいたように見えた。
何かあったのかな?
「近藤さん、何かあったのか?」
土方さんも私と同じように見えたみたいで、近藤さんに近づいてそう聞いた。
「今、幕府の方から情報が入った。家茂公が、亡くなった」
「な、なんだってっ?」
近藤さんのその言葉に土方さんは驚いた。
そして、その声を聞いた永倉さんが、
「家茂公が、亡くなったって?」
と大きな声で言ったので、みんながそれに驚き、自然と乱闘は止まった。
「死因はなんだ?」
土方さんは、近藤さんにそう聞いた。
あの後、隊士たちは各々の部屋へ引き上げて行った。
土方さんと私は近藤さんの部屋にいた。
「脚気らしい」
「そうか、脚気か」
信じられないと言う感じで、土方さんは言った。
良順先生も、家茂公の死を止めることはできなかった。
今回は歴史を変えることが出来なかったのだ。
それなら、もう一つの方を何とかしないといけないかな。
近藤さんの部屋を後にし、部屋に戻ると、
「お前は、驚かねぇんだな」
と、土方さんに言われた。
「知っていたんだな」
そろそろだとは思っていた。
それが今日、この日だとは思わなかった。
「ずいぶんと早い死だな」
家茂公は、若いとは聞いていた。
「何歳だったのですか?」
「なんだ、死ぬことは知っていたが、歳は知らなかったのか?」
土方さんにそう言われ、コクンとうなずいた。
「二十歳だったと思ったが」
私と一つしか変わりないじゃないかっ!
「ずいぶんと若かったのですね」
自分と年が変わらない人が将軍になっていたとは思わなかった。
「近藤さんの話だと、次の将軍は家達公になりそうだと言っていたが」
いえさとこう?誰だそれは?
「お前が知らないと言う事は、次の将軍は違うと言う事だな。誰だ?」
確か、この時はまだ徳川ではなかったはず。
「一橋慶喜公です」
「一橋殿かっ!」
私の一言に土方さんが驚いていた。
私からしたら過去のことだから、普通のことだと思うのだけど、土方さんからしたら、驚くことだったのだろう。
「そうか、わかった」
そう言って、土方さんが立ちあがった。
「これから忙しくなりそうだな」
「もっと忙しくなりますよ」
十二月には、孝明天皇まで崩御してしまうのだ。
今度はそっちを何とかして阻止しないと。
出来るかわからないけど、何もやらないで見ていることはできない。
やってみよう。
そう思って、私も立ち上がったのだった。




