納涼床
暑い。
長州の方が南にあるのに、長州の方が涼しかったぞ。
やっぱり、京は盆地だから暑いのか?
ああ、エアコンが恋しいよ。
「おいっ!」
土方さんの不機嫌そうな声が聞こえた。
「何ですか?」
なんで不機嫌そうなんだ?
私、何も悪いことはしていないぞ。
「お前、そうやって寝っ転がってゴロゴロしているんじゃねぇっ!」
あ、私だったのか?
「あまりに暑くて何もする気になれないのですよ」
この暑さが悪い。
「暑いからってな、俺の目の前でゴロゴロしていると余計暑く感じるだろう」
そ、そうなのか?
「じゃあ、私はいないと思ってください」
それなら大丈夫だろう。
しばらく土方さんは無言で書き物をしていた。
しかし……。
「やっぱりお前、俺の前でゴロゴロしてんじゃねぇっ!」
えっ?
「俺が気になって仕事が出来ねぇだろう」
「それなら、思い切ってエアコンつけましょう」
お師匠様は現代にしょっちゅう帰っているみたいだから、エアコンを持ってきてもらえるように頼めばいい。
「えあこん?」
あ、電気がないから、持ってきたって無理じゃん。
ああっ!
「変なこと言ってねぇで、起きろっ! お前みているとこっちまで暑くなる」
そ、そうなのか?
「私は、永倉さんを見ると暑いなぁって感じがしますが」
永倉さんの燃えるようなあの感じが暑いなぁと感じる。
「俺は、今のお前を見ていると暑いと思うんだっ! もっと涼しい感じでいろ」
涼しい感じと言われても……。
「どんな感じですか?」
「ゴロゴロするのはやめろ」
そう言われたので、とりあえず起き上がって座った。
汗が一斉に噴き出してくる。
それでも、仕事をしている土方さんの邪魔をしてはいけないなと思い、大人しく座っていた。
それなのに……。
「お前、巡察かなんかないのか?」
再び書き物をする手を休めた土方さんに言われた。
「今日は非番です」
「そうか」
なんか、残念だと言う顔をしなかったか?
「用事かなんかないのか?」
「ないです」
だから、ここでゴロゴロしていたんだろう。
それなのに暑いと言われたから、ゴロゴロはやめて起き上がったんだ。
「そうか」
やっぱり残念そうな顔をしていないか?
「あの……。もしかして、邪魔ですか?」
恐る恐る聞いてみた。
ここにいたらいけないような……。
「邪魔じゃねぇんだが、暑い」
えっ?ゴロゴロしているのを見ても暑いと言われ、座っていても暑いと言われたと言う事は、どちらにしても暑いってことじゃないか。
「暑いのは、私のせいじゃないと思うのですが」
夏のせいだ。
「あのな、お前が汗を流しながら座っているのを見ると、こっちまで暑くなるんだ」
そうなのか?
「それなら、どうすればいいのですか?」
「そうだな。涼しげな感じでいてくれればいい」
それが一番難しいと思うのですが。
「無理です」
即答をしたら、
「それなら、しばらく部屋から出ていろ」
ええっ!そうなのか?
「あの、一応私の部屋でもあると思うのですが……」
「ずうっと出ていろとは言ってねぇだろう。俺の仕事が終わるまで、部屋に入ってくるなっ!」
そんなっ!と、反抗しようと思ったけど、土方さんの目に殺気が宿っていたから止めた。
そんなことをした日には、硯ではなく刀が飛んできそうだ。
暇だったから、大部屋に顔を出した。
すると、大勢の隊士がゴロゴロしていて暑苦しかったので、すぐに顔を引っ込めた。
あんなに大勢ゴロゴロしていたら、暑いわ。
土方さんも、私一人ぐらい我慢してくれたっていいのに。
それなら、どこに行こうかなぁ。
ブラブラしていたら、道場の方がにぎやかになった。
何かあったのか?
二人ほど隊士が出てきたので、呼び止めた。
「何かあったのですか?」
「一人倒れた」
えっ、そりゃ大変じゃないか。
私も急いで道場へ行った。
道場へ行くと、真ん中に人だかりができていた。
なにがあったんだ?
人をかき分けて中に入ると、斎藤さんが倒れた隊士を介抱していた。
「どうしたのですか?」
斎藤さんに聞いた。
「稽古中に突然倒れた」
えっ、この暑い中稽古をしていたのか?
熱中症になるだろう。
そう思いながら隊士の体をさわってみると、案の定熱くなっていた。
「体を冷やしましょう」
私が言うと、斎藤さんは
「ぬれた手拭いを持ってこい」
と、近くにいた隊士に言った。
その隊士は急いで外に出て行った。
後は、
「水に少し塩を入れて持ってきてください」
と言うと、他の隊士がまた外に出て行った。
スポーツドリンクがあればそれがいいのだけど、その時代はそんな物はない。
ぬれた手拭いを取りに行った隊士が戻ってきた。
その手ぬぐいを受け取り、首と脇の下と太ももにあてた。
「この場所を冷やします」
そう言うと、
「手ぬぐいがすぐに温まるから、すぐに違うものをぬらして持ってきたほうがいいな」
と斎藤さんが言い、他の隊士に指示を出した。
交代でぬれた手拭いが来たので、冷やし続けていると、隊士の意識が戻ってきた。
「水を一口ずつゆっくり飲んでください」
私は、塩のはいった水を隊士に飲ませた。
しばらく意識がもうろうとしていたけど、少しずつ戻ってきた。
「もう大丈夫そうだな。後は頼んだ。行くぞ」
斎藤さんは、後のことを他の隊士に頼み、私の手を引っ張ってきた。
私は、引っ張られるがままに道場の外へ出た。
「どうしたのですか?」
斎藤さんに聞いたら、
「あんな人ごみにいたら暑いだろう」
と、もっともなことを言われた。
確かにそうだよな。
しかし、道場を出てからも手を引っ張られていた。
「どこかへ行くのですか?」
「涼しいところに行く」
ん?涼しいところ?
「どこですか?」
この暑い京に涼しいところがあるのか?
「それは行ってからの楽しみにしておけ」
そう言われたので、手をひかれるがまま楽しみにしつつ歩いた。
着いたところは四条河原だった。
流れる川の上には、テーブルをものすごく大きくしたものがたくさん置いてあった。
その上にくつろいでいる人々がいた。
これが納涼床だ。
確かに、京の中でもここが一番涼しいだろう。
「好きな床へ行っていい」
斎藤さんにそう言われて、川の真ん中にある床を選んでそこに行った。
「夜の宴会の時だけ使われると思っていましたが、昼間も使っている人が多いのですね」
「やっているのは夜なんだがな」
えっ、そうなのか?
今、昼間だけど普通に人が涼んでいるけど。
「あの……。あの人たちは?」
「俺たちと同じだろう」
同じ?
「昼間に涼みに来ただけだ」
そう言いながら、斎藤さんも納涼床に上がって涼み始めた。
いいのか?営業時間外にここに入って本当にいいのか?
見つかったら怒られそうなんだけど、この涼しさを味わってしまったら、ココから出ることはできない。
と言う事で、みんなも涼んでいるし、大丈夫。
勝手にそう解釈して、涼むことにした。
「さっきはなんでわかったんだ?」
ん?さっき?
「倒れた隊士を介抱していただろう? お前はあの原因を知っているのだろ?」
知っているから介抱をしたのだけど。
「斎藤さんはわからないのですか?」
「知らないから聞いている」
あ、そうなんだ。
「熱中症ですよ」
「ねっちゅうしょう?」
やっぱり、この時代にはなかったのか?
「あのですね、あまり暑い中で稽古をすると、体に熱がこもって倒れてしまうのですよ」
もっと色々説明したかったけど、脱水症状とか、汗が蒸発しなくて……と言ってもわからないだろうなぁと思い、はぶいた。
「そうか、だから体を冷やしたのだな」
斎藤さんにそう言われ、私はコクンとうなずいた。
「俺はいつも稽古しても倒れないがな。要は気合の問題だな」
いや、それはちょっと違うぞ。
「気合があっても倒れる人は倒れるのですよ」
熱中症とはそう言うものなのだ。
「よくわからんが、お前のおかげで隊士が助かったのは間違いない。今度ああいう隊士が出たら、冷やせばいいのだな」
「暑いときに稽古はしないほうがいいと思いますよ」
そう言ったけど、
「稽古に暑いも寒いも関係ない」
と言われてしまった。
そうなのね、そうなるのね。
しばらく納涼床を満喫していた。
なんて涼しいんだろう。
納涼床があるのは知っていたけど、暑いときにここに来ると天国だと言う事は初めて知った。
ああ、天国。
納涼床でゴロゴロしていた。
斎藤さんも、一緒にゴロゴロしていた。
そう言えば、この下は川が流れているんだよね。
足を川に着けたら、もっと涼しいかも。
むくっと起き上がり、納涼床から足を出した。
もうちょっとで川に足が届きそうだな。
もう少し。
そう思って足をのばした。
その途端、バシャンと言う音とともに、川の中に飛び込んでいた私がいた。
あれ?もしかして、落ちたとか?
足、足がつくかな?
川は浅いと思っていたけど、結構深いみたいで、足がつかなかった。
どうしよう?私、流されてるよ。
このまま下流まで行ってしまうのか?いや、その前におぼれ死んでしまうだろう。
それは嫌だっ!
バタバタと川に流されながら暴れていると、
「暴れるな」
と言う声とともに、私は川から持ち上がった。
あ、息が吸えてる。
よく見ると、川から出ている。腕から上だけだけど。
斎藤さんが、私の脇の下から手を入れて持ち上げてくれていた。
なんとか、おぼれ死ななくてすんだみたい。
「暴れると、落ちるからな。大人しくしていろ」
斎藤さんはそう言うと、一気に私の体を持ち上げてくれた。
私は無事に納涼床に着いたのだった。
「お前は何してんだ?」
ずぶぬれで納涼床に座り込んでいる私を見て、斎藤さんはそう言った。
「あ、あの、足がつくかなぁなんて思っていたら、落ちちゃったみたいで」
あははって笑ってごまかしたら、フワッと羽織がかけられた。
「今のお前は着物がぬれているから、すけて見えるぞ」
ええっ!自分の着物を見てみると、斎藤さんの言う通り、ぬれてすけている。
「それを上にかけていろ」
「すみません」
斎藤さんの言葉に甘えることにした。
さらしが丸見えだったし、そんな姿を他の人が見た日には、絶対に怪しまれる。
「暑いからな。すぐに乾くだろう。寒くないか?」
「寒くはないです」
暑かったので、ちょうどいいぐらいだ。
今日の斎藤さんは優しいな。
「俺の顔に何かついているか?」
じいっと見ていたら、あやしまれたらしい。
「今日の斎藤さんは優しいですね」
私がそう言ったら、
「お前には優しいつもりだがな」
と言って、私のぬれた頭をなでてきた。
「冷たいな。本当に寒くないのか?」
川に落ちた後だから冷たくなっているのだろうけど、斎藤さんが思っているほど寒くはないと思う。
「大丈夫です」
「寒かったら遠慮なく言え。温めてやる」
何で温めるつもりでいるのだろう?
この時期に火鉢なんてないもんなぁ。
その疑問はすぐに解決した。
「俺の体で温めてやるからな」
斎藤さんが少しニヤッとしながらそう言ったからだ。
「いやいやいや、大丈夫です。はい、大丈夫」
体を使って温めるって、どうするつもりなんだ?
でも、その笑い方を見たら、嫌な予感しかしなかったので、そう言って丁重に断ったのだった。
私の着物は夕方には無事に乾いた。
さすが夏の日差しだ。
斎藤さんに羽織を返し、二人で屯所へ向かって歩き始めたのだった。
「今度は夜連れて来てやる。その時は飲めるぞ」
おお、飲めるのか?
そりゃ楽しみだ。
「お前は本当に酒が好きなんだな」
斎藤さんはそう言いながら笑った。
「女が大酒飲むなんてって言わないのですね」
土方さんならすぐに言われるけど、斎藤さんは逆に誘ってくるしなぁ。
「好きなんだから、飲めばいいだろう」
と、あっさり言われてしまった。
「それなら、今度は夜に行きましょう」
私がそう言ったら、斎藤さんも笑顔でうなずいてくれた。
よし、次回の納涼床がとっても楽しみだぞ。




