伊東参謀の別行動
長州に来てもうどれぐらいになるのだろう?
十二月に来て、今はもう二月だ。
来た時は冬で雪の降った日もあった。
京より雪が降る場所だなと思った。
それが、もう春の気配を感じる季節になっていた。
私の任務はいつ終わるのだろう?蒼良さんにはいつ会えるのだろう?
長州から見る海は、大坂から見る海と違う。
岩がたくさんあり、岩に波がぶつかって白いしぶきが上がる。
そして大坂と違うのがもう一つ。
夕日が綺麗なのだ。
大坂では朝日が海からあがるが、長州では海に夕日が沈む。
沈む前は、海と空が夕日色に染まる。
最初は赤く、そしてだんだんと紫になり、やがて闇になる。
その移り変わりがとても美しいのだ。
いつもその夕日を見ると、蒼良さんを思う自分がいる。
できることなら、蒼良さんにもこの景色を見せてあげたかったな。
私は、相変わらず鴻池さんにお世話になっていた。
最初は私につき合わせてしまって申し訳ないと思っていた。
長州藩から借金を回収するために鴻池さんはここにいる。
しかし、今の長州藩が金を持っているとは思えず、回収は困難だと言う事は誰の目から見てもわかることだった。
それなら、大坂に帰って商いをするのが一番いいと思うのだが、鴻池さんは、
「あんたに付き合うのもおもろいから、気にせんでええよ」
と言い、回収困難だとわかっているのにもかかわらず、毎日、私と一緒に長州の城の中へ出かけていく。
最初は借金の回収のための文句を言うのだが、それも最初だけ。
それが済むと、藩の人間との世間話になる。
これも私がたくさんの情報を仕入れることが出来るようにと言う配慮なのだろう。
鴻池さんとの世間話を聞きながら、私は情報を仕入れる。
それは私にとってとても貴重なものとなって行った。
この情報から、薩摩と同盟を結んだことなどを知ったのだった。
私が長州に潜入し、近藤局長が京へ帰って行ってから色々と調べた。
まず、武器を購入を幕府に禁じられているのにもかかわらず、長州には最新の武器がたくさんあった。
その裏には、亀山社中と言う坂本龍馬という土佐の人間が作った組織があった。
長州の武器はその組織から来ていることが分かった。
そのため、私は亀山社中について色々調べた。
まず、亀山社中の資金は薩摩藩から出ていること。
そして薩摩藩名義で武器などを購入し、それを長州に流しているらしい。
だから、薩摩と長州が同盟を結んだ時、仲が悪いと思われていたもの同士の同盟に、周りの人間は驚いていたが、私は驚かなかった。
むしろ、ここまで親密になっていたから、自然な流れだろう。
次に坂本龍馬について調べた。
彼は北辰一刀流で剣を学んだらしく、その剣術の腕もいいらしい。
土佐で勤王党と言う組織の所属したが、しばらくして脱藩をする。
しかしすぐに許され、幕臣である勝海舟がいる神戸海軍操練所に入る。
幕臣以外にも、薩摩の西郷吉之助や長州の桂小五郎とも交流があり、今回の薩長同盟も、彼が間に立って成立させたようだ。
そのせいで、伏見で暗殺されかけたらしく、薩摩藩邸に助けを求め、今はおそらく薩摩にいるものと思う。
私が調べたことは、だいたいこんなものだ。
二カ月近く長州にいて気になるのは、士気の高さと武器だろう。
もしかしたら、幕府は長州に負けるのではとまで思ってしまう。
そんなことはないとすぐ否定をするが、長州の藩の人間に会って帰ってくるたびにもしかして?と思ってしまうのだった。
「近藤はんたちがまた長州に来るらしいで」
鴻池さんがそんな情報を持ってきた。
局長が長州に来ても、また長州の中に入ることはできないだろう。
幕府の人間も入れたくないと言うぐらいだ。
それだけ戦する気が満々なのだ。
それに比べると、幕府の士気のなさと言ったら……。
「何ため息ついとるんや? 嬉しゅうないんか?」
「いや、長州の士気の高さにもしかしたら負けるかもと思っているのです」
「そうやな、それはうちも思うとったで。ま、ここに来た人間やないとわからんことやな」
そうなのだ。
幕府の人間も一回ここに来てみてみるといい。
しかし、長州に無事に入れたらの話だが。
局長が来た日、鴻池さんと一緒に広島に行った。
「山崎君、久しぶりだな。元気だったか?」
局長は、私の肩をたたきながら言った。
「おかげさまで、元気に過ごしています」
簡単なあいさつが終わると、私が得た情報を全部局長に話した。
「山崎君は、この長州征伐どっちが勝つと思っている?」
ここで長州と言ったら、怒られるだろうか?
「私が見た限り、まだわからないです」
様子を見るために、見知らぬふりをした。
「わしは、もしかしたら幕府は負けるかもしれんと思っている」
さすが局長、長州に入ることが出来ないでいるのにもかかわらず、そこまで読んでいたとは。
「幕府に士気がないと思うのだ。士気が低いままで長州征伐が行われたら、負けるかもしれん。何とか幕府の士気が上がるといいのだが」
「それは無理やろ」
そばで聞いていた鴻池さんがあっさりとそう言った。
「どこの藩も財政難や。長州征伐は別にええけど、金を出すのは嫌やと言う人間ばかりや」
商人である鴻池さんは、各藩の財政に詳しいのだろう。
「何とか士気をあげる方法がないもんかな」
局長は悩んでいるのであろうか、腕を組んでそう言った。
そう言えば……
「今回は、伊東参謀は来られなかったのですか?」
前回、局長が長州に来た時は、伊東参謀の姿があった。
今回は姿をまだ見ていない。
「いや、一緒に来たが。伊東君は伊東君で忙しいのだろう。ここに来てからあっちこっちに出かけて歩いているよ」
長州に入ることが出来ないのに、何が忙しいのだろう。
局長が鴻池さんと話している間、一緒に長州に来た尾形に会うことが出来た。
「屯所の方はどうだ?」
「相変わらずだよ」
変わりがないと言う事なんだろう。
蒼良さんの話が出ればいいと思っていたが、尾形の口から彼女の名前が出ることはなかった。
どうしているのか話が聞けなかったことは残念だが、無事に京で過ごしているのだろう。
「実は今回は、伊東参謀の監視をしてくれと副長から言われたのだ」
京にいるときから、伊東参謀は新選組とは別行動を取っていたのか?
「伊東参謀に何かあったのか?」
尾形に監視を命じたと言う事は、何かあったのだろう。
「いや、特に何もない。長州に来てからは、俺たちの前に全く姿を見せないがな。俺が調べたところ、伊東参謀は近々、ここら辺にいる藩士たちと面会するらしいぞ」
それは初耳だ。
伊東参謀はいったい何を考えているのだ?
広島から帰ってきた次の日も、鴻池さんと一緒に長州の藩士と会って、例のごとく世間話をした。
「そう言えば、新選組の近藤とかが来ているらしいな」
すでに局長が来ていると言う情報も入っているようだ。
「そうらしいで。うちは新選組にも出資しとるさかい、挨拶に行っといたけど、特に何もなかったで」
鴻池さんは、そ知らぬふりをしてそう言った。
さすが商人だなと、感心してしまった。
「その新選組の伊東とか言う奴から、ちょっと来てくれって言われているんだけどな」
それは昨日、尾形の口から聞いていた。
「最初は、俺たちをおびき寄せて斬るつもりじゃないかと思っていたが、大勢に声をかけているから、斬るつもりはないと思うのだがな。ま、刀を出してきたら、人数はこっちが多いからな」
その藩士は、手で斬る動作をしながら笑って言った。
「その話、興味あるなぁ。うちも行ったらあかんか?」
鴻池さんは私の方を一瞬だけ見た。
「いや、いいんじゃないのか? 人数が多ければ多いほどいいらしいからな」
伊東参謀は、こんなに敵を集めて何をするつもりでいるのだろう。
「じゃあ、うちも参加させてもらうわ」
鴻池さんは話をまとめた。
それから世間話をして、その場所を後にした。
「伊東はん、何を考えてるんやろうなぁ? うちが行って様子見てくるわ」
城から門へ向かって歩いているときに、鴻池さんと話をした。
「私も行きます」
私がそう言うと、鴻池さんは
「あかん」
と、一言言った。
「よう考えてみぃ。山崎はんは、伊東はんに顔を知られとるから、いくら大勢に中に紛れてもわかると思うで。その点うちなら、伊東はんに知られとらんさかい、混じっても大丈夫や。安心しぃ。ちゃんと話を聞いてきて教えるさかいに」
鴻池さんの言う通りだろう。
「わかりました。お願いします」
そう言って頭を下げた時、近くに殺気を感じた。
顔をあげて殺気の感じた方を見てみると、短剣が飛んできていた。
刀を持っていたら、刀で短剣を避けることはできるだろう。
しかし、商人である鴻池さんの付き添いで来ている私は、刀をさしていない。
とっさに、目についた石を短剣に向かって投げた。
短剣は石にぶつかると音を立てて落ちた。
「なんや、危ないなぁ」
それに気がついた鴻池さんがふところから手拭いを出し、顔をふきながらそう言った。
冷や汗が出たのだろう。
「すまない。短剣があんなにそれるとは思わなかったのでな」
そう言いながら現れたのは、短髪で目つきの鋭い男だった。
「あんなもの飛ばして危ないやろうがっ! 危うくうちが怪我するところだったわ。もしかして、借金の取り立てがうるさいさかい、殺せとか言われたんやないやろうな?」
鴻池さんも黙っていなかった。
「そんなことはない。本当にすまなかった」
男は笑いながらそう言った。
「ところで、一緒にいる男は武士か?」
私のことか?
「鴻池さんの付き人をしています」
私はそう言って軽く頭を下げた。
「なんだ。短剣に石を投げる手がうまかったからな。武士かと思っていた」
「あんたのような人がおるから、用心棒としてうちが雇ったんや。役に立つことはないと思っとったけど、まさか、必要になるとはな」
鴻池さんは男をにらみながらそう言った。
「だから、すまないって謝っているだろう。そうだ。お詫びに酒でもどうだ?」
「あいにく、うちはこれから用事があるんや。あんたが行けばええ」
鴻池さんは、私に向かってそう言った。
こいつからも情報を聞き出せと言う事なんだろう。
「わかりました。主人の代わりに私が行きましょう」
というわけで、その男と酒を飲むことになった。
鴻池さんは、伊東さんの集まりに行き、私は、その男と居酒屋で酒を飲んでいた。
「そう言えば、名前を聞いていなかった。なんていうんだ?」
男は、私に酒をそそぎながら名前を聞いてきた。
本名は教えないほうがいいだろう。
「高橋と申します」
偽名を教えた。
「名前が似ているな。俺は高杉という」
高杉……。
聞いたことがあるぞ。
確か、奇兵隊を作った人間で、尊王攘夷派だ。
長州の幕府派の人間を奇兵隊などを使っておさえ、長州全体を尊王攘夷派にした。
名前を聞くまでわからなかった。
そう言う人間に見えなかったのだ。
蒼良さんがいたら、きっと
「酔いつぶしてあげますよ」
と笑顔で言って、自分も楽しみつつ酔いつぶすのだろう。
しかし、ここに蒼良さんはいないので、私が酔いつぶすしかないのか?
はたして、私が酔いつぶすことが出来るのだろうか?
そう思いながら、私も高杉の杯に酒をそそぐ。
「お前、武士だろう」
高杉は、酒を飲みながら鋭い目つきをして聞いてきた。
「昼間も見たでしょう? 鴻池さんの用心棒をしているのです。正真正銘の商人ですよ」
新選組に入る前は、私も商人だったのだ。
「商人が、自分に向かってくる短剣に向かって石を投げるか? しかも一瞬、腰に手をやっただろう?」
そこまで見ていたのか?
「どうだ、白状しろ」
ニヤッと顔は笑顔だが、目は鋭い。
「実は、武士だった。しかし、貧乏が嫌で家を出た。今はこの通り、鴻池さんに用心棒として雇ってもらっている」
ここは、認めたほうがいいだろう。
そして、後で否定をすればいい。
その作戦が功をそうしたのか、
「やっぱりなぁ。武士だと思っていたのだ」
と、高杉は酒を飲みながらそう言った。
「鴻池についていると言う事は、長州の人間ではないな。しかし、お前のような人材はほしいな。奇兵隊に入る気はないか?」
その言葉に、一瞬固まってしまった。
本気で勧誘しているのか?
私は、新選組の者だぞ。
「入る気持ちはないです。鴻池さんの用心棒でいい思いもしているので。今更、武士に戻るつもりはないです」
情報収集のためには入った方がいいのか?と思ったが、新選組に入りながら、奇兵隊に入り情報収集するのは困難だ。
だから、断った。
本音を言うと、早く京に帰りたいのだ。
私の頭に蒼良さんの笑顔がうつった。
「そうか、残念だな。ま、その気になったらいつでも声をかけろ。今日と同じ場所にいつもいるからな」
高杉もあっさりとひいた。
それから数杯飲み、居酒屋を後にした。
長州にある鴻池家の屋敷に帰ると、鴻池さんが興奮していた。
「伊東はん、私は勤王派だって言ってたで」
伊東参謀が勤王派だって?
でも、それももっともかもしれない。
伊東参謀は水戸学を学んでいる。
水戸学と言えば勤王派なのだ。
そんな人が、新選組に入るなんてと言う声も、隊内からちらほらと聞こえてきていた。
新選組は、幕府派だからだ。
「近藤はんと行動をとっとったのも、裏切るためだったんやな。明日、近藤はんのところへ行くんやろ?」
鴻池さんに聞かれ、私はうなずいた。
「うちも行くで」
鴻池さんははりきってそう言った。
「そうか、やっぱりな」
尾形が一言そう言った。
局長は伊東参謀を信じ切っている。
その証拠に、前回も一緒に長州に来ている。
そんな局長に伊東参謀のことを言っても信じてもらえないかもしれない。
逆に、伊東参謀を問い詰めてこちらの行動が伊東参謀の耳に入る恐れもある。
だから、鴻池さんには口止めをし、私は尾形に教えたのだった。
「京に帰り返り次第、副長には報告する」
「頼んだぞ」
尾形との話が終わり、局長のところへ行った。
「山崎君、よく来てくれた」
前回来た時と同様に歓迎してくれた。
「この通り、相変わらず長州には入れないでいる。なさけないな」
「局長のせいではないです」
「わしも、いつまでもここにいるわけにはいかないのだ。だから、もうちょっと長州に入る方法を画策し、だめだったら、三月に帰京しようと思っている」
その時は、私も一緒に京へ帰れるのだろうか?
「山崎君は、私が帰った後もしばらくここに残ってほしい。そうだな、四月だな。四月になったら京に帰ってくるといい。長州征伐は始まったら、山崎君も新選組隊士として参加してほしいからな」
また京に帰る日が伸びてしまった。
蒼良さんにいつ会えるのだろうか。
局長のところを後にし、再び長州に戻ってきた。
その足で、海へ向かった。
いつも通りの綺麗な夕焼けだった。
この夕焼けのことを蒼良さんに話したい。
話しただけじゃ足りないな、見せたい。
でも、無理そうだな。
「四月かぁ」
沈みゆく夕日に向かってそうつぶやいていたのだった。




