大坂潜入
6月になった。
現代に直すと7月の中旬から下旬ぐらい。
梅雨も明けて暑くなってきたから、夏が来たのだろう。
この時代に梅雨が明けて夏が来たなんて教えてくれる親切な人なんていない。
屯所の中より外の方が涼しそうなので外に出たら、みんな木陰に固まっていた。
そのかたまりを見たら、よけいに暑く感じた。
そのかたまりに加わる勇気がない。
どこか涼しいところはないのか?そんなことを思いながらさまよっていると、土方さんに部屋に呼ばれた。
なんだろう?
部屋に行くと、山崎さんもいた。
「お前、暑そうな顔をしているなぁ」
土方さんが私の顔を見てそう言ったけど、土方さんも十分暑そうな顔しているからね。
エアコンとは言わなくても、扇風機ぐらいはほしい。
山崎さんも入れて3人で汗を吹き出しながら座っていた。
「お前たちには、大坂に行ってもらいたい」
えっ、大坂?
「京より涼しそうですね」
大坂には海があるから、盆地の京にいるよりは涼しいだろう。
「お前、避暑に行くんじゃねぇんだぞ」
土方さんにそう言われたけど、ここより涼しいところならどこでも行くわ。
「大坂で何をすればいいのですか?」
山崎さんは真面目に土方さんに聞いてきた。
「本当なら、大坂にいる隊士の仕事なんだけどな……」
土方さんはちょっと言いずらそうに言った。
「役に立たねぇっていうか、信用できねぇっていうんだか」
以前、ぜんざい屋事件という事件が大坂であって、数人で踏み込んだのに、1名しか捕縛できなかったという事件があってから、土方さんは大坂の隊士をあまり信用していないような感じだ。
「で、何をすればいいのですか?」
私は、早くこの暑い部屋から出たいのですが。
「お前、本当に暑そうな顔をしているなぁ」
暑いんだからしょうがないだろうっ!早く要件を言ってくれっ!
「それでだな、大坂で米の値段が上がっている。どうも米問屋が米の値をわざとあげているらしい」
そうなのか?
「それって、生活にかかわることですよね」
「ああ。だからお前たちに捜査をしてほしくて呼んだんだ」
確かに、大坂の隊士の仕事だな。
「ただ捜査をするだけではなさそうですね」
山崎さんがそう言った。
そ、そうなのか?
「な、何をするのですか?」
恐る恐る、土方さんに聞いた。
「できれば、お前たちが捜査しているのを大坂の連中に知られないようにやってもらいたい」
ずいぶんと面倒なことを言うなぁ。
「お前たちが捜査していることがばれたら、あいつらもいい気持ちがしねぇだろう」
「それなら、大坂の隊士に仕事を頼めばいいじゃないですか」
直接頼めば、気も使わなくて済むじゃないか。
こんなに暑いのに気まで使って、めんどくさい。
「頼んで住む話なら頼んでるっ! あいつらもあてにならんからお前らに頼んでんだろうがっ!」
そ、そうなんだ。
「わかりました。大坂にいる隊士に気がつかれないように、米問屋を捜査すればいいのですね」
山崎さんが何事もなさそうな顔で言った。
「ああ、頼む。で、これもお前たちに言いにくいんだが……」
ここまで言っといて、いまさら言いにくいもないだろう。
「米問屋の捜査で捕縛しなければいけねぇことになったら、大坂の隊士たちに捕縛させてほしい」
ん?これって……
「私たちが捜査をして、手柄は大坂の隊士に取らせてやれってことですか?」
「お前、そう直接言わんでもいいだろう」
こんな話に直接も間接もあるかっ!私たちがものすごく損をする仕事じゃないかっ!
こんな仕事はお断りだっ!
「なるほど、それで蒼良さんと二人での捜査なのですね」
私が断ろうとしたら、山崎さんが仕事を引き受けたかのように話してきた。
「そうだ。また夫婦役で大坂に潜入してほしい。そっちの方が見つからずに捜査もできるだろう」
「確かに、副長の言う通りですね」
ちょっと、二人で話を進めているけど……。
「大坂に長屋を借りてあるから、そこで捜査をするといい」
「ありがとうございます。蒼良さん、早速行きましょう」
山崎さん、そこに私の意思はないと思うのですが……。
「大坂は京より涼しいですよ」
大坂出身の山崎さんがそう言うなら、間違いないだろう。
「行きましょうっ!」
「お前っ! 避暑に行くつもりだろうっ! 仕事で行くんだからなっ! そこら辺を忘れるなよっ!」
いや、忘れそうだ。
大坂に着いた。
山崎さんの話通り、盆地の京より、海からの風があるせいか、涼しく感じる。
「京より涼しいですね」
でも、女用の着物は暑いんだけどね。
京で女装するよりましかと思う事にしよう。
私のその言葉に、山崎さんが笑顔で返してくれた。
土方さんが借りてくれた長屋は、普通の長屋だった。
しかも……
「大坂の隊士に見つからないようにしろって言われたって、大坂の隊士が目と鼻の先にいるじゃないですかっ!」
そう、大坂で屯所になっている万福寺が目と鼻の先にあるのだ。
「副長のことだから、大坂の隊士も見張れってことでしょう。ここでの生活も長くなりそうだから」
えっ、米問屋の米値上げの捜査が終わったら、京に帰れるんじゃないのか?
「副長は、大坂の屯所をなくしたいらしい」
そ、そうなのか?初めて聞いたぞ、その話。
「でも、理由がないとなくせないから、その理由も探せと言う事でした」
ずいぶんとまた面倒な仕事を任されたなぁ。
「じゃあ、その仕事が終わるまで、帰れないのですね」
「その仕事は、私一人でできますから、蒼良さんは、大坂を楽しんでもらえればいいですよ」
えっ、本当に楽しんじゃっていいのか?って、一人で楽しめないだろう。
「大丈夫ですよ。私もお仕事手伝います。私が邪魔になるというなら話は別ですが……」
「じゃあ、協力してもらいたいときは遠慮なく頼みます」
山崎さんは笑顔でそう言った。
よし、大坂ライフ、楽しむぞっ!
気合を入れて米の値段を確かめに行った。
米は暮らしに欠かせないものだし、私たちも必要だから買い物がてら米屋に一人で行ってみた。
山崎さんは、米問屋の様子を裏から探っている。
米の値段を見て驚いた。
これって……新選組から大阪出張手当なんて出てないよね。
とてもじゃないけど、買える値段じゃないわ。
土方さんから大阪出張特別手当かなんかもらおうかしら。
お財布の中身と米の値段を何回も確かめる。
「あんたも米買えんやろ? うちもやっ!」
隣にいたおばさんに話しかけられた。
大坂のおばちゃんって感じな人だ。
「こんな高い米、買えんわっ!」
「いつから米がこんなに高いのですか?」
ここ最近高いとか?京ではこんなに高くないぞ。
「ほら、なんかえらい人が大坂城に来てからやっ!」
なんかえらい人って……
「家茂公の事ですか?」
「誰か知らんわっ!」
多分、いや、絶対に家茂公だよ。
家茂公が来てから米が高くなったって、もしかして、家茂公が米買い占めているとか?
いや、それはないだろう。
「私、京から来たのですが、京はこんなに米は高くないですよ」
「あんた、京から来たん? 京は盆地やから暑いやろ」
「暑かったです」
いつの間にか、おばさんと世間話をしている私。
でも、捜査の上では世間話も大事かもと思って聞いていたけど、ほとんどは、おばさんの愚痴だったりする。
そう言えば、現代では大阪のおばちゃんって飴玉持っているって聞いたことあるけど、まさかこの時代に飴玉はないだろうから、と思っていたら、
「金平糖あるで。食べな」
と言って、最後に金平糖を出してくれた。
恐るべし、大坂のおばちゃん。
「なるほど、家茂公が来てから米の値段が上がったかぁ……」
山崎さんが長屋に帰って来てから話をした。
「私も気になることを聞いたもので」
山崎さんはそう言いながら私の前に座った。
「長州征伐に行くために、幕府が米を買い占めているため米の値段が上がっているという噂も聞いたもので」
なるほど。
「それが本当だと、さっきのおばさんの話も辻褄が合いますね。でも、長州征伐は確か来年だったと思いますが」
「えっ?」
山崎さんに聞き返されて気がついた。
普通の人は、来年になにがあるかわかるわけない。
だから、私が来年の話をしたら、明らかにおかしいわけで。
「いや、なんかごちゃごちゃともめているみたいだから、来年あたりになりそうだなぁと思って」
「ああ、そのことですね。年明けからごちゃごちゃとやっているみたいですよ。幕府では」
そんな前からやっているのか。
「やっと家茂公が大坂に動いたって言う状況ですからね。長州征伐も先の話になりそうですね」
そうなんだ。
何とかごまかせたらしいが、思いがけない話も聞いたなぁ。
「もうちょっと、米の件は捜査してみます。蒼良さんも引き続きお願いします」
「わかりました。それと、実は米があまりに高かったので買えなかったのですが……」
「あ、それならなんとかなりましたよ」
そう言うと、山崎さんはポンッと袋を置いた。
なんか大きな袋を持っているなぁと思っていたけど、もしかして、中身は……。
そう思いながら見てみると、やっぱり米が入っていた。
「捜査するついでに安く買ってきました」
そうだったのか。
「さっそく米を炊きましょう。蒼良さんはかまどが使えないから、私がやりますよ」
山崎さんは優しい笑顔でそう言ってくれた。
そうだった。私、かまどに火をつけられないのでかまどを使うことが出来ないのだった。
料理なら現代でお師匠様に色々作ってあげてたから、自信あるんだけどなぁ。
ああ、江戸時代にガスコンロがあればっ!ついでにエアコンもほしいぞっ!
米の値上げの件は、山崎さんの裏の捜査のおかげで進展があった。
堂島と言うところにある米問屋の主人が米値上げの犯人のようだ。
しかし、私たちに捕縛の権利はない。
その権利を持っているのが、大坂の隊士たちだ。
大坂の隊士たちが捕縛しやすいように私たちがお膳たてをしなければならないのだ。
「ああっ! 犯人がわかっているのに捕縛できないって、イライラしますね」
「蒼良さん、落ち着いてください。今はどうやって大坂の隊士に知らせるかが問題です」
そうなのよねぇ。
電話があれば、ヘリウムガスか何かで声を変えて電話出来るけど、電話なんてないし。
糸電話でも作るか?紙コップを二つ用意して、たこ糸でつなげば完成だ。
あ、でも材料がたこ糸しかないぞ。
紙コップなんてこの時代にないもんなぁ。
「門の外から声を変えて犯人の名前を言うとか……」
色々考えたけど、それしか思いつかなかったから、そういった。
「蒼良さん、それは門を開けられたら顔を見られてしまうから、だめですよ」
やっぱりそうだよね。
インターフォンがあればそんなことないんだけどなぁ。
現代がいかに便利かと言う事を思い知らされるなぁ。
「それなら、矢の先に文を付けて射るというのはどうですか?」
「間違えて隊士の体に刺さったら、どうするのですか?」
ああ、そうだよなぁ。
「でも、文を投げ入れるというのはいい考えですね」
山崎さんはそう言うと、紙にすらすらと文字を書きはじめた。
しばらくすると、
「ちょっと行ってきます」
と言って出かけて行った。
でも、すぐに帰ってきた。
「犯人を捕縛してくれそうですよ」
山崎さんは笑顔でそう言った。
ここまでお膳だでしたんだから、捕縛しないと怒るからねっ!
山崎さんが投げ踏みしてから間もなく、米問屋の主人を捕縛したという話が入ってきた。
その話を聞いて、ほっとした私たちだった。
なんか、今回は本当に損な役回りだよなぁ。