潜入捜査
月が替わり、5月になった。
えっ、先月も5月だったぞ。
土方さんにそう言ったら、
「お前は、本当に知らんのか?」
と言われてしまった。
5月が二つあることを知らないと何かあるのか?
聞いた話によると、暦でずれが生じるので、一年が13月ある年が出来るというのだ。
今年がその13月ある年で、13月という物をつくればいいのにと思うのだけど、そうはせずに、閏月という物を作り、今月は閏5月となる。
閏年があり、2月が29日まである年があることは知っているけど、閏月なんて初めての経験だ。
「一か月、時間が得した気分ですね」
2月が一日多いだけでもなんか一日得した気分になる。
それが一カ月も多いのだから、すごく得した感じだ。
「お前、そんなことのんきに言っている場合じゃねぇぞ。閏月を知らんっていうのもどうかと思うし、閏5月は家茂公が上洛したりして忙しいんだ」
そうなのだ。
家茂公が来るのだ。
理由は、第二次長州征伐のだめだ。
第一次があるのだから、第二次もあるだろうとは思っていたけど、こんな時期だったか?
こういう時に、歴史をよく勉強しておくのだったと思う。
正確に言うと、第二次長州征伐は次の年にある。
今は、長州を相手に幕府がドタバタとやっているだけだ。
長州も陰でドタバタやっているのだと思うのだけど。
というわけで、閏5月は忙しい月になりそうな予感がしている。
大坂の方では、長州人を捕縛して勢いがあるのか、不逞浪士の検問をしているとのこと。
家茂公が来るから、不逞浪士も大勢出てくるのだろう。
それは京も同じことらし。
土方さんに呼ばれて部屋に行くと、山崎さんがいた。
なんだろう?
「お前たちに潜入捜査をしてもらう」
ずいぶんと久しぶりの潜入捜査だ。
「どこですか?」
山崎さんが身を乗り出して土方さんに聞いた。
「京の松ヶ崎という農村に長州人が潜伏しているとの情報があった。その情報が確実が確かめてぇから、お前らに農家を用意してあるから、農民夫婦のふりして情報を収集してもらいたい」
わざわざ私たちのために農家まで用意していただいて……って、ちょっと違うか。
でも、こういう捜査を頼まれるたびに思うのは、私にそれが出来るのだろうかと言う事だ。
だって、簡単に言えば、間者だ。
私は、自分が一番間者にふさわしくないことはわかっている。
「私じゃあくて、別な人はいませんか? 自信ないです」
私が言うと、
「夫婦役で潜入した方が、相手からも警戒されずに済むだろう。他に女の役が出来る人間がいるのか?」
女役かぁ。
沖田さんなら、農村のいい空気を吸って、仕事がてら療養をしてもらおうと思うのだけど、背が大きいから、山崎さんが奥さんの役をやってもらった方がいいのかもってなってしまう。
「原田さんとか、永倉さんとか……」
「論外だっ! 男二人で潜入したらかえって怪しまれるだろう」
確かに。
農村のとある農家に男の二人暮らしって、本当に怪しいわ。
「あ、藤堂さんはどうですか?」
小柄だし、ピッタリだと思うのだけど。
「俺は、女であるお前がそのまま夫婦役で入った方が無難だと思うのだがな。安心しろ。自信なんてものは、後からつくもんだ。最初からついている奴はろくなもんじゃねぇよ」
そ、そうなのか?
「わかりました。蒼良さんと夫婦役で潜入してみます」
山崎さんは即答していた。
あの……私の返事も一緒にしたみたいですが、私はまだいいとは言っていませんからね。
「よし、頼んだぞ」
いや、土方さん、私の意思は……。
そう思っている間にも、山崎さんと土方さんで打ち合わせを始めてしまった。
そこに私の意思はあるんかいっ!
松ヶ崎にある借りてくれた農家に行き、そこで農民女性の着物があったので、祖手に着替えた。
まだ梅雨で雨が降っていたので、この日は特に農作業はなかった。
ずいぶんと広い農家を借りたので、私は農家の中を歩き回って探検していた。
「蒼良さん」
夫役で一緒に農家にいる山崎さんに声をかけられた。
「見かけは、女性なんだけど、なんか違和感があるのですが……」
そりゃ、いつも男装しているのに、急に女装したら違和感もあるだろう。
「いつもは女装した蒼良さんを見ても、綺麗だなぁとしか思わないのだけど、今回は違和感があります」
「それは、久しぶりの女装だからじゃないですか?」
「そう言う違和感ではないのです」
じゃあ、どういう違和感なんだ?
歩いて山崎さんに近づくと、
「あっ! わかったっ!」
と、山崎さんが言った。
違和感の理由が分かったらしい。
「何ですか?」
「歩き方です」
歩き方?
「蒼良さん、歩き方ががに股になっていますよ」
えっ?そう思って意識して歩いてみると、本当にがに股になっていた。
普段は袴をはいているから、あまり意識しなかったけど、女ものの着物を着てがに股って、だめだよねぇ。
「蒼良さんは、普段から男性らしく見せようと努力をしているから、がに股になってしまったのですね。今は普通でいいですよ」
山崎さんは笑顔でそう言ってくれたけど、別に男性らしく見せようとか考えてないから。
普通でいいですよと言ってくれたけど、今でも十分普通ですから。
と言う事は、このがに股を直さなくてはならない。
ちょうど雨が降っていてやることもないから、縁側でひたすら内またで歩く練習をした。
私、いつの間にがに股になっていたのだろう。
なんかだんだん女子力がダウンしてくるような感じがしたのだった。
夕方になると雨が止んだので、長州人が潜伏していそうな場所を散歩がてら探した。
仲のいい夫婦の散歩と見せかけて、潜伏先を探していると言った方が早いか。
それにしても、田んぼがあってのどかな場所だ。
家に帰ってくると、夕飯の準備をした。
私はかまどが使えないので、山崎さんに手伝ってもらった。
やっぱり、女子力がダウンしているわ。
「蒼良さんも、そのうちかまどが使えるようになりますよ」
山崎さんは慰めてくれたけど、これは一生使えないかもしれない。
火打ち石で火をつけるところからもう無理だもん。
ああ、私の女子力。
もし、ここに長州人が潜んでいるとしたら、活動するのは夜だろうと言う事で、夜もまた散歩に出た。
田んぼに蛍がたくさん飛んでいて、幻想的な風景があった。
「蛍がたくさんいますね」
田んぼを見ながら私が言うと、山崎さんも一緒に蛍を見ていた。
「田んぼのあるところには大抵いますよ。それに今は蛍の季節ですからね」
そうなんだぁ。
こんな大量にいる蛍なんて見たことがないから、知らなかった。
田んぼの中に小さな星がゆらゆらと揺れているような感じだ。
空が曇っていて星空が見えない分、田んぼが星空の代わりをしているような感じだった。
「蒼良さんは、蛍をあまり見たことがないのですか?」
私が珍しそうに見ているからか、山崎さんが聞いてきた。
「田んぼに農薬をまいてあるから、蛍も見れなくなりました。田んぼが少ないっていうのもあるのですが」
現代でこんなに蛍が飛んでいるところは、人工的につくられて人工的に飼育された蛍がいるところか、本当の田舎だけだろう。
「えっ、農薬って、田んぼに薬をまくのですか?」
あ、これは現代の話だった。
「元気に育ってくれるように、肥料ですよ」
肥料はこの時代にもあっただろう。
人間の排せつ物を集めて肥料を作っている人もいると聞いたことがある。
「そうですよね。田んぼに薬をまいたら、人間も病気になってしまう」
そう言う考えもあるんだなぁと思ってしまった。
それにしても、のんきに蛍をながめていていいのか?
今は長州人の潜伏先を探さなければならないと思うのだけど。
そう思って山崎さんを見ると、鋭い目つきをして周りを見回している。
私が蛍に浮かれている間に、山崎さんはちゃんと見ているんだなぁ。
「すみません、何もしなくて」
申し訳ないなぁと思って謝った。
「何がですか?」
「私、何もしていないので」
私がそう言うと、山崎さんは優しく笑った。
「蒼良さんも、立派に務めを果たしていますよ。女装をして私のそばにこうやって一緒に歩いていることが蒼良さんの立派な務めですよ」
「山崎さん、甘すぎますよ」
「それは、蒼良さんが頑張っているからですよ」
そんなに褒めてもらっちゃうと、照れるなぁ。
そう思っていると、一人の浪人風の男性が私たちとすれ違った。
その男性は、なんか急いでいるような感じだった。
こんな田舎に浪人風で急いでいる男性って、怪しいよなぁ。
「山崎さん」
私が声をかけると、山崎さんもおなじ事を思ったらしく、
「私が後をつけますから、蒼良さんは先に家に帰っていてください」
と言われた。
二人で後をつけると目立ってしまうからだろう。
「わかりました」
そう言って、私は先に家に帰った。
家に帰って、何もしないで待っているのも嫌だったので、布団を敷いて蚊帳をはった。
蚊帳は、簡単に言うと網でできたテントだ。
寝ているときにこれをはると、中に虫が入ってこない。
網戸という物が無かったから、夏に重要なアイテムだ。
行燈を見ると、さっそく虫がたかっている。
田舎だから、虫も大量にいるのよね。
ああ、鳥肌が立たつ。
蚊帳にも虫がたかってきているので、布団の真ん中に正座して待っていた。
なんで正座?と自分で突っ込みを入れるけど、だって、虫が嫌なんだもん。
想像できないぐらい大きな蛾が、粉まき散らして飛んでいるし。
山崎さん早く帰って来てくれないかなぁ。
「潜入先がわかりました」
山崎さんがそうって帰ってきた。
「蒼良さん、大丈夫ですか?」
そう言いながら山崎さんは蚊帳の中に入ってきた。
きっと真ん中で固まって正座していたからだろう。
「虫が、たくさんいるなぁと思ったもので」
ああとつぶやいてから周りを見回す山崎さん。
「もしかして、蒼良さんは虫が苦手とか?」
虫が得意な人はいるのか?あ、収集家がいるから、いるか。
「苦手です」
「珍しいですね」
め、珍しいのか?確かに、この時代は虫が大量にいるから、怖がっている場合じゃないのだろう。
「ここから数軒先の民家の蔵に潜伏しているようです」
山崎さんが説明してくれた。
さすがに民家に潜伏したら目立つもんなぁ。
「数人ぐらいいそうですね。明日の昼間にもう一回様子を見に行きましょう。それにしても……」
そう言って、山崎さんはクククと笑い出した。
な、なんだ?
「刀を持たせたら、そこら辺にいる男性よりも勇敢な人なのに、虫が苦手とは」
そこは、笑う所なのか?
「かわいいですね」
山崎さんは、笑顔でそう言って私の頬にふれた。
急にそんなことを言われたら、照れるだろう。
私の顔は熱くなっているから、きっと赤くなっているのだろう。
次の日の昼間、その民家のそばを通った。
やっぱり昼間は静かだった。
寝ているのかなぁ。
「ここで間違いなさそうだな」
山崎さんはそう言った。
「なんでわかるのですか?」
そう言う私に下を指さした。
地面を見ると、足跡がたくさんついていた。
昨日の昼間雨だったから、地面がぬかるんでいたんだ。
それにしても、山崎さんはよく見ているよなぁ。
「私は、屯所に報告に行き、応援を頼んできます。蒼良さんは決して危険なまねはしないでください」
「わかりました」
「絶対ですよ」
ずいぶんと念を押すなぁ。
「蒼良さんは夢中になると、周りが見えなくなってしまって平気で危険なことをするから」
そうなのか?
「絶対に危険なまねをしないでくださいっ!」
わかりましたってばっ!
山崎さんは直接屯所に行ってしまい、私もいつまでもここに立っていたらかえって怪しまれるから、家に戻って縁側に座っていた。
すると、信じられない人間が庭に入ってきた。
「あ、女隊士」
私のことをそう呼ぶ人は一人しかいない。
「桂 小五郎」
お互いがお互いを指さし合ってそう言った。
「なんでここにいるんだ?」
そんなこと言えるわけないだろうっ!一応敵同士なんだから。
「あなたこそ、なんでここに?」
そんなこと、敵の私に言わないだろうと思っていたら、
「ここの近くに、我々の仲間が潜んでいるらしく、用があってきたのだが、迷ってしまったらしい。どこに潜んでいるか知っているか?」
あの……それを敵である私に聞くのか?あんた、本当に追われているってわかっているのか?っていうか、私はどう答えたらいいんだ?
潜んでいるところを知ってはいるが、教えていいのか?
「どうやら知っているらしいな」
「な、なんでわかったのですか?」
「あ、本当に知っていたのか」
もしかして、はめられたか?
「さ、教えろ。どこにいる?」
山崎さんが行ってからずいぶんたつから、場所を教えている間に山崎さんが応援の人たちとともにここに着くだろう。
時間稼ぎしながら教えよう。
そこへ山崎さんたちが踏み込んだら、桂 小五郎も捕えることが出来るだろう。
「こっちです」
私は、ゆっくりと案内した。
「なかなかたどり着けないな。女隊士、本当に知っているのか?」
わざと違う道を歩いたりしていた。
早く山崎さん来てくれないかなぁ。
「おい」
再び桂 小五郎に呼びかけられた。
「何ですか?」
「お前、本当に知っているのか?」
「確かここらへんだと思ったのですが……」
すっとぼけながらも、もうごまかすのは時間切れだろう。
そう思い、潜入先である蔵の前に着いた。
それと同じとき、
「新選組だっ! 御用改めさせてもらうっ!」
という山崎さんの声がした。
それと同時に、私の横にいた桂 小五郎が消えた。
あ、どこに行きやがったっ!
追おうとしたら、山崎さんに止められた。
「私が追います。蒼良さんはここにいてください」
山崎さんは桂 小五郎を追いかけて行った。
ここで長州人を数人捕縛した。
しかし、桂 小五郎は逃がしてしまった。
さすが、逃げの小五郎。
「蒼良さん、危険なことをしていましたね」
山崎さんにそう言われた。
危険なことをしていたか?色々考えたけど、まったく覚えがない。
「私が来た時に桂 小五郎と一緒にいたでしょう」
ああ、そのことか。
「桂 小五郎の奴、何を考えたのか、私に潜伏先を教えろって言っていて」
「それで教えていたのですね」
「山崎さんが来るぐらいに潜伏先に着くぐらいに桂 小五郎を案内できたらと思って、時間稼ぎしていましたが、だめでしたね」
私が言ったら、
「危険なことはするなって言ったじゃないですか」
と言われてしまった。
いや、全然危険じゃなかったから。
「大丈夫でしたよ」
「桂 小五郎がどれぐらい危険な人物か知っているのですか?」
「長州の人で、捕まえようと思ってもすぐ逃げられる人ですよね」
「それだけじゃないですよ。長州の中でも力を持っている人間なんですよ」
そりゃそうだろうなぁ。
明治維新で大活躍するんだから。
「そんな人間と二人っきりになるなんて、危険すぎる」
いや、だから、全然危険じゃなかったから。
「大丈夫ですよ」
私はそう言ったけど、
「大丈夫じゃないですっ!」
と、山崎さんに怒られたのだった。
全然大丈夫だったんだけどなぁ。