山南さんを追う
恐れていたその日がやってきた。
「副長、総長が……」
朝、部屋の外で他の隊士が報告する声が聞こえた。
もしかして……。
私は急いで山南さんの部屋に行った。
山南さんの部屋は綺麗に片付いていた。
そして、文机の上に文が置いてあった。
それを手に取って広げるが……。
よ、読めない。
私も子供たちと一緒に寺小屋に通わないと。冗談ではなく本気で思った。
でも内容はなんとなくわかる。
江戸に帰ると書いてあるのだろう。
「何だ、慌てて飛び出して行ったと思ったら、ここにいたのか」
土方さんがやってきて、私が手にしていた山南さんの文を取った。
しまった、土方さんが来る前にこの文を隠せばよかった。
そうしたら、山南さんの脱隊を闇に隠すことが出来たかもしれない。
そんなことを考えている間にも、土方さんは文を読んでいた。
一通り読み終わったのか、
「総司っ!」
と、沖田さんを呼んだ。
「朝からなんですか?」
沖田さんがひょいと、山南さんの部屋をのぞいてきた。
「山南さんが、脱隊した。お前は山南さんの後を追ってここに連れて来い」
「山南さんをどうするのですか?」
どうするかなんてわかっているけど、聞いてみた。
「隊を脱することは、隊則で禁じている。それはお前もわかってんだろ。山南さんには一応理由を聞くが、その理由次第では切腹だな」
やっぱり。
「わかりました。行ってきます」
土方さんの話を聞いたせいか、沖田さんの顔からさっきまであった笑顔が消えていた。
「総司、馬を使え。そっちの方が早く山南さんに追いつくだろう」
「私も一緒に行きます」
部屋を出ようとしていた沖田さんを目で追いながら言った。
土方さんが私を見た。
お前も行くのか?と、文句言いたそうにしていたけど、
「行きます、一緒に行ってきます。山南さんを探しに」
と言ったら、
「わかった、とっとと行って来い」
と土方さんに言われた。
馬を借りた。
「蒼良は、馬に乗れないんだよね。また一緒に乗る?」
沖田さんが馬を引きながらそう言った。
「お願いします」
沖田さんの運転……じゃなくて、馬は怖いんだけど、そんなこと言っている場合じゃない。
沖田さんの前に乗った。
沖田さんは、私の横から両手を出し、手綱を握って馬を走らせた。
お正月に初日の出見に行ったときは、猛スピードで走っていたけど、今回は速度が遅かった。
「蒼良は、山南さんを捕まえて屯所に連れて帰るためについてきたの?」
馬を走らせながら、沖田さんが聞いてきた。
「山南さんを助けるためです」
できれば屯所に連れて帰るのではなく、逃がしたい。
「わかった。蒼良らしいね」
私の頭の上に沖田さんの顔があったので見上げると、沖田さんは笑っていた。
「沖田さんも、助けたいと思っているから、馬の速度がゆっくりなのですね」
「山南さんに追いつかなければ、見つけられなかったと言い訳ができるでしょ?」
沖田さんも山南さんを捕まえたくないんだなぁと思った。
「大津に行かなければ大丈夫ですよ」
山南さんは、確か大津で見つかる。
だから、大津に行かなければ見つけることもない。
「そう言うわけにはいかないよ」
なんでだ?
「大津は東海道も中山道も通る重要な宿場町だよ。そこに行かないで帰ってきたら、お前は何やってんだ? と言う話になると思うよ」
要するに、山南さんを見るけるにあたり、大津は重要な所なので、行かないと言うわけにはいかないのだ。
「大津に行って山南さんがいなければ、そのまま屯所に帰ろう」
沖田さんはそう言ったけど、そのまま屯所に帰ることはないだろう。
山南さんは大津にいる。
沖田さんがゆっくり馬を走らせても、大津宿にはついてしまう。
大津宿に着いた時は、夕方になっていた。
馬を飛ばしていたら、昼過ぎにはついていたのかもしれない。
山南さんが見つからなければいい。そう思っていた。
しかし、山南さんを見つけてしまった。
街道沿いの目立つお茶屋さんの外に置いてある椅子に座って、のんびりお茶を飲んでいた。
とてもじゃないけど、新選組から追われている人には見えなかった。
「あ、総司と蒼良じゃないか。一緒に団子を食うか?」
いつもなら、団子って言われると嬉しかったけど、今回はとっても悲しかった。
なんで山南さん、こんなところでのんきにお茶飲んでいるの?さっさと大津宿を後にしてくれればよかったのに。
沖田さんと馬から降りた。
「馬を置いてくる」
私が馬から降りると、沖田さんは馬をひいて行ってしまった。
「蒼良、団子食べるか?」
山南さんはそう言いながら、お店の人に団子を頼んだ。
「山南さん、江戸に帰るんじゃなかったのですか?」
江戸に帰る人が、なんでこんなところでお茶しているんだ?
「ああ、久しぶりに帰るからな、のんびり帰ろうと思ってな。大津についたら、琵琶湖が綺麗だからな、ここで一泊しようかなぁと思っていたところだ」
一泊しないで、大津から移動してよ。
「あ、蒼良、急に泣き出してどうした?」
気がつけば、涙が止まらなかった。
「なんでここにいるのですか。せめてもう一つ後の宿に行ってくれればよかったのに」
そしたら、連れて帰らなくてもよかったのに。
「蒼良、泣かないの。山南さんが困っているじゃん」
沖田さんが馬を置いて戻ってきた。
泣いている私の頭をポンポンと軽くたたいてきた。
「だって、だって……」
山南さんが大津にいるんだもん。
そう言いたかったけど、泣いていて声が出なかった。
「今日は3人でここに泊まるか?」
山南さんは何事もなかったかのように言った。
「そうだね。今から屯所に帰ったら、真夜中になってしまう。今日が止まった方がいいね」
沖田さんも、何事もないようにった。
なんでこの二人は何事もないように言えるんだ?
「蒼良も、泣き止まないと、一人だけ野宿させるよ」
沖田さんに脅かされ、何とか泣き止んだ。
野宿なんて嫌だ。
「知ってたか? 2年前の今日も、俺たちはここにいたんだぞ」
山南さんは楽しそうに言った。
あれから宿を取り、居酒屋で夕飯を食べた。
お酒も少し入った。
「山南さん、誰かと言い合いしていたよね、確か」
「総司、そんなこと覚えていたのか」
私も覚えている。
確か、あんたの所の班は行儀が悪いって、山南さんが言われて怒ったんだよなぁ。
「私も覚えていますよ。山南さん、すごい勢いで怒っていましたよね」
普段温厚な山南さんが怒ったから、びっくりした記憶がある。
「お前たち、どうでもいいことを覚えているな」
山南さんはそう言いながらお酒を飲んだ。
「山南さんはあまり怒ったことがないから覚えているんだよ」
沖田さんもお酒を飲みながら言った。
「山南さんは、その時と、政変の時ぐらいですもんね、怒ったの」
「土方さんなんて、しょっちゅう怒っているから、そのうちつのが生えるよ、きっと」
沖田さんが人差し指を頭の上に出して言った。
「鬼副長だから。きばもはえますよ」
私がそう言ったら、山南さんは声を出して笑っていた。
「あれは早死にしそうだな」
山南さんがそう言った。
いや、早く死んじゃうのは、山南さんだよ。
そう思ったのは、沖田さんも同じだったみたいで、顔から笑顔が消えていた。
「お前ら、辛気臭い顔してないで、飲め飲め」
山南さんは私たちにお酒を注いでくれた。
夜、3人で川の字になって布団を敷いて寝た。
「山南さん、どうして江戸に帰ろうと思ったのですか?」
聞いてはいけないと思っていた。
でも、そう思うほど聞いてみたくなって思い切って聞いてみた。
「なんでだろなぁ」
山南さんは、あおむけになって天井を見ながら言った。
「山南さん、自分で江戸に帰るって文を残しておいたくせに、わからないの?」
沖田さんが山南さんに言った。
「ああ、そんなもんだろう。あの文を書いた時は、江戸に帰りたかったんだ」
「文なんて残さないで、黙って帰ればよかったのに」
思わず言ってしまった。
それだったら、こうやって山南さんを追って大津に来ることはなかったのに。
そう思うと、また涙が出てきた。
今回は、みんなに分からないように涙をふいた。
二人とも天井を見ているから、わからないだろう。
「なんとなく残したくなったのだ。単なる脱走じゃないぞって感じでな」
「総長である山南さんが脱走した時点で、普通じゃないからね」
沖田さんが山南さんにそう言った。
そして二人で笑っていた。
よく笑えるよなぁ。
私なんて、涙が止まらないのに。
朝なんて来なければいいのに。
そう思っていた。
それでも朝はやってくる。
今日は、山南さんと一緒に屯所に帰る。
なんとか返さない方法がないのか?
宿を出た時、
「山南さん」
と、沖田さんが山南さんを呼んだ。
その顔から微笑みが消えていた。
「山南さん、逃げてください」
沖田さんは、まっすぐ山南さんの目を見て言った。
「僕たちが、山南さんを見つけられなかったと言えばすむ話だから、山南さんはこのまま江戸に向かってください」
沖田さんが敬語で言っているから、相当真剣に言っているのだと思う。
しかし、山南さんは、首を静かに振った。
「総司、覚悟はできている。俺は逃げも隠れもしない。武士らしい最後をむかえられればいいと思う」
「そ、そんなこと、言わないでくださいよ」
私は泣きながら言った。
「蒼良、泣き虫だなぁ」
そんな私を見て、山南さんは言った。
「それにな、新選組にも俺の居場所はないが、江戸にも居場所はないのだ」
あははと笑いながら山南さんは言った。
「笑いごとじゃないです。山南さん、お願いだから、逃げてください」
私は泣きながら頼んだけど、山南さんは首を縦に振らなかった。
「蒼良、もういいよ。もうわかったから」
沖田さんがそう言って私を止めた。
「山南さん、行きましょう」
「ああ、行こうか」
沖田さんと山南さんは歩き始めた。
私も歩き始めた。
「総司、切腹になったら、介錯はお前に頼みたい」
山南さんは歩きながら言った。
山南さんは、そこまで考えて脱走をしたのか?
「わかりました」
沖田さんは、前を向いたままそう言った。
山南さんを逃すことが出来ず、京につかなければいいのにと思っても、足は京に向かって歩いているから、どうしたって京に着く。
屯所につかなければいいのに。
山南さんの考えが変わってここからでも逃げてくれればいいのに。
そんなことを思っているうちに京に着き、屯所にもついたのだった。