二十歳の正月
元治2年正月……の前の日のこと。
「蒼良、初日の出見たくない?」
大みそかの夜、沖田さんが話しかけてきた。
「そりゃ見たいですよ。今年も一緒に見ましたよね」
「ああいう初日の出じゃなくて……」
ああいうのじゃなければ、どういうものなんだ?
「僕が思う初日の出って、山の間からのぼるやつじゃなくて、海かのぼるものだと思うんだよね」
水平線からあがると言いたいのだろう。
確かに、昨年山と山の間から顔出した初日の出を見て、なんか違うと思った。
やっぱり、初日の出は海から見たい。
しかし……
「沖田さん、京は海はないですよ」
京都府に海はあるが、ここ京には海はない。
「そんなことわかっているよ。大坂から見るんだよ」
なるほど、大坂の海なら初日の出が見える。
見えるが……
「大坂から見るのなら、今からここを出ないと間に合わないですよ」
自動車なんて言う代物はないだろう。
移動は基本的に徒歩だから、今から出ないと大坂に間に合わない。
でも、沖田さんはのんびりしている。
「今から出なくても、早朝、日が昇る前に出れば大丈夫だよ」
えっ、初日の出が大坂に着くまでに登り切ってしまうだろう。
「いい乗り物があるんだよ」
この時代の乗り物って言えば、駕籠か?
駕籠だって、徒歩の二人がかついで歩くものだから、普通に徒歩で行くより遅いかも。
「蒼良、知らないの?」
何をだ?
「馬を借りるんだよ」
う、馬?
そう言えば、そう言う移動手段があってもいいよな。
しかし……
「借りるとなると、お金がかかるじゃないですか」
そう、お金の心配だ。
いくらぐらいかかる物なんだろう?
「蒼良はケチだね。お金は使うためにあるんだよ」
ケチって、無駄使いして無くなって、押し借りなんてしたら切腹になってしまうから、心配しているんじゃないか。
沖田さんは、私の鼻を人差し指で押した。
「蒼良は、お金の心配なんてしなくていいよ。報奨金がまだ余っているから」
沖田さんはまだ持っていたのか。
他の人は、全部綺麗に使っちゃったと思うぞ。
「じゃあ明日、暁の七つ刻に屯所前でね」
沖田さんはひらひらと手を振って行った。
次の日の早朝。
「明けましておめでとうございます」
夜明け前に屯所の前で会った沖田さんに挨拶した。
「おめでとう。そういえば正月だったね」
正月だから、こんな寒い中寒い時間に待ち合わせしたのだろう。
「じゃあ行こうか」
沖田さんに言われ、日の出前の暗い道を歩き始めた。
しばらく行くと、馬を貸してくれるところに着いた。
そこで、肝心なことに気が付いた。
「私、馬に乗れないかも……」
生まれてこのかた、馬に乗ったことはない。
ああ、なんで沖田さんから、馬の話が出た時に気が付かなかったのだろう。
「それなら、1頭だけ借りよう」
沖田さんがそう言って、1頭だけ借りた。
そして、軽々と馬にまたがった。
「蒼良もおいで」
上から手を差し伸べられたけど、私、乗れるかしら……
沖田さんの手を握ると、沖田さんが腕で私を引っ張り上げてくれた。
あっという間に、馬上の人となり、沖田さんの前に座った。
沖田さんは、私の両側から両手を出して手綱を握った。
そして、馬は走り始めた。
「沖田さん、馬に乗れるのですね。すごい」
馬は、ものすごい速さで走っている。
これならあっという間に大坂の海に着くだろう。
「乗ったの、初めてだけどね」
えっ、今、すごいいやな言葉が聞こえてこなかったか?
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。
「馬、乗ったことないよ。今まで乗る必要なかったし」
ええっ!
これって、すごい命知らずなことだよね。
だって、沖田さんの馬に対する経験値と言うか、そう言うものが私と一緒と言う事だよね。
「沖田さん、すごい勢いで走っていますが、だ、大丈夫ですか?」
急に怖くなって、沖田さんに聞いた。
「止まらなかったら、ごめんね」
いや、ごめんですまないだろうっ!
「もしかして、止め方わからないとか……」
「そうだったらどうする? 走らせ方は、馬の腹を蹴ればいいとは思っていたけど」
止め方わからないって、それって、ブレーキがない自動車じゃないかっ!
「蒼良、そんなに怖がらなくてもいいよ。何とかなるから」
本当に何とかなるのかっ!
「やっぱり、海から見る初日の出は最高だね」
沖田さんと無事に初日の出を見ることが出来た。
止まり方が知らないとか言っていたけど、ちゃんと馬は止まった。
本当は知っていたんじゃないのか?と思っていたら、
「最近の馬は、人に慣れているんだね。初めてでもそれなりに乗れるから」
と沖田さんが言っていた。
本当に知らなかったのかいっ!
おかげで寿命がかなり縮んだ。
お師匠様なら、とっくにあの世に旅立っているだろう。
とにかく、初日の出を無事に見れてよかった。
水平線からのぼる初日の出は、やっぱりよかった。
「さ、帰ろうか」
沖田さんのその声を聞くまでは……。
「帰るって、馬でですか?」
「そうだよ。それ以外ないでしょ」
「だ、大丈夫ですか?」
「蒼良は馬は嫌なの?」
「できれば、安全な方法で帰りたいのですが……」
今度止まることが出来なかったら、本当にしゃれにならない。
「それなら、蒼良は歩いて帰る?」
「はい、そうします」
「僕は馬で帰るから」
ええっ!そ、そうなのかっ!
一人で大坂と京の間を行き来したことが無く、一人で帰る自信がなかった私は、沖田さんの袖を捕まえた。
「わ、私も馬で帰りますっ!」
「そう、それなら一緒に帰ろうか」
そう言って顔いっぱいに笑みを浮かべていた沖田さんだった。
「今年の恵方は、乙丑だから、そっちの方角にある神社だな」
土方さんがそう言った。
沖田さんと初日の出に行き、また止まれないかもと脅されながら、馬がかしこかったのか、ちゃんと馬を借りたところで止まり、その後屯所に帰った。
年明けから、恐怖の体験をしたせいか、私の顔は青白かったらしく、
「お前、年明けから青白いが、大丈夫か?」
と、土方さんに言われた。
その横で、沖田さんは笑っていた。
絶対に、馬に乗れないって嘘だよな。
そう思いながらにらんでいた私だった。
そして、恵方参りの話になった。
この時代は、初詣なんてものはない。
その年のいい方向、要するに恵方があり、そっちの方向にある神社に行くことになった。
「乙丑の方向って、どこですか?」
「お前、知らんのか?」
「蒼良、知らないの?」
土方さんと沖田さんに同時に聞き返されてしまった。
そんな、方向を干支に当てはめるなんて、めんどくさいことをしないで、東西南北で言えばいいじゃないか。
「乙丑の方向は、あっちだ」
土方さんがそう言って指さした方向は、西南西だった。
乙丑なんて言わずに、西南西と言えっ!
「そっちの方向に神社はあったか?」
土方さんはそう言った。
「あるよ。御霊神社と言う神社が」
沖田さんが言った。
西南西にある御霊神社?
「もしかして、桂離宮のところにある、下桂御霊神社ですか?」
沖田さんの言っているところがそこしか思いつかない。
「桂離宮? なんだそこ?」
えっ、土方さん、知らないのか?
「桂宮ならあるけど、桂離宮は知らないな」
沖田さんが言った。
現代と名前が違うらしい。
「よし、じゃあ、そこに行くぞ」
土方さんが立ち上がった。
「他の人は連れて行かなくていいのですか?」
土方さんと沖田さんと私の3人で行くのか?
「他の連中はもう出来上がっている」
土方さんがそう言った。
出来上がっている?
「正月だからね。朝からお酒が飲めるってわけ」
沖田さんが説明してくれた。
酔っ払っていると言う事らしい。
って、まだ本当に午前中だぞ。
桂下御霊神社は、橘 逸勢と言う、空海と嵯峨天皇と並んで日本三筆と呼ばれた一人を祀っている。
その人は、承和の変と呼ばれる、平安時代の政変で謀反を企てているという疑いをかけられ、藤原氏によって伊豆の方へ流されてしまう。
しかし、その途中で死んでしまう。
その数年後名誉回復され、官位ももらう。
死んだ後にそんなことされてもなぁと思ってしまう。
彼は無罪の罪を背負って亡くなったと言う事で、怨霊になったと考えられたので、この桂下御霊神社に祀られることになったらしい。
さて、願い事は何にしようか。
山南さんのことも気になるし、伊東さんの行動も気になる。
藤堂さんのことも気になるし、沖田さんの病気のことも気になる。
沖田さんはまだ発病していないみたいだけど、今年発病するかもしれない。
ああ、願い事がたくさんありすぎる。
「お前、欲張りすぎだ」
社殿の前で手を合わせて考えていたら、土方さんに軽く頭をたたかれてしまった。
「いくつ願い事してんだ? もう行くぞ」
えっ、もう行くのか?
私も急いで土方さんの後をついていった。
しばらくしてから気が付いた。
あれだけ迷っていたのに、考えてもいたのに、願い事何もしていなかった。
「蒼良、待っていたぞっ! ま、ここに座れっ!」
屯所に帰ったら、すっかり出来上がっていた永倉さんが出てきて、私を座らせた。
屯所で宴会をしていたらしく、みんなお酒を飲んで騒いでいた。
で、なんで私を待っていたのだ?
「蒼良、今日で20歳だな」
原田さんが声かけてきた。
この時代は、お正月にいっせいに年を取る。
と言うわけで、私は20歳になった。
誕生日で祝うわけじゃないので、すっかり忘れていた。
そんな私に杯を渡してきた永倉さん。
「な、何ですか?」
私が聞くと、永倉さんはドボドボと杯にお酒を注いできた。
「今日から解禁だろう」
何が解禁なんだ?
ああっ!私、今までずうっと20歳になるまでお酒は飲まないって言っていたんだった。
と言う事は……
「これでやっと一緒に飲めるな。めでたいめでたい」
永倉さんがお酒をそそぎ終わると、自分の杯にもお酒をそそぎ、グイッと飲んだ。
これってめでたいのか?
「ボーとしてないで、飲めっ!」
永倉さんに言われ、私もグイッと杯を空けた。
ん?お酒って苦いと思っていたけど、意外とおいしいぞ。
「蒼良、飲みっぷりがいいな。飲めっ!」
また永倉さんに注がれ、空にした。
思っていたよりおいしいんだけど。
「お前、そんな勢いで飲んでいたら、すぐ酔うぞっ!」
土方さんに注意された。
そう言えば、永倉さんとかよく酔っ払っていたが、私の場合、何も起こらないのだけど。
「大丈夫そうです」
私が言うと、
「そうだろ、そうだろ。ま、飲め」
と、また永倉さんにお酒を注がれた。
永倉さんに注がれるがまま飲んでいた。
永倉さんも私に合わせて飲んでいた。
そのうち、永倉さんが酔いつぶれた。
「あれ?永倉さん、大丈夫ですか?」
声をかけたけど、すでに夢の中に入っていた。
「お前が飲んでいるの、水じゃないのか?」
土方さんがそう言ってきた。
「水だったら、永倉さんは酔いつぶれませんよ」
「それもそうだな」
そう言いながら、土方さんはお銚子を取り、中をのぞいていた。
そして、それを杯に注いで飲んだ。
「本当に酒だ」
そう言って、倒れて行った。
そうだ、土方さんはお酒に弱かった。
「杯に注ぐのが面倒なら、これで飲め」
斎藤さんにお銚子を渡された。
いくらなんでも、お銚子に直接口をつけて飲む女ってどうなの?
それはないでしょう。
でも斎藤さんは、私の方を見ながら直接口つけて飲んでいる。
確かに、杯に注ぐのは面倒だしなぁ。
直接飲むか。
「もしかして、斎藤君は蒼良と飲み比べしてる?」
沖田さんが斎藤さんに聞いていた。
「そんなことしたら、酒がまずくなる」
そう言いつつも、私に合わせて飲んでいる。
私も、お銚子をどんどん空にしていった。
いや、飲み比べをしているわけじゃないのよ。
ただ、せっかく飲んでいるのだから、酔ってみたいわけで。
でも、なかなか酔わなくて、ついつい杯……いや、お銚子を重ねてしまう。
そんなことを思いながら飲んでいると、そのうち斎藤さんが寝てしまった。
「蒼良、もう飲みすぎだろう」
原田さんがそう言って、私が持っているお銚子を取り上げた。
気が付くと、私の周りは空のお銚子だらけになっていた。
「大丈夫か?」
原田さんは、私の顔をのぞきこんで言った。
「原田さん、これ、全部お酒ですよね」
「全部酒だ。みんな酒で酔いつぶれているだろう」
「私、全然酔わないのですが」
私がそう言うと、原田さんが私の頭に手を置いた。
「それは、心配することじゃない。蒼良は酒に強いと言う事だろう。そういうやつもいるぞ」
そうか、私は人より酒が強いと言う事なのだな。
強すぎるという話もあるけど。
「蒼良、そろそろ寝よう」
沖田さんがあくびしながら言った。
気がつけば、日はすっかり暮れていた。
今日は早起きしたしなぁ。
「でも、酔いつぶれた人たちはどうしますか?」
すでに土方さんと永倉さんと斎藤さんが酔いつぶれて寝ている。
「ほっとけ。3人も部屋に運べないし、このままも死にはしない」
原田さんの言う通りなんだろうけど、いいのか?
ま、いいか。
3人を残して、私たちは自分たちの部屋に引き上げた。
次の日、二日酔いだぁと言いながら、頭を押さえている3人の姿があった。
ちなみに、私は全然平気だったので、
「もうこいつには、酒を飲ますなっ!」
と、土方さんに言われてしまったのだった。