富岡八幡宮
江戸を立つ日が刻々と近づいてきていた。
近藤さんは江戸を立つ日が決まってからまた忙しくなっていた
江戸で募集した隊士たちが京で会えるようにしたり、幕府や会津藩邸の人たちに挨拶したりしていた。
その合間に、松本 良順先生のところに行き診察を受けていた。
松本先生とは、京でまた会えるようにと再会の約束をしていた。
近藤さんは忙しく動き回っていたけど、私は暇だった。
近藤さんの護衛を命じられていた永倉さんたちは忙しそうだったけど、私の役目は藤堂さんと一緒に伊東さんを新選組に入れることだったみたいで、それが成し遂げられた今、ものすごく暇だった。
「蒼良、ちょっと時間あるかい?」
藤堂さんに声かけられた。
「あまるほどありますが」
「蒼良も暇なんだ」
江戸を立つ準備は荷物が少ないのですぐ終わってしまった。
暇で暇でたまらない。
「藤堂さん、用事があるのですか?」
「蒼良にちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「何でも頼んでくださいよ」
とにかく、暇でたまらなかったので、何とかしたかった。
藤堂さんに連れていかれたのは、なんと、藤堂さんの屋敷だった。
この屋敷はあまり好きではないと言っていたのに、どうしたのだろう。
中に入ると、部屋に案内された。
その部屋に置かれていたものは、女物の着物だった。
モミジの絵が描かれていた綺麗な着物だった。
「綺麗な着物ですね。誰かの贈り物ですか?」
「蒼良に」
「あ、そうなんですか……えっ?」
わ、私にか?
「これ、高そうな着物じゃないですか」
「値段は気にしなくていいから」
「私は、この通り男装をしているので、着物は必要ないです」
「今必要なんだ」
えっ、今?
「蒼良、私の頼みを聞いてくれると言ったよね」
た、確かに言った。
「私の頼みは、蒼良が江戸を立つとしばらく会えなくなるから、江戸を立つ前に女の蒼良と江戸を歩きたい」
要は、デートしてくれってことじゃないかっ!
「蒼良、そんなに照れないで。私まで照れてしまう」
多分、私の顔が赤いのだろう。
「頼みを聞いてくれるだろうか?」
そう言った藤堂さんの顔が真剣だったので、思わずコクンとうなずいてしまった。
なんか断ったらいけないような雰囲気だったし。
「ありがとう。早速、この着物を着てみて。蒼良に似合っていると思う。私は外で待っているから。あ、手伝いがいるなら人を呼ぶけど」
藤堂さんは、ぱぁっと笑顔になって言った。
この時代に来て、着物を一人で着れるようになったので、お手伝いはお断りした。
着物のほかにかんざしもあって、髪を結いなおした後、そのかんざしをさした。
それにしても、藤堂さんも変な頼みごとをしてくるなぁ。
女の姿をした私も、男の姿をした私も、どちらも私なのに、なんでわざわざ女装をさせて一緒に出掛けたいなんて言うのだ?
着替えて外に出たら、藤堂さんが待っていた。
「蒼良、綺麗だよ。すごく似合っている」
突然そんなことを言われたから照れてしまった。
「で、着物着ましたが、どこに行くのですか?」
「今日は富岡八幡宮に行こうと思って」
富岡八幡宮か。
富岡八幡宮は、すべてに利益があると言う事らしい。
伊能 忠敬が、測量の旅に出かけるときは、必ずお参りしたことで有名な神社だ。
「蒼良が、無事に京に着けるように、お参りしないとね」
「藤堂さんも、剣の修行がうまくいきますようにってお参りしておいた方がいいですよ」
「それなら、蒼良が私の代わりにお参りしてよ。私は蒼良の代わりにお参りするよ」
それって、なんかおかしくないか?
本人が直接お参りすればいいことだろう。
おかしいぞって考えていると、
「深いことは考えなくていいよ。とにかく行こう。日が暮れちゃうよ」
と言われ、富岡八幡宮に向けて出発した。
富岡八幡宮に着くまで、藤堂さんは私の手をつないで歩きやすいようにしてくれた。
男装のままだったらそんなことしなくてもすむのに、なんでわざわざ女装させたのだろうと、また疑問に思ってしまった。
富岡八幡宮に着いたら、
「ここで相撲もやるんだよ」
と、藤堂さんが説明してくれた。
勧進相撲と言って、神社などの費用を捻出するために行われていた相撲で、ここ、富岡八幡宮が、江戸の勧進相撲の発祥の地らしい。
この日は残念ながら、相撲はやっていなかったけど、神社の周りは商業地として発達していたので、にぎやかだった。
お店もたくさんあって、目移りしてしまった。
「藤堂さん、甘味処がありますよ」
「お参りが終わってから寄ろう」
お参りが終わってからの楽しみが増えた。
藤堂さんが私が無事に京に着けるようにとお祈りすると言ったので、私は、納得できなかったけど、藤堂さんの剣の修業がうまくいって、出来れば早く帰ってきてほしいと祈った。
絶対に、自分のことは自分で祈った方がいいと思うのだけど。
それから、甘味処に入った。
「くずもちがありますよ」
「江戸のくずもちは、京のくずもちと違うのだよ」
それは、聞いたことがあるぞ。
と言う事で、くずもちを頼んでみた。
京のくずもちは、つるっとしていて透明なんだけど、江戸のくずもちは三角に切ってあって、透明ではないし、つるっともしていなかった。
でも、私の知っているくずもちだ。
「蒼良の時代にも、くずもちってあるんだね」
「ありますよ。大福もありますからね」
「私の知らない甘いものもあるんだろうなぁ。そう言えば、かき氷を普通の人も食べるみたいなことを言っていたよね」
そんなこと言っていたか?
「私の時代は、簡単に氷を作って保管できるようになっているので、普通に食べれるのですよ」
今の季節に食べたいとは思わないけど。
「蒼良の時代に行ってみたいなぁ」
藤堂さんが遠い目をして言った。
お師匠様が聞いたら、今すぐ連れていきそうだ。
「そのうち、ご招待しますよ」
お師匠様が連れていくだろう。
「楽しみにしているよ」
藤堂さんは笑って言った。
「あれ? あの建物、京で見たことあるのですが」
富岡八幡宮の東側を歩いてみると、その建物があった。
「ああ、江戸三十三間堂だよ」
三十三間堂って、京にもあるぞ。
そう言えば、京の三十三間堂に行ったときに、沖田さんが
「江戸にもある」
みたいなことを言っていなかったか?
これがあの三十三間堂なのか?
「行ってみる?」
藤堂さんに聞かれて、コクンとうなずいた。
江戸三十三間堂は、現代にはないので、ぜひ行ってみたいと思ったのだった。
京の三十三間堂をまねたと言う事で、三十三間堂の中に入ったら、京の沖田さんを思い出した。
沖田さん、よく来ていたよなぁ。
あの観音様が近藤さんに似ているとか言っていたよなぁ。
藤堂さんも、京のことを思い出しているのか、遠い目をして観音様を見ていた。
「蒼良」
突然、名前を呼ばれた。
「山南さんは、本当に脱走して切腹するのかい?」
藤堂さんは、三十三間堂で山南さんのことを思っていたらしい。
「はい」
「理由は、わからないのだよね」
「はい。確か、山南さんはわざわざ置手紙を残して隊を出ます」
「置手紙を?」
「はい。江戸に帰るって」
「なんでまたそんなことを……切腹をしたと言う事は、つかまってしまうのだね」
「沖田さんが山南さんを追います。大津で山南さんに追いつきます」
「総司は、逃がさなかったのだね」
「山南さんが逃げなかったという説もあります。そして、切腹の介錯も沖田さんがやります」
「総司が……。総司も山南さんと仲がいいのに」
山南さんの部屋に行くと、沖田さんと藤堂さんが必ずいた。
沖田さんも、山南さんを斬ったりしたときは、きっとつらかったのだろうと思う。
「阻止しますから」
気がついたら、私は口に出してそう言っていた。
「蒼良一人でできることじゃない」
「でも、何もしないで見ているより、少しでも歴史を変えようとあがいたほうが楽ですから。それに、変えることが出来るかもしれないじゃないですか」
「蒼良に負担がかかってしまう」
「私なら大丈夫です。黙って見ている方が、負担になりそうなぐらいですから」
私がそう言った時、突然藤堂さんに抱きしめられた。
な、なんだ、突然っ!
「蒼良、山南さんを助けてくれるのは嬉しいけど、無理しないで」
藤堂さんの声が、私の耳元から直接聞こえてきた。
「頼むから、無理はしないで」
「無理はしません。出来ることをするだけです。藤堂さんも、出来るだけ早く帰ってきてください」
でも、藤堂さんは帰ってこないだろう。
歴史通りに行けば、土方さんたちが江戸に隊士募集に行って帰ってくるときに一緒に帰ってくる。
その時には、山南さんはこの世にいない。
「できれば、山南さんが生きているうちに帰ってきてほしいのですが」
そう言った私の声は、藤堂さんの肩のところに口があったので、着物でくぐもって聞こえた。
「出来る限り、早く帰る努力をするよ」
「でも、藤堂さんは帰ってこないんですよね」
「そうなの?」
「土方さんたちが江戸に来て京に帰るときに一緒に帰ってくるのです」
「そうなんだ。土方さんたちは迎えに来ちゃうんだね」
「そうです」
きっと、藤堂さんには藤堂さんの考えがあって、色々迷ってそうなったのだろうと思う。
「蒼良、帰れなかったら、ごめん」
「私こそ、山南さんを助けられなかったら、ごめんなさい」
「なんだ、お互い様だね」
そう言いながら、藤堂さんは私の顔を見た。
体は抱きしめられたままなので、ものすごく顔が近かった。
どうしよう、顔が近すぎる。
「おお、昼間っから、いいね」
三十三間堂に来た、一般の人が通りかかったみたいで、冷やかされてしまった。
「蒼良、出よう」
突然解放された私。
藤堂さんに手を引かれて、慌てて外に出たのだった。
それから、藤堂さんのお屋敷に向かって歩いていた。
藤堂さんのお屋敷に私の男装の着物が置いてあるので、一回戻らないと近藤さんの家には帰れないのだ。
「蒼良、今日は楽しかったよ、ありがとう」
そう言った藤堂さんの手は、私の手を引いていた。
「こちらこそ、楽しかったです」
「文を書くよ。必ず書く」
いや、かくのは構わないのだけど……
「あの、土方さんみたいに、ああいう字はやめてくださいね」
「ああいう字?」
「くねくねって、ミミズみたいに続いている文字」
「ミミズみたいって」
そこで、藤堂さんは笑った。
なんかおかしいこと言ったか?
散々笑った後で、
「わかったよ。蒼良の文は、一文字一文字きちんと書くよ」
いや、きちんとじゃなくてもいいのだけど。
「せっかく文を出したのに、蒼良が読めないんじゃ意味ないもんね」
そう、私が読める文にしてもらいたい。
「お願いします」
「わかったよ。蒼良も、文を書いてよ」
ええっ、私がか?
筆を使って字を書くのはどうも慣れなくて……
「読めない字だったら、ごめんなさい」
「もしかして、蒼良の時代には、筆はないの?」
「筆はありますよ。ちゃんと使いますよ。でも、普段は別なもので書いているので」
「別なもの? 何か知りたいけど、その名前を聞いてもきっと私にはわからないのだろうなぁ」
そうなんだよなぁ。
写真があればいいけど、そんな写真を持ってきてないし。
「わかった。でも、蒼良も私に文を書いてよ。頑張って読むから」
文って、頑張って読むものなのか?いや、違うだろう。
しかし、そんな私の考えを無視して、
「待っているから、蒼良からの文」
と言われてしまった。
私、藤堂さんに文を出せるのか?