吉原デビュー
近藤さんが江戸に着いた後、数日ぐらい忙しそうだった。
なにしろ、会津の江戸藩邸に挨拶をはじめとする挨拶回りが始まったのだった。
私と藤堂さんは前から江戸にいたので、挨拶回りに同行はしなかったけど、一緒に来た永倉さんたちは、近藤さんと一緒に行動をしていた。
それもようやく落ち着き、やっと永倉さんも暇になったらしい。
今日は朝から近藤さんの家にいた。
「蒼良、吉原に行ったことがあるか?」
突然、永倉さんに聞かれた。
「ないです」
「蒼良は、吉原のこと知っているの?」
藤堂さんが聞いて来た。
「知っていますよ」
藤堂さんは、未来から来た私にはわからない場所かもしれないと思ったらしい。
「平助、吉原を知らない男がいるわけないだろう。蒼良も、女みたいな顔しているが、立派な男だ」
えっ、そうなのか?
私の男装が見破られていないと言う事は、喜ばしいことだ。
なんか悲しくもあるけど。
「島原に行ったことがあるけど、吉原はないって言うんじゃ、男がすたる」
そうなのか?藤堂さんの方を見てみると、藤堂さんは静かに顔を横に振っていた。
「蒼良、吉原に行くぞ」
「えっ、今ですか?」
「今行ってどうする? 島原と同じで昼はやってないぞ。行くなら夜だ、夜」
永倉さんが言うから、今からだと思うじゃないか。
「私は誘ってくれないのですか?」
「平助かぁ。どうするかな」
「新八さんのいじわる」
「や、やめろ、くすぐったいだろうが」
藤堂さんは、永倉さんのわき腹をくすぐっていた。
「わ、わかった。連れてくよ、連れてく」
そんなわけで、永倉さんと藤堂さんと吉原に行くことになった。
「ちょうどいい、花魁道中だぞ」
永倉さんたちと吉原に着いたら、ちょうど花魁道中があるみたいで、すごいにぎやかだった。
吉原と島原は花魁道中の時の歩き方が違うらしいが、あの高下駄で八の字を書きながら歩くのは一緒だった。
それと、
「あっ! 帯の結び方が違う」
と、私が指さして言うと、永倉さんが説明してくれた。
「島原は、心と結ぶらしいが、吉原は、前にたらすのだ」
さすが永倉さんというか、通い詰めてるなぁ。
「よし、引手茶屋に行くぞ」
「えっ、引手茶屋?」
「蒼良は何も知らないんだな。俺が教えてやる。引手茶屋と言うのはだな」
「島原でいう揚屋のことだよ。島原は、花魁が置屋から揚屋に来るのだけど、吉原は、置屋も揚屋も一緒なんだ」
藤堂さんが代わりに説明してくれた。
「俺が説明しようと思ったのに」
「新八さんが、いいとこ見せようとしてもったいぶっているから」
「俺はだな、何も知らない蒼良に親切に教えてやろうとしてだな……」
ここで言い合いされても困るのですが。
「引手茶屋は行かないのですか?」
「そうだった。行くぞ」
永倉さんが私たちの先頭を切って歩き始めた。
女の子が見えるように表通りに面して座っていて、外から誰にしようか物色する人たち。
テレビのドラマで見たことあるそのままの光景だ。
テレビドラマ作った人も、タイムスリップしてこの光景を見たのか?
「どの子にするか決めたか?」
永倉さんが突然聞いて来た。
「ええっ、選ぶのですか?」
「当たり前だろう」
難しいのですが。
「蒼良は初めてだし、選ぶのは難しいと思うけど」
藤堂さんが助け舟出してくれたけど、
「藤堂さんは、初めてじゃないのですか?」
と、逆に聞いてしまった。
いや、疑問に思ったもので。
「えっ、そりゃ、男だから、何回かは……」
藤堂さんが照れながら言っていると、永倉さんが後ろから藤堂さんの背中をたたいた。
「なに蒼良相手に照れてんだよ。まるで女に話しているみたいだぞ」
永倉さん、意外なところで鋭い。
「て、照れてないよ。こういう話って、しずらいじゃん」
藤堂さんも、必死でごまかしてくれた。
「ま、そうだな。俺は平気だが。よし、行くぞ」
行くぞって……
「女の子は決まったのですか?」
「なじみのがいるんだ」
そうだったのか?
「初めてだと初会って言って話も出来ないんだぞ。それだとつまらないだろう」
「新八さん、それは、最高位の花魁だけの話だよ」
「平助、俺が呼ぶんだから、最高位の花魁に決まってんだろうが」
「あの、お金はあるのですか?」
だって、最高位の花魁って高いだろう。
「蒼良、金の心配するなんて、心が小さいぞ。江戸っ子はな、宵越しの金は持たねぇんだよっ!」
永倉さんが、急に江戸っ子になった。
「グダグダ言ってないで、行くぞっ!」
永倉さんを先頭に、引手茶屋に入った。
「な、永倉さん、これはいくらなんでも呼びすぎじゃないですか?」
部屋に入ったら、女の子というか、遊女が8人ぐらいいた。
こっちは3人だから、一人でも充分だと思うのだけど。
「大丈夫だ。遠慮するな」
いや、遠慮はしてない。
「新八さん、ずいぶんお久しぶりでありんすね」
この中で一番偉いのだろう。
かんざしもたくさんさし、着物も豪華なものを着た人が話してきた。
なんか、言葉がおかしくないか?
「ありんす語って言うんだよ」
頭にはてなマークが飛び交っている私に、藤堂さんが説明してくれた。
「吉原は、全国から遊女が来ているから、お国のなまりが出ないようにありんす語って言う言葉を使っているんだよ」
「藤堂さん、詳しいですね」
「いや、私はそんなにここには来ていないから。一般常識だよ、一般常識」
そう言うことにしておいてやろう。
しゃべっている言葉もそうだけど、私の知っている島原と違うところはずいぶんとあった。
まず、客である私たちが芸などを披露して遊女たちを楽しませる、というのも島原と逆で驚いた。
だから、永倉さんなんかも面白いことを一生懸命言ったりしていた。
逆に疲れないのかな?と思ってしまった。
しかし、永倉さんは疲れるどころか、お酒を速いペースで飲み、すっかり出来上がってしまった。
「藤堂さん、どうやって永倉さんを連れて帰りますか?」
「私が引きずって帰るにしても、距離が長いし、ここは駕籠を頼むか」
「えっ、かご?」
一瞬、背中に背負う大きな駕籠を想像したけど、いや、それじゃない。
よくドラマに出てくる、男性二人で肩に棒をのせ、その棒の真ん中には人が乗れるようになっているあれだろう。
しばらく引手茶屋の前で待っていると、その駕籠が来た。
「永倉さん、駕籠が来ましたよ。その前にお会計をしないと」
「おう、頼んだぞ」
レロレロと永倉さんが言った。
頼んだぞって……。
「永倉さんのおごりじゃなかったのですか?」
「誰もおごるとはいっとらんぞ」
確かに、そう言ってなかったよ。
でも、この話の流れだと、誰だって会計は永倉さん持ちだと思うじゃないか。
というわけで、どうせ酔っ払っているしわからないだろう。
私と藤堂さんで永倉さんの巾着をあさり、そこからお金を払ったのだった。
「また来るぞ!」
永倉さんは上機嫌だった。
上機嫌な永倉さんを放り込むようにして駕籠に押し込んだ。
「うちの屋敷が近いから、そこに運ぼう」
藤堂さんがそう言うと、駕籠を持っている男性に行先を告げた。
「藤堂さん、江戸に住むところがあるのですか?」
「私も江戸っ子だから、住むところも江戸にあるよ。あまり行かないけどね」
そうだよね。
ずうっと近藤さんの家にいたから、江戸に家があるように見えなかった。
藤堂さんのお屋敷に着くと、中から人が数人でてきた。
「お帰りなさいまし」
みんな頭を下げて出迎えてくれた。
「私の友人が酔って寝てしまったので、部屋に寝かせてほしい。こちらの友人にも部屋を用意してくれ」
藤堂さんが指示を出すと、数人がテキパキを動き始めた。
「藤堂さんって、いいとこのお坊ちゃんみたいですね」
「みたいじゃなくて、一応そうなんだけどね」
そうだった、ご落胤だった。
藤堂さんによって私も部屋を与えられた。
広い10畳ぐらいある部屋の真ん中に布団が敷いてあった。
その布団もふかふかだった。
しかし、眠れなかった。
この部屋広すぎる。
よく考えたら、江戸に来てから一人で広い部屋に寝たことがない。
雑魚寝をしたこともあったし、たいてい誰かが一緒だったのだ。
せっかくのいい部屋なのに、眠れないなんて。
ちょっと夜風にあたってみようかな。
そう思って雨戸を開けてみた。
雨戸を開けると、月明かりが差し込んできた。
この時代に来て月明かりがこんなに明るいものだったんだと実感した。
他に明かりがないから、月も星も綺麗に見えるのだ。
屋敷も広かったけど、庭も手入れが行き届いていて広かった。
うちの屯所が何個入るんだろう?そんなこと言ったら、八木さんに
「文句があるなら出て行きっ!」
って言われそうだ。
縁側の下に草履が置いてあったので、それを借りて外に出た。
月がきれいだなぁ。そう思って庭を歩いていたら、
「蒼良、どうしたの?」
という声がした。
見てみると、藤堂さんだった。
「せっかくのいい部屋なのに、眠れなくて」
「実は、私もなんだ」
「藤堂さんの家なのに、何言っているんですか」
「久々に帰って来たから、こんなに広かったっけ? なんて、自分で思ったりしているんだ」
「どれぐらい久しぶりなんですか?」
藤堂さんが指を出して数え始めた。
どんだけ家に帰ってないんだっ!
「でも、私たちが京に帰ったら、ここから道場へ通うのですよね」
「ここからは通わないよ。長屋を借りようと思っている」
家が近くにあるのに、長屋を借りるなんて、家族とうまくいってないのかな。
そうかもしれない。
だって、自分の家なのに、自分の親がいないのだから。
一人でいると寂しいくなるよね。
「小さいときはここに住んでいたのですか?」
いつからここにいたのだろう。そう思って聞いてみた。
「うん。その時は乳母も一緒だったよ。今は乳母も無くなったから使用人しかいないけどね」
乳母って、本当にいいところの坊ちゃんだわ。
「月が、綺麗だね」
藤堂さんが月を見上げて言った。
「秋の月って綺麗に見えるって本当ですね」
「十五夜も秋だしね」
土方さんなら俳句を作るだろうか。
「蒼良、私は不安だよ」
「なにが不安なのですか?」
「江戸に残ることが不安だよ。自分で決めたことなのに、今更不安になっている。自分で情けないよ」
「誰でも、決断した時は不安も生じるものですよ。ところで、なんでまた道場に通うことを決断したのですか?」
前から疑問に思っていたことを聞いてみた。
「私はたくさん人を斬った。しかも、自分が先頭になって斬ってきた」
確かに。それで魁先生なんて呼ばれるようにもなっている。
「それって正しいことなのかなって思うようになってね。自分は人を斬るために道場に通って剣の腕をあげてきたのかなって」
「でも、斬らなければ斬られますよ」
「そう。だから斬ってきたけど、それを疑問に思うようになったんだ」
藤堂さんなりに色々思うところがあるのだろう。
「私から見たら、藤堂さんは悪くないですよ」
「ありがとう。蒼良にそう言われると嬉しいよ」
藤堂さんの顔は月明かりに照らされていた。
「でも、早く京に帰ってきてくださいね」
藤堂さんがいない間に色々なことが起きるだろう。
藤堂さんは私が未来から来たことをもう知っているから、色々相談しやすい。
その藤堂さんがいない間に起こることに私が一人で対処できるか不安だ。
「もしかして、私が江戸に行っている間に何かあるの?」
藤堂さんに聞かれた。
「山南さんが、切腹します」
「えっ、山南さんが?」
「脱走をして切腹をします」
「なんでまた……」
藤堂さんは驚いていた。
そりゃ驚くだろう。
「理由は、私のいる時代でも明らかになっていません」
「でも、切腹するのだね」
「はい」
何とか避けたい。
出来ることなら、助けたい。
いや、助けるつもりでいる。
でも、うまくいくか自信がない。
だから、藤堂さんにいてほしかったけど、人に甘えるわけにもいかないのかもしれない。
「何とかします。何とかして助けます。自信はありませんが」
歴史を変えることは難しい。
うまくいくことより、うまくいかないことの方が多い。
「私も、出来るだけ早く京に帰るから、蒼良、頼む。山南さんを死なせないでほしい」
「うまくできるかわかりませんが、やってみます。やる前にあきらめることは、いつでもできますから」
私がそう言うと、月明かりに照らされた藤堂さんの顔が笑顔になっていた。
「ふと思ったのだけど」
藤堂さんが突然言い出した。
「何ですか?」
「私は池田屋で蒼良に助けられたのか?」
何のことだろう。
「もし蒼良があの時あらわれなかったら、押入れに隠れていた敵に頭を斬られているところだった」
ああ、そのことか。
「蒼良は、それを知っていたの?」
「はい。池田屋の事件は、私の時代でも有名な事件なんですよ。それで藤堂さんが斬られることと沖田さんが倒れることは知っていました」
藤堂さんの件はお師匠様から聞いたのだけど。
「そうだったんだ。ありがとう」
藤堂さんはそう言うと、私をギュッと抱きしめてきた。
月明かりがとっても綺麗だった。
たまに永倉さんのいびきが聞こえてきた、そんな夜だった。