伊東 大蔵
あれから江戸への旅路は順調だった。
私の女装は、江戸に入る直前で男装に変わった。
「男の姿でも、女の姿でも、蒼良であることには変わりないんだけど、なんか寂しいなぁ」
男装した私を見て藤堂さんが言った。
「こっちの方が動きやすいですよ」
私は足を上げたり下げたりしてみた。
うん、動きやすい。
「そろそろ行こうか」
藤堂さんが手を出してきた。
私が女装しているときは、ずうっと手を引っ張ってくれた。
着物が歩きずらかったのだ。
「もう大丈夫ですよ。今まで手を引いてくれてありがとうございます」
「やっぱり寂しいなぁ」
「藤堂さんもずうっと私の手を引いていたから、疲れたんじゃないいですか?」
「そんなことないよ。今も手を引いて歩いてもいいけど。はたから見たら、男同士で手を繋いでいることになるだろう? それってどうなんだろう」
「あまり近づきたくないですね」
「やっぱりそうだよね。蒼良がもうちょっと女装してくれたらいいのに」
もう江戸に着くから無理だろう。
江戸に着いたら、近藤さんの家に行くことになっている。
女装して近藤さんの家に行った日には、私が女性だとばれてしまうじゃないか。
それだけは絶対に避けなければならない。
「それは無理そうです」
「やっぱりそうだよね」
藤堂さんもあきらめたらしい。
二人で普通に並んで歩き始めた。
江戸に少しずつ近づいてくる。
「京から江戸まで二人で旅してきたけど、蒼良にとって私はやっぱり友達なんだよね」
藤堂さんが前を向いたまま聞いて来た。
前方にはもう江戸の町が見え始めていた。
「すみません」
「蒼良が謝ることはないよ」
「まだそういうことを考える余裕が無くて。本当は藤堂さんにもちゃんとお返事しないといけないのに」
有馬で告白されてから、かなりの年月が経っている。
「あの、もし、藤堂さんがお返事を急いでいるなら……」
私がそう言った時、藤堂さんの手が私の口をふさいだ。
「急いでいないよ。蒼良の心に私が入るまでいつまでも待っているから」
それじゃあ、藤堂さんに申し訳ない。
でも、何か言おうとしても、藤堂さんの手が口をふさいでいるので、フガフガとしか言えない。
「蒼良の心の中にちゃんと私を入れるから」
藤堂さんがそう言った時にやっと手が口から離れた。
「この話はおしまい」
藤堂さんは勝手におしまいにしてしまった。
もうすぐ江戸だ。
江戸に着き、近藤さんの道場と家があるところに向かった。
「すみませーんっ!」
道場の入り口が大きく空いていたので、そこから大きな声で中にいる人を呼んでみた。
「あ、蒼良じゃないか」
そこにいたのは、なんと、土方さんの義理のお兄さんにあたる佐藤 彦五郎さんがいた。
「なんで、佐藤さんが?」
「それはこっちの言葉だ。なんで蒼良がここにいるんだ。京に行っていたのではないのか? もしかして……」
もしかして?
「脱走か?」
どこに、脱走した隊の局長の家に逃げる人間がいるんだっ!
「違いますよ。脱走だったら、ここに来ませんよ」
「それもそうだな。それならなんでここにいるんだ?」
佐藤さんの言うことは、もっともなことだ。
電話というものがないから、前もって行くからと言う事を知らせることも出来ず、手紙を出しても手紙が着くより先に私たちがついてしまう可能性もある。
通信手段がないって言うことは不便なことなのだ。
「近藤さんから書状を預かっています」
藤堂さんが近藤さんからの書状を出した。
佐藤さんは、その書状を受け取った。
「長い旅路で疲れただろう。とにかく上がれ」
佐藤さんに言われ、道場に上がって荷物をおろした。
佐藤さんに言われ、奥の部屋に行った。
そこには近藤さんの奥さんのつねさんと佐藤さんがいた。
「書状は読んだ。江戸の仕事が終わるまでここで世話になるといい」
佐藤さんがそう言った。
「ありがとうございます」
藤堂さんと私は、お世話になりますという意味も込めてつねさんにも頭を下げた。
「遠慮なく過ごしてください」
つねさんにそう言われた。
近藤さんは、こんないい人がいるのに、京でお雪さんと仲良くなっちゃって、いいのか?
しかも、最近はお雪さんの妹の世話もしているとか。
「蒼良、京での近藤さんのことは話さない方がいいよ」
藤堂さんが耳元で小さい声で言ってきた。
「そんなこと言いませんよ」
言った日にはここが戦場になってしまうだろう。
それは避けなければ。
「ところで、なんで佐藤さんがここにいるのですか?」
私が最初に質問したけど、その答えをまだ聞いていなかったので、もう一回質問した。
「勇さんが京に行ってから、周斎先生が道場に復帰したんだが、中風になってしまって、私がこの道場を一時的に預かっている状態なのだ」
そうだったのか。
そう言えば、近藤さんは江戸に帰りたいけど会津藩がそれはだめだと言ってきたことがあったような気がする。
「周斎先生にも、後であいさつするといい。それで、文はこれだけか?」
佐藤さんが近藤さんからの文を出して言った。
「土方さんから何通か文を預かっています」
確か、その中にも佐藤さんあてのがあったはずだ。
土方さんからの文を出したけど、宛名を見て固まってしまった。
土方さん独特のくねくねっとミミズのような字が書いてある。
そう、私にはなんて書いてあるか読めないのだ。
「これかな?」
適当に出して佐藤さんに渡したら、
「それは富沢さんあてだ」
そうなのか?どれも同じに見えるのだけど
「全部出してみろ」
佐藤さんに言われたので、全部出すと、
「ああ、これは全部多摩の人間に宛てたものだから、私が持って帰ろう」
「お願いします」
というわけで、土方さんからの手紙は佐藤さんにたくした。
「蒼良も、歳がいなくても遠慮せずに多摩に来い。特に富沢さんが待っているぞ」
富沢さんは、今年の2月に京に来て色々なところに遊びに連れて行ってもらった。
「私も、富沢さんに会いたいです」
「江戸での仕事がひと段落したら来るといい。待っているよ」
ぜひ多摩にもいかなければ。
その前に、周斎先生にご挨拶しなければ。
周斎先生にもあいさつした。
中風と言って、今でいう脳梗塞のような症状が出ていて、右半身が麻痺しているみたいだったけど、元気だった。
近藤さんも、周斎先生が元気だと知ったら喜ぶだろう。
多分、江戸へ向かう準備をしている時だと思う。
「9月の中旬には近藤さんも江戸に来ますよ」
と話したら、喜んでいた。
そして次の日。
今回、江戸に来ることになった原因の人と会うことになった。
伊東 甲子太郎さんだ。
藤堂さんと知り合いで、今回彼を新選組に入れるために私たちが江戸に来た。
後から近藤さんたちも江戸入りし、彼に会うことになっている。
その前に私たちが話をしておいて、近藤さんと会うときにはもう新選組入りの話が出来上がっている状態にしなければならない。
私は、伊東さんを新選組に入れたくない。
彼が入ったことによってのちに起こることが心配なのだ。
出来ることなら阻止したい。
「蒼良、顔が暗いよ」
伊東さんの道場に行く途中で、藤堂さんに言われた。
「蒼良は伊東さんのこと嫌いだったんだよね」
なんで知っているんだ?
「総司から聞いた。会ったことない人が嫌いなんておかしいよねって言っていたよ」
そうなのか?沖田さんも余計なことを。
「伊東先生を知っているの?」
「知ってますよ。伊東 甲子太郎さんでしょ?」
「違うよ。伊東 大蔵先生だよ」
ん?私の知っている伊東さんと違う人か?
でも、藤堂さんが知っていて、新選組にいれようとしている伊東さんなんて、そん何人もいないだろう。
「蒼良は、勘違いしていたんだね。会ってもいない人を嫌うなんて、蒼良らしくないもの」
いや、勘違いしていない。絶対同じ人だ。
でも、否定はしなかった。
ただでさえ、話がややこしくなっているのに、ここでまたややこしくするのも……そう思った。
伊東さんの道場に着いた。
数人に出迎えられ、奥の部屋に連れていかれた。
その部屋には、頭がよさそうで気品もあり、優しい感じの顔をしたかっこいい男性がいた。
「よく来てくれた、平助」
その男性が、私たちを部屋に迎え入れてくれた。
もしかして、この人が伊東さんか?
私が思っていたより全然かっこいいのですが。
この人が、本当にあんなことやこんなことをやるのか?
「こちらは、私の友人で同じ新選組の隊士で、天野 蒼良さんです」
突然藤堂さんに紹介された。
「天野 蒼良です」
私は、慌てて頭を下げた。
「初めまして、伊東 大蔵です。京から長い旅路をよく来てくれた」
伊東さんはにっこりと笑った。
その笑顔がとっても爽やかだった。
本当に、この人が伊東 甲子太郎何だろうか?
「平助、書状は読んだ」
「近藤さんも、伊東先生を歓迎していますが、どうしますか?」
私は歓迎していないけど。
「喜んでこの話を受けようと思う」
「ありがとうございます」
あっさりと、伊東さんの新選組入りが決まってしまった。
「後日、近藤さんが来ると思うので、その時に詳しい話があると思います」
「わかった」
そんな簡単に決まってしまっていいのか?
この人は、何を考えて新選組に入ろうと思っているのだ?
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
思い切って声を出してみた。
「どうぞ」
伊東さんの許可も得たし、質問してやろうじゃないの。
「伊東さんは、尊王攘夷派ですよね」
尊王攘夷派とは、天皇を中心として攘夷を行う派だ。
「水戸学を学んでから、尊王攘夷派になっているが」
「尊王攘夷と言う事は、討幕派ですよね。新選組は幕府派です。考えが違うのに、どうして新選組に入ろうと思ったのですか?」
「蒼良、それは失礼だと思うけど」
横で藤堂さんが私を止めた。
伊東さんは、さっきを表情は全然変わらず、にこやかだった。
「面白いことを聞いてくる。新選組にあなたのような人がいるとは、ますます面白そうだ」
いや、面白くない。
「確かに、新選組と私の考えは、そこが違う。でも、そこが違うだけで攘夷をしようという思いは一緒だ。その思いだけで新選組に入るのはいけないことなのかい?」
そう言われちゃうと……
「いけないことではないです」
としか言えないじゃないか。
「近藤さんは新選組をここまで大きくした人だ。そういう人と仕事ができるのはとても嬉しく思っている」
ここまで爽やかに言われちゃうと、本当にあの伊東さんなのか?と、疑いたくなってしまう。
「近藤さんは、話が分かる人だと聞いている。倒幕か佐幕か。その答えは話し合って出せばいいと思っている」
それは、近藤さんを倒幕派に洗脳しようと言う事なのか?
「それは、無理だと思います」
「どうしてそう思うんだい?」
「新選組は武士を目指している集団です。武士とは、己の上に立つ人間を命をかけて守るものだと思っています。だから、会津藩や幕府のためなら命をかけて戦うでしょう。途中で命をかけて戦い守りたい相手が変わることも、武士としてありえません。それが新選組なんです。それが理解できないのなら、今回の話は蹴っていただいて結構です」
「蒼良、それは言い過ぎだ」
藤堂さんの顔からいつもの笑顔は消えていた。
「言いすぎじゃないです。藤堂さんも、なんで伊東さんを紹介したのですか? 新選組が話し合って倒幕派になると思ったのですか? 藤堂さんは伊東さんを新選組に入れたいのだろうけど、私は反対です。ここで失礼させていただきます」
私は、言いたいことを言って伊東さんの道場を後にした。
伊東さんは、私が思っていたより全然いい人だった。
普通、私がここまで言ったら怒って刀を出してくるだろう。
でも、私の言うことをにこやかに聞いていた。
今も、追いかけてくる気配がない。
あの人は、本当に新選組にとって害になる人なのか?
そんなことまで考えてしまう。
あの人が、伊東さんじゃなければ、喜んで新選組に迎え入れるのに。
私が先に伊東さんの道場を飛び出したので、近藤さんの道場に帰ってきたのも私の方が早かった。
藤堂さんはかなり後になって帰ってきた。
お酒も少し入っているようだった。
帰ってきたのをわかっていたけど、私は寝ているふりをしていた。