2回目の下諏訪宿
奈良井宿を無事に出だけど、歩みは遅くなった。
私が女装したこともあるのだろうけど、天気も変な天気だった。
曇り空だけど、突然スコールのような雨が降ってきたりする。
歩けないぐら雨が強く降るので、降りそうになると軒下に避難したりしていた。
この天気は現代でも感じたことがあるぞ。
そう、台風が来る前の天気だ。
今は8月だけど、現代に直すと9月になる。
まさに台風のシーズンだろう。
でもこの時代、台風が来るとか、今どこにいるとか、教えてくれる人がいないので、勘に頼るしかない。
「嵐になる予感がするね」
藤堂さんも私と同じことを思っていたようだ。
「本格的になる前に急ごう」
藤堂さんは、私の手を引っ張ってくれる。
私もできるだけ速く歩く。
しかし、天気が邪魔をしてくる。
この日はあまり進むことが出来なかった。
下諏訪宿という宿場町で泊まることになった。
「藤堂さん、わざとこの宿場町にしました?」
荷物整理をしながら藤堂さんに聞いた。
「なんで?」
「だって、温泉があるじゃないですか」
旅の疲れを取るには、温泉が一番だ。
「わざとじゃないよ。たまたまだよ。今日は天気に恵まれなかったからね。でも、蒼良が喜んでくれるなら、嬉しいよ」
「でも私、温泉に入れないですよ。この前有馬に行った時みたいに、藤堂さんが夜遅くに出入り口の前に立っていてもらわないと」
浪士組でここに来た時も、夜遅くに土方さんと源さんに見張っていてもらったのだ。
「なんで? 普通に入れるでしょう?」
普通に入れないから言っているじゃないか。
「今の蒼良なら入れるよ。男装していないから」
そうだった。
前の宿で桜さんと着物を取り換えたから、本来の女性の格好をしているのだ。
なんだ、正々堂々入れるじゃないか。
「さっそく温泉に行きましょう」
「蒼良は温泉が好きだね。いいよ、行こう」
というわけで、さっそく温泉に行くことになった。
男女が分かれるところの前で待ち合わせをすることにして、藤堂さんと別れた。
正々堂々と温泉に入れるなんて、なんて素敵なことなんだろう。
うっとりと温泉につかっていた。
「あんた、どこからきたの?」
湯船につかっていると、女の人に話しかけられた。
「京から来ました。江戸に行く途中です」
「あら、私と逆ね。私は江戸から京に行くところよ。商売をしにね」
「そうなのですか」
「京は焼け野原だって聞いたけど、どうなの?」
禁門の変のことを言っているのだろう。
「そうですね、ほとんど焼野原でした。でも、家も少しずつ建っていますよ」
「そうなの。なら商売できそうね。ところであんた、新婚さん?」
えっ、新婚さん?
「若い男と一緒に宿に入ったでしょう? あれ旦那だろ?」
藤堂さんの事か?
「いや、あの人は……」
違いますと言おうとしたけど、言ったらじゃああの人は何?ってなりそうだし、ここは否定しない方がいいのか?
「あんた、照れてるね」
否定しなくても、大丈夫そう。
相手が勝手に勘違いしてくれているから、これでいいか。
「結婚なんて、いいのは最初だけだよ。うちなんかね……」
そこからその女の人の話が始まった。
その話は止まることを知らなかった。
ほとんどが旦那さんの愚痴だった。
結婚って、こんなに嫌なものなのか?愚痴もたまるものなのか?
で、その愚痴はいつ終わるんだ?もうどれぐらいつかっているのだろう……
「あ、あんたっ! のぼせたのかい? もう出た方がいいわよ」
やっと解放してくれたらしい。
フラフラと脱衣所に行った。
「あ、蒼良、顔が赤いけど……」
「藤堂さん、どうものぼせたみたいです」
私は、そのままふらふらと倒れこんだ。
藤堂さんが素早く私を支えた。
「とにかく、部屋に行こう」
そのまま藤堂さんにかつがれた。
「やっぱり新婚さんはいいね」
そんな声がどこからか聞こえてきたけど、気にしている余裕もなかった。
「蒼良、水飲めるかい?」
藤堂さんが水をもってきてくれた。
「ありがとうございます」
ゴクゴクと水を飲んだ。
水がとっても美味しかった。
「のぼせるまで入っているなんて、蒼良は温泉が大好きなんだね」
「いや、これには深いわけが……。女の人につかまって、旦那さんの愚痴をずうっと聞かされていたのですよ」
「それで、出るに出れなくなっちゃったんだ」
「そう言うことです」
堂々と入れると喜んではいったのに、まさかこんなことになるなんて。
「そう言えば、私と一緒に入った人も、奥さんこと愚痴っていたなぁ」
「もしかして、その人が旦那さんだったりして」
「そうだと面白いね」
藤堂さんは楽しそうに笑っていた。
「でも夫婦で愚痴るって、どうなんですか? 結婚生活に満足していないとか」
「私は結婚したことないから、わからないよ」
そりゃそうだよね。
「でも、似たもの夫婦って言うし、案外仲がいい夫婦なのかもしれないよ」
「そうかもしれないですね」
「あと、その男の人に新婚さんって言われたよ」
「あっ、私も女の人に新婚さんって言われました」
「やっぱり、似たもの夫婦なのかもよ。明日、宿を出るときに夫婦かどうかわかるんじゃないかな」
そうか。それなら宿を出るときにじっくりと見てみよう。
昼間、雨が降ったりやんだりしていたけど、夜になると風も出てきて雨も強くなってきた。
これは間違いない。台風だろう。
宿全体が風でギシギシ言っている。
「宿、壊れませんか?」
夜、布団に入った時に藤堂さんに聞いてみた。
「そんな簡単に壊れないと思うよ。さっき宿の人にも聞いたけど、がけ崩れとかもないみたいだから、ここにいれば安全だよ」
それならいいのだけど……。
そう思って安心した時に、何かが雨戸にぶつかったみたいで、ドカッ!という大きな音がした。
「うわぁっ!」
突然だったので驚いて叫んでしまった。
「大丈夫だよ。桶か何かが雨戸にぶつかったんだよ」
藤堂さんは布団に入ってそう言った。
相変わらずギシギシ言っているし、大丈夫なのか?って言うか、私、眠れるのか?いや、眠れないだろう。
「蒼良、怖いの?」
「藤堂さんは平気ですか?」
「私は平気だけど」
「それなら大丈夫です。何とかなるでしょう」
そうは言って見たものの、やっぱりこの宿壊れるんじゃないのか?と思ってしまう。
「蒼良、こっちに来るといいよ」
突然、藤堂さんが私を自分の布団の中に引っ張り込んだ。
私は、藤堂さんに腕枕をされ、その反対の手は私の肩を抱き寄せていた。
「こうすれば、怖くないよ。音が気にならない」
確かに、音は気にならないけど、藤堂さんの顔が近い。
私のおでこのところに顔がある。
これじゃあ緊張して眠れないじゃないかっ!
「私の理性が保てるかわからないけど、お休み、蒼良」
私の理性ってなんだっ!保てないものなのか?って言うか、私が眠れないだろうがっ!この状態をどうしろと?
しかし、気がついたら朝になっていた。
昨日の天気が嘘のように晴れ渡っていて、朝日が雨戸の隙間からさしこんできていた。
「おはよう、蒼良」
おでこの所から声がした。
それから、藤堂さんは私の髪を優しくさわっていた。
「蒼良の髪の毛は柔らかいね」
藤堂さん、距離が近いです。
そう言えば、緊張して眠れない予定だったのだけど、ぐっすり眠ってしまった。
「大福を食べる夢でも見ていたの?」
藤堂さんが私の髪の毛を触りながら言った。
「大福ですか?」
覚えないなぁ。
「大福が逃げたっ! って言っていたよ」
私って、色気ないかも。
いや、そんなものはもともと無いけど、この状況で寝てて大福がっ!って寝言いうってどうなの?
恥ずかしいじゃないかっ!
「蒼良、顔が赤いよ」
私の近くで笑いながら藤堂さんが言った。
「藤堂さん、起きましょう。今日は天気もいいですし、旅も進みますよっ!」
恥ずかしくてこの状態に耐えられなくなり、無意味に腕を動かして私は起き上がった。
雨戸を開けると、台風一過の青空が広がっていた。
「えっ、進めないのですか?」
宿で朝食を食べ終わると、藤堂さんが宿の人と話をしていた。
その話によると、昨日の大雨で道が悪いから、明日出発した方がいいと言う事だった。
「急ぐ旅でもないから、もう一泊して明日出ることにしようかと。それでいいかい?」
「藤堂さんがそう言うなら、いいですよ。そうしましょう」
というわけで、もう一泊下諏訪宿にとどまることにした。
「あと、蒼良が温泉で話をした女の人は、あの人?」
藤堂さんが指さした先に、旦那さんらしき人と話をしている女の人がいた。
「そう、あの人です」
「やっぱり夫婦だったね」
そうなのか?
「私たちと一緒でもう一泊するらしいよ」
そうなんだ。今日のお風呂は彼女を避けてはいることにしよう。
予定外の一日を用意された私たちがすることと言ったら、観光だろう。
この下諏訪宿には、諏訪神社がある。
この諏訪神社は、諏訪湖をはさんで上社と下社とに分かれている。
私たちの近くにあるのは下社の秋宮と春宮という神社だった。
上社はかなり遠いので、下社の秋宮と春宮に行くことになった。
秋宮に入って最初に目にしたのは、大きな杉だった。
「樹齢700年ぐらいらしいよ」
藤堂さんが教えてくれた。
「700年ってすごいですね」
「根入りの杉と呼ばれているんだって」
「よく知ってますね」
「さっき、宿の人が教えてくれた」
なんだ、そうだったのか。
そして、その奥には大きい狛犬が両脇にいる神楽殿があり、その奥が幣拝殿と呼ばれる物がある。
ちなみに幣拝殿とは、祭祀など行うところで、初もうでとかの時はこの前で拝んだりして、特別な行事で中に入って祈祷してもらう所で拝殿と呼ばれるものと、幣殿と言って、神様に捧げるものを祀ってある場所が一緒になっている物らしい。
左右対称になっていて、大きくて立派な建物だった。
続いて、近くにある春宮という神社に行った。
参道の途中に古い橋があり、身分にかかわらず、馬を乗っている人は馬から降りて渡らなければならないらしい。
ちなみに、お祭りの時に神輿だけが渡るらしい。
それ以外は、秋宮と配置は同じだった。
御神木は先で二又に分かれている結びの杉というものだった。
「蒼良、あそこに島があるでしょ」
春宮には川が流れていた。
そこの真ん中に小さい島があった。
「ありますね」
でも、すぐに水没してしまいそうな島だ。
「浮島って言って、今までどんな大水にも沈んだことがないみたいだよ」
「まるで浮いているみたいですね」
「だから浮島なんじゃない」
そうなのか?
ちなみにこの浮島、下社七不思議の一つらしい。
観光を楽しみ、宿に帰ってきたら夕方になっていた。
「蒼良、入らないの?」
昨日の温泉の前に来た。
あの女の人がいるかもしれないと思って、ちょっと開けてのぞいていたら、藤堂さんに言われてしまった。
「昨日の女の人に会いたくなくて。会った日には、またのぼせますよ」
「会いたくない時に限って、会っちゃうものだよ」
藤堂さんは嫌なことを言うなぁ。
とりあえず、のぞいてみたらいないので、中に入った。
体を洗い、湯船でのんびりしていると
「あ、昨日の新婚さん」
と、声が聞こえた。
もしかして、その声は……。
そう思って振り向くと、やっぱり昨日の女の人だった。
「うちの旦那が、あんたのとこの旦那と昨日一緒だったみたいだよ」
それは、藤堂さんから聞いて知っている。
「ここで会ったのもなんかの縁だね」
いや、こういう縁は御免だ。
話を始める前に早く出ちゃおう。
そう思って出ようとしているうちに、話が始まってしまった。
「まったく、うちの旦那は……」
やっぱり終わりそうにないのか?
また今回ものぼせそうだ。