江戸に行く前に
「沖田さん、何しているのですか?」
「シーッ!」
沖田さんは、口の前に人差し指を立てて言った。
屯所の近藤さんの部屋の前を通った時、沖田さんが襖に耳を当てて立っていた。
誰が見ても、私は、盗み聞きしています。ということがわかる体勢だ。
「話が面白いから、蒼良も聞いてみるといいよ」
話が面白いからって、盗み聞きはよくないだろう。
でも、面白いと言われると、話の内容が気になるしなぁ。
ばれなければ大丈夫だろう。
というわけで、私も盗み聞きの仲間になることに。
「そうか、それはいい人材だ」
近藤さんの嬉しそうな声が聞こえてきた。
いい人材と言う事は、誰か新しい人でも入るのか?
「江戸に行って平助が話をすれば、伊東さんはうちに来てくれる可能性が高いのだな」
土方さんの声が聞こえてきた。
ん?伊東さん?どこかで聞いたことがある名前だぞ。
「はい。伊東先生とは旧知の仲なので、私から話をすれば来てくれると思います」
藤堂さんの声が聞こえてきた。
「平助と旧知の仲の伊東さんって誰?」
沖田さんが私に聞いて来た。
藤堂さんと旧知の仲の伊東さんって、私の思いつく限りでは一人しかいないけど、まさか、その人か?
「伊東 甲子太郎さん?」
その人しか思いつかない。
「誰それ? 蒼良も知っているの?」
「私は、あまりいい印象はないですね」
新選組ファンの人ならほとんどの人がそうだと思う。
彼が来ることによって、新選組が二つに分かれてしまう。
しかも、近藤さん暗殺もたくらむし、とんでもない奴だと私は思うのだけど。
「蒼良は、会ったことあるの?」
「会ったことはないです」
よく考えたら、まだ会ったことが無かった。
「会ったことがないのに、いい印象がないって、どういうことなの?」
沖田さんの言う通りだ。
「どういう事なんでしょうね」
そう言ってごまかした。
「蒼良が言ったのだけど」
そう、私が言ったのよね。うーん、どうごまかそうか。
「おい、そんなところで何してんだ?」
そんなときに永倉さんの声が聞こえてきた。
「シーッ!」
沖田さんと一緒に後ろを向き、口の前に人差し指を立てて一緒に言った。
「さては、盗み聞きしているな」
永倉さんのとなりにいた原田さんがそう言いながら近づいてきた。
「話の内容は、なんだ?」
永倉さんも気になるみたいで、一緒に近づいてきた。
「新八さん、押さないでくださいよ。襖がこわれますよ」
沖田さんの言う通り、襖がミシミシいっている。
「よく耳を当てないと聞こえないな」
原田さんもそう言って押してくる。
襖のミシミシもいよいよ大きくなってくる。
「これ以上体重をかけると……」
壊れますよ。
そう言おうとしたけど、すでに遅かった。
襖は勢いよく部屋に倒れこんだ。
襖に体重をかけていた私たちも、当然部屋の中へ崩れ落ちるように倒れこんだ。
「新八さんが体重をかけるから」
「何だよ、俺だけじゃない。総司の体重だってかかってたんだぞ」
「ああ、何話しているか、全然聞こえなかったじゃないか。蒼良はどこから聞いていたんだ? 後で話の内容を教えてくれ」
「私も、少ししか聞いていないので、内容を教えることが出来るかどうかわかりませんが……」
このまま、何事もなかったかのように去ろう。そう思った時、
「お前ら、そんなところで何していやがったっ!」
と、土方さんの怒鳴り声が響き渡ったのだった。
「土方さん、見てわかりませんか? 盗み聞きですよ。この状態を見てわかるでしょう」
「総司っ! 何開き直っていやがるっ! ばかやろうっ!」
「あっ! 俺は巡察だ。左之、行くぞ」
「おおっ、そうだった。巡察に行くところだったんだ。新八、行こうか」
原田さんと永倉さんはうまく立ち去って行った。
「さて、僕は病人だから寝てなきゃね」
沖田さんも、そう言って立ち去って行った。
こんな時だけ病人になるってどうなのさ。
「残ったのは、お前だけか?」
ん?そうだ。みんななんやかんやとうまい具合に立ち去って行った。
残っているのは私だけ。
「あっ! あそこに何か飛んでますっ!」
天井を指さすと、みんな一斉に天井を見た。
そのすきに去るぞっ!素早く立ち上がったけど、はかまの裾を思いっきり踏んでしまい、思いっきり転んでしまった。
「何やってんだ? お前は」
土方さんに見つかってしまった。
逃げきれなかった。
「蒼良、何が飛んでいるんだい? 何も飛んでないけど」
藤堂さんが真面目に聞いて来た。
いや、それは、なんて言えばいいんだ?
「飛んでいると思ったら、飛んでいませんでした。あはは……」
「何だ、そうか。あはは……」
みんなであはは……と笑っていた。
よし、何とかごまかせそうだぞ。
「って、ごまかせると思ったか? ばかやろうっ!」
土方さんからげんこつが落されたのだった。
なんで私だけ?他にもいたじゃんかっ!
「そうだ。蒼良も一緒に行かせるか」
近藤さんが突然言い出した。
「蒼良も言ってくれるなら、心強いです」
藤堂さんも嬉しそうにそう言った。
「だ、だめだ。こいつはだめだ」
土方さんは反対のことを言った。
「蒼良の意見はどうなんだ?」
近藤さんが私に聞いて来た。
「意見ですか?」
「私と一緒に来てもらえるとありがたい」
藤堂さんが頼み込むように言ってきた。
藤堂さんには色々とお世話になっているしなぁ。
「藤堂さんの頼みなら、一緒に行ってもいいですよ」
「ありがとう、蒼良。心強いよ」
藤堂さんが優しい笑顔でそう言った。
「蒼良もそう言っているし、歳、蒼良を行かせていいだろう?」
近藤さんが土方さんに聞いた。
「本人がそう言うなら仕方ねぇだろう。行って来い」
「はい、行ってきます」
「蒼良、江戸まで長い道のりだが、しっかり頼むぞ」
最後に近藤さんが一言そう言った。
えっ、江戸?京の町じゃないのか?
「ばかやろうっ! 俺はお前のためを思って反対したのに、このばかやろうっ!」
部屋に帰ったら、土方さんにばかやろうと2回も言われた。
「まさか、江戸まで行くとは思わなかったのです。そこら辺かなぁなんて思ったもので……」
「お前が女だとばれたら大変だと思って、俺の手元に置いておいたのに、自分から江戸に行くって言いやがって」
「だから、江戸に行くとは思わなかったのですよ」
「もう行くことが決まっちまったから、色々言っても仕方ねぇ」
そうだ、その通りだ。
終わったことをいつまでも言っていても仕方ない。
「それでもだなぁ、簡単に行くって言いやがってっ! このばかやろうっ!」
さっき、決まったこと云々って言ったじゃないかっ!
でも、悪いのは、話を聞かずに江戸行きを決めてしまった私だし。
「平助は、お前が女だって知っていたんだよな?」
「はい、知っています」
昨年の9月に、芹沢さんの暗殺の時にばれていた。
「わかった。平助には俺からも気を付けるようによく言っておく」
「すみません」
「決まったものは仕方ねぇ。お前に色々手紙をたくすから持って行ってくれ」
きっと、多摩にいる家族や親せきの人たちに宛てた手紙だろう。
「わかりました」
「それと、明日空けておけ」
土方さんはそう言った。
明日って何かあるのか?
そして次の日。
「行くぞ」
という土方さんの後についていった。
どこに行くのだろう?
着いたところは、神社だった。
鳥居には首途八幡宮と書いてある。
「何の神社ですか?」
参道にある階段を上る土方さんに聞いた。
「お前の旅の無事をお参りするんだ」
と言う事は、旅の神様が祀ってあるところなのか?
後でいろいろ調べてみると、この首途八幡宮、前の名前を内野八幡宮と言ったらしい。
どうして旅の神様として有名になったのかというと、なんと、あの源 義経が平氏の軍から逃れるために、鞍馬山から奥州藤原氏の所へ行くときに道中の旅の安全を祈願したらしい。
それから旅の安全を祈願する首途神社となったらしい。
本殿は丘の上にあり、階段を上がって祈願した。
それから土方さんはお守りを買った。
この時代は、現代のようにお守りが袋に入ってなくて、お守りの中身だけを売っている。
袋は自分で用意する。
土方さんはすでに袋を用意していた。
かわいらしいピンク色の袋だった。
「これを首から下げとけ」
そう言って、ピンク色の小さい巾着袋に入ったお守りを渡してきた。
この時代の人たちは、お守りを首からつるす。
「ありがとうございます」
私は、それを首からつるした。
「お前が無事に帰ってくることを祈ってる。とにかく、無事に帰って来い。待っているからな」
この時代は、新幹線なんて言う便利なものがない。
江戸に行くには歩いていくのが一般的だ。
歩きなので、当然時間もかかるし、労力もかかる。
だから、京から江戸に行くと言う事もとっても大きなことになってしまうのだ。
「大丈夫です。ちゃんと帰って来ますよ」
「お前のことだから、温泉宿見つけると長居しそうだし、甘い物見つけるとすぐによりそうだし、そんなことしていたら、江戸にいつ着くかわからんぞ。それが心配だ」
そんなに私って、寄り道しそうなのか?
「大丈夫ですよ。藤堂さんもいるし」
「もちろん、平助にはちゃんと言っとくからな」
なんか、藤堂さんに申し訳ないなぁ。
「よし、もうちょっと付き合え」
土方さんに言われ、場所を移動した。
「ここの紅葉に縁がねぇな」
着いたところは嵐山だった。
「紅葉の季節にまたお前ときたかったんだが、今年は無理そうだと思って早く来たが、こんなに早く紅葉するわけねぇもんな」
8月だけど、現代に直すと9月にあたる。
9月の紅葉はまだ早いだろう。
「土方さんは、嵐山が好きですね」
「好きというか、京の中で一番四季がはっきりしているところがここだからな」
だから、好きなのだろう。
「ちなみに、お前と行った天龍寺は燃えてしまったがな」
ええっ!そんな話は聞いてないっ!
だって、現代に立派な天龍寺があるし、世界遺産に登録もされている。
しかし、天龍寺の近くに行って見ると、燃えた跡が痛々しく残っていた。
「長州軍の本拠地になっていたからな」
そうだったのか。
しかし、後に立派な天龍寺があると言う事は、ちゃんと復興すると言う事だろう。
「ここから復興するのって、すごいですよね」
「復興するのか? ここがか? こんなに燃えて跡形もねぇのに」
「しますよ。いつになるかわかりませんが、ちゃんと私たちが知っている天龍寺に戻りますよ」
「たまに、お前のその自信がどこから来ているか知りたくなるのだが」
いや、それはあまり知らない方がいいと思うのですが。
未来から来ているからわかるんだなんて、言っても信じないだろう。
「お前がそう言うのなら、天龍寺も元に戻るんだろう。そんな気がする」
それは、私の言うことを信じてもらえたってことか?
「というか、元に戻ってほしいな」
なんだ、願望か。信じてもらったわけではなさそうだ。
でも、力強い視線で天龍寺の燃えた跡を見る土方さんを見て、それでも別にいいか。そう思った。
「戻りますよ。ただ、いつ戻るかはそこまではわかりませんが」
「そりゃ当たり前だろう」
そうだ、普通はいつ戻るかなんてわからないよね。
戻ることすらわからないよね。
「お前のインチキ予言が当たるかどうか楽しみだ。行くぞ」
インチキ予言って、インチキじゃないから。
予言でもないから、本当のことだから。
そんなことを思っている間にも、土方さんはどんどん足を速めて行ってしまった。
私は慌てて土方さんを追いかけたのだった。