労咳の症状
「最近、体調が悪くて、僕には京の気候があってないのかな」
一緒に巡察していた沖田さんがポツリとつぶやいた。
「体調が悪いって、いつからですかっ!」
沖田さんから体調が悪いなんて言葉を聞くと、色々と思い当ることがたくさんありすぎるから、口調が強くなってしまう。
「蒼良、そんなに興奮しなくても」
「いや、興奮していないです。非常に心配しているのです」
「心配することないよ。こんな時期だし体調も悪くなるんじゃないの。山南さんなんて、ずうっと寝込んでいるし」
山南さんは普通に具合が悪くて寝込んでいるだけだと思う。
けど、沖田さんの場合は山南さんと全く別物だ。
確かに、気候もあまりよくない。
梅雨に入る前なのか、最近は曇りの日が多くなってきた。
いつから梅雨に入るとか、どこが梅雨に入ったとか、そういうことを教えてくれる親切な人はこの時代にいない。
でも、時期的に現代に直すと6月になるので、もう梅雨入りしてもいいころだろう。
「で、いつから具合が悪いのですか?」
再び沖田さんに問う。
「いつからって、気がついたらかな」
「熱はありますか? 熱」
私は、手を沖田さんのおでこに当てた。
高くはないけど、芯の方がぼぉっと温かいような感じがする。あったとしても、微熱だろう。
「少しありますね」
「これぐらい、熱のうちに入らないよ」
「いや、入りますっ!」
特に、沖田さんの場合。
「蒼良が大げさなんだよ」
「おおげさじゃないですっ!」
沖田さんの体がものすごく心配なだけです。
「そもそも、沖田さんは好き嫌いが多いから熱が出るんですよ」
「いや、それはあまり関係ないと思うけど」
「おおありですっ! 食べ物から栄養が取れないから栄養不足になるのですよ」
せめて、労咳に勝つ体力をつけてほしい。
「えいよう?」
「そう、栄養ですっ! 食べ物からとるのですよ。わかりますか?」
「わかった、わかった」
絶対にわかっていないだろう。
目の前にお店があり、そこが自然と目に入った。
「例えば、肉とか魚とか食べるといい栄養が取れますよ」
そのお店に並べてある肉が目に入ったのだ。
「肉? あれは生臭くていやだな」
「誰も、牛の胆を食べろとは言っていませんよ。言っちゃなんですが、あれはとてもじゃないけど、食べ物ではないです」
「あ、蒼良もそう思うでしょ」
「でも、あそこにある肉は、牛の胆じゃないから大丈夫ですよ」
色的に見て、牛肉だろう。
「でも、肉は肉じゃないか。僕は駄目だな」
沖田さんは肉を拒否していたけど、それを無視して私は肉を買った。
ちょうど、牡丹ちゃんの件で入った収入があったから。
しかし、この時代の肉は高い。現代のように簡単に手に入るものではないので、仕方ないけど、でも高い。
それでも、沖田さんの病気がこれで少しでも発病が遅れるなら、安いものだ。
「蒼良、肉買ってどうするの?」
「私が、沖田さんが食べやすいように料理しますよ。絶対に食べてくださいね」
「嫌だと言ったら?」
「大丈夫です。無理にでも食べてもらいますから」
食べてもらわないと困るのよ。
「蒼良から殺気が見えるけど」
「気のせいです。そうと決まったら、沖田さんは屯所で休んでください。私はこれを料理しますから」
「なんで?」
「熱があるからですっ!」
「だから、これは熱のうちに……」
「十分入ります。いいですか? 休んでくださいね。休まないと……」
「蒼良の殺気が……」
気のせいですよ、気のせい。
さて、肉を使って何を作ろうか。
屯所の台所を借りて、肉を目の前に悩んでいた。
カレーライスとか栄養がありそうだけど、スパイスがないと思うし、そうなると、作れるものがかなり少なくなる。
スパイスを使わず、今ある調味料でできるもの。
ゴソゴソと台所をあさっていると、ジャガイモが出てきた。
よし、これを作ろう。これならできるだろう。
ジャガイモの皮をむいたりしていると、台所の主、佐々山さんが来た。
「蒼良さん、変わったものを作っていますね。作り方教えてください」
「喜んで」
それから台所は料理教室化した。
出来たものを二人で味見した。
うん、なかなか良くできた。
これで沖田さんが食べなかった時には……
「蒼良さん、なんか殺気がありますが」
気のせいですよ、気のせい。
「沖田さん、入りますよ」
部屋のふすまを開けると、布団を敷いて寝ているだろうと思っていた沖田さんが、布団も敷いた形跡がなく、消えていた。
「沖田さんっ! どこに消えたのですかっ!」
「ここにいるけど」
なぜか私の後ろから声がしたので振り向くと、沖田さんと土方さんがいた。
「なんで寝ていないのですかっ! しかも、勝手にウロウロしているし」
「なんだ総司、具合が悪いのか?」
「蒼良が大げさなだけですよ」
「熱があるのですよ、熱」
「こんなの熱のうちに入らないよ。蒼良も大げさなんだから」
「どれどれ」
土方さんの手が沖田さんのおでこに置かれた。
「確かに少し熱いが、熱のうちに入らんだろう」
「でしょう? 蒼良が大げさなんだよ」
「沖田さんの場合は、少し大げさぐらいでちょうどいいのですっ!」
「おい、落ち着け。ところで、お前が持っているものはなんだ?」
土方さんに言われて気が付いた。そうだ。肉を使った料理を持ってきたのだった。
「肉じゃがです」
「にくじゃが?」
二人に声をそろえて聞き返されてしまった。
えっ、この時代、まだなかったのか?
実は、なかったらしい。
肉じゃがが日本にできたのが明治ごろらしい。だからもうちょっと後のことなのだ。
海軍から広まったということなので、栄養があることは間違いないだろう。
「なんかおいしそうだな」
土方さんがジャガイモを一つつまんだ。
「あ、うまい」
「でしょう? 栄養もありますよ。さ、沖田さんも」
「でも、肉があるんでしょ。いやだなぁ」
「肉が入っているのか?」
「これが肉ですよ」
土方さんに聞かれたので、肉を指さした。
「どれ」
土方さんが肉をつまんだ。って言うか、沖田さんに作ったのに、なんで土方さんが食べているんだ?
「肉は生臭いと思っていたが、こうなるとうまいものだな」
どれもう一つと言わんばかりにつまもうとしたので、手をピシッとはたいてやった。
「お前、何するんだっ!」
「沖田さんに作ってきたのですよ」
「なんで総司に?」
「熱があるのは、好き嫌いが多いから、少しは滋養のあるものを食べさせないとと思ったので」
「だから、蒼良は大げさなんだよ」
「おおげさじゃないですっ!」
「わかった、わかった。総司食えっ!」
「ええっ! 土方さんまでそんなことを言うのですか?」
「確かに、総司は好き嫌いが多いからな。それに、こいつがうるさいから食え」
そんなにうるさいか?でも、土方さんが味方に付いたのは、心強い。
「特に、これを食った方がいいぞ」
土方さんは肉を指さした。
「土方さんもそう思いますよね。と言うわけなので、食べてください。ちゃんと食べやすくしたのですから」
「わかったよ。仕方ないなぁ」
「息止めて飲みこめば味はわからんから、大丈夫だ」
「ひ、土方さん、何言ってるんですかっ! ちゃんと味わって食べてくださいよ。せっかく作ったのですよ」
「わかった、わかった。味わって食え」
沖田さんが恐る恐る肉を箸で持ち上げた。
そんな恐る恐る持ち上げ根くても……。そんなに嫌いなのか?
沖田さんが目をつぶって肉を口に押し込んだ。きっと息も止めていると思う。
でも、しばらくすると、沖田さんは恐る恐る目を開けた。
「美味しいかも、これ」
そう言うと、もぐもぐと口を動かし始めた。
「お前、意外とおいしい物を作るな」
土方さんも、再び肉じゃがをつまみだした。
「意外とって何ですか、意外とって」
「いや、こんな美味しいもの作ることができるんだ。いい嫁になるぞ」
「土方さん、おだてても何も出ませんよ」
いやだわ、もう。なんてやっていたら、肉じゃがを食べていた沖田さんが怪訝そうな顔をした。
「沖田さん、どうしました? まずいですか?」
「いや、これは美味しいよ。だけど……」
「だけど、なんだ?」
「蒼良は、嫁にはなれませんよ、土方さん」
あ、そうだった。私、男だった。
土方さんもそれに気が付いたみたいで、あっ!と言う顔をした。
「嫁じゃなく、婿だ、婿。いい婿になれるぞ」
なんだそりゃ。
次の日、昨日のお礼と言って沖田さんに呼ばれて一緒に行ったのが、三十三間堂だった。
ちなみに肉じゃがは、土方さんと沖田さんの二人で完食した。
「また作ってよ。これなら肉も食べれそうだよ」
と言う、うれしいセリフも付いた。
「で、なんで三十三間堂なのですか?」
たくさんの千手観音像を見ながら沖田さんに聞いた。
「たくさんの観音様がいるから。自分の近くにいる人に似ている顔があるって言うから、探すのが楽しくなったんだ」
そうなんだ。ずいぶんと奥が深いというか……。
「あれなんか、近藤さんに似ていると思うけど」
似ているかなぁ。
「あれは、土方さんかな」
「土方さんが観音様に似ているわけないですよ」
「ああ、鬼副長だもんね」
沖田さんとクスクスと笑ってしまった。
「ところで、体調はどうですか?」
「蒼良のおかげで治ったよ」
沖田さんはそう言ったけど、おでこを触ってみると、昨日と同じだった。
「まだ熱がありますよ」
「だから、これは熱のうちに入らないよ」
労咳……結核の症状の一つに微熱が長い間続くとあったような気がする。
後は……
「寝汗がすごくないですか?」
「寝汗? 梅雨に入る前なのか、最近蒸し暑いよね」
いや、梅雨に入る前なのか、むしろ梅雨寒と呼ばれるような、ちょっとこの時期にしては肌寒いかなと思うぐらいだ。
「寝汗、かくのですね」
「だって、暑いから。いやだなぁ。蒼良の顔が怖いよ」
だって、結核の症状が二つも出てるじゃん。
まだ4月なのに……。
いや、もう4月も下旬なのだ。
池田屋事件が6月だから、あと1ケ月ちょっとしかない。症状が出てもおかしくないのかもしれない。
沖田さんの病気、止められないのか?色々気を使ったりしたけど、やっぱりだめなのか?
芹沢さんの暗殺を止めようと必死になったけど、歴史と言う大きな流れに逆らうことが出来ず、結局暗殺されてしまった。まるであの時のような感じを今味わっている。
どんなにもがいても、だめなのか?沖田さんは、やっぱり病に苦しんでしまうのか?
「蒼良どうしたの? 何泣いているんだい?」
えっ、泣いてる?沖田さんに言われるまで気が付かなかった。
「ほら、とりあえず泣き止みなよ。蒼良は本当に泣き虫だな」
沖田さんが、手拭いで私の涙を拭いてくれた。
「そう言えば、前にここに来た時も泣いていたよね」
そう言えば、そうだったような気がする。
「大丈夫だよ。僕は労咳にならないから」
えっ?
「ほら、蒼良の言っている症状が、労咳の症状と似ているから。僕が労咳になると思っているんだろう? そんな病気にならないから大丈夫だよ。これはただの風邪だよ」
そんな病気になってしまうから、心配しているのだ。
「それに、僕には蒼良がくれたお守りがあるからね。大丈夫だよ。だから、もう泣き止んで」
沖田さんが、自分の胸からぶら下げているお守りを出してきた。
神頼みをしてもらったお守り。それで労咳が治れば何も心配しない。
「ああ、まったく。どうすれば泣き止むんだ? 男のくせに泣き虫なんだから」
沖田さんがそう言うと、私を抱きしめてきた。
自然と、私の顔は沖田さんの胸に。
あまりに突然のことで、涙も止まってしまった。
「男同士で抱き合うのもどうかなと思ったけど、蒼良に対して不思議と男を感じないんだよね」
そ、それは困る。男装している意味がないじゃないかっ!
「わ、私は男です」
思わず、沖田さんを押しのけた。
「そうだよね。見ればわかるよ。あ、泣き止んでる。とりあえず良かった」
驚いて、涙も止まったのですよ。
「僕は、大丈夫だから」
そう言った沖田さんの顔が、いつもより引き締まって見えた。
そうだ、何悲観していたんだ、私。
まだ血を吐いたわけじゃない。死んだわけでもない。
生きているんだ。
生きていれば、なんでもできるし、してあげられる。
あきらめるのはまだ早い。
とにかく、沖田さんの病気が発症しないように、出来る限りのことをやろう。
後悔したくないから。
「わかりました。心配させてすみませんでした。とりあえず、また肉じゃが作るので、食べてくださいね」
とりあえず、滋養のあるものを食べさせよう。
この時代なら肉だろう。
でも、肉は高いし、あまり手に入らないんだよなぁ。
って、弱気になっている場合じゃない。何が何でも食べさせよう。
「昨日みたいなのだったらいいけど、毎日はちょっとなぁ」
「私も、毎日は肉用意できませんよ。でも、また作った時に食べてくださいね」
「わかったよ」
そうと決まったら、また近いうちに肉を用意しなくては。