惣菜屋のお花さん
「暑くもないし、寒くもない。天気もいいし、まさに巡察日和ですね」
一緒に巡察している原田さんに言った。
「今が一番いい季節かもしれないな。もうすぐ暑い夏がやってくるからな。昨年、京の夏がこんなに暑いとは思わなかったよ」
「確かに、暑かったですね」
盆地なので風がなくなるのだ。
しかし、それでも現代と比べるとかなり涼しく感じた。
ただ、冷房がないのがきつかった。
京の町を歩いていると、突然原田さんがあせりだした。
「蒼良、後で巡察に合流するから、先に行ってくれ」
「えっ、どうしたのですか?」
「頼んだぞ」
原田さんはそう言うと、逃げるようにして後ろに走り去っていった。
えっ、何が起こったんだ?
「あ、待てっ! 原田っ!」
声がした方を見ると、ほうきを持ちながらものすごい勢いでこちらに走ってくるおばあさんがいた。
そのおばあさんは、原田さんを追いかけていった。
原田さん、あのおばあさんに何かしたのか?
しばらく見ていると、なんと、おばあさんの足の方が速かったみたいで、原田さんはつかまっていた。
そして、原田さんの耳をつかんで引っ張って歩いていくおばあさんが私の目の前を通って行ったのだった。
本当に、何があったんだ?
「ついでに、雨戸も立てつけが悪くなったから、ちょいと見ておくれ」
おばあさんは、火をかけている鍋を見ながら言った。
原田さんはと言うと、トンカチとくぎと板をもって屋根に上っている。
なんでこんなことをしているのかと言うと、おばあさんに頼まれたからだ。
色々と話を聞いてみると、以前、天井から音がすると言われて見てみたらネズミがいて、ネズミ退治をすることになったと、原田さんが愚痴っていたけど、その家がこのおばあさんの家だった。
その日から、巡察に出てそのおばあさんの家の前を通ると、おばあさんに色々となおしてほしいと頼まれることになったらしい。
だから、一応おばあさんのところを避けていたらしいけど、今日は忘れていたのか何かわからないけど、つかまってしまい、雨漏りがするから、屋根を直すようにと言われてしまった。
「ばあさん、俺たちは便利屋じゃないんだぞ」
屋根からくぎを打つ音とともに原田さんの声が聞こえた。
「京の治安を守るんだろ? うちの屋根を守るのも、京の治安を守ることと一緒だろう」
おばあさんがそう言っているけど、そうなのか?
「全然違うだろう」
上から原田さんの声が聞こえた。
「私も善良な京の住民だからね。私の平和を守るのも、あんたたちの仕事だろう?」
おばあさんが言っていることを聞くと、もっともなことのように聞こえるのは、気のせいか?
「ほら、屋根の修理終わったぞ。次はなんだって?」
原田さんが屋根から降りてきた。
「雨戸って言っただろう」
「ああ、立てつけが悪いって言ってたな。どれどれ」
原田さんが雨戸をガタガタと動かし始めた。
なんやかんや文句を言いつつも、おばあさんの言うことを聞いている原田さん。
「なおったぞ。ちょっと雨戸がずれていただけだ。おい、蒼良。なんかおかしいことがあったのか?」
原田さんとおばあさんのやり取りをほほえましく見ていたら、顔が笑っていたらしい。
「いや、文句を言いながらも、おばあさんの言うことを聞いてあげているのだなぁと思って。優しいですね、原田さん」
「言うこと聞いてやんないと、このばあさん、おっかないからな」
そう言えば、耳引っ張られてここに連れてこられたのだった。
「誰がおっかないって?」
タイミングよくおばあさんが出てきた。
「いや、こっちの話だ」
「それにしても、あんた、男のくせにずいぶん細い腕をしているね」
おばあさんが、私の腕を見ながら言った。
いや、私は女です。
「蒼良は、細い腕しているが、剣は強いぞ」
原田さんがフォローしてくれた。
「そうなのかい? 栄養が足りないんじゃないか? ちょうど料理ができたから、一緒に食べるといい。屋根なおしてくれたお礼だよ」
「えっ、私、何もしていませんが、いいのですか?」
「その細い腕を太くしてやるから、食べてきな」
「ありがとうございます」
と言うわけで、おばあさんの料理を原田さんと一緒に食べることになった。
おばあさんは総菜屋さんで、お昼から夕方にかけて惣菜を売るため、朝からずうっと料理を作っていたらしい。
売り物の惣菜の中からあまり物をごちそうしてくれた。
その味がすごくおいしかった。
「なんだろう? なんか懐かしい味がします」
私が言うと、原田さんは食べながら、
「江戸の味がするのだろう?」
と言った。
江戸の味?確かに、京の料理と比べると味付けは濃い。
「お花ばあさんが江戸の人間だから、江戸の味がするんだよ」
原田さんがそう言った。
このおばあさんの名前がお花さんと言うらしい。
「京のなまりがないなぁとは思っていたのです。お花さんは江戸の人だったのですね」
「あんたはえらいね。こんな年寄りに向かってちゃんと名前で呼んでくれて。どこかの誰かとはえらい違いだよ」
「ばあさんにばあさんと言って何が悪いんだ」
「原田っ! お前はお花さんって呼んでくれたことないだろう」
「ばあさんだって、俺のこと呼び捨てじゃないか」
なんか、家族の喧嘩を見ているようなかんじだ。
「おい、蒼良。また笑っているな」
「なんか、原田さんがお花さんのお孫さんになっているように見えて」
「原田が孫だって? 冗談じゃない。もっとまともな孫を選ぶわ」
二人のやり取りを見ながら、たくわんをいただくと、とってもおいしかった。
確か、土方さんがたくわん大好きだったな。
持って帰ったら喜びそうだな。
「お花さん、すみませんが、このたくわんもらえますか? これから売りに出すものなら、お金を払いますが」
「これは売り物にならないから、金は要らないよ。包んでやるから、持って帰りな。味付けが江戸風だから売れないんだよ」
そうなんだ。
「惣菜も、最近江戸からお武家さんたちが来たから、ようやく売れ出したんだ」
やっぱり、江戸から来た人たちにしたら、お花さんの惣菜はとっても懐かしいものなのかもしれない。
たくわんを包んでもらい、お花さんの家を後にした。
「ばあさん、次は呼び止めるなよな」
「また何かあったら呼び止めるよ。それがあんたたちの仕事だろうが」
「俺は、ばあさんに使われているわけじゃないんだぞ。じゃあなっ!」
帰るときも、お花さんと原田さんのやり取りを見てほほえましくなってしまった。
屯所に帰り部屋に行くと、ちょうど土方さんがお茶を飲んでいた。
「土方さん、たくわんもらってきましたが、食べますか?」
「たくわん? 京のたくわんだろう? 京のたくわんは味が薄くてどうもなじめねぇ」
「せっかくいただいたのだから、食べてください」
そう言ってたくわんを出すと、仕方ないなぁという感じで土方さんが一つつまんだ。
「これは、京のたくわんじゃねぇな。どこで手に入れた?」
そう言いながら、あっという間にもらってきたたくわんが全部なくなってしまった。
「あっ、私の分は、とっといてくれなかったのですか?」
「全部俺にくれたんだろう?」
ま、そうなんだけど。一言、お前もいるか?と言う言葉がほしかったりする。
「そんなにたくさん食べると、塩分とりすぎで血圧が高くなりますよ」
「けつあつ?」
この時代にはなかったか。いや、あるけど、測れないだけだ。なかったら死んでしまう。
「とにかく、しょっぱい物の食べすぎは早死にしますからね」
「武士は枕の上で死ななければ上等だ。だから、早死にも何も関係ねぇ」
そうなのか?
「で、さっきから聞いているが、このたくわんはどうしたのだ?」
と言うわけで、今まであったことを全部話した。
すると、土方さんが明日そこに連れて行けと言ったので、またお花さんに会いに行くことになった。
「今日は、修理してもらうもんはないよ」
お花さんは、一緒についてきてもらった原田さんを見るとそう言った。
「今日は修理しに来たわけじゃない。人を連れてきたんだ。ばあさん、喜べ。客だぞ、客」
原田さんがそう言うと、お花さんは火にかけている鍋から顔を上げて私たちを見た。
「昨日持って帰ったたくわんをあげたら、ぜひここに案内してほしいと言われたので」
私が言うと、
「そうかい。ここじゃあなんだから、上がりな」
と、お花さんが笑顔で言ってくれた。
「俺と蒼良と態度がえらい違いだな」
「蒼良は、かわいげがあるが、原田は全然ないからな」
「色々やってあげてるだろうが」
「それとこれとは別」
お花さんと原田さんのやり取りを見て、土方さんは驚いていた。
「おい、左之。お前のおばあさんが京にいたのか?」
「このばあさんは、俺とは関係ない。俺の姿を見るとすぐに修理とかの仕事を頼んでくるんだ。土方さんからも言ってやってくれよ。新選組は便利屋じゃないって」
「そうか、わかった。話をつけてやる」
土方さんはそう言ったのに、お花さんの江戸風料理とたくわんをいただくと、
「このたくわんをいただけるなら、こいつを好きなように使ってもらって結構」
と、あっさりと意見を変えたのだった。
「ひ、土方さん、そりゃないだろう」
「左之、お年寄りでしかも一人暮らしだ。何かと不自由があるだろうから、助けてやれ」
「話の分かる人だね。こんないい人が新選組の副長なら、さぞかしいい組になるだろうよ」
これで、堂々と原田さんに仕事を頼めるようになったお花さん。と言っても、今までも、普通に堂々と頼んでいたのだけど。
「これでこのたくわんが食べれるなら、安いものだ」
たくわんの犠牲になった原田さんは、
「そりゃないだろう」
と、何回も言っていた。
それから、色々と仕事などが入り、お花さんの家の前を通るのにかなり日が開いてしまった。
最初、私が巡察の時に通ったのだけど、雨戸が閉まっていたので、どこかに出かけているのかな?と思っていた。
しかし、何日も雨戸が閉まったままだったので、原田さんに相談した。
「出かけたにしては、日がかかりすぎるな」
「江戸に帰っているとか?」
「いや、あのばあさん、江戸にはもう知り合いが誰もいないと言っていたから、それはない」
そうなんだ。
「気になるから、ちょっと様子を見に行ってみよう」
と言うわけで、お花さんの家に一緒に行くことになった。
「お花さん、いますか?」
原田さんと二人で雨戸をたたいて呼んでみたけど、中から反応がなかった。
近所の人に聞いてみると、もう一週間ぐらい閉めっぱなしらしい。
「病気とかじゃなければいいのですが……」
私がつぶやくと、原田さんも心配になったみたいで、雨戸を外して開けてみようということになった。
雨戸を外して中を開けると、嗅いだことないような匂いがした。
「これは、死臭だ」
えっ、そうなのか?死臭と言うことは……
「お花さんは?」
私が聞くと、原田さんは先に中に入った。
私も、手拭いで鼻と口を押えながら中に入る。
布団が敷いてあり、原田さんが布団をめくると、冷たくなっていたお花さんがいた。
これは、寝ている間に死んでしまったということか?
「おい、ばあさんっ!」
原田さんがお花さんを揺すってみたけど、全然反応がなかった。
私は脈をとって診た。やっぱり、脈はなかった。
「亡くなっているみたいです」
私が言っても、原田さんはお花さんを呼んでいた。その声も、だんだん泣き声になっていった。
京都奉行所の人に来てもらい、色々見てもらった。
やっぱり、事件性がなく、寝ている間にそのまま旅立ってしまったらしい。
「まったく、あのばあさんらしいよな。さよならも言わないでよ」
屯所に帰る途中で、原田さんが悲しそうに言った。
色々と手続きをし、ちゃんとおばあさんをお墓に埋めてあげたら、夕方になっていた。
「原田さん、大丈夫ですか?」
「俺は、大丈夫だ」
夕日に照らされた原田さんの顔が、寂しそうだった。
「しばらくは、あのばあさんの家の前を通るたびに思い出すんだろうな」
そうかもしれない。巡察で通るたびに声をかけられそうで家を見るけど、いないことを思い出すと、とても悲しくなるんだろうな。
「それより、あの人の方が心配だな」
「あの人って誰ですか?」
「土方さん」
えっ、どうして?
原田さんの言う通り、お花さんが亡くなったことを知った土方さんの反応がすごかった。
何がすごかったかと言うと、落胆がすごかったのだ。
「せっかく、京でもうまいたくわんが食えると思っていたのに」
お花さんが亡くなった悲しみと言うより、たくわんが食べれなくなった悲しみの方が深いような感じがするのは気のせいか?
「おい、この前のたくわんは? あまったものとか無いのか?」
「土方さんが全部食べちゃったじゃないですか」
そう言うと、さらに落胆していたのだった。
「もう一度、京でおいしいたくわんを探さねぇとだめだな」
って、京にたくわん探しに来てるんかいっ!
あれから巡察の時にたまにお花さんの家の前を通る。
今では別な人が入っているけど、やっぱりお花さんがいそうでのぞいてしまう。
でも、いないとわかると、とっても悲しくなってしまう日々が少しだけ続いた。