2100年の殺人者
当時高校生だった私が、政治経済の授業を聞いて、思いついたお話です。
暗い話ですが、軽い気分で読んでください。(^^)
一九九六年、日米安保共同宣言が交わされた。全てはそこから始まる。いつの頃からか、米軍が我が物顔でここ日本に居座るようになる。 さらに憲法第九条の改訂により、交戦権が認められると、自衛隊員激減のため赤紙制の復活。これにより、日本はアメリカの戦争に振り回されることとなる。かくして、日本は流されるようにアメリカの植民地となっていった。形だけの民主制となり、非核三原則も失われ、日本は戦火に埋没する。二一〇〇年は、そんなどす黒い暗黒の時代であった。
出会ったのは、いつだったか。
その夜、いつものようにオレは目覚めた。
仕事の時間だ。
ボロ布一枚で、崩れかけたビルの廃屋に寝泊まりする。そんな生活に、食い物を得るだけの余裕はない。生きるために窃盗する。それは世の常識だ。戦中は貧しく、東京の街は犯罪者であふれている。
コンクリートの砕けた瓦礫の中を走る。素足で砂利を踏みしめて。コンクリの粉と砂の臭いしかしない。時々、風がそれを顔にぶちまける。が、それが目にしみるようなことはない。オレの目はすでにつぶれている。それで赤紙も免れた。真の暗黒を、オレは走る。
あるとこから盗る。それがオレの主義。貧困している農家を標的になどしない。狙うは、私腹を肥やしている、身勝手で阿呆な政治家どもだ。奴等に虐げられたまま何もしないのはバカだ。差別されても一般民衆とは違った生き方をオレはする。奴等に仕返しする。オレは誇り高く生きている!
屋敷に忍び込み、鼻と勘を頼りに獲物を探る。その日一日分の、一掴みの食料があればいい。余分に盗っても腐るのがオチだ。
地下倉庫にそれはあった。米、パン、野菜に果物、なんでもある。いつものように、持ってきたずだ袋に、いくつかパンを放り込み、地上へ出ようとする。が、不意にオレの鼻はいつもと違った匂いをとらえた。その方向へ、ゆっくりと進むと、背の高い壷のようなものの中に、ざらざらした粒が入っていた。オレはそれをぺろりとやる。塩だ。隣には砂糖もある。なかなかオレはついている。パンをいれたまま、上から塩を袋に詰められるだけ詰め込み、ボロ布で砂糖を包むと、足早にずらかった。
「ウォン、ウォン」
裏口に出たオレを迎えたのは、番犬の叫び声だった。よほど腹が空いているとみえて、オレに近寄ってくる。が、相手をしている場合ではない。その一吠えでオレは追われる身となった。
「逃がすか!」
銃声が響く。弾が頬をかすめる。
生きるために、当たり前のことをしただけで、奴等は吠える。食い切れもしない食料をただ貯めておく阿呆どもめ。盗るのがなぜいけない。
世の中は麻痺し、こそどろ一匹に警察は動かない。私兵を使い、奴は追う。オレはいつものルートで逃げる。
やけに数が多い。飢えのあまり、奴等に尾を振る連中か。逃げられるかどうか。皆が皆、銃を持たされている。射殺も許される時代だ。
「っ!」
血が舞う。弾が右腕を貫通したらしい。慣れたことだが、嫌な臭いだ。左手で右腕を押さえ、オレは跳ぶ。三メートルほど上に窓がある。ニメートル近くの長身のオレには容易いことだ。連中は追ってはこれない。窓ガラスはない。障害物はないはずだった。
!
跳ぶなり、何かにぶつかり、オレは壁に叩きつけられた。なんだ?臭いでそこが病院だとわかる。では患者か? ごつごつした、まるで骨そのもののような感触だった。だが、それは悲鳴はおろか、呻き声すら漏らさない。なぜだ? だがなんにせよ、捕まるわけにはいかない。殺さねば。生きるために!
オレは左手で腰のナイフを抜こうと、手を動かす。が、右腕に走った激痛によって、それは食い止められた。細い小さな手が傷口に触れる。間近に来て初めて、それが少女だとわかる。布を裂く音がし、それをオレの腕へとやる。止血のつもりらしい。一目見れば犯罪者とわかるオレを、なぜ手当てする? 盲なのか。声をかけたが、返事はない。少女は、他に傷はないかと、探るように手を動かしていたが、突然、オレの左手首を掴むと、
――ほ・か・に・い・た・い・と・こ・ろ・は・な・い・で・す・か
掌にそう書いた。三重苦なのか。戦闘機が薬をまいたこともあったと聞く。その被害者だろう。オレの殺意は失せた。返事の代わりに、
――く・え
左手でそう書き、袋のパンを取り出した。一瞬、戸惑ったようだが、オレの血で汚れたままの手でそれを口に運んだ。よほど腹が空いていたのだろう。もう幾日も食べていないらしかった。そのまま、オレたちは少し話をした。
少女は、病人の看護をしているのだと言う。早くに親を亡くし、この病院で面倒を見てもらう代わりに、働いているらしい。この部屋の患者はすべて埋葬され、空き部屋だから、オレにしばらくここで養生しろと言う。せっかくだが、オレは断った。オレのような者に貴重な糧をわける人間がいるはずがない。オレはアメリカ人を父に持つハーフだ。空色と黒のオッド・アイだったと母から聞く。それを気味悪がられてつぶされた。失えば、目の傷が見苦しいと騒ぐ。人間とはそういうものだ。
――名は?
別れ際にオレは聞いた。
――癒愛。ゆあい。
漢字で書き、読み方を教えてくれた。この時代に漢字を読める者は少ない。
――生矢。せいや。
オレもそう返す。
――これをやる。見つからないように少しずつ食べろ。
砂糖を手渡すと、オレはそこを後にした。
それから数日オレはあちこち放浪した。奪い、殺し、逃げる。だがそんな中で、なぜか少女の小さな優しい手が忘れられなかった。手土産にりんごを一つ持ち、あの窓へと跳んだ。
相変わらず癒愛は痩せていた。砂糖はと聞くと、患者にやったと言う。バカか。己が生き残れるかさえわからぬ時に、人の面倒を見るなどオレには考えられなかった。りんごをやると喜んで食べた。微笑んだように思う。オレはいつしか癒愛のために盗むようになっていた。
癒愛のために盗り、癒愛のために殺す。癒愛と共に食べ、寝、夜を明かす。病院が空襲で破壊されると、共に場所を移動した。オレの生活は癒愛なくしては考えられないほどになった。一人の人間として、初めて接してくれたことへの喜びか。かぼそい少女を愛しく思うのか。こんな気持ちは初めてだ。
――一緒に逃げないか?
あるときオレはそう尋ねた。
――逃げる? どこへ?
――いいところさ。ここよりは緑もあるだろう。明日一番の船に潜り込んで、異国に行くんだ。
偵察もした、計画にぬかりはない。オレは勇んで癒愛を誘った。が、
――この国を捨てて? できない。私はいかない。
癒愛は拒否した。
――私は防空壕の人たちを助けないといけない。
なぜそうまでして、人を思う? おまえだって、いわれようのない差別を受けてきたんだろうに。だがオレは、癒愛をおいて逃げる気にもなれず、共に防空壕を歩いてまわった。
火の雨が降る。その熱を、熱さを感じる。共に戦火を駆け、逃げる。いったい幾日をそうして過ごしただろう。オレよりも彼女は死と隣り合わせにいた。それでもなお、人を思いやれるのはなぜだ? 痩せ細った体で、何も見えず、聞こえず、喋れない。暗黒にいながらなぜ笑える?なぜ希望を失わない?いつも癒愛は血の臭いでいっぱいだった。触ればべっとりとした感触があり、血にまみれていた。多くの死と共にあったのだろう。
防空壕はまるで蒸し焼きだった。熱さで死んだ者も多い。オレたち二人で人を防空壕の外へ非難させた。外へ出るのを怖がって逃げない者もいたが、そいつらは死ぬしかない。結局逃げられたのは数人だった。
戦闘機の音がする。ビルの廃屋の影に隠れ、やり過ごすが、それもいつまでもつことか。
カクッ
誰かが膝を折り、地面へとうずくまる。壁に手を付き、荒い息をする。
「なんだって 生まれるだって?」
中年の女が騒ぐ。
「冗談じゃない! 赤ん坊なんか生まれたら、一発で見つかってしまう」
人々の声は冷たい。オレも同感だ。赤子一人のために死ぬなどまっぴらだ。が、癒愛は違った。赤子をとりあげた経験もあったらしい。女に付き添い、面倒を見ていた。ふと思う。オレはなぜ生きている? 絶望し、ただ死ぬのは奴等に屈服しているようで好かない。盗って生きることで復讐していると思っていた。ただ時代に流されるままに生きる人々をくずと思い、己のためだけに生きてきた。が、今は違う。癒愛がいて、人を救ってまわる。冷めた目で見てはいるものの、悪い気がしないのはなぜか? 以前、癒愛はこんなことを言った。神様が私を暗闇に閉じ込めたのは、外の世界に怯えないようにするため。人を救うために生かされている、と。神?そんなものはいない。オレが嘲ると、自分の中にある自分自身だけの神だと笑った。その意味がようやくわかるような気がする。決して悪く考えず、何も望まず、憎まず、己のできることをしかと見据えて生きる。オレのプライドはくだらない。ならば、癒愛と出会ったのは少女と共にあれ、ということか?
「オギャァ」
赤子はほどなくして生まれた。オレはすぐさま駆け寄る。喜んでいる癒愛の顔が見たい。
思わず、目に巻いた布を取り去る。オレは生まれて初めて、目の見えぬことをもどかしく思う。誰より暗闇にいながら、おまえは誰よりも眩しく輝いていることか!
――平和。ひらかず。
子の名前をオレに知らせ、母親は息を引き取った。屍の上に人は生まれてくる。冷たかった人々の視線も、今はただ新しい命を見守っている。不思議な光景だ。
オレたちはまた逃げる。いったいいつまで続くのか。なぜこうなった?一人また一人と息絶えていく。弾が人を殺す? 弾を操るのは誰か? 兵だ。なぜ兵がいる?なぜ戦争がある? 政治家か。それを選ぶのは誰だ? 国民。あぁ、選挙のあった時代、いいかげんに生きた連中、ただ流されてきたオレたち、皆が皆阿呆だったからだ。人が人を殺す。皆が皆殺人者。いったい、いつまで続く?
紫外線の光が痛い。緑もない。それを取り戻すために生かされた人間だろうに。弾から逃れる間に、人は減った。気付けば、オレと癒愛と赤子しかいなかった。息が乱れる。ここがどこなのか、感覚さえ麻痺している。そんな中で、発光するような光を感じた。見えぬ筈なのに、眩しく感じる。熱く焼け爛れるような光。オレは癒愛を抱きしめ、離さない。オレたちは光の中心にいた。先人に聞く、八月六日・九日の悲劇。また繰り返すのか。赤子の泣き声だけがする。 矢の如く生き、オレは燃え尽きる。
穢れた大地に生まれる命は、緑は、希望は、あるのだろうか?
―― 完 ――