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六天楼の宝珠  作者: 伯修佳
第一部 
8/24

七 桐にて※※

 扶慶からの説明を受けつつも、碩有達は一通り施設を見て回った。

 事前に浮かんだ疑問を裏付ける様な設備の老朽化。

 例え今日明日清掃した所で、広大な工業地帯全ての体裁を整えるのは不可能に近い。それをさも誇らしげに、町長は己の管理を説明している。


「御館様、今晩はこちらにお泊まり頂けるのでしょう? 歓迎の酒席を設けてございますよ」


 紡績に次いで車、装飾品と工場を立て続けに見た後車に乗り込もうとした碩有に扶慶は申し出た。


「お気遣い有難く思います。ですが、此処には二日の滞在を予定しております。宿を提供して頂くだけで充分ですよ」


 愛想笑いで辞退する主に「そう仰らず、この町にも良い酒がございましてな」と彼は食い下がった。


「御館様は何年か前にこの町にご逗留なさった事がございますでしょう。私はその頃お会いする機会は叶いませんでしたが、旧交を暖めるべき懐かしい方もおられるのではありませんか」


 ぴくり、と碩有の眉が動いた。

 叶うも何も、先代のみを畏れ跡継ぎの若造などと歯牙に掛けなかっただけではないだろうか。

 少なくとも今までの扶慶のその様な言動は、園氏によって逐一彼に報告されていた。


「……そうですね。ではご相伴に与りましょうか」


 扶慶のたるんだ丸顔が喜びに明るくなった。


「おお。もし良ければ何なりとご希望をお伺い致しますぞ。肴でも女でも、卓に揃えて見せましょう」


 では一つだけ──と、彼は工場の方を仰ぎ見てから微笑んだ。


「紡績工場で見た娘を呼んでもらえますか。私の知己でしてね……」

「もしやそれは、榮葉という娘ではございませんか?」


 榮葉、と扶慶の口から言葉が出た瞬間、彼の端整な顔を嫌悪の表情がよぎった。


「ご存知ですか?」


 確かに榮葉はこの町の娘。長が知らぬはずもないが、この男の口から名を聞くと、ひどく嫌な予感がしてしまう。

 扶慶は好色でも有名だ。しかも、聞いた限り若い娘ばかりを好むという。


「ええ勿論ですよ。あれはこの辺りでは一番の器量佳しですからな」

「風の噂に、結婚が決まって余所の町に移ると聞きましたが。まだ桐にいたのですね」


 扶慶は記憶を辿る様に、目を宙に這わせた。


「ああ、そう言えばそんな話もありましたな。──残念ながら、破談になりましてね。今は縁あって、私が屋敷に引き取っております」


※※※※


 桐の正区の中心部にある扶慶の屋敷は、それだけを見れば大層豪華なものだった。

 公邸であるにも関わらず、贅を尽くした佇まいは寂れた他の住宅街とは全く趣を異にしている。故に遠目にはひどく浮いて見えた。

 敷地や建物の形さえも、他の町長邸よりは随分と大きい。増築された離宮や四阿あずまや、庭には見事な築山に鳥や瑞獣の銅像が並ぶ。

 扶慶は侍女達に酒肴を持って来る様に指示し、最後に「榮葉を呼んできなさい」と付け加えた。


「むさ苦しい処ではありますが、どうぞおくつろぎください。あの娘も、もうしばらくで参るでしょう──しかしお目が高い。榮葉は佳い女です。少し取り澄ましている嫌いがあるが、教養高さ故風流に長けてましてな」


 碩有は黙して答えない。扶慶は場を取り繕おうとしたのか、「いえ、勿論御館様がお持ちの瓊瑶には比ぶべくもございませぬが」と続けた。


「何の話です?」

「またまたご謙遜をなさいますな。六天楼に一瓊いっけいありとは有名な話でございますよ。閨房を彩った先代様より譲り受けた玉なれば、さぞやのものと思われますが?」


 それが『何』の事を指しているのか、碩有も朗世もわかっていたが、表立って名前を挙げられたわけではない。正面きって怒る機を逃した。


「……瓊瑶ならば倉にあるが、私が譲り受けたのはその様な『もの』ではない」


 碩有は抑制された声で穏やかに答えるのが精一杯だった。

 確かに、この領土内では『妾の譲渡』が半ば公然と行われている。

 身分卑しき女性だとしても、貴人が己の所有物と認めた場合、その女は主の名誉を受ける者になるのだ。

 つまり、主が公けに宣言すれば妾といえども貴人に準ずる資格を得られる。翠玉がそのいい例だ。流石に領主の正妻にしたのは珍しい事ではあったが。

 だから扶慶の様な考えの人間も当然存在する。咎める者の方が少ない位だ。


──だが。


「おや、これは失礼を致しました。玉なれば眺めるのみで摘むに非ずですかな──どちらにせよ、ご寵愛が深いというのは間違いない様で」


 苦笑混じりの扶慶に彼が殺意めいたものを覚えたその時、客間に使用人が料理を持って次々と現れた。


「ここは堪えて頂きますよ、碩有様」

「わかっている」


 小声でたしなめる朗世に同じく囁いた。

 どこからこれだけの食材を調達出来たのか、疑う程の料理が次々と運ばれて来る。海のもの山のもの、それらが芸術的な形に積みあがって皿に載っている。いずれもこの辺りでは珍しい料理や珍味ばかりだった。

 余りの豪華さに、二人とも絶句して仮初の賛辞すら浮かばなかった。

 ──貧乏な振りをすれば良いものを。愚かにも程がある、と。

 ようやく料理を捧げ持つ者の列が途絶えたかという頃、高台に瓶子と杯を載せた娘──榮葉が部屋に入って来た。

 彼女は卓の手前で膝を折り、膳を掲げたまま頭を垂れる。


「ようこそいらっしゃいました。ごゆるりと、おくつろぎくださいますよう」


 全く感情の窺えない声だった。


「おお、榮葉。こちらに来て、御館様に酌をして差し上げなさい」


 はい、と返事して彼女は碩有、朗世、扶慶と順に杯に酒を満たしていった。見るのは手元ばかりで、碩有に視線を合わせようとはしない。

 碩有も彼女を見なかった。代わりに朗世に目配せをする。

 己の部下が足元から扶慶の死角になる様に小さな紙包みを取り出すのを確認すると、碩有はにっこりと愛想笑いを浮かべた。


「流石は扶慶殿。かように桐の食が豊かであるから、領民より指示を得ているのでしょうね。素晴らしい」

「いやいや、御館様からその様なお言葉を頂けるとは。この扶慶、汗顔の至りでございます」


 酒で上気した顔ににやけ笑いを浮かべて「ささ、もっと召し上がってくださいませ」と料理を勧めた。


「美姫の酌も結構ですが、労をねぎらって私からも酒をお注ぎしましょう。──榮葉、瓶子を貸してくれるか」


 扶慶と客人の間を行き来していた娘はびくり、と肩を震わせた。彼は榮葉と視線を合わせ、小さく頷いてみせる。

 無言で差し出されたそれを受け取り、後ろ手に素早く朗世から紙包みを受け取り手の平に隠し持つ。


「いやはや、これは何と畏れ多くてとても……」

「まあそう言わず、ぐっと一気に飲んで頂きたいですね」

「そうですか、ではお言葉に甘えて」


 会話に紛れて包みを開いたので、扶慶の耳には何かがさらさらと瓶子の口に流れ込む音が聞こえなかった。言われるままに、並々と注がれた杯を仰ぐ。

 彼は酒も強い自負があると見えて、一瞬の内に飲み干してしまった。


「そうそう、先程の話ですがね」


 赤ら顔に愉悦の表情を浮かべる。


「瓊瑶は例えが違うのならば、鳥でしょう。『貴人鳥を愛でる』と歌人も申します故。飼い慣らされた鳥なれば、さぞかし良い声でくのではありませんかな……」


 ガタン、と激しい音を立てて椅子が倒れた。


「碩有様! 落ち着いて下さい」


 朗世の鋭い叱咤に、彼は身体の傾いだ扶慶の胸倉を掴んだ右手を離す。床に横倒しになっている椅子を元通りに立てて座りなおした。

 それでもこの上なく険しい顔をして、卓に突っ伏した頭を睨み付ける。


「……下衆が!!」

「私もこの男は殺しても良いと思いますが、もう少しだけ生かしておきましょう。そうすれば、無様な間抜け顔を見れますよ」


 淡々と進言しながら、手際よく彼は主に鞄より出した書類を渡した。


「あ、あの……」


 おずおずと話しかける榮葉の目の前で、碩有は動かない扶慶の右手を取った。人差し指を掴むと、卓に同じく朗世が置いた朱印台にそれを当てる。更に逆の手に持った書類に塗料の付いた指を押し付けた。


「……これでもう、こいつに用はない」


 指を布で丁寧に拭い綺麗にすると、拇印の付いた書類を朗世は鞄にしまった。

 碩有は椅子の背に身体を倒し、改めて榮葉に顔を向ける。薄く笑った。


「気にするには及ばない。酒に薬を仕込んで眠らせただけだ。……まあ明日の朝まで殴っても起きないだろうが……久しぶりだな、榮葉」


 彼女はその言葉を聞くなり、いきなり地に跪いた。


「榮葉?」

「申し訳、ございませんっ……!」


 唐突な展開に彼がすぐには動けないでいると、「外で見張っております」と朗世が部屋から出て行った。

 二人きりになったのを確認して、碩有は榮葉の肩に手を掛け頭を上げさせる。


「一体、何があった? 何故、扶慶の処になど」


 答えを聞く前に、彼女の様子を見た瞬間に大体事情を察してはいた。

 最後に会ったのは二年前。人を変えるには充分な時間だったとしても、榮葉の面やつれは常軌を逸していた。余程辛い目にあったとしか思えない。豪奢な着物と宝飾品に今は身を包んでいるというのに、ここまで憔悴する理由はただ一つだろう。


「……婚約は破談になりました」


 心労。それしかない。


「この男のせいか」


 榮葉は答えなかったが、はらはらと頬を零れ落ちる涙が全てを物語っていた。


「くそっ!!」


 碩有は辺りを見回した。卓の上にあった魚介料理の為の串を手に取る。

 垂直に持つと、その手を扶慶の頭目掛けて振り下ろした。


「お止め下さい!」


 慌てて榮葉が止めに入る。

 普段からは想像出来ない程、彼は激昂していた。


「何故止める!? 今ならこいつを自殺に見せかけて始末する事も出来るのだぞ。私が其方を手放したのは、こんな畜生の自由にさせる為ではない!」


 振り上げられた腕を掴んだまま、榮葉は哀しげに笑う。


「そのお言葉は嬉しゅうございますが、貴方様の手を汚す価値もこの男にはありません。それに……親も親戚も、この街で生計を立てております。万一屋敷の者にでも知れたら、どうなるか!」


 ゆっくり手を下ろし、碩有は椅子に力なくくずおれた。卓に両肘を突き手で顔を覆う。


「……婚約者は、吏庚しこう殿はどうしたのだ。其方をあれ程望んでいたというのに」

「吏庚様には……私から手紙でお断りをさせて頂きました。ここに囲われてしばらくの間は、部屋を出る事すら叶いませんでしたので……」


 その言葉の裏に潜むおぞましい事実に、碩有は絶句してしばらく言葉もなかった。

 榮葉と彼が出会ったのは五年前、鳳洛を離れ桐に遊学していた際の話である。身分を隠し経済の勉強と正区の一角に部屋を借りた彼と、実家がすぐ隣にあった彼女は顔を合わせる内に親しくなった。男女の仲になって三年が経った頃、碩有が鳳洛に戻らねばならなくなった。

 連れて行こうかと考えた矢先、それを告げる前に榮葉から別れ話を切り出して来た。

 「他に思う人が出来た」と。領主の側室にはなりたくない、とも言った。

 本来ならば次期領主の情けをはねつけるなど、有り得ない無礼だ。

 だが碩有は追う気にはなれなかった。榮葉本人の心が他所にあるのに、無理強いをすべきではないとも思った。相手の男には複雑な感情を覚えたが、吏庚は富裕な良家の出、何より誠実な人柄に結局納得してしまった。

 時を置かず予定通り彼は鳳洛に戻り、直後祖父の病を知る──


「吏庚様からは今でも手紙が届きます。でも、どうする事も出来ません。……幾度扶慶様に申し出ても、撥ね付けられ暴力を奮われるだけで。逃げ出すのを恐れるのか、最近では何処に行くのにも連れて行かれます」


 榮葉は泣き崩れた。


「こんな姿を貴方に見られるとわかっていたら──工場になど決して参りませんでした」

「榮葉……」

「この方は私を物として見せびらかしたいだけなのです。閉じ込め自由を奪い、着飾らせ贅沢を与えるだけ。そして意のままにならなければ力ずくで従わせようとする……もう、何の為に貴方から離れようとしたのかわからなくなってしまいました」


 せめて彼女を宥めて嘆きを受け止めようと、手を伸ばしかけた碩有の動きが止まった。

 慟哭の合間に、途切れ途切れに紡がれる言葉。

 ──閉じ込めて自由を奪い。

 ──着飾らせ、贅沢を与えるだけ。

 勿論榮葉を哀れに思う気持ちに嘘偽りはない。だが。

 腕の中に他の女を抱きとめながら、彼は遠く鳳洛に置いてきたひとを思い眩暈めまいを覚えた。

 立場こそ違えど、まるで自分がしている事に似てはいないだろうか──と。


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