産後に死んでしまうヒロインの母になりました
私――ロサリアは唐突に思い出した。
この世界は、小説『光を灯すように』の世界であると。
そして私は、産後の肥立ちが悪くてなくなってしまうヒロインの母であることを。
私の夫は、いわゆるヤンデレだ。
私に一切男を近づけさせないし、私の予定を全て把握したがる。
まぁ、愛されているのは身をもって知っているので、私としては許容範囲なんだけど。
問題は、私が出産で死んだ後の話。
私を病むほど愛している夫は、私が死んだのを生まれた娘のせいにして虐げてしまう。
あの私にドロドロに甘い夫がそんなことをするとは想像がつかないけれど、ヤンデレであることを考えれば十分あり得る。
でも、私としてはそれは許さない。
私が命をかけてまで産みたい子どもだ。
きっと可愛く育つ娘だ。
そんな愛しい子を、不遇な目に合わせたくない。
でも、どうしたらいいのだろうか?
今はすでに臨月。
いつ生まれて来てもおかしくない時期に入っている。
今更何かを始めるなんて無理だ。
せめて、夫に気持ちを込めた遺書を書いておくくらいしかできない。
何もできず、無力な私に、腹が立った。
別に死ぬのは怖くない。
むしろ子どもを守って死ねるなら本望だ。
親は子どもを守るためにいるのだから。
それを夫にも知って欲しいのだけど……無理かも。
夫の中心はいつも私で、夫の世界は私とそれ以外で構成されているから。
そうしてその数日後、覚悟していた通り娘を産んで、私はそのさらに数日後に亡くなってしまった。
夫――ライルが、妻の亡骸を前に、泣き崩れていた。
生まれたばかりの子どもなど全く目に入らず、ただただ妻に縋り付いている。
涙と嘆きは、いつまで経っても治ることがない。
まるで自分の世界が壊れたかのような、深い嘆きだった。
ずっと泣き続けたその目は、深淵の闇のように深く暗く濁っていた。
「旦那様……こちら、奥様からの手紙です」
執事長が手渡して来たのは、出産前に妻が書いた遺書。
もしもの時があれば渡して欲しいと、執事長に託していたのだ。
それが、ライルの手元に渡された。
ライルはそっと手紙を開くと、穴が開きそうになるまで凝視して読み込んだ。
「何故……何故、君を殺した元凶を愛せ……なんて。酷すぎるじゃないか……」
手紙には、こう記されていた。
『旦那様へ
きっとこの手紙を読んでいる頃、私はもうこの世にはいないのでしょう。旦那様のことだから、娘のことを憎んでいるのではないかしら?憎むなとは言わないわ。無理に愛せとも言わない。けれど、私が死んだのは、私の選択よ。私の命よりも娘の命を優先したの。恨むなら、あなたを置いて行った私を恨んでちょうだい。どうか、一般的な貴族の娘として、育ててあげてちょうだいね。もし虐めたりしたら、離婚するからね。
それと、きっとあなたの元に戻るから、それまで待っていて。何年かかっても、必ず帰ってくるから。その時は、あの言葉を伝えるわ。
それじゃあね。また、会いましょう。愛するあなた。
ロサリアより』
「あ……あ……ああああああーー!!!」
ライルは妻の手紙を大事に抱きしめながら、大声で泣いた。
数ヶ月は仕事が手につかず、自分の部屋でぼんやりと手紙を握りしめていた。
その後は全てを忘れるように、寝食を忘れて仕事に打ち込んでいた。
それは彼なりの、現実逃避だった。
ライルは妻の最後の手紙の通り、娘を愛することはできなかった。
それどころか憎んでいたが、それを表に出すことはしなかった。
また、感情を忘れたかのように、氷の仮面を常に纏うようになった。
だが妻の願い通り、最高級の教師を用意して淑女教育を受けさせ、他者から舐められないようにドレスや装飾品を買い与えた。
それでも感情的な親子交流はできなかったため、娘はいつも寂しさを抱えていた。
娘が求めていたのは、最高級の教育でもドレスでもなく、親からの愛情だったから。
いつのまにか日々は過ぎ去り、娘が生まれてから18年が経っていた。
2年前にデビュタントを迎え、1年前に婚約者の男と婚姻を終えた。
娘の夫は娘を慈しんでいた。
娘を愛してくれる人と結婚させたのは、ライルが愛せなかった償いでもあった。
幸せそうな娘を見て、ライルの肩の荷が降りた気がした。
この18年、ライルには様々な再婚話が浮上していたが、ライルは全て断っていた。
ライルが愛するのはただ1人だけで、誰も身代わりにすらならないからだ。
それに、待っていてと言われたから、何年でも待つつもりだった。
そんな時、知らない名前のご令嬢から、手紙が届いた。
この歳になっても再婚の話は上がってくる。
その関係だろうと、中身も読まずに捨てようとした時、ふと懐かしい香りが微かに鼻腔をくすぐった。
ロサリアがよく使っていた、特注の香水の香りだった。
ロサリアが自分で調合したものだから、店には売っていないはず。
手紙を開けると、さらにその香りが濃く漂って来た。
その手紙の内容は、ただ会って話がしたいというシンプルなものだった。
ライルはそんなことはありえないと思いつつも、わずかな可能性に賭けて、その手紙のご令嬢と会うことにした。
数日後、侯爵家に現れたのは、小柄で可愛らしい小動物のような少女だった。
名をローゼ・ハナンという。
彼女はライルに、開口一番こう言った。
「グラジオラスを一緒に見に行きませんか?」
「あ……ま……さか……」
「随分お待たせしてしまいました」
「ロサ……リ、ア……?」
「ただいま戻りました、あなた」
「ああああああーー!!」
ライルは18年ぶりに、氷の仮面を剥ぎ取った。
ローゼを逃さないように強く抱きしめて、涙を流す。
ローゼはライルの背に手を回し、力一杯抱きしめ返した。
「ロサリア……ロサリア……」
「はい……はい……」
「会いたかった。ずっと、ずっと……」
「はい」
「お、かえり。俺のロサリア」
「ふふっ。ただいま、私のライル」
2人は涙を流しながらも、額を合わせて笑い合った。




