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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

タクシー

作者: 藤原麻呂眉
掲載日:2026/01/29

本作は、ある夜の移動時間を切り取った短編です。

登場人物の関係性や感情を明確には描いていません。


閉じた空間の中で交わされる、わずかな会話と沈黙。

その中に残ってしまったものを、感じ取っていただけたら嬉しいです。

 タクシーの扉が開く。

 雨が降り頻る深夜二時。列の先頭に並んだ二人の男性が乗り込む。冬の冷たい空気と温かさが混じる車内で、一息つく。


「荻窪駅まで。その後、三鷹駅までお願いします」


 自動ドアが閉まり、運転手に目的地を伝えるとメーターが上がる。車が動き出し、ウインカーのカチカチという音が止まる。シートベルトを閉めるために座席を探るとお互いの冷え切った衣服が外の寒さを思い出させる。俺の知らないコート。まだ新しさを感じる手触り。


「荻窪まででよかったよな」


 後部座席右側に座った俺は、視線は窓の外に向けたまま、隣の彼に目的地を確認する。


「……うん」


 僅かな間をおいて、一言。声は僅かに震えている。彼は今、どんな表情をしているのだろうか。視線を向けようとして、再び窓の外に戻した。


「運転手さん、すみません。ラジオをかけてもらえますか?」


 運転手に声をかける。無言のまま、慣れた手つきで操作を行うと、軽快な音楽と聞き心地のいい低音の声が広がった。


『さて、今夜最後のリクエスト曲は、長年愛され続ける名曲。HBで《Sing for…》です。お聞きください』


 ステレオから、しっとりとしたピアノのイントロが流れてくる。感情の乗った美しい女性のボーカルに耳を傾ける。視界の端で、彼が指でリズムを取る。つられて口ずさみそうになるのを抑え、目を瞑った。

 何度も聞いた曲。聞く度に、新鮮で色鮮やかな光景と感情をもたらしてくれる。瞼の裏側には、見慣れた部屋の風景が記憶の中の香りと共に立ち昇って消えていく。


 曲が終わり、ふと、視線を向けると、彼は窓にもたれかかり遠くを見つめていた。窓枠ラジオはニュースを伝え、メーターは静かに上がっていく。


「来週末、残ってたやつ送る」


 疎らに行き交う車のライトに照らされる彼と視線が交差する。


「いらない。捨てて」


 鋭い語気を残し、椅子に深く座り直す。二人の間にあった彼の黒い皮のトートバッグがこちら側に倒れ、角が擦れた手帳と長財布が飛び出した。


「ごめん」


 飛び出した荷物をトートバッグに押し込み、まるで自分ごと抱きしめるように胸に抱え込む。


「そう……だよな。わかった」


 タクシーが停車して扉が開く。荻窪駅だ。


「三鷹まで行くし、俺が払っておくから、大丈夫」


 彼に支払わせる気はなかった。


「それはダメ。受け取って」


 彼は俺の目をみないまま、数枚のお札を渡そうとする。俺が受け取る気配がないとわかると、代金を後部座席に置いて降車する。渡そうとした時に力が入ったのか、お札は不規則に折れシワがついている。


「じゃあ、ま……さよなら」


 離れようとする後ろ姿に言いかけて詰まる言葉を言い直す。


「さよなら」


 振り返ることなく、最後の言葉をなくし扉が締まる。窓には体温で白く曇った跡だけが残る。タクシーは動き出した。

 置かれたお札を手に取ろうとすると、足元に何か落ちていることに気がついた。見慣れたキーケース。先ほど、トートバッグから飛び出したものだと気づく。咄嗟に拾い上げる。


「運転手さん、車を止め……いえ、三鷹までお願いします」


 軽い。鍵がひとつも付いていない。使われなくなったキーケースをポケットにしまう。指先で皮の感触を確かめる。傷のひとつひとつに彼の生活を感じる。

 彼のいた場所を見つめると、先ほどまで窓にあった彼の形は、曇りの中に溶け、消えかけている。


 雨はまた激しくなったようだ。ラジオから聞こえる天気予報が明日の天気を伝える。曇りのち雨。


 まだしばらくこの天候は続いていくようだ。




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