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68.世界の底に君がいた 2

「駄目だ……」


 と、ソクラを否定したのは他でもない僕だった。


 彼女の思想は危険だ。思考放棄をしている方がまだマシだった。


 冷静に考えた上で、この世界に見切りをつける。世界の底を見たものとして、当然の結論ではあるけれど、矛先が重要だった。


 この世界のことはどうでもいい。

 これなら、まだ良かった。


 異世界に行きたい。

 これもまだいい。


 でも、『吸血鬼』天野ヒトミに着いていく。これは駄目だ。

 殺人を肯定することになる。


 死を持ってこの世界を否定する。それは、魔王でしかないのだから。


 僕の考えを見透かしたように、ソクラは言う。


「何が駄目なのよ。あのね、あたしはヤユの味方だって言ってるのよ?」


「僕は……、僕は、誰かの前を歩けるような人間じゃない」


 一歩、思わず後ずさる。


「僕は、人ですらないんだ。人間に生まれるには早すぎた。償うことすらできない、取り返しのつかないことをしてしまったんだ」


 手を差し伸べてきた人間を拒絶する。


 僕は一体、何をやっているのだろう。自己矛盾に吐き気を催したくなった。


 きっと、母の言葉のせいだろう。


『他人に弱みを見せてはなりません。利用されるから』


 ソクラは、天野ヒトミの味方をするという弱みを見せている。だから、僕は、それを受け入れることはできない。


 だって、彼女の手を取るということは、彼女を利用することなのだから。


「僕は、生きているだけで、人殺し扱いされる。されて当然なんだ。シン先生の言っていることは正しい」


「じゃあ、ケプトちゃんを殺したのも、テラスさんを殺したのも、ヤユなの?」

 幼児のような顔だった。そこに善意はもちろん、悪意もない。文面以上の意味は含まれていない、純粋な疑問。


 あまりにもまぶしく、僕は目を閉じた。


 母の声が再び聞こえた気がした。まだ、僕たちが歪んだ母娘でない頃。お互いが親子として信頼し合い、愛し合っていた時。


『愛してる相手だったら、利用されたって良いじゃない』


 泣きながら、僕を抱いていた母の言葉だった。


 いいのか。僕を信じて、弱みを見せて。それでも、ソクラは良いと思っているのだろうか。


 瞼をあけて再確認する。

 一切のぶれもなく、恐怖も悪意もない。ただ、答えを待つ。そこには、綺麗な瞳があった。


「僕はやってない」


 情けない声が漏れる。


 張り詰めていた何かが決壊した。ヤユ・オーケアとして生きてきた十年間でも、天野ヒトミとしての十六年間でも味わったことのない感覚。


 視界が歪む。こちらも、合計二十六年間で一度も味わったことがない。頬を垂れる液体が何色か、直ぐにはわからなかった。


 人体から漏れる液体なんて、赤に決まっている。それなのに、拭った僕の手は透明に濡れていた。


 去勢が崩れていく。嗚咽と共に言葉が吐き出る。


「ケプトも、テラスも殺してない。見殺しにだってしていない。したかったわけじゃない。僕じゃあ、どうにもできなかったんだ」


 血まみれの両手が涙で洗い流されていくようだった。


「贖罪をするつもりなのに、現実から目を逸らしていたんだ。過去から逃げていたんだ。僕が天野ヒトミだったことは決して変わらないのに」


 情けなく、無様に。


 泣きながら、僕は弱みを曝けだした。


「それでも、僕はやってない」


 手をつき、地面を向く。そんな僕の頭を撫でるように、ため息が吐かれた。


「そんなことは知っているわよ。何を言っているのかしら」


 顔を上げると、ソクラはニヤリと口角を歪めていた。


「今更、メソメソされて困っちゃうわよ。貴方があたしをその気にさせたのよ?」


 世界の底の、先を見た。転生という人生を超えた道を辿ったものを見た。


 ソクラは僕を見ていた。でも、それは天野ヒトミではない。


「魔王討伐戦線第三部隊副隊長ヤユ・オーケア。あたしの前を歩くんだから、シャキッと背筋を伸ばしなさい」


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