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54.歪な母娘 1

 天野ヒトミからヤユ・オーケアまで。地続きの人生の中で一番冷静沈着だった時期は、中学三年生の冬。高校受験後の二月のだ。


 サトルくんに対する恋心も生まれていない。『怪盗』や『詐欺師』のような別の悪魔とも関わっていない。母の自殺を見届けてもいない。そして、魔王討伐戦線で贖罪をすると決めていない。


 トラウマや足を引っ張る感情がなければ、優先順位は性欲を先頭に、社会への適応が続いた。


 生粋の『吸血鬼』だった。警察に嗅ぎつけられないように、入念な計画を練って殺人を行う。血を飲むという目的を達成するためなら何でもした。


 頼れるのは一人だけ。明確な目的があって、冷静に遂行する。俯瞰して物事を見ることができていたし、身体も精神も冴え渡っていた。


 こうして魔王城にいる今、僕の脳内はあの時の感覚を取り戻していた。


 殺人鬼を捕まえる。その目的を遂行するために、一人で動き出す。冴え渡った脳は、散りばめられた情報を冷静に拾い上げていた。


 廊下に飛び出て、誰もいないことを理解した次の瞬間、僕はすぐさま部屋の中に戻った。


 一ミリだけ隙間を残して扉を閉めて、ため息をつく。


 誰かが鍵を開けたのは確かだ。しかし、姿が見えないのは明らかにおかしい。これは罠かもしれない、そう結論づける。


 魔法による開錠、もしくは開錠後に即座に立ち去ったか。僕と直接相対することが目的ではない?


 開錠者の意図は読めないが、自由に動けるようになったのは運がいい。例え、これが罠だったとしても、利用しない手はなかった。


 しかし、ここで思うがままに動こうとするほど考えなしではない。あるものに気がついたから、すぐに部屋に戻ったのだ。


 監視カメラ。魔王城の個人部屋以外のすべてに置かれている存在を、僕は忘れていなかった。偶然目を離していたと考えるほど、楽観的にもなれない。


 モニタールームはオルタ・ルーゼンの自室と併設されている。あの部屋にオルタがいるのならば、扉が開いたことに気がついて様子を見に来るかもしれない。


 これはチャンスだ。魔王城の中で唯一、オルタだけは交渉の余地がある。彼女は娘の死よりも、第三の難問を優先している。僕が天野ヒトミだとしても、難問に取り組む姿勢を見せれば、認めてくれるはずだ。


 オルタの自室はケプトの自室の右側、二階の最奥にある。こうして扉の隙間から耳を澄ませている今、扉が開く音を聞き流すことはない。息を殺して、あちらの出方をうかがう。


 一分経った。廊下どころか、魔王城内は無音だった。


 あちらもまた、僕の出方を伺っている? 

 監視カメラに写っているのだから、部屋に戻っているのは分かっているはず。こちらに来いと挑発しているのだろうか。


 いや、そのどちらとも違う。簡単な話じゃないか。


 鍵を開けたのがオルタ・ルーゼンだった。廊下の外にいないのも、走って逃げたわけではなく、歩いて自室に帰った。それだけの話だ。


 そうと決まれば、キャビネットから医療用メスを抜き取り、ブレザーの内ポケットにしまう。鋏を手に持ったまま、堂々と部屋から出ることにした。


 駆け足で移動し、二階の十二時の位置にある両開きの部屋ーーオルタ・ルーゼンの部屋へと侵入する。


 中で招待客の皆んなが僕を待ち構えていて、実は罠だった……なんてことはなく、沈黙した大量のディスプレイが僕を迎えた。


 そう。モニタールームは稼働しておらず、部屋は薄暗かった。僕の一瞬の動揺を見逃さず、攻撃が飛んでくる……なんてこともなく、ディスプレイの裏側からはすうすうと寝息が聞こえた。


 杞憂、か。少なくとも、部屋を開錠したのはオルタではないらしい。第一回捜査会議、別名「天野ヒトミの正体を暴きだす会」が食堂であってから、数時間は経過している。

 もしかしたら、再びヤケ酒をして眠くなったのかもしれない。


 忍び足でオルタの前に立つ。いつも被っている赤色のつばの広い帽子は枕元に置かれ、少女のような顔つきをした童顔がよく見える。穏やかな寝顔だった。


 こうして女性の寝こみを襲うのは、『怪盗』以来だなと思いつつも、頭を振る。中学三年生以来の全盛期に戻ってきているとはいえ、物騒な思考に染まるのは良くない。


 原点に帰ってきている。ヤユ・オーケアになってから性欲は一切湧いてきていないが、あの衝動が戻ってこないと断言することはできない。肉体は変わっても、魂は同じなのだから。


「あら、殺さないのね」


 下から聞こえる女性の声に、咄嗟に医療用メスを振り下ろす……、勿論、肉体を貫くようなことはない。五センチほど上で、刃を止めた。


「狸寝入りってやつですか、オルタさん」


「なんですか、それ。どういう意味なのでしょう。異世界のことわざってやつかしら?」


「寝たふりという意味ですよ」


「へえ。それじゃあ、貴方は狸を食べに来た狼さんってことかしら『吸血鬼』、天野ヒトミさん」


 首元の刃に恐れを抱くこともなく、変わらぬ笑みでオルタは笑う。実際、回復魔法が常設されている魔法使いにとって、刃物が首を貫通しても何も怖くないのだろう。


 余裕、慢心。僕が天野ヒトミだと分かっていても楽しそうにする彼女の挑発に、僕は乗らなかった。


「狸は鳥獣保護管理法で守られてるんですよ。無断で駆除すると罪に問われてしまいます。狸がいたら、放置か保護するのがベストですね」


「まるで、ルールを守る側の意見ね。殺人鬼である貴方が」


「ええ。殺人鬼としてではなく、本職を遂行することにしたんですよ。そういえば、僕の正体を明かしていませんでしたね」


「本職……。魔法学院の学生ではないと?」


「はい。僕は魔王討伐戦線三番隊副隊長ヤユ・オーケア。ルールを守る側の人間です」


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