50.異世界転生
いつものように、日中から頭がぼうとしてきて。
夕方には誰をどう殺すか考え始めて。
夜中に行動に移す。
標的は考えるまでもなかった。ベッドの中から抜け出し、隣の部屋に移る。自らが引き起こした悪行を何一つ理解していないような、穏やかな寝顔をした女性の前に立つ。
何もおかしな話じゃない。警察に捕まる前も、匿ってくれた人を殺して欲望を満たしていた。今回も同じなだけだ。
それに、『怪盗』は平穏を壊す悪魔側で、殺されるべき存在だ。今までよりも、殺人に意味がある。その結果、欲望も満たせてしまうならそれに越したことはない。
僕は初めて、意味のある殺人をする。
「……」
自分の思考に、ぞっとした。
何故、僕は言い訳をしているんだ?
今までは、欲求不満になった時には殺し終わっていた。弱みを隠すために、緻密な計画は立てていたけれど、殺人を躊躇ったことはない。
殺人は過程で、血を飲むことが目的だ。
頭が沸騰するほど興奮していて、早く飲みたくて仕方がないのに。お腹の奥が暴れるほど熱くなっていて、心臓の音が頭にガンガン響いて。この昂りは、血を飲む方法でしか解決できないのに。
それでも、僕の手は止まっていた。
相手が『怪盗』だからではない。彼女との生活は楽しかったけれど、僕は、サトルくんを殺して、母を見殺しにするような奴だ。殺す相手で躊躇をするわけがない。
相手が原因でないのならば、自分だ。
僕が変わった。
「終わりを受け入れたから?」
警察に捕まる直前。逃げることをやめたあの瞬間から、どこか視界は晴れやかで、付きものが取れたような気分だった。
死刑は確定している。警察に捕まることは、死そのものだった。あの時、僕は死んでも良いと思ったのだ。それはつまり、死んだのと同意義だ。
この世界のことはだいたいわかった。僕の居場所はここにはない。それならもう、来世にでも行くしかないじゃないか。
これなら、納得できる。僕の『自己を第一とした死生観』が、悪魔たる所以だと『詐欺師』は言っていた。その自己が死を望んでいるのだから、殺人鬼の素質を失ったのだ。
死生観が失われた。皮肉な話だ。殺してもいいと思う人間に自分が含まれたことで、優先すべき命が無くなり、全てが等しくなった。僕は普通の人間になったのだ。
死を決意したことで、罰を受け入れることで。僕は弱みを克服した。
それだけではない。生存意欲を放棄したことで、全ての活力が失われた。死にたいという感情は、三大欲求の真反対に位置する。自然と、血を飲みたいという性欲が鎮まっていった。
不思議と体が軽い。人生の終点に立っている自覚をしたからだろう。
包丁を『怪盗』の首元から外す。
「何だ、殺さないのね」
まるで最初から僕の葛藤を見ていたかのように、『怪盗』は呟く。体勢を変えず、薄く赤い瞳を覗かせる。
「『吸血鬼』天野ヒトミは生粋の殺人鬼だと、『詐欺師』から聞いていたけれど」
「僕は今、欲望を抑えることに成功しました。変われたのかもしれません」
「そんなことができるわけがないでしょ。 お姉さん達は自らを第一とする悪魔だよ? 変わることができたら、こんな人生になっていない……。いや……、まさか」
僕の晴れやかな表情を見て、何をしようとしているか理解したらしい。そこから逆算して、性欲を克服する事ができた理由に辿り着いた。『怪盗』は考え込むように目を瞑る。
食欲に飲まれている『怪盗』も、生存本能を捨てれば解放されるだろう。ただ、一ヶ月しか逃亡していない僕と、数年間この生活を続けていた彼女では見え方が違うのかもしれない。
僕は何も言わずに、頷いた。『怪盗』がこれ以上聞いてくることはなかった。
「それじゃあ、お別れですね。来世があったら、また会いましょう」
包丁を片手に、そんなことを言う。『怪盗』は口と目を開けて僕を見るが、何かを言おうとして、口を閉じた。
そのまま、布団の奥に沈んでいく。僕は小さく感謝の言葉だけを残し、『怪盗』の隠れ家から外に出たら。
行き先は決まっていた。
平和の象徴、警察。その本拠地の警察署。連続殺人鬼が警察署に引き渡される瞬間を『怪盗』に利用され、社会はより混沌に陥った。
それならば、僕が帰ってくる場所はここだ。僕がここで死ぬことで、少しでも平和な世界が戻ってくればと思う。
満点の星空の下、包丁を持った制服の女学生に気がついた夜勤の警官が無線を飛ばす。僕を指差し、声をあげている。
あとは彼らに託そう。
数々の一般人を殺してきた包丁を、垂直に自らの首に突き刺す。脊髄に当たったそれは止まり、それからは血液が溢れ出し、弧を描く。
死ぬのなら、殺してきた皆んなと同じ死に方で。同じ苦しみを味わう。僕にできる償いは、これくらいしかなかった。
来世は幸せになろう。
誰も殺さず、弱みを作らず。嘘偽りのない自分を曝け出して、堂々と生きよう。
今度こそ、ちゃんと人を好きになって、人からも認められて。両親とも仲が良くて、親孝行も沢山して。友達もいっぱいいて。
そんな、普通の生活を送ろう。
二月一日、天野ヒトミは死んだ。
***
時を同じくして、魔暦五八五年。新たなる命が産まれた。母親は赤子を抱き、父親は息子の誕生に涙ぐんだ。
そして、その全てを光が飲み込んだ。
直径一キロメートルにも及ぶ、巨大光線。肉体を焼き、蒸発し続けるまで放出された光は、この街の全てを奪った。
第二の人生は、仮初の平和すらない世界だった。
別文明の知識で世界を蹂躙し、魔法を否定し続ける。魔法使い達は立ち上がり、異世界の存在にを否定する。転生者の人権など、始めからなかった。
天国の魔王が討伐されても、失われたものは戻らない。それは、犯した罪が消えないと言われているようだった。
一度死んだ程度では許されなかった。
僕は、人として生まれるには早すぎたのだ。
でも、それなら。
あと何回、転生すればこの罪は許されるのだろう。




