49.悪魔達の協奏曲 3
「世の中には、論理で説明できない悪意を持った人間が多数いる。人を殺すものもいれば、火をつけるやつも、何でもかんでも盗むやつもいる。『詐欺師』の阿保はそんな連中のことを悪魔だとか抜かしていたが、当の本人であるお姉さんにとっては、区別しようとするべきではないと思う。人間なんて、立場によって見え方が変わるだけで、欲望の傀儡であることに変わりはないもの」
目の前に出されたのは、一汁三菜。湯気の立ち上がる米に、空腹を刺激する甘い香り。生姜焼きを主菜とした、完璧な和食である。
いただきます、と両手を揃えた眼鏡の女は、味噌汁から手をつけた。次に、ひじきの煮物。そして、豚肉を口に頬張り、幸せそうに天を向いた。
「遠慮せずに食べなさい。何、金を取ったりしないよ。それとも、『怪盗』は金欠というイメージがあるかな?」
「いえ。そもそも、『怪盗』という概念が飲み込めてないんですけど」
「もしかして、今時の若い子は小説とか読まないのか」
と、『怪盗』は首を傾げる。いや、怪盗は理解できているけれど、そんなファンタジー的な役職が目の前にいることを受け入れられていない。
「だけど、事実として、お姉さんはお嬢ちゃんを盗んだ。そうだろう?」
「ええ、まあ」
署に連行される途中だった。あの状況からどうやって僕だけを移動させられたかはわからない。しかし、不可能を可能にする盗人がいるのならば、それを『怪盗』と言っても差し支えないだろう。
僕が目を覚ました時には、暖房が効いた室内にいた。高層ビルの上階というのだろうか。ガラス張りの窓からスカイツリーが見えるから、都内であることは間違いない。
指名手配犯を盗み、優雅に夕食をとっているこの女は、今まで会った誰よりも不可解だった。どこにでもいそうなボブヘアに、黒い丸メガネ。高層ビルに不釣り合いなゆるいTシャツ。平凡さに溢れる服装は、自信に満ちた赤眼を隠すためにあるのかもしれない。
怪盗に倣い、味噌汁から口をつける。緊張をほぐす様な温かさが流れ込む。
「その、なんで、僕を助けたんですか?」
「一つ訂正させて欲しい。お姉さんはお嬢ちゃんを助けたつもりはない。こうすることが、一番良い飯が食えると思った。それだけだよ」
「食欲ですか」
「そうさ。ほら、見てみなよ」
いくつものヘリコプターが空を舞い、地上は赤色のランプを点滅させた車が走り回っている。怪盗が箸で差し先は、社会の動向を映している様だった。
「社会に溶け込んでいた大女優の娘が、九歳の頃から殺人を犯していたという恐怖は、一般市民どもを震え上がらせた。しかも、首を切って血を飲んでいたなんて、『吸血鬼』の登場だと揶揄することで精一杯だ。そいつがようやく捕まるっていうんだ。みんな、平和が戻ってくると安堵したことだろう」
天野ヒトミの逮捕は、正義の勝利である。だからこそ、社会を闇へ染め上げる悪魔の一人、『怪盗』にとって極上の宝物だった。
「なるほど」
また欲望か、と僕はため息を漏らす。つまらない話だ。人をもの扱いして、自分本位で、周りへの被害も考慮しない。自己中心的で、まるで僕だった。
味噌汁を再び口に含み、ひじきの煮物、生姜焼きと箸を進める。白飯を食べる頃には、目の前の怪盗の存在など忘れて夢中になってしまっていた。
怪盗は盗んだものをぞんざいに扱わない。シャワー、スキンケア、ネイルアートまで、衣食住を超えた生活を提供してくれた。
世間で注目されているものならなんでも盗む。宝石でも、電子機器でも、情報でも。それを闇市場で売り捌き大金を得て、悠々自適に暮らす。
食欲を原動力にしているだけあって、食事は常に最高級だった。超高級な店で食す時もあれば、『怪盗』自身が振る舞う時もあった。
人間とは恐ろしい物で、どんな危機的状況でも一週間あれば慣れてしまう。二週間あればそれが日常になり、三週間あれば悪くないと受け入れる。
何よりも、隣にいるのが国際指名手配されている『怪盗』というのが大きかった。一体どんな犯罪をすれば各国から狙われるに至るかまではわからないが、彼女もまた、世界の底から空を見上げる者だった。
社会が平和になれば、行き場を失う。欲望に従い、混沌を導く。僕と『怪盗』はよく似ていた。
母ともサトルくんとも違う、同族の悪魔との生活は少しずつ僕を変えていく。
性欲のために人を殺す僕と、食欲のためにものを盗む『怪盗』。僕らが引き起こす大罪は、欲望を満たすための過程でしかない。
『怪盗』の前では、隠さなくてはならない弱みが、弱みとして機能しない。
正直な話、心地よかった。血族としての愛に盲信するわけでもなく、盲目的な恋に酔うわけでもなく、素の僕としてがあった。
世界の底で暮らす、犯罪者達の同居生活。
事件は二月に起きた。深い理由があるわけじゃない。ただ、吸血鬼は欲求不満になった。それだけのことだ。
天野ヒトミの最後の日が迫っていた。




