48.悪魔達の協奏曲 2
不思議と冷静だった。
母は自ら命を断った。この事実をすんなりと受け入れられたわけではない。ただ、目の前の首吊り死体を、初めからそこにあるものであるかのように認識していた。
母はとっくに死んでいたような物だった。悪魔に魂を売っても女優業を捨てなかった。あの日から僕と目を合わせることもなく、現実から逃げ続けていた。
だから、死んで当然だった。
僕のせいじゃない。サトルくんの時とは違う。お母さんは勝手に死んだだけだ。
「まだ、生きてるぞ」
最初からそこにいたかのように僕の横に立つ『詐欺師』は、母の死体を見て口を歪めた。
「首吊りと言っても、死ぬには順番がある。気道閉塞、血流途絶、脊髄骨折……。息は止まっているが心臓は動いている。第二段階、仮死状態というやつだ」
「……」
「救急車が来るのは平均して十分だ。それまでに救命措置を行えば後遺症無しに回復することだって見込まれる」
『詐欺師』の声は酷く単調で人間味がなかった。今、すべき最善策を彼は述べているが、動くことはない。
そして、それは僕も同じだった。
『詐欺師』は僕をチラリと見て、更に口角を釣り上げた。
「そう。お前は何もしないんだ。死にかけている人間がいても、助けることはない。死にゆく存在は、死体と判断する。有明サトルの時もそうだった。あの青年は、俺が到着するその瞬間まで生きていた。即死ではなかったんだよ」
八歳の事故の時だってそうだ。僕の目の前で転んだ親友は血を垂れ流していたが、死んだのは緊急搬送されてから。事故があってから二時間が経った後だった。
僕が血を飲まずに、すぐさま救急車を呼んでいれば、親友は助かっていた。
「天野ヒトミ。お前が悪魔たる所以は、吸血という性的欲求にはない。目的のために殺人を犯せる短絡さでもない。死にゆく人間を冷静に見届ける、見殺しこそが天野ヒトミの罪だ。自己を第一とした死生観。ふふ、きっと、良い殺人鬼になるだろう」
「何が……」
「ん?」
「何が言いたいんだよ、お前は!」
いつも僕の前に現れて。何かするわけでもなく、達観したような言葉を吐き捨てる。発言に責任はなく、まるで物語のナレーションのように語るだけ。
犯罪者達の橋渡し、安眠のために社会を闇に堕とす悪魔の一人。『詐欺師』は僕の怒声に怯むことなく、寧ろ笑った。
「契約だよ。『天野ヒトミが行う殺人の秘匿』は、天野メグミが死ぬまで有効だ。今、君が見殺しにしているこの状況も契約の範囲内だ」
「そして」と、『詐欺師』は携帯を取り出す。液晶画面を僕の方に見せつけ、一、一とゆっくりと電話番号を入力する。救急車を呼ぶかと思ったそれは、キュウではなくゼロへと続いた。
「天野メグミは死に、たった今、契約は切れた。わたしはもう、君の殺人を隠蔽する必要がなくなった」
発信ボタンを押すと同時に、『詐欺師』は反対側の手で何か僕に押し付けてきた。僕が両手で握ったそれは、リビングの照明を鈍く反射させる。
赤い柄の包丁だった。以前、老婆を殺した時に一緒に埋めた凶器。止まった思考を煽るように、110へと繋がる発信音が鳴り響く。
「今からわたしは、君が九歳の時から行っていた殺人の全てを社会に公開する。エピソードはそうだな。娘の奇行に気がついてしまった大女優、天野メグミは絶望して自ら命を断った……、これでいこう。悲惨な理由で大女優が自殺したともなれば、世間は娘の動向に注目するだろう」
首吊り死体を下から覗きながら、『詐欺師』は電話口に向かって喋り出す。視界がぐわんと揺れて、何を話しているかまではわからなかった。
遠くから、サイレンの音がする。『詐欺師』は、僕の肩をポンポンと叩き、隣を通り過ぎた。玄関の扉を開き、招待をする様に外に促す。
「わたしが何が言いたいか、聞いていたな。答えてやろう。『吸血鬼』天野ヒトミ。君の役割を再認識してもらいたくてね。君には、仮初の平和を破壊してもらいたい。社会が闇に染まりきるまで、無様に逃げ回ってくれ」
***
そこから先の記憶は、あまりない。
走って走って走った。陸上部で他人に追いつくために培ってきた技術が、他人から逃げるために遺憾無く発揮された。
一日も経てば、指名手配犯としてニュースに載っていた。スマートフォンには同級生や学校、警察と数多くの連絡が入って止まなかったので、怖くて捨てた。
逃げる僕にも、大勢の人間が近寄ってきた。
非常識な凡人、無知な善人、薄っぺらい悪人。全てが、母よりも冷静で、サトルくんよりも不誠実で、『詐欺師』よりも浅かった。
僕という犯罪者に近づく行為自体が弱みになる。全員を利用して、殺した。
逃げて、逃げて、逃げて。そして、一つの結論に辿りつた。
この世界のことを大体理解した。もう、僕には未来がない。
どれだけ逃げても、逃げる先がない。終わりがない。
ここが、世界の底だった。これより下はない。そして、上がることもできない。
そう気がついた時には、足が止まっていた。
「確保、確保!」
警察に囲まれ、今までの逃亡劇が嘘の様に終わった。呆然としたまま、連行される。警察署の前には、全校集会でも始まったかと思うほどマスコミが集まっていた。
辺りが騒がしい。雑音を紐解くと、罵声だった。社会を恐怖に包んだ犯罪者への断罪の声も聞こえる。
長い旅が終わったような気分だった。八歳の時から血を飲み続け、人を何人も殺した。見ないふりをしていたそれが、ここまで公になったのだ。
解放される。自分の罪と向き合える。
最初から逃げるという行為が間違っていたんだ。
久しぶりに笑えた様な気がした。僕の口角の少しの変化も逃さないつもりなのか、無数のシャッター音が響く。
散々人を殺してきた殺人鬼の末路としては正当な結末だった。これにて天野ヒトミの物語は終幕である。
来世へと続く。
筈だった。
「まだ、地獄はこれからだろ?」
どこからともなく声がする。
僕を掴む手があった。それが、隣の警察官ではないことは、驚愕に満ちた表情を見たらわかった。それすらも嘲笑うような笑い声が、四方から聞こえる。
直後、失明をするかの如く強い光が全てを覆った。その場にいた全員の思考を真っ白にした後、残されたのは警察とマスコミ、誰も縛ることのなく地面に落ちた手錠。
この瞬間、何が起きたか理解できたものはいないだろう。
ただ一つだけ結果だけが残っていた。翌日のニュース記事の一面は、平和な日常とは正反対の、最悪そのものとなった。
『怪盗』が、『吸血鬼』を盗んだのだ。




