44.吸血鬼は底に落ちる 3
天野ヒトミ。華の十六歳。
春から晴れて私立銅燐高校に通い始めた思春期少女は、入学してから三ヶ月で自分が絶頂期を迎えていることを自覚していた。
一年生にして陸上部長距離で先輩のベストタイムを抜いた。前期の期末試験は学年一位の成績を叩き出した。母親は誰もが知る月曜九時ドラマ主演の大女優で、恵まれた容姿を受け継いでいる。
あらゆる女子から羨望の眼差しを向けられ、男子からは黄色い目線が飛び交う。完璧主義者の天野ヒトミに近寄るものは少なく、孤高の二文字が似合っていた。
そんな中、堂々と領域に立ち入り、僕の隣に座った男がいた。
有明サトル。学年二位の成績、陸上部短距離最速で、中学から天野ヒトミの同級生。隣に居座る理由の詰まった唯一の人間だった。
そんな彼から、夏休みの初日に告白されたのは意外でも何でもなかった。
何となく、こいつ僕のこと好きなんだろうなって思っていたし。
いつか、付き合うんだろうなと思っていたし。
いつ告白されてもいいように、身嗜みに気をつけたいし。
受けて立つ気持ちだったし。
つまり、何というか。
めちゃくちゃ僕は浮かれていた。
一緒に夏休みの宿題をやるためにお互いの部屋に行った。花火大会では浴衣を着たし、水着で海水浴、隣県に温泉旅行までした。
夏休みが終わってからも絶頂期は続く。九月からは毎日登下校を共にした。昼休みも一緒に食べていたし、放課後の部活動も同じだった。
天野ヒトミの人生の中で、最も充実していた四ヶ月間だったと言える。唯一気にしていたのは、サトルくんと共にいる時間が長ければ長いほど、性的欲求が高まり続けてしまっていたことだ。
思春期、性の目覚め。と言っても、異性の肉体に発情していたわけではない。サトルくんと踏み込んだ関係になりたいとは全く思わなかった。
歪み切った思考回路の欲求、つまりは吸血行動である。
血を飲みたい。日々の充実の背後で、着々と腹の奥に潜む感情は高まっていった。
十二月二十五日。天野ヒトミとして二番目の転換点である。いつも僕よりも先に待ち合わせ場所に来くるサトルくんが、五分ほど遅れてやってきた。
眠れなかったのか、酷く疲れたような様子だった。何があったか聞いても、言葉を濁してくる。もう少しで学校に着くというところで、寝不足の原因を話してくれた。
「サンタクロースが今年も来るか、起きて待ってたんだよ」
「何それ。小説の話?」
「いや、ほら。クリスマスじゃないか。ヒトミは、プレゼント貰えたのかい?」
「プレゼント……。どういうこと?」
どうやら、十二月の二十四日から二十五日の朝にかけて、サンタクロースなる人物が家に侵入し、良い子に届け物をしてくれるらしい。不審者以外の何者でもないが、誰も警察に通報したりはしない。不思議な話だった。
「サンタクロース、来たことないの?」
「ないけど……。誰なの? 何かの隠語?」
性的欲求に振り回されているような僕は、決して良い子ではない。サンタクロースなるファンタジーの化身が僕の元に来ないのは、当然だった。
「そんなことないと思うよ」
サトルくんは声を細めながら、校門をくぐり抜ける。彼の情緒がよくわからない。らしくない彼に首を傾げながら、下駄箱で靴を脱ぐ。
何か気に触るようなことを言ってしまっただろうか。サトルくんと喧嘩はしたことがないし、ここまで微妙な空気感が流れたことはなかった。
お昼ご飯も無言で、サトルくんは何か考え方をしているようだった。僕もまた、自分から声をかけるのが気まずくて待つことしかできなかった。
放課後。意を決したようにサトルくんが僕を呼んだ。別に、放課後はいつも一緒に下校したから改まる必要はないのに。僕にも緊張が伝わるほど、サトルくんの顔つきは深刻だった。
「今日、ひとみの家に行って良い? クリスマスはサンタクロースがくる以外にも、ケーキをみんなで食べるクリスマスパーティーが定番なんだよ」
良かった。何か間違いをしたわけではないらしい。僕はすぐに首を縦に振った。
コンビニでケーキとチキンを買って、昂る気持ちを抑えながら家に帰る。母は勿論帰ってきておらず、二人だけの空間が出来上がった。リビングに買ってきたものを並べ、冷蔵庫からジュースを取り出す。
ああ、幸せだ。サトルくんの顔はまだ固かったけれど、この空間に酔いしれていた僕は次第に気にならなくなった。
だが、明確に違和感を覚えたのは食事が終わったタイミングだった。
「ヒトミさ。隠し事しているでしょ」
冷蔵庫からケーキを取り出し、包丁でどう切ろうかと考えている時、サトルくんは真面目な表情でそんなことを言ってきた。
「隠し事って、僕が? 何のこと?」
「昨日の夜、何をしていた?」
「えっと、家でゆっくりしてたよ」
咄嗟に言葉を返す。何の真実もベースになっていない、純度百パーセントの嘘だった。昨夜は外に出ていた。
何故か、嘘はバレていた。サトルくんは悲しそうに目を伏せ、「俺に話せないことなのか?」と言葉をこぼす。どうしてそんなことを聞いてくるのか、見当もつかなかった。
だが、昨夜僕が何をしていたか話すというのは、弱みを見せることになる。話す、話さないの選択肢にすら入っていない。
語れることは何もない。
明確な拒絶を僕は示した。これ以上踏み込まないでくれ、と口を閉じた。
「信じて、話してくれ」
いつのまにか、サトルくんは僕の前に立っていた。ケーキはまだ切れていない。それなのに、包丁を僕の手から取り上げた。
まるで、殺人鬼から凶器を押収するかのように。
「大丈夫、俺は味方だ」




