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43.吸血鬼は底に落ちる 2

 警察からの事情聴取は淡々と進んだ。


 僕は特段、嘘をつくようなことはしなかった。何も悪いことはしていないし、むしろ正しいことをした。

 実際、本当にただの事故である。帰り道に友達が転んで死んだ。それだけの出来事だ。


 一点、僕が理解できなかったことは、親友の死因だった。緊急搬送されるまで二時間もの空白があり、出血によるショック死したのは緊急搬送された後だった。


 事故が起きた瞬間に救急車を手配していれば、十分助かる怪我だった。まあ、八歳児の僕を批判するような大人はいない。


 ショック死ならぬ、ショックで立ち尽くしていたと判断させられた。

 警察たちも、まさか八歳の女児が、血をごくごくと飲んで時間を潰していたとは思わなかっただろう。


 事件になることもなく、事故で終了。僕は一切の弱みを見せずに、待合室で天井を見ていた。


 思い出すのは、親友が木にもたれかかっている歪な景色、ではない。そんなことはどうでもよかった。


 頭の中は赤黒い液体でいっぱいになっていた。


 初めて血液を口にした。舌触りが悪く、鉄が腐ったような形容し難い匂いに、頭が白くなるような奇妙な味。


 夢中になってしまっていた。体感としては五分程度、二時間も経っていたなんて思わなかった。

 

 これは決して食事なんてものじゃない。感覚としては、排泄に近い行為だ。


 体にある不純物を外に出す。喉を通して体に流し込むのは一見すると逆に見える行動だが、弱みという世界の不純物が、僕の体内に排出されたと考えれば不思議ではない。


 勿論、当時の僕はここまで論理的に自己分析できていたわけではない。本能として、吸血行動を是としていただけだった。


「ひとみ!」


 そういえば、母の迎えを待っていたのだった。母は自慢の黒髪を激しく乱し、今まで見たことのないような焦燥に駆られた様子で僕を抱きしめた。


 職場からそのまま来たようで、扉の外には女優業のマネージャーが遅れて駆け寄ってくる。


「遅くなってごめんね。一人にさせちゃってごめんね。悲しい思いさせちゃってごめんね」


 何故か謝る母に困惑する。どう答えてたらいいかわからず、あうあうと口を動かすことしかできなかった。そんな僕の様子を見て、母は安堵したように嗚咽をこぼした。


 表情は見えない。僕の肩の上で、母は言葉にならない声をあげていた。母が何故苦しそうにしているかわからなかった。母には関係のない話なのに、何故。


「お母さん、大丈夫だから。もう帰ろう?」


 気味が悪いと思った。いつもの母の言動からは考えられない。母が意味のない行動をするわけがないのに、この行動には一貫性がなかった。


 抱擁を解き、母の顔を見る。表情から何かわかることがあるかもしれない。そう思っていた僕の予想は大きく裏切られた。


「え?」


 信じられない物を見た。親友の後頭部から木の枝が突き抜け、血液が溢れ出てくる状況よりも理解できない。

 母の目元に浮かぶ半透明の線。目尻を下げ、辛そうに僕を見つめてくるこの女が、誰なのか一瞬わからなくなった。

 だって、それは涙だったから。


「ダメでしょ、お母さん。弱みを見せちゃ」


 理解できなかったのか、母は何度も瞬きをして、言葉を咀嚼するのに時間をかけた。


 弱みを見せたらつけ込まれる。苦しみを、悲しみを、血を、涙を見せてはならない。


 散々僕に禁止事項を設けてきたというのに、簡単に破った。これは母じゃない。偽物なんじゃないかと疑いかけていた僕を、母は再度抱きしめてきた。


「お友達が亡くなったら、泣いていいの。悲しんでいいの。今はね、これが正しいのよ」


「りようされちゃうよ?」


「愛してる相手だったら、利用されたって良いじゃない」


「そうだったんだ」


 知らなかった。僕の呟きを聞いて、母はわんわんと泣き始めた。大女優の涙にしては感情的で、見ていられないものだったけれど、演技とは思えなかった。


 幼少期の天野ヒトミの八歳の出来事はこれで終わりだ。翌週からは普通の小学生に戻った。


 一つ違ったことといえば、定期的に病院に行かなくてはならなくなったことだ。僕は目の前で親友を失ったショックで心に傷を負ったらしかった。最初は何のことかわからなかったが、確かに心に変化は残っていた。


 トラウマが刻まれていたわけではない。人生を変える原体験として刻まれていた。


 血。あの時飲んだ血が忘れられない。思い出すだけでお腹の奥から熱くなってきて、全身がのぼせてしまう。


 ヤユ・オーケアとして転生した今だからわかる。あれは、性的欲求だった。異性に対して欲情をしたことはなかったが、あの瞬間、僕は確かに興奮していた。


 本能が子孫繁栄のためではなく、全く別の目的にすり替わってしまっていた。だが、僕はこれが性的倒錯だとは思わない。


 精神科医には本当のことを伝えなかった。

 吸血は血を隠す行為で、正しいことだ。だけれど、その先に人の死があるのならば、弱みにつながりかねない。

 精神科医のことを愛しているわけでもないし、弱みは見せてはならないと、幼いながら理解していた。


 八歳のあの事件以降、天野ヒトミは言いつけを守り続けていた。正しいという自負に背中を押され、欲望は肥大化していく。


 幼き思考にできた一本の軸は、肉体と精神の成長とともに湾曲していく。


 他人に弱みを見せてはならない。利用されるから。逆にいえば、弱みを見せている人間を利用しても良いということだ。でも、そこまで酷いことはしない。

 

 何も恨んでいるわけじゃない。弱みを見せている人間がいるのならば、八歳のあの日のように隠してあげれば良いのだ。


 言い訳じみた正義と、お腹の奥で湧き上がる性欲。自分一人で発散しようと考えるのは自然だった。


 血を飲みに行こう。最初の殺人は、翌年の小学三年生の頃だ。

 同じクラスの中でいじめが発生した。背の高い男子が、陰鬱な女子の容姿を弄った。放課後、人通りの少ない車道でその男子を小突いた。


 偶然、大型トラックに衝突して地面に激突した男子からは微量の血液が漏れた。

 ほら、弱みが出てきたぞ。隠してあげないと。

 そう思って一歩前に踏み出した僕の周りを、通行人が囲む。あっという間に救急車が手配され、性欲の昂りが落ち着くことはなかった。


 ああ、そうか。この方法では血が飲めないのか。

 反省反省。

 次の殺人は、山の奥でやった。一年ぶりにありつけた血液が喉を通る瞬間、脳を溶かすような快感があった。


 悪知恵をつけ、計画を立てて、人物を調査して。欲望のために、僕は努力した。


 晴れて、吸血鬼天野ヒトミの誕生である。性的欲求を満たすために行なった性処理運動に支配された僕は、十六歳まで悠々自適に生き延びた。


 数多の殺人の中で、性欲が絡んでいないものは二回だけしかなかった。

 どちらも社会からしたら意味のない、利己的なものだ。ただ、その二回がなければヤユ・オーケアはいなかったことを考えると、無駄だったとは言い切れないかもしれない。


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