第8話 復讐の鎖
試験終了の放送が流れた大広間は、興奮と疲労、そして安堵の入り混じった異様な熱気に包まれていた。遥斗は、ぐったりと意識が朦朧としている鎖の魔術士を肩に担ぎ、人混みを避けて治療室へ急いだ。
遥斗(できるぐらい早くこの場を離れなければ。HPが1というデバフは、まだ29分近く続く。もしここで、誰かに不意に押されて、壁の角にぶつけたりしたら、それだけで俺の命は終わる可能性がある)
ERROR能力の代償による激しい頭痛と吐き気が、全身の細胞を内側から締め付けているかのようだった。HPが1という状態は、この世界のシステムにおいて「生きている」と「死んでいる」の狭間だと意味していた。それは、ただのゲームの数値ではなく、全身の器官が「生命維持の限界」を悲鳴のように叫んでいる状態だった。
治療室に到着すると、遥斗はレンを空いていたベッドにそっと横たえた。白衣を着た魔術師兼医師がすぐにレンの元へ駆け寄り、彼の体を確認し始めた。
レンの治療が始まったのを見届けた直後、遥斗の体から、緊張という最後の支柱が抜け落ちた。
遥斗「うっ……クソ」
彼は咄嗟に壁に手をつき、倒れるのを堪えたが、全身の震えは止まらない。冷や汗が大量に噴き出し、ローブの下のシャツが濡れていく。
医師の一人が遥斗の異変に気づき、慌てて彼に近づいた。
医師「君もひどい消耗だ! すぐにベッドに!」
遥斗は首を横に振った。
遥斗「俺はいい。レンの治療を頼む。彼は魔力切れが酷い」
医師「いや、君の顔色は尋常じゃない。魔力切れだけでは済まされない何かだ! まずはこれを受け取れ!」
医師は遥斗の口に、無理やり特級の回復ポーションを流し込んだ。
ポーションの液体が喉を通り過ぎた瞬間、体内に熱いエネルギーが流れ込み、全身の激痛が和らいだ。しかし、システムが課した**HP1のデバフは、びくともしない。**ポーションでは、システムのエラーを治すことはできないのだ。
レン「……あんた、大丈夫なのか?」
レンが、ベッドの上で上半身を起こしながら、ぼんやりとした視線で遥斗に声をかけた。彼の瞳には、まだ警戒の色が残っている。
遥斗「ああ。俺は平気だ。ポーションで少し楽になった」
遥斗は平静を装った笑みを浮かべ、壁から手を離してレンのベッドの傍に腰を下ろした。
レン「そうか。本当に助けられた。礼を言う。俺の名前はレン。レン・アスターだ」
遥斗「俺は遥斗だ」
レン「ハルトか。あんたの戦い方は理解できなかった。魔術士が、あんな近接戦闘を仕掛けるなんて。それに、あの集団を一瞬で……。あれだけの魔力を放出するなら、俺と同じか、それ以上の魔力切れを起こしていてもおかしくない」
レンは、遥斗がERROR能力を使ったことに気づいていない。彼の目には、遥斗の異常な強さが「無茶苦茶な戦い方」に見えているようだ。遥斗は安堵しながらも、レンの能力について切り出した。
遥斗「あんな集団相手じゃ、やるしかなかった。それより、あんたの鎖の魔術も見事だった。この世界で鎖を使う魔術士は初めて見たぞ」
レン「あの魔術は**《ライトニング・チェイン》。この世界でも極めて珍しい封印魔術で、光の鎖を編み出す。基本的な拘束に加え、本領は相手の魔術、動き、身体能力といった何かをランダムに封じる**ことだ。俺の両親が残してくれた、この世界では秘匿されている魔術だ」
レンはそう言って、疲労から来るため息をついた。彼の言葉の端々から、その魔術に対する誇りと、それに伴う重い過去が垣間見えた。
◇◇◇
やがて、治療室のドアが開き、フェリクス校長が入ってきた。校長は変わらず優雅な笑みを浮かべているが、その目には全てを見透かすような冷酷さと威厳が宿っていた。
フェリクス校長「治療室にいる諸君、そして合格者諸君に告げる」
治療室内にいる怪我人は、校長の威圧感に静まり返り、一斉に注目した。
フェリクス校長「これより、今回の入学試験の合格者を発表する。合格ラインは250名。結果、この治療室にいる者を含め、232名が合格となった」
ざわめきが起こる。予想より少ない合格者数に、皆が戸惑っていた。これは、試験中に辞退したり、重傷を負って戦線離脱した者が多かったことを示している。
フェリクス校長「残念ながら、合格ラインに達しなかった者もいる。彼らは、この学校の敷地内に倒れているだろう。心配はいらない。彼らは適切な治療を受け、後ほど家族のもとへ送り返される」
殺しはなし、というルールは守られた。しかし、校長の口調は、まるで「使い物にならない素材」を処分した後のような、冷酷で薄情な響きだった。
フェリクス校長「さて、ハルト・イチノセ君、そしてレン・アスター君。君たちは素晴らしい戦いをしてくれた。特に、ハルト君。君の戦闘スタイルは、既存の概念を覆すものだ。そして、レン君の封印魔術。久しいな、あの系統の魔術を見るのは」
校長は遥斗の近くまで歩み寄り、遥斗を見下ろした。その瞳は、遥斗のシステムボードに表示された赤い文字を、まるで読んでいるかのように感じられた。
フェリクス校長「だが、無理はしないことだ。君の体は今、何か大きな代償を支払った後のようだ。その代償が何であれ、それを乗り越えようとする意志は評価する。だが、くれぐれも、学園内でルールを破るような行動は慎むように。ここは、君たちが思っているような、優しく甘い場所ではない。能力には、常に正しく理解された代償が伴う。それを忘れるな」
フェリクス校長は、遥斗のERROR能力による代償に気づいているのか、それとも単なる勘で言っているのか。彼の「正しく理解された代償」という言葉が、遥斗の胸に重くのしかかる。遥斗は冷や汗をかきながらも、校長の目を見返した。
遥斗「……わかっています」
フェリクス校長「よろしい。明日より、君たちはこのバルモンド魔剣術学校の生徒だ。教室や寮の案内は、追って通知する。本日は、解散!」
校長は、それだけ言い残して、再び優雅に立ち去っていった。
校長がいなくなった後、レンは声をひそめて遥斗に話しかけた。
レン「あの校長、間違いなく何か知ってるな。あんたのことも、俺の光魔術のことも。この学校は、単に剣と魔術を教えるだけの場所じゃない」
遥斗「だろうな。あの試験自体が、俺たちの能力と、その限界を試すためのものだった。ここが『優しく甘い場所ではない』ってのは、本当だろう」
医師による最終チェックが終わり、レンの魔力回復が確認された。遥斗は、ポーションのおかげで肉体の激痛は抑えられ、30分が経過したためHP1のデバフが解除された。
遥斗「治療が終わったなら、少し付き合ってくれないか、レン。少し、腹でも満たしながら話がしたい」
レン「ああ、もちろんだ。あんたには命を救われた。奢らせてくれ」
◇◇◇
レンと共に学校を後にする前に、遥斗はまず鍛冶屋へ向かった。
鍛冶屋のおっちゃん「おう、ハルト! 剣の受け取りか?」 おっちゃんは、汗を拭いながら遥斗を迎えた。彼の後ろの作業台には、一つの短剣が置かれていた。
遥斗「ああ、そうだ。剣は?」
鍛冶屋のおっちゃん「もちろんだ! 見た目以上に骨の折れる作業だったが、素材が良いからな。バッチリ直しておいたぜ」
おっちゃんは、修復された短剣を遥斗に手渡した。
それは、昨日真っ二つに折れた短剣とは別物のように、完璧に修復されていた。真っ二つに折れていた箇所はどこにも見当たらず、刃は鋭く研ぎ澄まされ、柄には美しい装飾が施されていた。
遥斗「これは……すごいな。完璧だ」
鍛冶屋のおっちゃん「だろ? この短剣、魔術干渉の力が凄まじい。普通の金属じゃ打ち直せないんだ。俺の『鍛冶スキル』がなかったら、諦めるしかなかった」
おっちゃんは誇らしげに胸を張る。
遥斗(これで『対魔術干渉ブレード』が戻った。剣士との戦いに加えて、魔術師殺しの特性。この学校での戦いには必須だ)
遥斗は、短剣を手に取り、その冷たい感触を確かめた。
遥斗「ありがとう。いくらだ?」
鍛冶屋のおっちゃん「ああ、金はいいよ。ルミナに世話になったからな。ルミナがいなくなった今、俺が代わりに世話をしてやる。いつでも来い」
遥斗は、おっちゃんの言葉に再び息を詰めた。おっちゃんは、遥斗の様子を見て、ルミナの死に気づいていた。しかし、遥斗の現状を慮り、あえて何も聞かないでくれているのだ。
遥斗「……ありがとう、おっちゃん。必ず恩は返す」
遥斗は深々と頭を下げた。ガルムの好意が、凍りついた遥斗の心に、わずかな温かさを灯した。
◇◇◇
遥斗とレンは、街の中央にある冒険者ギルドへと向かった。ギルドの扉を開けると、一日の仕事を終えた冒険者たちの喧騒と、香ばしい肉の焼ける匂い、そして様々な酒の匂いが充満していた。
二人は隅の静かな席を選び、レンはビールのような酒を、遥斗はジュースを注文した。
レン「ハルト、遠慮するな。好きなものを頼め。今日は俺が奢る」
遥斗「じゃあ、遠慮なく……」
遥斗は、ルミナが好んで食べていた、香草がたっぷり乗った厚切りの魔獣肉ステーキを注文した。レンは、肉とシンプルなパン、そしてチーズを頼んだ。
料理が運ばれてくるまでの間、二人は雑談を続けた。
レン「しかし、合格できてよかった。魔剣術学校の試験は、冒険者ギルドの昇級試験よりよっぽど殺伐としている」
遥斗「ギルドの昇級試験?」
レン「ああ。あんたも冒険者だろう? ランクは?」
遥斗「俺はC級だ」
レン「なんだ、俺と同じC級か! C級で、あんな無茶な魔術を使うなんて、やっぱり只者じゃないな」
この世界の冒険者ランクは、F級から始まり、E、D、C、B、A、S級と上がっていく。C級は、中堅の魔物討伐や、少し危険なダンジョンの攻略も任される、一人前の実力者の証だった。ルミナが生前、遥斗をC級まで引き上げてくれていたのだ。
遥斗「レンは、どうして学校に入ろうと?」
遥斗の問いかけに、レンの顔から笑顔が消えた。彼はグラスに入った酒を一気に煽り、静かに話し始めた。
レン「俺は、復讐のために冒険者になりたい。そして、この学校は、そのための最も早い近道だと考えたからだ」
遥斗「復讐……誰に?」
レンは遠い目をして、話を続けた。
レン「俺は、バルモンドから少し離れた、静かな山間の小さな村の出身だ。そこで、両親と三人で暮らしていた。幸せだった。ちょうど一年前の冬のことだ……」
レンは一旦言葉を区切り、深く息を吸い込んだ。
レン「村が、凶暴化した魔物の集団に襲われた。普段は臆病なはずのゴブリンやコボルトが、狂ったように村人を襲い、抵抗する者には容赦なく爪や牙を向けてきた。まるで、何かに操られているかのように、異常な数の魔物が村を蹂躙したんだ」
レンの手が、無意識のうちに拳を握りしめた。
レン「俺の両親は、俺を逃がすために、魔物の群れに立ち向かって、死んだ。俺は、その時、ただ隠れて震えていることしかできなかった。俺の『封印魔術』が完成していれば、両親を救えたかもしれないのに……」
レンの瞳の奥には、深い悲しみと、燃え盛る復讐心が揺らめいていた。
レン「その凶暴化の原因は、いまだにわかっていない。ギルドの調査も入ったが、『自然発生的な魔力の暴走』として片付けられた。だが、俺にはわかる。あれは、誰かが意図的に引き起こしたものだ。あの事件の裏にいる黒幕を見つけ出し、両親の仇を討つ。それが、俺が冒険者を目指し、この魔剣術学校に入学した理由だ」
レンの壮絶な過去を聞き、遥斗の心臓は激しく波打った。
遥斗(凶暴化した魔物の集団……そして、一年前の出来事。ルミナが殺された事件と、何か関連があるのか?)
遥斗の脳裏に、偽ルミナを倒した際の記憶が蘇る。偽ルミナは、遥斗を討伐対象と見なし、魔術を駆使していた。そして、ルミナを殺害した真の目的は、「あの方」と呼ばれる人物の指示によるものだった。
遥斗(偽ルミナの正体は、ルミナのコピーした魔物だった?もし、レンの村を襲った魔物の集団も、同じように**何らかの『エラー』や『歪んだ魔力』**によって凶暴化させられていたとしたら?)
ルミナを殺した「あの方」の目的は、この世界を破壊することにあるのではないか。そして、レンの村を襲った魔物の凶暴化も、その一環として実験的に行われた可能性が浮上する。
遥斗(偽ルミナを操っていた「あの方」……その正体を探る上で、レンの過去の事件は重要な手掛かりになるかもしれない)
遥斗はレンをじっと見つめ、静かに尋ねた。
遥斗「レン。あんたの復讐の相手は、魔物じゃなくて、それを操った人間、あるいは何か別の存在なんだな」
レン「ああ、そうだ。俺は、それを知るために、どんな汚い手段も使う。あんたはどうなんだ、ハルト。あんたの戦い方や、あの時の魔力消費の異常さ。何か、訳があるんだろう」
レンの真っ直ぐな視線に、遥斗は真実を話すべきか迷った。しかし、ERROR能力の真実、そして自分が異世界から来たという事実は、あまりにも突飛すぎる。
遥斗「……俺にも、この世界で失った、大切な人たちのために、果たすべき目的がある。そのために、俺は強くなりたい。あんたの復讐心と、俺の目的は、別々のものかもしれないが……」
遥斗は、修復されたばかりの「対魔術干渉ブレード」を握りしめた。その冷たい感触が、彼の決意を新たにする。
遥斗「レン。俺たちは、同じ魔剣術学校に入学した。この学校が闇を抱えているなら、俺たちはその闇の中で協力し合えるはずだ。相棒として、何かあったら助け合うと約束してくれないか」
レン「……ハルト」
レンは目を細め、遥斗の真剣な瞳を見つめた。
レン「わかった。あんたには命を救われた恩もある。そして、あんたの目には、俺と同じ炎が燃えている。いいだろう。今から俺たちは相棒だ。学校の中で、誰にも言えない秘密を共有し、互いの背中を預け合おう」
レンは立ち上がり、遥斗に手を差し伸べた。遥斗もその手を取り、強く握り返した。
その夜、二人は互いの胸の内にある復讐の炎を共有し、新たな相棒となった。レンの過去は、遥斗にとって「あの方」の手掛かりとなり、遥斗の異常な力は、レンにとって強力な盾となるだろう。
◇◇◇
ギルドを後にした遥斗は、ルミナとの思い出が詰まった、空っぽの家に一人で戻った。
自室に戻ると、彼はすぐにシステムボードを脳内に展開した。HP1のデバフは、しっかり無くなっていた
HP: ~~1000 / 1000~~
HPが回復しているのを確認して、遥斗は「あの方」についての情報を整理し始めた。
遥斗(この学校には、ルミナを殺した「あの方」の手掛かり、あるいは、その人物の手先が必ずいる。そして、レンの過去の事件も、その糸口になるかもしれない)
遥斗は新しい短剣を枕元に置いた。
遥斗(やるべきことは決まった。学校で情報を集め、力をつけ、レンの復讐の助けをしながら、俺自身の復讐を果たす)
遥斗は、ルミナのローブを固く握りしめ、静かに眠りについた。
明日から始まる魔剣術学校での生活は、復讐という名の孤独な戦いに、レンという唯一の相棒を得て、新たな局面を迎えるのだった。
第9話に続く――。
こんにちは、くるまえびです。第8話はどうでしょうか?
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