第4話 はじめての依頼と、はじめての実戦
朝。
ルミナの家の簡素なベッドから起き上がると、体のだるさはほとんどなくなっていた。
遥斗(この世界に来て数日で、まさか魔術の訓練まで始めることになるとはな……)
階段を降りてリビングに行くと、テーブルの上にはパンとスープ、それから焼いた肉とサラダが並んでいた。
ルミナ「おはよう、遥斗。ちゃんと起きられたわね」
遥斗「おはよう。うわ、朝からごちそうじゃないか?」
ルミナ「今日は“実戦デビュー”の日だからね。ちゃんと食べておかないと、すぐバテちゃうわよ」
遥斗「じ、実戦デビュー……」
さらっと物騒な単語が出てきた。
遥斗「え、ちょっと待って。今日いきなりダンジョン最深部とかじゃないよな? いきなりドラゴン討伐とかさ」
ルミナ「そんなわけないでしょ。最初は“ゴブリン討伐”よ。ちゃんとギルドで依頼として受けるから安心しなさい」
遥斗「(安心……か?)」
正直、不安八割・ワクワク二割って感じだ。
でも、ここで逃げ出したら、せっかく転生したのに何も始まらない気がする。
ルミナ「ほら、冷めないうちに食べて。今日はしっかり動いてもらうからね」
遥斗「はーい」
俺たちは雑談をしながら、朝ごはんを平らげた。
◇ ◇ ◇
朝食を終え、装備を整える。
腰にはルミナが貸してくれた短剣一本。
服は昨日までと同じ、ルミナが用意してくれた動きやすい布の服だ。
ルミナ「よし、準備はいいわね?」
遥斗「うん。一応、心の準備も……たぶんできてる」
ルミナ「“たぶん”ってつけるあたりが不安だけど、まあいいわ。今日の目標は“死なないこと”と“ちゃんと魔術を当てること”。この二つ」
遥斗「目標がわりとギリギリなんだよなぁ」
ルミナ「安全第一よ? じゃ、出発」
ルミナの家を出て、森とは反対側――バルモンド城下町の方向へ歩く。
◇ ◇ ◇
昨日までは遠くから眺めるだけだった城壁が、どんどん大きくなってくる。
遥斗「おお……」
高い石の壁。
その前に設けられた大きな門。その横には、槍を持った兵士たち。
初日にここまで来て、「入れません」と門前払いを食らったのを思い出す。
ルミナ「そんな顔しないの。今日はちゃんと中に入るわよ」
遥斗「ほんとに?」
ルミナ「ほんとに。今日は私と一緒だし、ちゃんと理由もあるもの」
門の前まで来ると、兵士の一人がこちらに気づいた。
兵士「おや、ルミナさん。今日はお一人じゃないんですね」
ルミナ「ええ。この子、最近拾ったのよ」
遥斗「拾ったって言い方やめない?」
兵士「はは……。そちらの方は、冒険者志望で?」
ルミナ「そんなところね。ギルドで依頼を一件、受けさせようと思って」
兵士「なるほど。ルミナさんの紹介なら問題ありません。通ってください」
ルミナ「ありがとう」
ルミナが軽く会釈すると、兵士は門を通る合図をしてくれた。
俺は内心でガッツポーズを決めていた。
遥斗(ついに……入れた……!)
◇ ◇ ◇
バルモンド城下町の中は、初日に外から見たときよりもずっと活気があった。
石造りの建物が並び、露店がずらっと並んでいる。パン、野菜、肉、武器、よく分からない魔道具みたいなものまで売っている。
遥斗「うわぁ……完全に“ゲームの街”だ……」
ルミナ「?」
遥斗「あ、こっちの話」
人混みを縫うように歩いていくと、ひときわ大きな建物が見えてきた。二階建ての堂々とした造りで、入り口の上には剣と盾の看板。そしてその下に、くっきりと文字。
『冒険者ギルド・バルモンド』
遥斗「おおおおお……ついに来た……!」
ルミナ「はいはい、はしゃぎすぎて転ばないでね。行くわよ」
◇ ◇ ◇
中に入ると、ざわめきと木の匂いが鼻をくすぐる。
広いホール。奥にはカウンター。その手前にテーブルと椅子が並び、鎧の戦士、ローブの魔術師、軽装の弓使いっぽい人たちが、酒を飲んだり談笑したりしている。
遥斗「うわ、本当に“ギルド”って感じだ……!」
ルミナ「ギルドなんだから当たり前よ」
遥斗「ですよねー」
ルミナは慣れた足取りでカウンターへ向かう。
そこで、淡い茶髪をひとつにまとめた女性職員が、書類を整理していた。
ルミナ「おはよう、ミレイユ」
ミレイユ「ルミナさん。おはようございます。今日は――そちらの少年と一緒に?」
どうやらこの人が受付嬢らしい。
優しそうだけど、目は仕事モードでキリッとしている。
ルミナ「ええ。ここ数日、魔術の基礎と体力づくりを教えてた子なんだけど……そろそろ簡単な依頼で、実戦経験を積ませようと思って」
ミレイユ「なるほど。初依頼ですね?」
ミレイユさんの視線が、俺に向く。
ちょっとだけ刺さる。
ミレイユ「名前と年齢を教えてもらえる?」
遥斗「一ノ瀬遥斗、15歳です」
ミレイユ「……珍しい名前ね。出身は?」
遥斗「えーと……ちょっと遠い村で」
ミレイユ「ふふ、言いたくなさそうですね。無理には聞きません。ルミナさんが連れてきた子ですし、ある程度は信用しますよ」
助かった。
ミレイユ「さて、ランクの説明をしておきますね。冒険者は下から【D級】【C級】【B級】【A級】【S級】の五段階。あなたは当然、一番下のD級からスタートです」
遥斗「ですよね」
ミレイユ「依頼にもランクがあって、自分のランク以上の依頼は基本的に受けられません。D級なら、D級か、せいぜいC級の簡単なのまで」
ルミナ「今日はD級の戦闘系のクエストをお願いできるかしら?」
ミレイユ「了解です。ちょうどいい依頼が出てますよ」
ミレイユさんはカウンターの横の掲示板から、一枚の紙をはがした。
ミレイユ「こちら。D級依頼――“森外れの小規模ゴブリン集団の討伐”」
遥斗「ゴブリン……」
初日に俺を追いかけ回した、あの緑の悪夢だ。
ミレイユ「数は五〜七体。場所もバルモンドからそう遠くないです。既に数件、被害報告がありますが、どれも軽傷。D級の初心者パーティが練習がてら行くには、ちょうどいい相手ですね」
ルミナ「私が同行するわ。フォロー込みなら、これくらいでいいと思う」
ミレイユ「でしょうね。ルミナさんが一緒なら、D級のゴブリン程度じゃどうとでもなりますし」
遥斗「え、えっと……俺、ちゃんと戦えるかな」
ルミナ「大丈夫。ちゃんと“初級火魔術”は出せるようになったでしょ。今日はそれを“実戦で当ててみる”のが目的」
遥斗「(そうだ。逃げてばかりじゃ、何も変わらない)」
ミレイユ「では、この依頼を登録しますね。はい、ここに名前を書いて」
言われるままに、紙に自分の名前を書く。
ミレイユ「はい、これで正式に“初依頼”受注です。……気をつけて行ってきてくださいね」
ルミナ「任せて。ちゃんと生きて帰ってくるわ」
遥斗「プレッシャーのかかる一言なんだよな……」
◇ ◇ ◇
ギルドを出て、森の方へ向かう道を歩く。
遥斗「にしても……まさか初クエストが、初日に殺されかけたあのゴブリンとはな」
ルミナ「一度、恐怖した相手を、今度は“狩る側”として見られるようになる。これは大事な経験よ」
遥斗「ゲームの世界だと、最初のスライムとかゴブリンって、経験値くれるカモだもんな……。現実でやると、笑えないけど」
ルミナ「スライム?」
遥斗「あ、別世界の話」
そんな会話をしながら歩いていると、やがて木々が増え、森の入り口が見えてきた。
ルミナ「ここからは慎重に行くわよ」
遥斗「了解」
森の奥に進むと、前方からかすかな声が聞こえた。
ゴブリン「グァ……グルル……」
見れば、少し開けた場所に、ゴブリンが五体。
木の棍棒を持ち、うろうろと歩き回っている。小さな焚き火跡もある。ここが“集まり場所”になっているようだ。
ルミナ「数は五体。依頼通りね」
ルミナは一度、俺の方を見る。
ルミナ「遥斗。最初の一体、あなたがやってみなさい」
遥斗「……マジで?」
ルミナ「もちろん私も後ろからフォローするし、危なくなったら私が全部倒す。でも、あなたが“最初の一歩”を踏み出さないと、いつまでも恐怖は消えないわ」
喉が乾く。心臓が早鐘を打つ。
でも――逃げたくはなかった。
遥斗「……分かった。やってみる」
ルミナ「よし。“初級火魔術”の詠唱、覚えてる?」
遥斗「ああ」
俺は深呼吸を一つして、木々の影から一歩だけ前に出る。
ゴブリンとの距離は、まだ少しある。気づかれてはいない。
遥斗(いける。落ち着け。一回でもうまくいけば、自信になる)
右手を前に出し、意識を集中させる。
遥斗「――《フレイム・ショット》」
掌の前に、小さな火の塊が生まれる。
それは俺の意識に従って、まっすぐ飛んでいき――
ゴブリン「グァッ!?」
一体のゴブリンの胸に直撃した。
ボッ、と火が跳ねて、ゴブリンはその場で転がる。
燃え上がるほどの火力ではないが、致命傷には十分だったようだ。
ゴブリン「グ……グル……」
数秒後、ゴブリンは動かなくなった。
遥斗「……っ」
自分の手を見下ろし、震えそうになるのをなんとかこらえる。
遥斗(俺が……今、ちゃんと“敵を倒した”んだ)
嫌な感覚と、達成感と、安堵が混ざった、なんとも言えない気持ち。
ルミナ「上出来よ、遥斗」
ルミナ「狙いもいいし、詠唱も乱れてない。初実戦で一発命中は、なかなかできることじゃないわ」
遥斗「……まだ四体残ってるけどな」
ゴブリン「グァァァ!」
仲間が倒れたことで、残りのゴブリンたちがこちらに気づいた。
棍棒を振り上げ、こちらへ走ってくる。
遥斗「うわ、来た!」
ルミナ「ここから先は、私も手を出すわ。あなたは私の指示通りに動きなさい!」
遥斗「了解!」
俺は一歩後ろに下がり、ルミナの背中を見る。
その瞬間――ルミナの足元から、淡い光が立ちのぼった。
ルミナ「――《風壁》!」
目に見えない“風の壁”が、俺たちとゴブリンの間に展開された。
突っ込んできたゴブリンがそれにぶつかり、足をとられて転ぶ。
ゴブリン「グァッ!?」
ルミナ「今!」
ルミナの声に合わせて、俺は再び右手を前に出す。
遥斗「《ウィンド・カッター》!」
転んでいるゴブリンの頭に、風の斬撃が命中する。
ゴブリン「グ……!」
二体目、撃破。
ルミナ「その調子! 三体目は私がいくわ」
ルミナが指先を弾くようにして、短く詠唱する。
ルミナ「《フレイム・バースト》」
さっきの俺の火弾よりも、一回り大きな火の塊が走り、ゴブリンの一体を吹き飛ばした。
遥斗「俺のより威力が三段階くらい違うんですが」
ルミナ「年季が違うもの」
残り二体のゴブリンが、恐怖したように一瞬足を止める。
けれど、すぐに怒りに任せて再び突っ込んでくる。
ルミナ「残り二体。片方は私が抑えるから、もう片方をあなたが狙って」
遥斗「了解!」
ルミナが軽く地面を蹴ると、ふっと姿がブレたように見えた。
ルミナ「――《風脚》」
風の流れを足にまとわせ、一瞬でゴブリンの懐に入り込む。
ルミナの掌底が、ゴブリンの顎を打ち上げた。
ゴブリン「グガッ!?」
宙に浮いたゴブリン。その横をすり抜けるようにして、もう一体のゴブリンがこちらへ突っ込んでくる。
ルミナ「遥斗!」
遥斗「分かってる!」
俺は前に出る。
怖い。でも――さっきよりは、少しだけ足が前に出た。
遥斗「《フレイム・ショット》!」
火弾が、走ってくるゴブリンの肩口に命中する。
さっきほど綺麗な命中じゃないが、ゴブリンの動きが鈍った。
ゴブリン「グ、グルァ……!」
ルミナ「追撃!」
遥斗「お、おう!」
俺はさらに一歩踏み込み、短剣を握りしめて振り抜いた。
遥斗「うおおおお!」
勢い任せの一太刀だったが、短剣はゴブリンの胸に深く入る。
ゴブリン「……グ」
ゴブリンはその場に倒れ、動かなくなった。
横を見ると、ルミナがすでにもう一体のゴブリンを片付けていた。
風をまとった蹴りで、首を一撃で砕いたらしい。
ルミナ「これで全部ね」
周囲を見渡す。
倒れたゴブリンが五体。どれも完全に動かない。
遥斗「……はぁ、はぁ……」
胸が苦しい。呼吸は荒い。脚も少し震えている。
それでも――
遥斗「生きてる……俺、生きてるな」
ルミナ「ええ。ちゃんとやり遂げたわ」
ルミナが、いつもの優しい笑みを浮かべる。
ルミナ「初めての実戦で、これだけ動ければ十分よ。火の魔術も、詠唱が乱れなかったし、狙いもよかった。最後に短剣まで使えたのは、かなりの成長ね」
遥斗「……怖かったけど、やってよかった」
正直、ゴブリンを“倒す”感覚はまだ重くて、完全に割り切れるわけじゃない。
でもこの世界で生きていくなら、目を背けてはいけない現実なんだろう。
ルミナ「さ、依頼は達成。ギルドに戻って報告しましょう」
遥斗「うん」
◇ ◇ ◇
ゴブリンの居場所と数、倒したことを確認し終えたあと、俺たちはバルモンド城下町へ戻った。
ギルドに入り、カウンターへ向かう。
ミレイユ「おかえりなさい。どうでした?」
ルミナ「依頼のゴブリン五体、全て討伐完了。場所はここ。証拠として、これ」
ルミナは小さな袋をテーブルに置いた。
中には、ゴブリンの耳が五つ。
遥斗「(うわ、本当にこういうので証拠扱いになるんだ……)」
ミレイユ「確認しますね……五体、間違いありません。D級依頼――“小規模ゴブリン集団の討伐”完了です」
ミレイユさんは、にこりと微笑んだ。
ミレイユ「初依頼達成、おめでとうございます。一ノ瀬遥斗さん」
遥斗「……あ、ありがとうございます」
ミレイユ「これが今回の報酬です。D級としては普通の額ですけど、初めてなら悪くないですよ」
手渡された小さな袋は、見た目よりもずしりと重い。
遥斗「これが……俺がこの世界で稼いだ、お金……」
妙な実感が、胸の奥から湧き上がってくる。
ルミナ「どう? “ちゃんとここで生きていける”って、ちょっとは思えた?」
遥斗「……うん。まだまだ弱いけど、なんか……少しだけ、スタートラインに立った気がする」
気がつけば、さっきまでよりも、心の中の不安が薄れていた。
その代わりに――別の感情が浮かんでくる。
遥斗(……湊。お前も、どこかでこの世界をさまよってるのか?)
弟――一ノ瀬湊。
同じトラック事故に巻き込まれたはずの弟の姿が、ふと脳裏をよぎる。
遥斗(まだ何も分からない。けど、今日みたいに一歩ずつ進んでいけば、いつか――)
俺はそっと拳を握った。
こうして俺の、“この世界での最初の一歩”が終わった。
まだ、何も知らない。
この先で待ち受けている、本当の“FATAL ERROR”のことも――
ルミナとの運命のことも――何一つ。
こんにちは、くるまえびです。第4話はどうでしょうか?
気になった所があれば教えて欲しいです。
これからもFATAL ERRORをよろしくお願いします




