第34話 元バイトリーダーと異世界キッチン
色んなものが破壊されたが王都、そして半壊した豪商の屋敷。
俺、レン、フィオナ、そして腹を空かせた白い獣人の少女は、静まり返った屋敷の内部を探索していた。月光が差し込む廊下は瓦礫で散乱していたが、幸いにもキッチンのエリアは強固な石造りだったため、原型を留めていた。
遥斗「……あった。ここがキッチンか」
俺が指差した先には、大きな石造りの竈と、磨き上げられた調理台が並んでいた。棚には高価そうな銀の食器や、異世界の香辛料が並んでいる。
キッチンの隅、重厚な鉄の扉を開けると、下へと続く階段があった。冷気が足元から這い上がってくる。地下の食料貯蔵庫だ。
レン「……なるほど、この冷気の維持は、氷属性の魔石によるものか。さすがは豪商の屋敷だな。この状況でも中身は無事そうだぞ」
三人と一匹が地下室へ降りると、そこには吊るされた燻製肉、木箱に入った冬野菜、そして厳重に密閉された肉の塊が並んでいた。
俺は棚の奥から、一際質の良さそうな、見事なサシの入った赤身の肉を取り出した。
遥斗「これって、なんの肉だ? 牛……じゃないよな?」
レン「……その紋様、多分だが『グラトン・ブル』の肉だな。凶暴だが、その肉質は王国貴族の間でも一級品とされる高級食材だ。見たところ、腐っても傷んでもいない。むしろ魔法保存で熟成が進んでいて、今が一番の食べ頃じゃないか?」
俺は獣人の少女の方を振り返った。彼女は暗がりの中でも爛々と青い瞳を輝かせ、肉の塊を凝視している。口角からは、隠しきれないヨダレがひと筋垂れていた。
遥斗「おい、肉あったぞ。これでいいか?」
獣人「肉! 肉食べる! リーダー、早く! 我の胃袋が、もう限界だと叫んでいるのだぞ!」
彼女はぶんぶんと白い尻尾を振り回し、遥斗の足元にまとわりついてくる。その勢いは、うっかりすれば俺を押し倒してしまいそうなほど強力だった。
◇◇◇
キッチンに戻った俺は、竈に火を入れ、鉄のフライパンを熱し始めた。
前世。俺はこの世界に来るよりもずっと前、ある飲食店の「バイトリーダー」として厨房を仕切っていた経験があった。
混雑するランチタイム、次々と入るオーダーを捌き、完璧な焼き加減でハンバーグやステーキを提供し続けたあの日々。まさか異世界で、殺し合いをした獣人のためにその腕を振るうことになるとは夢にも思わなかった。
遥斗「さて……。肉の焼き方は何がいい? レアか? ミディアムか? それともウェルダンか?」
俺が何気なく尋ねると、背後で野菜を洗っていたフィオナが不思議そうに小首を傾げた。
フィオナ「……レア? ミディアム? すみません、遥斗さん。それって、新しい魔術の名前ですか?」
遥斗「え? あー……そうか。こっちにはそういう呼び方はないんだった。さっきのは俺の故郷の言葉で、『肉をどれくらい焼くか』っていう質問だ。レアは生に近い感じ、逆にウェルダンは芯までしっかり焼く感じ。……ちなみに、俺のおすすめはミディアムレアだ。外はカリッと、中はジューシーな、肉の旨味が一番引き立つ焼き方だ」
レン「故郷のこだわりか。なら、俺はそれで頼む。遥斗がそこまで自信満々に言うなら、実際美味しいんだろ」
フィオナ「私も、遥斗さんのおすすめがいいです! 楽しみですね」
二人の注文を受け、俺は最後に獣人へと視線を向けた。彼女は調理台に身を乗り出し、切られた肉を今にも素手で掴もうとしている。
遥斗「おい獣人。お前はどうする? レンたちと同じ、ミディアムレアでいいか?」
だが、獣人の少女は意外そうな、というよりは意味がわからないという顔をして首を振った。
獣人「……? なんでリーダーは、肉を焼くのだ? 肉は、そのまま噛みちぎって食べるのが一番美味しいのだぞ? 焼いたら、血の味が薄くなってしまうではないか」
俺は思わず絶句した。
文化の壁。獣人にとっての「食事」とは、狩った獲物をその場で食らうことなのだ。
遥斗「……お前、今まで肉を焼いて食ったことないのか? 断言するが、絶対焼いた方がいいぞ。スパイスと脂が混ざり合った香ばしさは、生肉じゃ絶対に味わえない」
獣人「そうなの……? リーダーがそこまで言うなら、我のも焼くのだぞ。リーダーの言うことは、絶対なのだからな!」
素直に(というか、ボスの命令だからと)頷く少女。
俺は調理を開始した。
◇◇◇
ここからは俺の独壇場だった。
『ERROR』の能力は使わないが、彼の身体に染み付いた「バイトリーダー」の技術が、異世界の食材を魔法のように変えていく。
熱したフライパンに、グラトン・ブルの脂身をひき、香草を投入する。パチパチと弾ける音と共に、食欲をそそる芳醇な香りがキッチンいっぱいに広がった。
肉を投入。ジュワーッという小気味よい音が響き、一気に表面が焼き固められていく。
遥斗 (……よし、いい色だ。たしかこれがメイラード反応ってやつだな)
調理を始めてから十分。
獣人の少女は、待ちきれない様子でキッチンを走り回っていた。あまりに落ち着きがないので、フィオナが「あっちで遊びましょう」となだめた結果、なぜか獣人がフィオナを追いかけ回すというシュールな光景が展開されている。
レンは壁に背を預け、冷めた目でその追いかけっこを眺めながら、俺の鮮やかな手つきに少し驚いた様子を浮かべていた。
獣人「……まだなのです!? 我は、我はこれ以上待てないのだぞ! リーダー、今すぐそれを我の口に投げ入れるのだ!」
肉の焼ける匂いに、彼女の鼻がヒクヒクと動き、ヨダレが床にポタポタと落ちる。
遥斗「もうちょっと待て。余熱で中まで熱を通すのがコツなんだよ。……ほら、皿を並べろ」
俺は手際よく、焼き上がったステーキをまな板の上でカットした。
断面は、俺の宣言通り、完璧な「ミディアムレア」。外側は美しい焦げ茶色にカリッと焼かれ、内側は瑞々しいピンク色に輝いている。
俺が手づかみで飛びかかろうとするのを、菜箸でピシッと防ぎながら、温めた皿に盛り付けた。
遥斗「よし、完成だ。冷めないうちに食え」
◇◇◇
テーブルに並べられた四皿のステーキ。
「「「いただきます」」」
俺たちが肉を頬張った瞬間、その場に沈黙が訪れた。
そして俺は驚いていた。
前世、スーパーで割引されていた800円の輸入牛を焼いていた頃とは訳が違う。
口に入れた瞬間、グラトン・ブルの脂が舌の上で溶け出し、濃厚な肉の旨味が脳を直撃した。噛みしめるたびに溢れ出す肉汁は、前世でたった一度、バイト先の店長に連れて行ってもらった高級鉄板焼き屋の味を、遥かに凌駕していた。
レン「……っ、これは……。グラトン・ブルがこれほど美味いとは。遥斗、お前……魔術より料理の方が才能あるんじゃないか?」
フィオナ「ふあぁ……! 美味しいです! 柔らかくて、甘くて……お肉が口の中で踊っています!」
遥斗「俺の故郷の国は食にこだわりを持つ国だったからな」
二人の反応は上々だ。だが、最も劇的な反応を見せたのは、やはり獣人の少女だった。
彼女はフォークも使わず、皿に顔を埋める勢いで肉を口に運び、咀嚼した瞬間、その白い尻尾を「ブォンッ!」と音を立てて振り回した。
獣人「……っ!! おいしい……おいしいのです! リーダー、これ、すごいのだぞ! 生で食べるより、ずっと、ずっと美味いのだ!」
彼女は熱さを忘れたかのように、次々と肉を頬張っていく。
獣人「リーダーの言った通りだったのだぞ! 焼くというのは、こんなに素晴らしい魔法だったのか! リーダー!」
遥斗「魔法じゃねぇよ、ただの調理だ。……まぁ、気に入ったならよかった」
俺は自分の分を噛み締めながら、少しだけ誇らしい気持ちになっていた。
あの魔物を凶暴化させる薬もとい魔力暴走を起こさせる薬によって、人口の65%が失われた凄惨な現状。
それでも、こうして温かい食事を囲み、「美味い」と言い合える時間があることをじっかんする。
獣人の少女は、最後の一切れまで皿を舐めるようにして完食すると、満ち足りた表情で遥斗を見上げた。
獣人「リーダー……。我、決めたのだぞ。リーダーについていけば、これからもこういう美味しいものが食べられるのだな?」
遥斗「……まぁ、食材があればな」
獣人「なら、我はリーダーのために、もっともっと強い獲物を狩ってきてやるのだぞ! だから、明日も、明後日も、我に肉を焼くのだ!」
遥斗「……はいはい。パーティーの前線の仕事にプラス、料理人としての仕事が増えたってわけか」
皮肉を言いながらも、遥斗の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
半壊した家のキッチンに、幸せそうな咀嚼音と笑い声が響く。
最強のステータスを持ちながら、肉の味に屈した白猫の少女。彼女との奇妙な共同生活は、こうして「食卓」から始まった。
第35話に続く――。




