第33話 白き猫と肉の盟約
レスタリア王都を包んでいた、あの狂気じみた咆哮と破壊の響きが嘘のように消えていた。
月光は依然として冷たく、半壊した石造りの街並みを照らし出している。俺が『糸』によって強引に魔力を抜き取った獣人の少女は、レンの鎖の中で糸の切れた人形のように眠っていた。
漆黒だった髪や尻尾が、まるで呪縛から解き放たれたかのように純白へと染まり、彼女は今や月夜に溶けそうなほどに儚い「白猫の少女」へと変貌を遂げていた。
遥斗「……ふぅ、。ほんで、こいつどうするよ?」
俺は膝に手をつき、荒い呼吸を整えながら、隣に立つレンとフィオナに問いかけた。
レンは依然として油断のない瞳で少女を見つめ、複雑に絡み合った封印の鎖を解くべきか測りかねている。一方でフィオナは、少女の変貌を見て、胸元でぎゅっと杖を抱きしめていた。
レン「放置すれば、また別の何かが寄ってくる。かと言って、この満身創痍のお前を連れて避難所まで戻るのも現実的ではないな」
フィオナ「遥斗さん、あそこの家を見てください。屋根は落ちていますが、一階の寝室は辛うじて形を保っています。ひとまず、そこで彼女を休ませましょう」
フィオナが指差したのは、かつて貴族か豪商の住まいであっただろう、立派な石造りの屋敷だった。外壁は無惨に崩れていたが、一階の奥まった部屋には、埃を被りつつもふかふかとしたベッドが残されていた。
俺たちは、意識を失った少女を慎重に運び、そのベッドへと寝かせた。レンが再び火魔術で光を灯し、フィオナが支援魔術で少女の外傷を治すため、治癒速度を上げる支援魔術をかけていた。俺が突き立てた短剣の傷も、魔力暴走が収まったことで、獣人特有の驚異的な再生能力とフィオナの支援魔術によって、急速に塞がりつつあった。
◇◇◇
少女が眠りについてから、しばらくの時間が経過した。
部屋の隅に置かれた古びたランタンに火を灯し、三人は低い声で状況を整理し始める。
レン「王女と残った国民の避難は完了している。だがこの国はもう国として機能するかどうか分からないぐらいに破壊されている」
遥斗「ああ、この国の被害状況は70%の建物が破壊され、65%の国民が死んでしまった。この状況を考えたら当然か」
フィオナ「………」
フィオナが唇を噛み締め、俯く。彼女のトラウマである「凶暴化の波」。かつてレン村とフィオナの領地を滅ぼしたあの悲劇が、今度は国家規模で繰り返されたのだ。彼女の心に刻まれた痛みは、俺の想像を超えるものだった。
遥斗「フィオナ、お前はよくやった。王女を救い、避難を助けた。それだけで十分すぎるだろ」
俺がぶっきらぼうに慰めると、フィオナは少しだけ顔を上げ、小さく微笑んだ。
その時だった。
静かな部屋に、ベッドのシーツが擦れる微かな音が響いた。
三人の視線が、一斉にベッドへと集中する。
「……ん、……ぅ……」
純白の耳がピクリと震え、長いまつ毛が揺れる。
ゆっくりと開かれた瞳は、先ほどまでの血走った赤ではなく、澄み渡った空のような青色をしていた。
◇◇◇
俺は即座に立ち上がり、腰に残った予備の短剣の柄に手をかけた。警戒は解かない。
遥斗「……おい、大丈夫か? 自分の名前や、何が起きたか……覚えてるか?」
警戒しながら声を掛ける。
少女はぼんやりとした視線を天井に向けた後、ゆっくりと首を動かして俺の姿を捉えた。
次の瞬間、彼女の青い瞳が爛々と輝き出した。
獣人「……! リーダーッ!! リーダー、お腹空いたーーー!!」
遥斗「ぶっ、……!?」
少女は弾かれたようにベッドから飛び出すと、信じられない俊敏さで遥斗の胸元へと飛び込んできた。
「どごっ」と鈍い音がするほどの勢いで抱きつかれ、俺の身体が地面に押し倒される。
遥斗「ぐっ、……え、ちょっ……離れろ! 俺はお前のリーダーじゃねぇ!」
遥斗は必死に彼女の肩を押し、引き剥がそうとした。
だが、動かない。まるで根を張った大樹を動かそうとしているかのように、びくともしないのだ。
だがとりあえず、相手には殺意や敵意は無かった。
【ATK:2500】
魔力暴走は収まり、MPこそ空の状態だが、彼女の肉体そのものが持つ暴力的なまでの攻撃力は健在だった。ERRORのバフが切れている今の俺にとって、彼女の抱擁は物理的な拘束、あるいは拷問に近い。
獣人「嫌だ! 離れないぞリーダー! ずっと我のリーダーができるの待っていたんだぞ! お腹空いたぞ!」
遥斗「お腹空いたは分かったから! 苦しい、死ぬ、俺のただの人間なんだ!」
ジタバタと暴れる俺を尻目に、レンとフィオナは唖然としてその光景を眺めていた。
レン「……遥斗。どうやら、彼女は魔力暴走で自我がなかったが、元々はこういう……『単純』な性格だったようだな」
フィオナ「……なんだか、とっても仲良しに見えます」
遥斗「仲良くねぇよ! おい、お前……。なんで俺を『リーダー』なんて呼ぶんだ!?てかお前らも見てないでこいつ引き剥がすのを手伝え!」
俺が怒鳴ると、レンとフィオナは俺の言葉を無視し、少女は俺の胸に顔を埋めたまま、ブンブンと左右に白い尻尾を振りながら答えた。
獣人「だってリーダーは、我を倒した。我を屈服させて、あの恐ろしい『黒い魔力』から救い出してくれた。我らの掟では、一番強い奴がリーダー。だからリーダーはリーダー。我のリーダーなんだぞ!」
遥斗(リーダー?まあ嫌な気はしないが……)
俺は溜息をついた。人間と獣人の価値観の違い。強者が弱者を支配し、敗者が勝者に従うという原始的な主従関係。それが彼女の思考のすべてであるらしい。
◇◇◇
遥斗「いいか、よく聞け。俺はリーダーじゃないし、お前の面倒を見るつもりもな……」
彼女の抱きしめる力が強くなる。
「まてまてまて、飯をやるから、一回離れろ」
「飯」という単語が出た瞬間、少女の耳がピンと直立し、抱きしめる力が弱くなった。
獣人「……飯? ボス、飯くれるのか!? 肉? 肉がいい! 我、肉が大好きなんだぞ!」
遥斗「肉か……。……今、この廃墟で肉なんてどこにあるんだよ」
遥斗が困り顔で周辺を見渡すと、少女はさらにギュウゥッと抱きしめる力を強めた。ミシミシと、遥斗の肋骨が悲鳴を上げる。
獣人「肉くれ! 肉くれなきゃ絶対に離れない! リーダーを食べてしまうかもしれないぞ! ガブーだぞ、ガブー!」
彼女は冗談めかして、遥斗の首筋に鋭い牙を見せつけるように口を開けた。その動作一つにさえ、ATK 2500の殺傷能力が宿っている。
遥斗「わかった! わかったから! 肉をやる、どうにかして用意してやるから、一旦その怪力を緩めろ! 死ぬ、マジで死ぬ!」
「肉」という確約を得た少女は、パッと花が咲いたような笑顔を浮かべると、ようやく遥斗から離れた。
獣人「肉! 肉! わーい、リーダーの肉ー!」
遥斗「俺の肉じゃない! どっかから調達してくるんだよ!」
少女は子供のように無邪気に室内を跳ね回り、フィオナの周りをクルクルと回り始めた。
先ほどまで王都を恐怖のどん底に叩き落としていた殺戮者が、今はただの、食いしん坊な猫の少女にしか見えない。
レン「……やれやれ。遥斗、お前はまた厄介なものを拾い上げたな」
遥斗「知るかよ。……おい、レン、お前のバッグに干し肉とか残ってねぇのか?」
レン「……少しはあるが、彼女を満足させる量ではないだろうな。フィオナ、近くの厨房跡を探索してみるか」
フィオナ「はい! 幸い、ここは立派なお屋敷ですから、地下の貯蔵庫に何か残っているかもしれません。一緒に行きましょう、白猫さん」
獣人「白猫じゃない! 我の名前は、……名前は、……えーと、なんだっけ?」
少女は首を傾げ、自分の名前さえ思い出せない様子でいた。
遥斗「……名前も忘れたのかよ。まぁいい、後でゆっくり考えろ。今は肉だ。肉を食って落ち着け」
獣人「うむ! リーダー、我は期待しているぞ!」
少女は再び尻尾を激しく振り、期待に満ちた瞳で遥斗を見つめた。
破壊し尽くされたレスタリア王国。
「HP 1」のバグ持ち少年と、復讐を誓う魔術師、そして攻撃を拒絶する少女。そこに、記憶を失った最強の獣人が加わった。
遥斗たちの旅は、本来の目的である「復讐」から、少しずつ、だが確実に奇妙な方向へと加速し始めていた。
第34話に続く――。




