第22話 絶望の領域と狂気への最適化
轟音が止み、真っ赤に焼けた運動場の土から立ち昇る蒸気が、視界を白く染め上げている。
俺が魔術陣で極限まで強化し、至近距離から叩き込んだ『インフェルノ・ブラスト』。それは、いかなる魔術師であっても消し炭になるはずの一撃だった。熱波が俺の頬を焼き、放った腕には今もなお痺れが残っている。それほどまでの絶技だった。
だが、煙の向こう側から聞こえてきたのは、皮肉なほどに穏やかな声だった。
「……ふむ。少々、あぶなかったですね。今の熱量、あともう防御魔術の展開が遅れていたら、私の愛用するこのローブに、消えない焦げ跡がついていたかもしれません。いやはや、実に素晴らしい教育の成果だ」
土煙がゆっくりと晴れた中心。そこには、煤一つついていない清潔な姿のフェリクス校長が立っていた。彼の目の前には、薄紫色の幾何学模様が重なり合う、見たこともないほど複雑な多層防御魔術が展開されていた。俺の最大火力は、その幾重にも重なった障壁の表面数枚を割ったに過ぎなかったのだ。
校長は乱れた前髪を優雅に指先で整えながら、ふと視線を校門の方向へと向けた。そこからは、大勢の足音と、魔力の高まりが感じられる。
フェリクス「……ふむ、予想より早く来てしまいましたか。フィオナくんも、なかなか優秀な伝令をこなしたようだ。国の騎士団を、これほど早く呼び寄せるとは。……ならば、こちらも少し急がねばなりませんね。外野に邪魔をされて、この神聖な試験が台無しになる前に、君たちの『最終試験』を終わらせるとしましょう」
校長が静かに、そして儀式的とも言える所作で両手を広げる。その瞬間、彼の足元から影のような闇が、生き物のように蠢きながら溢れ出した。
フェリクス「『魔術領域 ダーク・エリア』」
その言葉が響いた刹那、世界が完全に反転した。
足元から這い上がってきた闇が、猛烈な速度で運動場を、校舎を、そして頭上の夜空までもを塗り潰していく。光が消え、上下左右の感覚すら喪失するような絶対的な無の世界。俺は何かを叫ぼうとしたが、言葉そのものが闇に吸い込まれ、喉の奥に張り付いて届かない。
◇◇◇
数秒、あるいは数分が経過しただろうか。感覚が麻痺し、時間の概念すら曖昧になった頃、不意に視界が開けた。
辺りは、月夜の晩程度の、淡く、しかしどこか不気味な青白い光に満たされていた。そこは現実の学園ではない。どこまで続いているのか分からない、鏡のように滑らかな黒い床が広がる、無限の虚無空間だった。
レン「……遥斗! 無事か!? 返事をしろ!」
隣を見ると、レンが封印魔術の鎖を構えたまま、荒い息を吐いて立っていた。そして俺たちの正面、十数メートル先には、こちらを見据えるフェリクス校長の姿がある。
フェリクス「ようこそ、私の私室へ。この『ダーク・エリア』は、私と、私が選んだ生徒だけが入ることを許される隔離された領域です。外からは決して干渉できず、中からも許可なく出ることは叶いません。……そう、ここには今、私たち三人しかいない。最高の試験会場だと思いませんか?」
遥斗「……閉じ込めたってわけか。だが、こんな巨大な領域を展開し続けるなんて、魔力の無駄遣いだろう。あんな闇魔術を放った後で、そんな余裕があるのか?」
フェリクス「いいえ、こうゆう投資には、必ず相応のリターンがあるものです。この領域を維持するために、私の魔素(MP)は常に消費され続けていますが……それに見合った、極めて強力な『効果』があるのですよ」
校長が、まるで指揮者がタクトを振るうかのように指を鳴らす。
返事の代わりに放たれたのは、あの触れれば即死する、闇魔術だった。
遥斗「っ……! 来るぞ、レン」
俺は身体を捻り、紙一重で闇の球体を回避する。だが、校長の手は止まらない。一発を避けた瞬間に、次の一発が放たれる。間髪入れず、二発目、三発目が、正確に俺たちの急所を穿とうと飛来する。
遥斗「嘘だろ……!? なんでそんなバンバン撃てるんだよ!」
俺は自分に風魔術を叩きつけ、緊急回避をする。
おかしい。闇魔術は、校長自身が先ほど認めていた通り、一発放つだけでも莫大な魔力を消費し、並の魔術師なら一撃で枯渇するはずの禁術だ。それなのに、あいつはまるで挨拶代わりに石を投げつけるかのような軽やかさで、連射を続けている。
遥斗(……クールダウンは多少あるみたいだが、それでもペースがおかしすぎる。この領域で、あいつの魔力が尽きるのを待つなんてのは、自殺志願者の考えることだ)
校長の顔には疲れの色一つない。レンも信じられないものを見るような目で校長を凝視していた。
遥斗「あんた、闇魔術は魔力消費量が激しいと言っていたよな? そんなペースで発動していて、大丈夫なのかよ? あんたが展開したこの『領域』にインチキな効果でもあるのか?もしかして……この領域に魔力(MP)の消費を減らす効果でもあるのか?」
俺の問いに、フェリクス校長は満足げに、しかし嘲るような笑みを浮かべた。
フェリクス「ほう、この短時間でそこまで……流石ですね、遥斗くん。君の観察眼は素晴らしい。だが、少し表現が違いますね。いいでしょう、合格点を与えた記念に教えましょう。この『ダーク・エリア』の真価を」
校長は闇の球体を掌の上で転がしながら、淡々と、しかし誇らしげに語り始めた。
フェリクス「この領域内において、闇魔術はもはや特別な術ではありません。この空間そのものが、私の魔力と属性に最適化されている。つまり、発動に必要なコストの大部分を、空間そのものが肩代わりしているのです。……分かりやすく言えば、この領域内に限って言えば、闇魔術の魔力消費量は、君たちが使うB級魔術の風魔術や火魔術と同等にまで引き下げられているのですよ」
遥斗「……冗談だろ」
即死。防御不能。そんな反則的な術を、小石を投げるような感覚で連射できる。なんて一方的な暴力。
◇◇◇
一方、現実世界の運動場では、異様な光景が広がっていた。
つい先ほどまで遥斗たちが激闘を繰り広げていた場所に、直径数十メートルに及ぶ、光すらも透過させない「漆黒の巨大な立方体」が鎮座していた。
「隊長、この壁、ビクともしません! 物理的な破壊も、あらゆる系統の魔術による干渉も、すべてが吸い込まれていきます!」
駆けつけた国の騎士団員たちが、必死に剣を振るい、大規模な破壊魔術を叩き込むが、漆黒の立方体はそのすべてを静かに飲み込み、波紋一つ立てない。それはもはや、この世界の物質ではない何かだった。
騎士団長「……魔術障壁の類ではないな。空間そのものが切り離され、独立した位相にあるのか。くそっ、これでは外部からの支援は不可能だ!」
その光景を、ルミナや騎士団を率いて駆けつけたフィオナは、絶望に染まった顔で見つめていた。
フィオナ(……遥斗さん、レンさん……。あんな真っ黒な闇の中に閉じ込められて……。どうか、どうか無事で……!)
彼女は祈るように杖を胸の前で握りしめた。自分が「守る盾」になると誓い、二人を救うために必死で騎士団を連れてきたのに、その盾を届けることすら、フェリクスという怪物は許さない。
フィオナと騎士団にできるのは、共に領域の外側に残された敵を掃討し、いつか開くはずの領域を、ただ信じて待つことだけだった。
◇◇◇
領域の内側。状況は悪化して行く一方だった。
校長は相変わらず、無尽蔵とも思える魔力で闇魔術を放ち続けている。俺はそれを、一瞬のミスが死に直結する状況下で、精神を限界まで擦り減らしながら避け続けるしかない。
遥斗(……クソッ。前に『糸』で覗き見たあいつの魔力量は2500。俺がERRORの能力でステータスを一時的に上げた今の数値よりも、遥かに高い。その上、消費コストまで下げられているんだ。持久戦なんて言葉は、あいつのためにあるようなもんだ)
このままでは、俺の集中力か、あるいは足の筋肉が悲鳴を上げるのが先だ。もし俺が一度でも回避に失敗し、消滅の闇に触れれば、後ろで必死に封印魔術の魔法陣を展開し、隙を伺っているレンは、一秒持たずに消去されるだろう。
全滅の二文字が、脳裏を焼き尽くす。
……何か、何かこの「詰み」の状況を打破する策はないか。
魔術での撃退? いや、無理だ。俺の全力の『インフェルノ・ブラスト』を鼻歌混じりに防がれた時点で、魔術による遠距離戦での勝利の目は、完全に潰されている。
残された唯一の道。それは、あいつが予測すらできないほどの圧倒的な物理速度で接近し、あの短剣でその首を刎ねる
遥斗(……やるしかない。これ以上の『書き換え』は、俺自身の存在を壊しかねないが……。背に腹は代えられない!)
今のATKでは、近づく前にあの闇の弾幕に捕まる。ならば、物理的な破壊力と、それに付随する肉体強度を、極限まで引き上げるしかない。
遥斗「ERROR実行……ステータス開始。全魔力、全ポイントを『ATK(攻撃力)』に全振りしろ!!」
俺はシステムの深淵へと手を伸ばし、自らのステータスという名の「世界の理」を、極端に、そして歪に書き換えた。
ATK数値を2倍――「2000」へと強引に書き換えた。
「ガッ……!? ぁ、あぁぁぁぁぁぁ!!」
書き換えが完了した瞬間、脳内を巨大な熱鉄が貫いたような、激しい衝撃が走った。そして視界がERRORの影響で紫色に染まった。
ATK 2000。それはもはや、人間の筋肉や骨が耐えられる数値ではない。過剰すぎるステータスの付与に対し、俺の肉体が、細胞の一つ一つが、耐えきれずに崩壊の悲鳴を上げている。だが、ここで意識を手放せば、すべてが終わる。
レン「遥斗!? おい、無茶しすぎだ、もうやめろ!」
遥斗「……うるせえ……。……今更、やめるなんて選択肢はねえんだよ! これで、あいつを終わらせる……!」
俺は痛みを意志の力で強引に封じ込め、一気に地面を蹴った。
◇◇◇
ドォォォォォン!!
足元の床が、ただの一歩で爆ぜる。先ほどまでとは比較にならない、音速に近い加速。
ATK 2000という数値は、単なる攻撃の威力ではない。それを支えるための強靭な筋力、反射速度、そして「空間の抵抗すらねじ伏せる力」そのものだった。
フェリクス「……ほう、まだ上がりますか。生徒の分際で、どこまで抗うというのですか。ですが、届かなければ意味がないと言ったはずです!」
校長が冷静に、かつ正確に闇魔術を放つ。だが、俺の瞳にはその漆黒の球体の軌道が、まるで止まっているかのように鮮明に、鈍重に見えていた。感覚が研ぎ澄まされ、世界の時間が引き延ばされている。
俺は空中で身体を最小限に捻り、闇の球体をミリ単位で回避。着地の勢いそのままに、さらに加速して校長の懐へと潜り込む。
フェリクス「……っ!? 速い!」
校長の顔から、初めて余裕という名の仮面が剥がれ落ちた。
俺は逆手に構えた短剣を、校長の胸元へと斜めに斬り上げた。校長は上体を大きく反らしてそれを回避するが、その動きはもはや優雅とは程遠く、必死な逃走に近いものだった。
遥斗「逃がさねえって言っただろ……!!」
俺は怒涛の猛攻を開始した。
一撃一撃が周囲の大気を引き裂き、衝撃波が領域の黒い床を砕く。
校長は避けながら、至近距離から風の刃や闇の球体を、なりふり構わず放って反撃してくる。だが、俺はもう校長の戦闘スタイルを、その筋肉の動きから予備動作に至るまで、完全に脳に刻み込んでいた。
ATK 2000の肉体は、俺の思考が命じる通りの動きを、一瞬の狂いもなく体現してくれる。
闇魔術が頬のすぐ横を通り過ぎ、皮膚が僅かに消滅するヒリついた感覚。即死の恐怖が脳を刺す。だが、今の俺にはそれすらも最高のスパイスだった。脳内に溢れ出すアドレナリンが、すべての恐怖を闘争本能へと変換し、俺をさらなる狂乱へと駆り立てる。
フェリクス「……くっ」
そして、ついにその決定的な瞬間が訪れる。
連続攻撃の果てに、校長が焦りから闇魔術を放とうとした、ほんの僅かな、しかし致命的な硬直。
遥斗「……見えたッ、そこだッ!」
俺は身体の中に残っていた、底をつきかけたMPをすべて絞り出し、自分自身に向けて至近距離で風魔術を発動した。背後からの爆発的な推進力を利用し、俺の身体はさらに一段階、物理的な限界を超えて加速する。
ヒュンッ!!
校長の超人的な反射神経を、俺のスピードが上回った。
俺は彼の懐へと、完全に、一点の隙もなく潜り込んだ。
校長は驚愕に目を見開き、なんとか多層防御魔術を展開しようとしたが、防御魔術は俺の短剣の前には無力。防御魔術はガラスが割れるように崩れ去った。そして刃は校長を捉える。
遥斗「終わりだ!!」
俺は短剣を握り直し、校長の喉笛を狙って横一文字に全力で振り抜いた。
校長は本能的な恐怖に突き動かされ、死に物狂いの回避行動を取る。首への致命的な直撃は、彼が紙一重で身体を強引に捻ったことで外れた。
だが、その回避すらも、俺の計算の内だ。
ザシュゥゥゥッ!!
「……ぐ、ぁ、ああああああああっ!!」
黒い高級なローブが鮮やかに裂け、噴水のように鮮血が宙に舞った。
俺の短剣が、フェリクス校長の横腹を、鋭く切り裂いたのだ。
領域内の静寂を切り裂き、怪物の、一人の人間としての絶叫が響き渡った。
第23話に続く――。




