第21話 消滅の闇と格上との攻防
校長室に立ち込める、どす黒く、そして吐き気がするほど濃密な魔力。月光すらもその闇に呑み込まれ、部屋全体が異界のように歪んでいた。 フェリクス校長は、先ほどまで優雅に紅茶を愉しんでいた態度を完全に脱ぎ捨て、その瞳に冷酷な「狂人」としての光を宿した。
フェリクス「……ふむ。ここで戦闘をするには、少々この部屋は狭すぎますね。少し、場所を変えましょうか」
校長は事も無げに言うと、背後に控える巨大な窓付きの壁に向かって、軽く右手をかざした。
フェリクス「『インパクト・フレア』」
ドォォォォォン!!
無造作に放たれた炎魔術が、厚い石造りの壁とガラスを内側から木っ端微塵に吹き飛ばした。轟音と共に巨大な瓦礫が階下へと降り注ぎ、校長室には外の冷たい風と、静まり返った学園の不気味な気配が一気に流れ込んでくる。
フェリクス「では、着いて来てくださいね。」
そう言い残すと、フェリクス校長は崩落した壁の縁から、重力など存在しないかのような軽やかさで、後方の広大な運動場へとひとっ飛びに跳躍した。
レン「……チッ、逃がすかよ! あの野郎。 行くぞ、遥斗!」
遥斗「ああ、言われなくてもな! フィオナと騎士団が来るまで、あいつをここで足止めしなきゃならない。逃がしたら終わりだ!」
俺とレンもまた、瓦礫の雨が降る空へと飛び降りた。風を切り、身体が浮遊感に包まれる。眼下には、バルモンド魔剣術学校の広大な運動場が広がっている。運動場の砂塵を舞い上げながら、既に余裕の表情で待ち構えているフェリクスと対峙した。
◇◇◇
俺たちが校長の十数メートル前に着地した時、彼は既に次の魔術の構成を完了させていた。彼の周囲の空気が、ドロドロとした黒い澱みに染まり、空間そのものが苦悶の声を上げているかのように震えている。
フェリクス「……さて、最後の特別授業を再開しましょうか。私は、他の教師たちとは違い、少々珍しい魔術を使うんですよね。……これを見るのは、かなり久しぶりなんですよね」
校長の指先に、光を一切反射しない漆黒の球体が出現する。見つめているだけで精神を削り取られそうな「闇」の波動を感じた。
レン「遥斗。あれを見ろ。闇魔術だな。 確かに珍しいどころじゃねえ、現代じゃ歴史の教科書にしか載ってねえはずの失われた系統だぜ」
遥斗「闇魔術……。重力系か、それとも精神操作か? だが、あのプレッシャーはそんな生易しいもんじゃない……」
フェリクス「いいえ、もっとシンプルですよ。……では、これをどう対処しますか?」
校長が指先を弾くと、漆黒の球体が目にも止まらぬ速さで俺の胸元へと放たれた。俺は咄嗟に、これまでの戦いでも数々の窮地を救ってくれた最も信頼している汎用防御魔術を発動させた。
だが、その瞬間。俺の横で魔法陣を組んでいたレンの、これまでに聞いたこともないような切迫した声が耳を打った。
レン「防ぐな、遥斗! 避けろ!! 」
レンの声に、俺の脊髄が過敏に反応した。俺は防御魔術を展開したまま、風魔術で身体を吹き飛ばし、無理やり右側へと捻り飛ばした。
直後、理解不能な光景が広がった。
俺が展開したはずの防御魔術 ――あらゆる魔法攻撃を跳ね返せる魔力の障壁を、校長の闇魔術は、まるで初めからそこに何もなかったかのように静かに「貫通」したのだ。抵抗の音すらしない。ただ、通り抜けたのだ。
遥斗(なんだと!? 障壁を割ったんじゃない。……通り抜けたのか!?)
緊急回避によって何とか直撃を免れた俺が、背後を振り返ると、そこには戦慄の光景があった。闇魔術が着弾した地面、そしてその軌道上にあった障害物が、瓦礫の一欠片すら残さず、丸く抉り取られたように「消滅」していたのだ。熱も衝撃もない。ただ、そこにあったはずの物質が、因果ごと消し飛んでいる。
フェリクス「……正解です、レンくん。私の闇魔術は、闇の中に取り込んだものを跡形もなく『消し去る』性質を持っています。障壁だろうが魔力だろうが、私の闇には勝てない。」
遥斗「……なるほど。ガード不可の即死攻撃ってわけか。RPGなら開発者の正気を疑うクソゲーだな、これ」
つまり、まともに喰らえば身体の一部、あるいは全身が闇に消し去られる。防御という概念が無意味な以上、一瞬の油断も許されない。
◇◇◇
フェリクス「しかし、闇魔術にも弱点はあります。それは、世界の理を書き換えるほどの干渉を行うため、魔力消費が著しく大きいということですかね」
校長は依然として余裕たっぷりに語る。確かに、あのような即死魔法を連射されたら、俺たちの命はいくらあっても持たない。だが、彼は闇魔術を一旦引き下げると、今度は緑色の鮮やかな光を腕に纏わせた。
フェリクス「闇魔術に頼らずとも、私は校長になれるほどの実力はあるのですよ。基礎の研鑽がいかに重要か、教えてあげましょう」
校長が放ったのは、基本の三系統の一つ、風魔術だった。だが、その規模と精度が、学生やそこらの騎士とは桁違いだ。
シュッ、シュシュッ!!
大気を切り裂く鋭い音と共に、1という「風の斬撃」が、弾幕となって俺たちに降り注いだ。
俺は即座に、闇ではない通常の属性魔法であることを確認し、防御魔術を展開する。今度は防げるはずだと踏んでいた。
ガガガガガガッ!!
遥斗(重い……! ただの風魔術のはずなのに、一発一発が岩石を砕くような強烈な質量を持ってやがる……! これが魔力の密度の差か!)
洞窟で戦ったあの案内人とは、魔力の絶対量が、そしてそれをコントロールする技術が違いすぎる。防御魔術の表面に亀裂が入り、凄まじい衝撃波が腕を通じて全身の骨を震わせる。このまま防ぎ続ければ、障壁ごと押し潰され、肉を細切れにされるのは時間の問題だ。
フェリクス「おや、防ぐだけで精一杯ですか? それでは、さらに『密度』を上げ、授業のペースを早めましょう」
校長の微笑みが深まる。風の斬撃の数がさらに倍増し、もはや視界が緑色の風の刃で埋め尽くされるほどになった。
遥斗「……レン、一気に仕掛けるぞ。これ以上守ってたら、ジリ貧でなぶり殺しにされる!」
俺はついに、この場での出し惜しみをやめた。脳内で自身のステータスを書き換える。
遥斗「ERROR実行……ATK(攻撃力)を『500』に変更しろ!!」
俺の身体をバグのようなノイズが走り、神経が焼き切れるような感覚が襲う。だがそれと同時に、常人の領域を遥かに超越した領域へと変貌する。
俺は飛来する無数の風の斬撃を、最小限の動きですべて紙一重で回避し始めた。一歩踏み込むごとに運動場の地面が爆ぜ、俺の姿は残像すら残さず、フェリクスとの距離を詰める。
腰に携えていた、あの短剣を抜き放ち、一閃。
遥斗(俺の短剣は、魔術を無効化する。お前がどんなに魔力を込めようが、この刃の前ではただの空気に過ぎない!)
俺は校長の眼前に肉薄し、その喉元を狙って短剣を叩きつけた。校長は僅かに目を見開き、反射的に強固な防御障壁を目の前に展開する。
パリン……ッ!!
ガラスが砕け散るような澄んだ音と共に、校長の防御障壁が、無抵抗なままに崩れ去った。短剣の魔術無効化能力が、校長の守りを「無」としたのだ。
遥斗「とった……!」
勝機を確信した。だが、その瞬間。
俺の全身を、冷たい針で刺されるような激しい「悪寒」が駆け抜けた。
遥斗「……っ!?」
俺は斬りかかる寸前の姿勢から、無理やり自身の背中に風魔術を自分へ放ち、後方へと大きく飛び退いた。
ズゥゥゥゥゥン!!
刹那、俺が先ほどまで立っていた場所には、巨大な闇が出現した。もし、一瞬でも欲を出して斬撃を継続していたら、俺の身体の半分は今頃、この世界から消失していただろう。
フェリクス「……おやおや、素晴らしい勘ですね。今の死の罠を避けるとは。君は本当に、私が育てた中で最も優秀で、最も不愉快な生徒だ」
校長は依然として余裕を崩さない。俺は着地し、肺が焼けるような荒い息を整えながら、どう攻めるべきか思考を加速させた。まだ、ルミナもフィオナも、騎士団も到着していない。俺たちだけで、この怪物を止めなければならないのだ。
◇◇◇
正面からの突撃は、予測不能な闇魔術のトラップがある。遠距離からの魔術戦は、魔力量の差でジリ貧になる。
だが、俺には背中を預けられる相棒がいる。
レン「遥斗、あいつの意識をこっちに向けさせろ! チャンスは一瞬だ、外すなよ!」
背後でレンが、これまでで詠唱を完了させていた。校長の足元に、青白い幾何学模様の巨大な魔法陣が浮かび上がる。
レン「『トリプル・チェーン・バインド』!!」
魔法陣から、白銀の鎖が3本、龍のように唸りを上げて飛来した。フェリクス校長は片眉を上げ、そのうちの二本を僅かな身のこなしで避けた。だが、最後の一本がレンの執念か、死角から彼の右足首に蛇のように絡みついた。
フェリクス「……ほう、封印術ですか。鬱陶しいですね。私の魔力を乱そうというのですか」
校長は鎖を引きちぎろうとはせず、絡みついた箇所から自身の膨大な魔力を鎖へと直接流し込み始めた。レンの術式を内部から過剰な魔力で破壊しようという試みだ。
遥斗「させるかよ!!」
俺はその隙を見逃さず、再び校長へと肉薄した。
右手をかざし、能力の1つである『糸』を伸ばす。
俺の『糸』が校長の魂を捉えようとした、その瞬間。
校長の周囲から、全方位に向けて、人ひとり簡単に吹き飛ばすことができるほどの強烈な風の衝撃波が放たれた。
フェリクス「近づきすぎですよ」
遥斗「……クッ!? ぐあああ!」
吹き荒れる暴力的なまでの突風に身を焼かれ、俺の身体は後方へと吹き飛ばされた。俺は空中で体勢を立て直し、『糸』を繋ぎ止めることができずに地面を滑る。その僅かな間に、フェリクス校長はレンの鎖を強引に解除し、自由を取り戻していた。
フェリクス「今のは触れられていれば、私を敗北まで追い込むほどの力を感じました。本当に油断なりませんね」
遥斗(……チッ、あと一歩だった。だが、あいつの表情に余裕が消え、僅かな焦りが見えた。あいつは無敵ではない!)
◇◇◇
このまま中距離で探り合っていては、校長の底なしの魔力と技術に削り殺される。
俺は決断した。リスクを承知で、奴の懐に潜り込み続け、闇魔術を放つ隙すら与えない超近接格闘戦を。
遥斗「レン、援護を頼む!隙を見て最大の一撃を叩き込め!」
レン「無茶すんなよ、遥斗! ……わかった、死なせるなよ!」
俺は再びシステムの深淵を叩き、禁忌の領域へと踏み込んだ。
遥斗「ERROR実行……。ATKを『1000』、MPを『1000』に書き換え。……反動は死んでから受けてやる!!」
全身の血管が破裂しそうなほどの圧力がかかる。だが、それと引き換えに、俺の肉体はもはや人間という枠を捨てた。
ドォン!!
地面を蹴る一歩で、運動場の強固な土がクレーターとなって抉れた。
俺は校長の放つ風の斬撃を、回避すら最小限に、あるいは短剣の腹で魔力を打ち消しながら、ゼロ距離まで詰め寄った。
フェリクス「……まだ加速するのですか!? しつけのなっていない生徒だ!」
校長が近距離で風の刃を形成し、俺の喉元を掻き切ろうとする。俺はそれを短剣で受け止め、火花を散らしながら、空いた左手で校長の脇腹に一撃を叩き込む。
フェリクス「『プロテクション』!!」
遥斗「……そんな薄っぺらい壁、貫通してやるよ!!」
ATK 1000の衝撃が、物理的に校長の障壁を粉砕した。校長は僅かに顔を歪め、後退しながらも、俺の頭上に闇魔術を瞬時に形成する。
遥斗「読めてるんだよ、そのパターンは!」
俺は頭上の闇が発動する直前に、校長の懐をあえて潜り抜け、背後へと瞬間移動に近い速度で回った。
それと同時に、俺は上空に自身の魔法陣をいくつか展開し、俺自身の魔力を注ぎ込む。
遥斗「近接が苦手なら、これでも喰らってろ!」
俺が短剣で校長の注意を引きつけ、斬撃を繰り出す一方で、頭上の魔法陣からも絶え間なく高密度の魔弾を撃ち込む。
だが、校長は実に器用だった。短剣の斬撃は紙一重でかわし、頭上の魔弾は最小限の防御魔術で完璧に防ぎ、隙あらば風の斬撃で致命的な反撃を繰り出してくる。
フェリクス「……素晴らしい。素晴らしい成長だ。ですが、まだ私には届かない。……このままでは、ただの無駄な足掻きに終わりますよ?」
再び、レンの鎖が死角から放たれた。校長は今度こそ、それを完全に見切っており、回避する。その顔には勝利を確信したような笑みが戻っていた。
フェリクス「同じ手は三度通用しないと言ったはず――」
遥斗「……ああ、そっちは『完全な囮』だ。」
校長の意識が、背後から迫るレンの鎖に、一瞬だけ向いた。
その刹那。
俺は至近距離で、これまでの戦闘ですべての魔力を温存し、隠し持っていた最大火力の魔法陣を、校長の腹部に直接押し当てた。
遥斗「終わりだ、校長……!! 『インフェルノ・ブラスト』!!!」
ゴォォォォォォォォォォォン!!!
校長の腹部から、太陽の表面のような猛烈な熱量を持った巨大な火柱が吹き荒れた。
爆風が運動場を白く染め上げ、凄まじい衝撃波が周囲を吹き飛ばす。土煙が視界を遮り、辺りは一瞬にして焦熱の地獄と化した。
至近距離での、最大出力の直撃。
いかにフェリクス校長といえど、この無防備な状態で、かつ物理的な接触距離からこれを喰らえば、無事では済まないはずだ。
俺は砂塵の中で、折れそうな腕で短剣を握り直し、その爆心地を見つめた。
煙がゆっくりと晴れていく――。
その向こう側。
運動場の入り口の方から、ようやく重厚な鎧が擦れ合う音が近づいてくるのが見えた。
フィオナが、そしてルミナたちが、ついに国の騎士団を連れて到着したのだ。
だが、晴れゆく土煙の中から、ありえない「圧力」が再び膨れ上がった。
第22話に続く――。




