第2話 ゲームみたいな世界
遥斗「……はぁ、助かったのか、俺」
川辺でゴブリンに追い詰められて、死を覚悟した――その直後。
炎に包まれて悲鳴を上げるゴブリン。その向こうから現れたのは、白いローブを纏った金髪の女性だった。
ルミナ「そこの君、大丈夫?」
遥斗「お、おう……たぶん。足が、ちょっと……」
自分の足を見ると、さっき転んだ時の切り傷から、じわじわ血が滲んでいる。立てないほどじゃないが、地味に痛い。
ルミナ「結構出血してるじゃない。じっとしていて」
女性がそう言って両手をかざすと、淡い緑色の光が傷口を包み込んだ。
ルミナ「《ヒール》」
遥斗(……技名っぽいのを言ったぞ、この人)
半信半疑で見ていると、痛みがすっと引いていく。さっきまであった傷が、うっすら血の跡を残すだけで、ほぼ消えていた。
遥斗「……え?」
ルミナ「これでよし。どう? 痛みは?」
遥斗「い、いや……全然痛くない。すご……チートだろこれ」
ルミナ「ちーと?」
遥斗「こっちの話」
ほっとしたように微笑むその顔は、いかにも“優しい人”って感じで、さっきまで命の危機にいたことを一瞬忘れそうになる。
遥斗「あの、助けてくれてありがとう。俺は一ノ瀬遥斗。遥斗って呼んでくれ」
ルミナ「私はルミナ・ブランシェ。ルミナでいいわ。よろしくね、遥斗」
遥斗「ルミナか。いい名前だな。うん、回復も名前も美人だ」
ルミナ「急にお世辞を重ねるのは、ちょっと怪しいわね?」
遥斗「命の恩人に全力で媚びているだけです」
ルミナ「正直なのは嫌いじゃないわ」
そう言って、ルミナの表情が少しだけ真面目になる。
ルミナ「それで、遥斗。ひとつ聞いてもいい? あなた、どうしてこんな森の奥にいるの?」
遥斗「えーっと……」
そうだ。さっきまで、遠くに見えた城壁の町に向かって歩いていて、門のところで兵士に止められて、意味も分からないまま追い返されて――。
遥斗「……町の方から来たんだけど、門の兵士に“身分証も所属もないやつは入れられない”って言われて。で、お腹も減ったし、“ワンチャン食べられそうなキノコくらいあるだろ”って軽い気持ちで森に入って、そしたらゴブリンに追いかけられて、今ここ」
ルミナ「……」
ルミナが額に手を当てて、大きくため息をついた。
ルミナ「予想通り、かなり無茶をしているわね、あなた」
遥斗「でしょうね!? 自覚はある!」
ルミナ「この辺りは“バルモンド城下町”近くの森。街道から外れた場所は魔物が出るから、普通は兵士や冒険者以外滅多に入らないの。さっきのゴブリンの群れも、その一種よ」
遥斗「やっぱりゴブリンか……ゲームと同じ名前なんだな」
ルミナ「ゲーム?」
遥斗「あー……俺のいた世界の遊びみたいなもので、人や魔物を動かして戦わせたりする……えーっと、今は長くなるから、“似たようなものがある”くらいで」
ルミナ「ふーん。よく分からないけど……その“ゲーム”とやらと似ているところがあるのね、この世界は」
遥斗「似すぎてて、今すぐ実況配信したいレベルなんだが、スマホも視聴者もいないっていう」
ルミナ「すまほ? しちょうしゃ?」
遥斗「忘れてくれ」
ルミナは少し考えるような顔をしてから、俺の目をじっと見た。
ルミナ「とりあえず、このまま森にいるのは危ないわ。私の家がすぐ近くにあるから、そこまで来て。ゆっくり話を聞かせてちょうだい」
遥斗「え、家? 森の中に?」
ルミナ「ええ。こう見えても元・バルモンド軍所属の魔術師だからね。森のそばの方が魔物の動きも分かりやすいの」
遥斗(今さらっと“元軍人”って言ったよなこの人。経歴が急に重くなったぞ)
俺に選択肢はない。ここで一人にされたらまたゴブリンに遭遇する未来しか見えない。
遥斗「分かった。お世話になります、ルミナ様」
ルミナ「いきなり様付けになったわね?」
遥斗「命の恩人で、軍人で、金髪美人だから階級もりもりってことで」
ルミナ「……そういうことさらっと言える人、ちょっと扱いづらいのよね」
口ではそう言いつつ、表情はあまり嫌そうじゃない。助かった。
◇ ◇ ◇
川辺から少し歩くと、木々の間を抜けた先に、小さな石造りの家が現れた。屋根は赤茶色の瓦で、煙突からはかすかに煙が立ち上っている。
遥斗「おぉ……ガチのファンタジー建築だ」
ルミナ「失礼ね。ちゃんと人が暮らせるように作ってあるわよ?」
遥斗「褒めてるって。現代日本生まれには刺さる外観なんだよ、こういうの」
扉を開けると、中は暖かい空気と、どこか甘い香りが漂っていた。丸いテーブルとソファ、本棚には分厚い本がぎっしり並んでいる。
遥斗「うわ、想像以上に“生活感のある魔法使いの家”だ」
ルミナ「“生活感のない魔法使いの家”ってどんなのよ……」
遥斗「床に魔法陣しか描いてないみたいな」
ルミナ「そんな家に住んでたら、たぶん腰を痛めるわ」
軽くツッコまれた。
ルミナ「座って。立ち話もなんだし、お茶でも淹れるわ」
遥斗「ありがとうございます」
椅子に腰掛けて周囲を眺めていると、ルミナが湯気の立つカップを二つ持って戻ってきた。
ルミナ「はい、どうぞ」
遥斗「いただきます」
一口飲むと、ハーブティーみたいな香りが口いっぱいに広がる。ちょっとクセはあるが、悪くない。
遥斗「……うまい。なんか体に良さそう」
ルミナ「疲労回復の薬草を少し混ぜてあるからね。さっきまで命懸けで走ってたみたいだし」
遥斗「うん、人生で一番全力疾走したわ。高校の持久走なんて比じゃない」
ルミナ「走り方を見て、“運動してないな”ってすぐ分かったもの」
遥斗「ぐうの音も出ない」
ルミナが少し笑ってから、改めてこちらを向く。
ルミナ「じゃあ――自己紹介から、もう一度ちゃんとしましょうか」
ルミナ「私はルミナ・ブランシェ。年齢は――」
遥斗「レディに歳は聞きません」
ルミナ「……今ちょっとポイント上がったわよ、あなた」
遥斗「やった」
ルミナ「元バルモンド王国軍の魔術師。今は軍を辞めて、ここで魔術の研究をしたり、たまに冒険者の手伝いをしたりして暮らしてるわ」
遥斗「元軍人で、研究者で、冒険者のサポートもできる金髪美人……チートキャラかな?」
ルミナ「そうやってすぐ“ちーと”って言うの、あとで詳しく教えてもらうからね?」
遥斗「了解です講師殿」
ルミナ「で、あなたは?」
遥斗「俺は一ノ瀬遥斗。25歳、だった。見た目はたぶん14歳くらい」
ルミナ「“だった”、ね。やっぱり……」
ここで、俺は腹をくくった。
遥斗「……俺は、別の世界から来た。“地球”って星の、“日本”って国で生まれ育って、そこで死んだ」
ルミナ「……死んだ?」
ルミナの手が、わずかに震える。けれど、逃げずに最後まで聞こうとしてくれている目だった。
遥斗「トラックっていう、でっかい荷車みたいな乗り物に轢かれてさ。気づいたら草原にいた」
ルミナ「……」
遥斗「そこから歩いて、城壁の町が見えて、門で追い返されて、ノリで森に突っ込んで、ゴブリンに追い回されて、今ここ。要約するとこんな感じ」
ルミナ「要約がだいぶ滅茶苦茶なのよ。……でも、話は分かったわ」
しばらく沈黙が流れたあと、ルミナはゆっくり息を吐いた。
ルミナ「信じろって言われても、普通は信じられない話ね」
遥斗「まあ、そうだよな。俺だって逆なら“はいはい嘘乙”って言うわ」
ルミナ「でも、あなたの服はこの世界のものじゃない。さっき門番に追い返されたって言ったけど、所属も身分証もなく、この辺りの地名も知らない人なんて、普通いない」
そこで一度言葉を切り、ルミナはまっすぐ俺を見た。
ルミナ「……それに、あなたの魂、“こっち側”の色じゃない」
遥斗「魂に色ついてんの?」
ルミナ「魔術師には、ぼんやり見えるのよ。だから――私は信じるわ。遥斗が別の世界から来たって話」
遥斗「……いいのか、それで」
ルミナ「その代わり、一つだけ確認させて」
ルミナの表情が、真面目なものに変わる。
ルミナ「――この世界で、生きる覚悟はある?」
遥斗「……」
不意打ちだった。でも、すぐに答えは出た。
遥斗「死ぬためにここに来たつもりはない。勝手に死んで、勝手に飛ばされて、よく分かんないけど……せっかくまた生きてるなら、生きたい」
ルミナ「なら、決まりね」
ぽん、と軽く手を叩いて、ルミナは微笑んだ。
ルミナ「この世界に家も身寄りもない転生者の少年、ね。だったら――」
ルミナ「今日から、ここをあなたの家のひとつにしなさい」
遥斗「……へ?」
ルミナ「余ってる部屋があるの。軍を辞めたあと、しばらく誰かと住んでた名残りよ。今は空き部屋だから、遠慮しないで使って」
遥斗「いやいやいや、初対面ですよ? 普通もっと“信用できるまで距離を置くわ”みたいな展開にならない?」
ルミナ「放っておいたら、またゴブリンに追いかけられて死にそうだもの。元軍人としての責任感と、元教師としての性分ね」
遥斗「教師までやってたのかよ。経歴がDLC全部乗せみたいになってる」
ルミナ「軍で新人教育を担当してただけよ。だから――」
ルミナは真剣な顔で指を一本立てた。
ルミナ「うちに泊まる代わりに、“この世界のこと”をみっちり教えてあげる。魔術、魔物、Lv、ステータス――全部」
遥斗「ステータス?」
ルミナ「あら、知らないのね。じゃあ、まずはそこからね。いい? 心の中で意識を集中させて、“ステータス表示”って言ってみて」
遥斗「ステータス表示……?」
半信半疑でそう呟いた瞬間。
――視界の真ん中に、半透明のウィンドウが“ポンッ”と開いた。
遥斗「うおっ!? ホログラム!?」
思わず椅子からずり落ちそうになる。
ウィンドウには、こう表示されていた。
―――――
名前 一ノ瀬遥斗
年齢 14
種族 人間
Lv 1
HP 100 / 100
MP 50 / 50
AT 10
DEF 10
状態異常 なし
―――――
遥斗「……マジでゲームのステータス画面なんだけど」
ルミナ「その“ゲーム”ってやつがどういうものか詳しくは知らないけど、たぶん似てるんでしょうね。それが、この世界の“自分の状態を見る”魔術式よ」
遥斗「ってことは……」
ルミナ「そう。戦ったり、魔物を倒したり、訓練したりすることで、そこに表示されている数値が上がっていく。Lvもね」
遥斗「Lv上げってやつか……」
ルミナ「魔物の体には魔力で構成された“魂”があって、その中に“EXP(経験値)”が詰まってるの。魔物を倒すと、その一部が倒した側に移って、それが一定量溜まるとLvが上がる。Lvが上がると、HPやMP、AT、DEFの数値も上がる」
遥斗「完全にRPGの仕様書なんだが」
ルミナ「細かいルールはおいおい教えるわ。今日はひとまず、“この世界はそういう仕組みで成り立ってる”って覚えておいて」
遥斗「了解、ルミナ先生」
ルミナ「先生って呼ばれると、説明しがいがあるわね」
ルミナは少し照れたように笑ってから、立ち上がる。
ルミナ「――さて。長くなったし、そろそろ休みましょうか。今日は命が助かっただけで、かなり疲れたでしょ?」
遥斗「まあ、そうだな。トラック→異世界→ゴブリン→金髪美人の家って流れ、イベント詰め込みすぎ」
ルミナ「贅沢な文句ね、それ」
遥斗「いえ、ありがたい限りです」
ルミナ「二階に上がって、一番奥の部屋が空いてる部屋。ベッドも机も一通り揃ってるから、自由に使って。荷物は……何もなさそうだけど」
遥斗「うん、マジで何もない。スマホも財布もカードも全部トラックと一緒に退場した」
ルミナ「すまほとさいふとカードは、そのうちゆっくり聞くわ」
遥斗「話せば長い文明講座になるぞ」
ルミナ「楽しみにしておく」
立ち上がって、階段を上がる。言われた通り、一番奥の部屋の扉を開けると、シンプルなベッドと机、本棚が置かれていた。
遥斗「……本当に、客間って感じだな」
ベッドにダイブすると、全身から力が抜けていく。
遥斗(トラックに轢かれて、知らない世界で目覚めて、ゴブリンに追われて、魔法で助けられて、家まで用意されて……)
情報量が多すぎて、頭が追いつかない。
遥斗(これが夢なら、そのまま覚めないでほしいくらいには、今のところ悪くないけど……)
そう思ったところで、急に胸が締め付けられた。
遥斗(……湊、大丈夫かな)
トラックに轢かれたあの瞬間。隣にいた弟、一ノ瀬湊も、巻き込まれていた。
生きているのか、死んでいるのか。この世界に来ているのか、それとも――。
遥斗「……どこにいてもいい。生きててくれよ、湊」
小さく弟の名を呼んで、目を閉じる。
こうして俺の、異世界での“最初の一日”は終わりを迎えた。
もちろん、このときの俺はまだ知らない。
この世界の“ルール”の裏側に、
――とんでもない“エラー”が潜んでいることを。
第3話に続く…
こんにちは、くるまえびです。第2話はどうでしょうか?
気になった所は教えて欲しいです。
これからもFATAL ERRORをよろしくお願いします




