ページ5 春のロールキャベツ(前半)
「たたたたたた大変です、ノルさん!」
「あん?」
ニンジンをかじっていたノルは、うしろから聴こえてきた声に振り返る。珍しく慌てた様子のロゼ。どたどたと走ってきたと思えば、急に頭を抱えてうずくまった。
(なにやってんだ、こいつは?)
ノルはニンジンを平らげ床に飛び降りると、彼女に近づいた。
「どうした? 今日はいつものひとりごとは無しか?」
「いまはそれどころじゃないんですよ!」
「ほうほう。ならこのイケウサこと魅力たっぷりなうさぎのお兄さんに話してごらん?」
「気持ち悪いです……」
「ええーっ⁉ そんなに引くなよぉ……」
口元に手をあてて、うわ……と文字通り身を引くロゼに彼の心は傷ついた。
「あのな? うさぎさんは繊細なんだよ? 少しのショックで毛ぇむしりはじめるし、ちゃんと優しくしてくれないと。ロゼだって嫌だろ? 俺が丸坊主になったら」
「丸坊主……それはそれで見てみたいような……?」
「やめて! 真に受けないで! けっこうグロテスクな姿だから‼」
ぽつりと紡がれた声に、耳を交差してノルは改めて彼女に訊ねる。
「んで? どうしたって?」
「実はですね。冷蔵庫が壊れてしまいまして……」
「ああ、あの謎の文明の利器」
「はい。それで修理に出そうと思うのですが、中の豚肉が危ない状態に……」
「危ない? 腐ったってこと?」
「いえ、まだ。ですが、あと一時間足らずで駄目になること間違いなしです!」
「またピンポイントな……」
一時間で駄目になるならすでに駄目になっているのでは? などとノルは思うわけだが、そこはさらっと流しておいた。
「じゃあ、急いで使っちまったらどうだ? ちょうど俺も腹が空いてきたし」
「そうですね。なにが食べたいですか?」
「うーん、部位にもよるが……塊ならスペアリブ。薄切りならポークジンジャーかな」
「すみません、挽き肉なんです。それも粗挽き」
「粗挽きかぁ、ならロールキャベツなんかどうだ? きのうキャベツ買ってたろ。春だから柔らかいのが出回ってるとか何とか言って……」
「ロールキャベツ。いいですね、ではさっそくノルさんはキャベツのほうをお願いします。わたしは中につめる種をつくりますので」
「りょーかい」
ふたりは厨房に移動して、ロールキャベツづくりをはじめた。
ロゼがひき肉をこね、ノルがキャベツの葉を一枚ずつはがしてから、水で綺麗に洗って、沸騰したお湯に沈めて下茹でする。そのあとは、茹でたキャベツを広げて肉を詰めてくるくると──
「……って! おい!」
「なんでしょうか」
首を曲げて聞き返すロゼ。ノルは後ろ足で立ち上がり、器用に箸を使ってキャベツをつまみ、びしりと彼女に手渡した。ロゼはキャベツを受け取り、肉をつめてくるくると巻いていく。さすがの手際だ。
「いやいやいや! 退屈するだろ、ここはっ!」
「なにをいまさら。うちは料理屋さんですよ? しっかりご飯を作っているところも見せないと、看板詐欺になってしまいますよ」
「またそういう際どいことを言う……」
「いえいえ、だってほら──」
ロゼが厨房の隅に視線を向けた。
そこにいたのは眼鏡をかけた知的な美女。なにやら四角い箱をこちらに向けている。なんだろうとノルが不思議に思うとぱしゃりと閃光が瞬いた。
「うぉ! まぶし……」
「ふむ。やはり再現するのは難しいか」
箱から出てきた小さな紙をひらひら振って美女がつぶやく。
「え? だれ? っていうか、いつのまにそこにいたの?」
ノルはすこし大袈裟に驚いてみた。
「おや? ノルさん知ってて『退屈するだろー』とか言ってたのでは?」
「うぐ……! それは……」
ロゼの指摘にノルは耳を抑えてうずくまった。
◇ ◇ ◇
ネモの花が咲きはじめる春の日のこと。ことの起こりは朝食後のことだった。急にぱったりと冷えなくなった冷蔵庫(ロゼが特注した冷蔵用の魔動機)を修理するべく、ふたりは王都の貧民街にある『ロシェの雑貨店』の扉をくぐった。
ここは、雑貨が置いてあるほかにも魔導品の修理なんかを請け負ってくれる店なのだが、たいへん高価な修理代をむしり取られることで有名だった。しかし腕は一級品。数ある王都の修理屋の中でも群を抜いてすごい。頼むなら、絶対ここ。
そんな噂を聞きつけ、やってきたふたりだったのだが……案の定、到底払えない額を提示されてしまい、店主であるロシェの頼みをきくことで、修理代を割引してもらうことになったのだ。つまるところ、いまのふたりの漫才劇はすべて仕込み。
ロシェが指示した、『ロゼとノルの今日のご飯♪』の、お芝居だったのだ。
「すまないな、ふたりとも。さきほどからひと芝居打ってもらっていたところ悪いが、ひとつも撮れていなかった」
「いえ、ロシェッタさんこそ。さきほどから修理お疲れ様です。よろしかったら、そちらのハーブティーをどうぞ」
「ああ、いただくよ」
ロゼが調理台のポットをさし示すと、ロシェは椅子から立ち上がり、四角い箱を椅子に置いてこちらに歩いてきた。
揺れる蜂蜜色の金髪。後頭部の高い位置で結われた髪はさながら馬の尻尾のようだ。うさぎのノルでも見惚れてしまうくらい、整った容姿と豊かな二つの丘。名前が似ているふたりでもまったく違う。
少々失礼なことを考えながら、ノルはロゼの胸部をちらりと見た。
「……ごほん。ノルさん、またニンジン抜きにしますよ?」
「おおっと! 今日もロゼは美人だなー。うんうん。ノルさんつい見惚れちまったよー」
「また調子のいいことを」
わざとらしくノルが話題をそらすと、ロゼはじとりと彼を見下ろした。そんなふたりのやり取りにくすりとロシェが笑う。
「魔導機の修理はもうすぐ終わる。あと一時間ほど厨房に立ち入らせてもらうことになるが……店のほうは大丈夫か?」
「はい、もちろん。お客さまとか来ませんので」
「それ、言っちゃうの?」
ちなみにノルが喋ってもロシェが驚かないのは、彼女は錬金術士という職業柄、そういう不思議な現象には慣れているからだと今朝話していた。
ロゼがノルの頭を撫でる。
「まぁ嘘をついても仕方がないですからね。こういうことは正直に言ってしまうほうがよろしいかと」
「いやいやいや。仮にも今後客になるかもしれない相手の前でそれは駄目だろ。客のこない店なんて外聞悪すぎだろーが!」
「そこは『知る人とぞ知る名店』というやつですよ」
「その自信はいったいどこから」
両手を腰にあてて澄まし顔。ノルが呆れた声で返すと、ロシェが可笑しそうに吹き出した。
「はははっ! ロゼだったか? なかなかに面白い子だな。正直な娘はわたしも好きだぞ。年齢はまぁ、少しいってはいるが……今度うちに遊びにくるといい。お茶でも出すからゆっくり話そう」
「え? 姉ちゃん、そっちの趣味でもあんの?」
ロシェは微笑を浮かべてノルの言葉を流した。
「さてと、あとは煮込むだけですね。ノルさん、火をつけますので離れていてください」
「おうよ」
ロゼがかまどの前で座り込み、指先にぽっと火を灯す。ロゼいわく、簡単な魔法なら呪文を唱えずとも使えるそうだ。ちなみにノルは無詠唱。なので、この前『俺はすごい星霊様だからな!』とロゼとアルバに自慢したら、『作法違反(です/だろ)』と返された。真面目な奴らめ。
「しかしまあ、器用なもんだよなぁ。道具も使わずに火を出すなんてさ」
ノルは土の魔法しか使えないから、素直に感心する。
「ふふんっ、わたしは篝火の魔女。火棒なしでも、かまどに火を灯してさしあげますっ」
「ねぇそれやっぱり決め台詞なの? しかもそれ、ただの火棒扱いだけどいいの?」
涼やかな顔でロゼが立ち上がる。それをぼんやりと眺めて頬杖をつきながら、ロシェがつぶやく。
「たしかに。流石は篝火の魔導師だな」
「……? もしかして、どこかでお会いしたことがありましたっけ?」
ロゼが首をかしげると、ロシェは首を横に振る。
「いや、以前、城で魔導師帳簿を見せてもらったことがあってな。そこに書いてあった。依頼をするならキミがいいと城の者から言われたよ」
「ああ、それで……」
あの帳簿は希望すれば一般の者でも閲覧できる。魔導師に仕事を依頼したい人、仕事を請け負いたい魔導師。その仲介役を城で執り行っているので、ロゼの仕事も城からの斡旋が多いのだ。
「あれだろう? ひとりで睡魔鳥を倒した、だったか? あれは数こそ少ないが、人里に降りてくると厄介だからなぁ」
「そ、そうですね……」
ロゼの笑顔が引きつった。この前、森で彼女が話していたが、実際は本人の手柄というわけではないから、心中では複雑といったところか。
「ところで姉ちゃん」
「なんだ?」
「さっきの四角い箱はなんなんだ? なんども俺たちに向けていたが……音が鳴るたび光が走ってまぶしくてかなわなかったぞ」
「それはすまかったな。あれはまぁ……古い遺跡から出てきた魔動機のひとつだな」
「魔動機? ああ、そこの冷蔵庫みたいなもんか」
ちらりとノルが厨房の隅をみると、そこにはドデンと大きな四角い箱が鎮座している。表に二つ扉がついており、開けると上がひんやり冷たく、下は凍えるような寒い空間が広がっている。以前、下の扉を開けて中に入ったら死ぬ思いをしたノルだった。思い出してぶるりと身体が震えてくる。
「なぁ、そのたまに聞く魔動機ーとか、魔導品ーってのはなんだ?」
ノルがうしろ足で立って、つぶらな瞳をロゼに向けると、彼女は一瞬逡巡したあと、簡単な違いを口にした。
「ええっとですね……魔法を閉じこめたものを『魔導品』といいますが、そのほとんどが小型で普段から身につけられるものが多いんです。それに比べて『魔動機』には大型なものが多く、用途も魔法というよりは、生活をちょっと便利にしてくれるものを指すんですよ」
「うーん……違いがわからん。大きさ? で呼び名が変わるってことか?」
そうなると、ロシェが持ってきた小型のやつはどうなんだ?
ノルが疑問に思うと、
「いえ、いちおう明確な違いはあるのですが……」
答えに詰まり、ロゼは考えるように上を向いた。
そこにロシェが助け舟を出す。
「魔石を核にしたものが『魔導品』。火を灯したり、風を出したり、魔石の力を使って魔法を導く装身品。反対に『魔動機』は、大気に満ちた魔力を動力とする機械を指す。造りがすこし違うんだよ」
「ほーん、ちなみに魔石って、この前遭遇した魔獣とやらについてる石、って認識であってるか?」
「そうですね。でも、魔導品に使われているものはそれとはまた違うものだったような……?」
「どうなん? ロシェ先生」
返ってきた回答があやふやなので、ロシェに聞き直す。
「まあ、種類があるからな。説明すると長くなるが聞くか?」
「ほうほう。とりあえず宝石っぽいのがついてるのが魔導品で、それ以外が魔動機ってことか」
ノルは聞かなかったことにした。ロシェが頷く。
「そうなるな。あとは……お前が使って魔法を出せるのが魔導品。ものにもよるが、魔動機を動かすにはそれなりの知識がいるからな」
「んじゃ、俺が『アクア・スラーッシュ!』って叫んで必殺技キメられんのが魔導品で、それ以外はガラクタってことか」
「ノルさん……その覚えかたはどうなんでしょうか」
「そうか? わかりやすくていいだろ」
「ま、まぁ……?」
うしろ足で立ちあがり、腰に両手をあてるノルの姿にロゼもロシェも苦笑する。
「──で、さきほどの魔動機だが、あれを使うと空間を切り取り、紙に浮かびあがらせることができるらしい」
「うん? 空間を切り取る?」
なんだか難しそうな話だ。ノルが小首をかしげるとロシェが「そうだな……」とつづけた。
「たとえば、お前……いや、ロゼの可愛さを後世に遺す時。一般的には画家を雇い、時間をかけて肖像画を描いてもらうことになるが、この魔動機を使えば一瞬で絵にすることができるという話さ」
「はー、なるほど……。それはめちゃくちゃ便利ですね」
ロゼが感心するように頷いた。
「だろう? だから、どうにか直せないものかと思ってな。いろいろ試してはいるんだが、うまくいかなくてな」
苦笑を浮かべるロシェ。ロゼが四角い箱を手に取り、くるくると動かして観察している。
(いや……)
いまさらっとこの姉ちゃん、とんでもないこと言ってたぞ?
隣で聞いていてノルは思わず紅茶を吹いてしまった。可愛いお前を後世に遺すときた。
この姉ちゃん、正気か?
「あ、そろそろ。ロールキャベツが出来ますね」
ロゼが立ち上がり、鍋の前に立つ。ふたを開ければ腹が鳴りそうな匂いが部屋中に広がった。彼女はかまどの火に水を放つと振り向いて言った。
〈魔導品〉
魔石を核につくられた装身具。腕輪や髪飾り、ブローチなど。
・戦闘型…主に魔導師が使う。祈文が刻まれ、決められた魔法が発動する。属性問わず複数所持すれば様々な魔法が使えるが、大変高価なため、大抵は国からの支給品か、個人で買えても一人一個(=ひとつの魔法のみ)となる。
・お守り型…持っているだけで何かしらの効果がある。病弱な人など。
〈魔動機〉
大気中の魔力を集めてエネルギーに変換する回路がついた機械。大型が多い(小型もある)。
ロゼが持っている魔動冷蔵機、古代の魔動砲、水を浄化させて王都中に巡らせる水道系の魔動機など。
いずれも遺跡からの出土品。発掘された時点ですべてフィーティアによる鑑定が入り、一般市場品、特別売買品(国家向け)、封品(破壊又はお蔵入り)に選別される。
〈魔石〉
大きく分けて二種類。
・魔導品の魔石…宝石のように綺麗。
・魔獣由来の魔石…赤とか紫が多い。加工してアクセサリーにしたり、燃料にしたり用途は様々。錬金術士が作った魔石を利用した日用品(保冷箱とか)にも使われる。
+αで、ごくまれに魔力の濃い場所でも魔石が採れる。結界水晶と呼ばれる特殊な道具の材料としても使えるので魔獣の魔石よりも希少価値が高い。
こちらもフィーティアが管理。買うと魔石の品質や使用規約が書かれた公的証書がついてくる。
また、実は正規品じゃない新型魔石(蜂蜜色)も存在し、四話でノルが地下室で見たのはこれでした。