ページ2 ホットジンジャーとミートグラタン(後半)
「ぐっはぁー、疲れました……」
「女の子が『ぐっはぁー』はナイだろ。でも確かに疲れたな……」
シュクレちゃんを探して西へ東へ。当然ながら、そうそう都合よく捕まえられるはずもなく、ふたりはぐったりしながら重い身体に鞭打って帰路についていた。
その途中で、誰かに呼び止められる。
「あら、魔導師のお嬢さん」
振り向けば、今朝依頼に来た老婆が買い物かごを片手に近づいてくる。
「ああ、ええっと……?」
「セリカよ。大丈夫? 頭にクモの巣がついているわよ」
「……あはは。ちょっと、狭い通りなどを通ったものですから」
「まあまあ。もしかして、シュクレちゃんを探してくれて?」
老婆改めてセリカが、ロゼの頭に手を伸ばしてクモの巣を払ってくれた。
「ごめんなさいねぇ。少しお転婆な子だから、見つけるだけで苦労するでしょう?」
(少し?)
少しどころか、お転婆すぎて手に負えないような気がする。現に飼い主であるセリカのところにも帰ってこないのだ。
しかし、それを言うわけにもいかないし……と、ロゼは愛想笑いを浮かべて返す。
「いえいえ。とても可愛い猫さんでした。一度だけお会いすることが出来たので、次はきっとセリカさんのところにお連れしますね」
そう言って、軽く会釈をしてセリカから離れようとする。だが、引き留められる。
「──ああ、待って。ロゼッタさん、いまお腹は空いているかしら?」
「……? ええ、はい。空いていますよ」
本音を言えば、ぐーぐーだ。
町中をあちこち駆けずり回ったせいで、空腹を通り越して胃痛すらしてくる。早く帰って何か食べたい。
出来れば焼きたてのパン。
表面パリパリ、中はふわっふわ。
かぶりついて小麦の味を噛みしめたい。
そうだ、帰りにパン屋でパンを買っていこう!
ロゼの頭の中はパンで埋めつくされた。
「それならちょうどいいわ。これからミートグラタンを作ろうと思うのだけど、良かったらうちで食べていかない?」
なに? グラタン、だと……?
それはあの、濃厚なチーズときのこたっぷりホワイトシチューの進化系か!
一瞬でロゼの思考はグラタンに切り替わった。
「いいんですか⁉」
「もちろんよ、ついてきて」
セリカに促され、ロゼは慌ててノルを抱き上げる。その際ノルに『ひとりだけずりぃぞ!』と小声で文句を言われたが、聞かなかったことにした。
歩いて十分程度でセリカの家についた。
思ったよりも近い。まあ、元々この近隣でシュクレちゃんを捜索していたのだから当然か。
ロゼはセリカに案内され、門扉をくぐる。古いながらも手入れの行き届いた家だった。中はロゼの店よりは広いが、ごく普通の民家だ。
てっきり、この区画に住んでいると聞いたから、大きな屋敷を想像していた。
「少し待っていてね」
居間に通され、紅茶を出され、ロゼは食卓に腰かける。セリカがキッチンで調理を始めたようだ。トントンと、野菜を切る音が聴こえてくる。
(ロゼ! ロゼ!)
ノルが小さな声で下から呼び掛けるので、ロゼは腰を屈めて彼の話を聞いた。
(俺の分も頼んだ)
(もちろんです。ノルさんの分もお腹いっぱい、いただきますよ)
(そうじゃねぇよ! に・ん・じ・ん。せめてニンジンくれって、あの婆さんに頼んでくれ。もう腹が減って死にそう)
(しょうがないですねー……)
ロゼはセリカからニンジンをもらってノルに渡した。しゃくしゃくとニンジンをかじる音が室内に響く。
そこで、ふと一枚の絵画がロゼの目に映った。
「あれは……」
椅子に座る老女。その膝の上には、身体を丸めて眠りにつく白い子猫──シュクレちゃんにそっくりな猫だった。
「あれね、主人が描いてくれたの」
ことりと、ロゼの前に皿が置かれる。
ミートグラタンだ。
ふつふつとチーズが泡立ち、野菜と肉のうま味を閉じ込めた、香ばしい薫りにロゼは唾を呑みこんだ。
セリカが対面に座る。
「もう、二年になるわねぇ。あの人が先に逝ってから」
懐かしそうな瞳で絵を眺めてから、下に視線を落とす。
「このミートグラタンね。主人のいちばんの好物だったのよ。いつも無言でねぇ、黙々と食べあとに『うまかった』って、最後に一言だけ返してくれるの」
皺の深い笑み。本当に幸せそうな顔でセリカが語る。
「ふふ、それでね? わたしったらつい嬉しくて、一時期、毎日のようにグラタンを出していたら、流石に他のものが食べたいって、呆れた顔をされてしまったことがあるのよ」
「そうなんですか。仲のよい、ご夫婦だったんですね」
「ええ、とっても」
噛みしめるように頷くセリカを見て、素直に羨ましいなとロゼは思った。
「──って、ごめんなさい。つまらない話を聞かせちゃったわね。はい、スプーン」
「ありがとうございます」
使い古された銀食器を受け取り、ロゼはミートグラタンを観察する。
蓋のように覆いかぶさる蕩けたチーズ。
適度な香ばしい焦げが食欲をそそる。
いっけん、故郷で食べた『キノコのグラタン』に似ているが……。
(ミートグラタン。以前本で読みましたが、たしか豚のひき肉を使ったトマト味のグラタンでしたか……)
初めて見る。
しげしげと眺めてから、スプーンでひとくち大にすくうと、チーズが伸びて糸を引く。
そのまま口の前に持っていき────ぱくり。
「~~~~~~~~っ⁉」
火傷した。仕切り直して、
(あふくて、味がよく分かりません、が……でも)
口に入れた瞬間、トマトの酸味を感じた。次に塩気。
あまりの熱さにハフハフと口を動かせば、粗く挽かれたひき肉が、舌の上で粒さを主張してくる。
(水をっ──)
と、コップに手を伸ばして止めた。熱いからこそ、グラタンはおいしいのだ。
次第に下がる口内の温度。じゅわりと肉のうま味がやってくる。
そして、この甘味は玉ねぎだ。
丁寧にみじん切りにされた玉ねぎが、粗いひき肉の食感を引き立てている。
それからクリーミーなホワイトソース。
うまい。文句なしにうまい。
(むむ、これはほうれん草ですね……)
どうやら普通のミートグラタンと見せかけて、中にほうれん草が入っているらしい。くたっとした食感の中に、わずかにシャキシャキとした歯触りを感じる。
さらに──
(この、パン、ふわっふわ……)
おそらくセリカが焼いたものだろう。
表面の薄皮は、パリッ。中はふわふわ。
焼き立てでしか味わえない、蒸気を含んだほのかなしっとり感。
小麦の甘味と豊かな香り。
先ほどロゼが食べたいと想像していたパンそのものだった。
(やはり、ユーハルドのパンはおいしいですね)
故郷のパンは固かった。
ざらついていて、穀物臭いのだ。
それが師匠に連れられ、ユーハルドに初めて来た時、柔らかいパンを食べてひどく驚いたものだった。
ロゼが食事に夢中になっていると、セリカが微笑ましいものを見るような目で訊ねてきた。
「お味はどうかしら?」
「おいしいです!」
即答だ。力強く答えた言葉にセリカが目を丸くして、やがて嬉しそうに破顔した。
◇ ◇ ◇
おいしいミートグラタンをいただいたロゼの傍らで、ノルは食後の眠気と戦っていた。
(ねむ……)
ロゼとセリカが談笑している。セリカの話によれば、あの猫──シュクレちゃんはセリカの夫が亡くなる前に連れてきた猫なのだそうだ。
肺を病んでしまい、残りわずかな寿命。
遺す妻が寂しくないよう、ご主人は自分の代わりに拾った子猫に彼女を託した。
「なのにねぇ。あの子ったら、いつも外ばかり……。そんなところも主人と似ていて、困った男の子だわ」
セリカがため息をつく。……え?
(は? へ⁉ あの猫……、オス⁉)
稲妻に撃たれたみたいな衝撃だった。
だっておま、シュクレ『ちゃん』って……。
ノルは慄き、ロゼを見上げる。平然とした様子でセリカの話を聞いている。
(おまえら……、紛らわしい呼び方すんなよ……つか、そうなると)
昼間の会話もこうなるわけだ。
『遊んであげますわっ!』→『いっちょからかってやるぜ、ひゃっはー!』
勝気なお嬢さま猫とのラブコメ(?)展開から一転、うさぎ狩りを企むヤンキー猫さんとの熾烈なバトルものになってしまうじゃないか!
どうしてくれるんだ、この誤解釈!
などと、ノルは心の中で叫んだが、当然ロゼにもセリカにも伝わらない。
その折、窓の外で何が動いた。
(んん?)
白いふさ毛の尻尾。窓からちょこっとだけ見えるそれは──
(ロゼ! ロゼ! シュクレくん!)
ノルは勢いよくロゼの足を頭突いた。ロゼが目を丸くして下を向く。
セリカが居るので喋れない。
ノルは前足をバタバタ動かして、ことの事態を伝えた。
その意図に気づいたロゼが立ち上がる。
「ロゼさん?」
セリカが不思議そうに首をかしげる。
ロゼがふっと目を細めて外を見る。
暗闇。
すでに日が落ちた暗がりを、白い綿毛が移動する。
ノルもその姿を確認したところで、身体がふわりと軽くなる。
「ノルさん、お仕事ですよ!」
(──へ?)
ばんっと、勢いよく放たれる窓。
流れる動作でロゼが投てきポーズ。
そのままシュクレくんに向かって魔球を、投げつけるっ!
(のわぁああああああ──────────⁉)
「お得意の頭突きをっ!」
うしろから声が追随する。
いや、それやったらシュクレくんが怪我するけど⁉
(くそっ、あとで覚えてろよ、ロゼ!)
ノルはくるりと空中で一回転。着地に合わせて、土の魔法を発動させた。
「これでも食らいやがれ!」
前足でバンっと地面を叩くと、土が波打った。瞬く間に標的の足場が隆起し、白猫を覆い尽くさんとばかりに天高く伸びあがる。
「……ふっ、さすがは俺。華麗なる土魔法だぜ!」
にゃーんと、猫かごならぬ鳥かごから、抗議めいた鳴き声が上がった。
かくして、探し猫はセリカに引き渡され、初の依頼は達成されたのであった。
◇ ◇ ◇
「──では、シュクレちゃん探しはこれで終了ということで。またのご依頼をお待ちしております」
金貨を握りしめ、ほくほく顔でロゼが言った。
「ええ、ありがとうねぇ。とても助かったわ。それにしても、魔導師さんはやっぱりすごいのね。あんなびっくりな魔法は初めてよ?」
「いえいえ、あのくらいどうってことはありませんよ。初歩中の初歩ですから!」
(……………………)
どの口が言っているのかな?
ノルは遠い目をした。
(つか、こいつ、なんもしてなくね?)
ミートグラタンを食べていただけである。なぜか誇らしそげに胸を張るロゼを見やり、ノルは彼女の足元で嘆息した。
「それでは、わたしたちはそろそろ……」
「ええ、もう暗いから気をつけてね。それからまたお願……い……ごほ、ごほっ!」
急にセリカが机に手をついて咳きこんだ。
(うん? どした?)
「だ、大丈夫ですか⁉」
ロゼが慌てて駆け寄り、背中をさすってあげている。セリカが少し困ったように笑って言った。
「大丈夫よ。最近もまた寒かったから……風邪かしらねぇ」
(ふむ……)
季節は春のはじまりだ。冬を越えたとはいえ、まだまだ空気は冷たい。この寒さで風邪でも引いたのかもしれない。
(……いや、肺、か──?)
ノルの頭にひとつの懸念がよぎる。
さきの話。二年前に肺を病んだ夫。
(まさかな……)
そう思ってノルがかぶりを振ると、ロゼは何を思ったのか、セリカに台所を使っていいかと訊ねた。
「おい、なにするつもりだ?」
「いえ、咳といったら、やはりこれかなと──ああ、ありました」
ロゼは棚からショウガを取り出した。ついでに蜂蜜も。どうやら今朝飲んだあれを作るらしい。
ショウガを輪切りにして、沸かした湯に入れている。
「ホットジンジャー? なんだってそんなもん……。飲みたきゃ、店に戻って作ればいいだろ?」
「ふっふっふ、実はですね? ショウガと蜂蜜は喉にいいんですよ。身体も温まりますし、これを飲んで風邪もサヨナラです!」
「ほーん。意外と優しいのな」
さっき俺のこと、投げ飛ばした癖に。
「もちろんですとも。なんたってわたしは篝火の魔女。寒さで冷えた身体も、ぽっかぽかです!」
「それは何かの決め台詞なのかな?」
ノルが大人しく様子を見ていると、ロゼは木のコップにホットジンジャーを注いで目を閉じた。なにかを念じるように手をかざす。ほんのわずかに湯面が煌めいた。
「いまのは?」
「ちょっとしたおまじないです。どうか病が早く癒えますように──と」
少し切なげに笑ってから、居間に移動して、ロゼは優しい笑顔を浮かべてセリカにコップを手渡した。
「ホットジンジャー。寒さで冷えた身体を温めてくれる優れものです」
──風邪の引きはじめに、一杯いかがですか?
次回『アップルパイ』