番外編2 うま辛雑炊と杏仁豆腐・前半
誰にも言えない秘密はあるもので、最近できた友人にも隠していることがある。
きっとそれを話したところで友人はすごいと驚くだけで深く追及してくることはないだろう。
けれど、知れば戻れなくなる。
危険が及ぶ。
なにより自分の手が汚れていることを、お人好しの彼女には知られたくなかった。
それなのにどうしても、友人を見てみたいとあの人が言ったから、わたしはここに来る羽目になったのだ。
◆ ◆ ◆
「す、すごい……! 女神! 台所の女神様がここにおわしめしていらっしゃる!」
「なぁそれ、言葉の誤用じゃね? ──だがまあ分かるぞ。確かにこれほどキュートなメイドさんは俺史上初といえよう。……ま、メイド見んの自体、これが初めてなんだけど」
「褒めてくれんのは嬉しいが、さっさとそっちの手、動かしてくれるか?」
ユーハルド王都の西端にそびえたつ、白と青を基調とした美しいノーグ城。
その厨房で、メイドが萌えるだどうの、オムライスにはあえて難しい文字を書かせてメイドさんの手をわずらさせたいよな、とか騒いでいるバカふたり(主にノル)に吐息を落として、アルバは芋の皮剥きへと戻った。
先週、王都で大きな爆発事故が起きた。
大破した店とすすだらけの少女。
駆けつけた兵士たちですら戦慄する建物の破壊ぶりだったと仲間から報告を受けている。
──ジーを魔法で爆破したらすごいことになってしまいまして。
と、舌をペロッと出して悪びれもなく申告してきたロゼッタにアルバは心の底から呆れた。
(なんでたかだが虫いっぴき相手に魔法をぶっぱなすかね。ふつうに考えれば分かるよな……)
しかも爆破って。
常識と良識とジーへの慈しみに欠けた友人の将来が心配になった。
結局、あのあと住む家も金も失い、路上で薬草売り(近くの森で採ってきた)を始めた不憫な友たちの姿を見かねたアルバが、神殿の空き部屋を提供することでふたりはなんとか難を逃れた。
ロゼッタは朝も晩もクタクタになりながら働いていた。
ノルは清々しいまでに食っちゃ寝ダラダラしていた。
そんなノルの穀潰し生活が一週間ほど続いたある日のこと。
『城の厨房で働いてみないかい?』
ペリードの紹介で、ロゼッタの城での就職が決定する。
そしてなぜかアルバもそれに同行する形で働かされているのが、いま現在である。
「はあ……」
本当は、ここへは来たくなかった。
いや、より厳密にいえば、アルバひとりでここに来るのは構わない。
ロゼッタと一緒なのが嫌なだけ。
だってこの先に待つあのかたは──
「ア、アルバさん。本当にこのお昼をわたしたちが運んで大丈夫なんですかね?」
考え込んでいるうちにいつのまにか太陽が中天を過ぎてきた。
ワゴンを押して、自分の隣を歩く友人が不審者さながらきょろきょろしている。
大きな城に驚いているのだろう。
アルバと同じくメイド服に身を包んだ彼女の仕事は厨房係。
雑用メインの仕事ではないため、本来ならば厨房を離れることはない。
けれど、これから向かう部屋の主に言われたのだ。
ふたりで昼食を持ってくればいい──と。
だからアルバは侍女のフリをして、ロゼッタを彼のもとに連れていく。
(なんだってあの人はロゼッタに会いたがるんだ……)
はぁ……と再度重い吐息を重ね、アルバはロゼッタに顔を向けた。
「平気だろ。人がたりねぇって言うくらいなんだ。手伝ったって文句は言われねぇよ。つーかこれ持ってけっつったの料理長だし」
まあ、その料理長がそう指示するよう仕向けたのもあの方なんだが。
長い廊下を歩いて曲がり角。
扉の前に立つ護衛の兵士に会釈して、アルバはこんこんこんとドアを三回ノックする。
「王佐閣下。お食事を届けに参りました」
「ありがとう。入りなさい」
落ちついた、柔らかな声。
しかしその中に冷たいものが混じっていることをアルバは知っている。
緊張で手が震えて鼓動がうるさい。
深く息を吸って呼吸を整え、毅然とした態度で部屋へと足を踏み入れる。
アルバは折り目正しく一礼した。
「失礼いたします。お食事はどちらに──」
「──おや、新入りかな? 見たことのない顔だな」
机に顔を向けたまま彼は言った。
明らかな嘘。
というか、こっちを見てすらいないし。
もうちょい演技しろよと、アルバは心の中で眉間を揉んだ。
長い灰髪を、肩まで垂らした白い法衣姿の四十路すぎの男。
椅子に腰かけたまま、黙々と書類をさばいている彼こそが、友人に会いたいと言ってきた張本人である。
──王佐ロイディール
国王陛下をお支えする、この国で二番目に偉い御方だ。
普通は王子や王女──王族のほうが宰相よりも位は上になるのだがこのユーハルドでは異なる。
王の次に権力を持つのが、王佐。
古くは大祭司とも呼ばれ、時代によっては王をも退冠できるほどの強権を有していたそうだ。
その名残りもあり、この役職についているあいだは国名に冠する『ユーハルド公爵』という特別な役職爵位が与えられる。
それがこの人。
さらにそこへ付け加えれば、この国に五つしかない侯爵家の当主も兼ねているため向かってくる敵なし状態。
顔はそれなり。
渋めのオジサン具合がステキ! という声もあるが、これであと十四歳若かったら嫁さん来るのになとアルバは心の中で唸った。
アルバが理想とする男性の年齢は二十八歳。自分より一回り上が好みなのである。
「どうぞ、中へ」
ロゼッタがワゴンを持って扉の前で立ち往生していると、彼の補佐官だろう初老の男がワゴンを受け取り、入室を促した。
ロゼッタが中に入ると扉が閉められる。
ロイディールは筆を置くと、にこりと笑ってこちらを見た。
「名は、なんというのかな?」
「……アルバ。こちらはロゼッタです」
「お初にお目にかかります、ロイディール様。どうぞ、ロゼとお呼びください」
事前に教えておいた挨拶をロゼッタが口にする。
スカートの裾を持ち上げた、淑女のような一礼。
なぜか足がもつれて転びそうになっていたが、ロイディールは満足そうに頷いた。
「私はこの国の王佐を任されているロイディールだ。キミが篝火の魔女だろう? ペリードから話は聞いている。一度会って話をしてみたかった」
そこからは他愛もない世間話。
ロイディールの補佐官がテーブルに皿を並べていくのを眺めながら相槌を打っていると、そうかからずに話は終わった。
ロイディールが席を立つ。
応接用のソファーとテーブル。
そこへ移動すると、並べられた料理を見て彼は顔をしかめた。
ロゼッタが首をかしげる。
「どうしました? もしかして嫌いなものでも入っていましたか? ピーマンとか」
さすがにそれはないだろ。
国を治める立場のお偉いさんがピーマン嫌いとか。
威厳とかそういうものが台無しである。
ロイディールは苦笑すると執務机に戻ってアイスコーヒーに口をつけた。
「最近暑くて食欲が少しな。良かったら、キミたちで食べていってくれないか?」
「えっ、いいんですか⁉」
ロゼッタの顔がぱあっと輝く。
そのままつかつか、どかり。
嬉々としてソファーに座ると、フォークを掴んでカルボナーラをぱくりといった。
「んー! 冷たいカルボナーラも最高ですね~」
……ほんとに食い始めたよ、この人。
アルバは思わず頬がひきつるのを感じた。
ちらりとロイディールを見る。
一瞬驚く素振りはあったものの、友人の無作法には目をつぶってくれたようだ。
アルバも席をすすめられてソファーに腰掛けると、初老の補佐官が「こちらもどうぞ」と言って彼女の前に皿を並べた。
どうやら彼も食欲不振らしい。
結果、意図せず夏バテおっさんふたりの昼食を、この場でいただくことになったアルバは畏縮しながら料理を片付ける。
冷製カルボナーラと冷やしトマト(サラダ)と冷製スープ。
夏メニュー。
身体が冷えるこの組み合わせを考えたのは正面に座るロゼッタだ。
おかげで先ほどからアルバの身体がガタガタいっている。
手足が冷たい。
(味がわからん……)
料理が美味しく感じられたのは最初の数口だけ。
それ以降は作業のように口へと運んでいく。
看守に見張られながら食事を取る囚人の気分になった。
こうして夏バテじゃないのに食欲不振のアルバを尻目にロイディールの昼食を平らげた友人は、満足そうな顔で余計な提案をした。
「美味しいお昼の代わりになにか食べやすいものをお持ちいたします」
「ふむ、たとえば?」
「そうですねぇ……。お聞きしたところ夏バテのようですし、冷たい果実の寒天なんていかがでしょうか?」
「ゼリーか。それならば王国一辛い粥と、同じく異郷を見るほど甘い水菓子を頼みたい」
どういう注文だ。
それとあんた、夏バテじゃなかったのか?
とは、口が裂けても言えないのが下っ端のつらいところである。
ロゼッタが元気よく『任せてください!』と返事して、アルバたちはロイディールの執務室をあとにした。
◇ ◇ ◇
ところは変わり厨房にて。
棚から小さな麻袋を取り出してロゼッタは袋の口を開いた。
「わたしはお粥とアンズの白実でゼリーを作りますね」
「アンズの白実? なんだそれ」
タマゴの白身みたいな言い方だ。
アルバが首をかしげるとロゼッタは袋の中身を見せてきた。
さらさらとした白い粉。
ロゼッタはそれを人差し指につけると親指と擦り合わせて下へと落とした。
「アンズの種から取れる白い実を粉末にしたものですよ。ここに牛乳を混ぜて冷やして固めるとトゥルトゥルなゼリーができるんです。わたしの故郷の料理で、すごく美味しいですよ」
「トゥルトゥル……」
おそらく食感のことを言っているのだろう。
もう少し賢い言い方はできないものか。
ロゼッタはさっそく料理に取りかかったようだ。
そのあいだにアルバは流し台に移動して蛇口をひねった。
「皿でも洗ってるか」
たらいに溜めた水で手早く食器を洗っていく。
王都は水まわりが整備されている。
蛇口をひねれば冷たい水はおろか、浴室に行けば熱い湯も出てくる。
惜しみなくじゃばじゃばと水を流して皿についた泡を落としていると、聞き慣れた声が頭上から降ってきた。
「あら? ずいぶんと可愛らしいメイドさんがいるのだわ。皿洗いなんかして、侍女にでも転身したの?」
ニヤニヤとからかうような目で自分を見てくる彼女は、ロビン……いや、今はエレノアと名乗っていたか。
この国の第二王女、そのメイドをしているエレノアは、カルボナーラの皿を持ったまま壁に寄りかかって愚痴ってきた。
「聞いてよ。さっき小汚ないウサギが庭に迷いこんできたのよ。耳が折れたオレンジ色のウサギ。それでウチの姫様がいたくお気に召したみたいでね。いまごろ迎えに行ってるんじゃないかしら」
はあ……とため息。
よく分からないが、ノルが庭園に迷いこんで迷惑をかけたらしい。
彼女はそれだけ言ってくるりと反転し、ひらひらと手を振った。
「せっかくだからこれからその格好でお仕事したら? じゃあね、台所の女神様」
「うるせぇよ。あとお前はロゼッタかよ」
厨房を出ていくエレノアを見送り、乾いた布で皿を拭いていると、今度はロゼッタが話しかけてきた。
「いまのはお友達ですか? 綺麗な方でしたね」
あんな奴はお友達ではない。
まったく見当違いなロゼッタの質問に、アルバはなんて答えようかと口ごもる。
「あー……同僚? 夜の仕事の。フィーティアの給金安くてそれだけじゃあ食ってけねぇからさ」
「おお! 夜の蝶? かっこいいですね!」
「そうだな」
適当に流して皿を重ねる。
ロゼッタが鼻唄まじりにかまどへ火を放つ。
「ふふ。こうしてアルバさんと一緒に厨房に立つと昔のことを思い出しますね」
「そんな昔でもないけどな」
あのときはメイド服じゃなくてエプロン姿だった。
青い薔薇をあしらった華やかなデザインがロゼッタによく似合っていた。
「あの頃はまだアルバさんのことをよく知らなかったですし、正直警戒していましたけど、いまではこんな風に仲良くなれてうれしく思います。実はアルバさんがわたしの初めてのお友達だったりするんですよ?」
「そうなのか? ……意外だな。あんたなら他にも親しいやつはたくさんいるだろうに。ほら、ペリードさんとかノルとか、故郷のやつとかさ」
「うーん、ペリードさんは知人? ですかね。ノルさんは下僕なので友達とはぜんぜん違いますね」
下僕……。
きっといまごろノルは盛大にくしゃみをしていることだろう。
「故郷は──、わたしにとってあまり居心地のいい場所ではなかったので。王都に来てみなさんに出会えたことが一番の思い出ですね」
「ふーん」
少し困ったように言葉を濁すロゼッタを見て、この話は切り上げたほうがいいなとアルバは判断し、話題を変えた。
「──ところでさ。そのアルバさんっての、そろそろ変えたらどうだ?」
「え?」
「いやさ、『さん』って付けられると他人行儀つーか、友達だって言うなら普通に呼べばいいだろ」
アルバがそう言うとロゼは首を曲げて「ふつう?」と呟いた。
(そこからかよ……)
だが、わかる。
交友関係が狭いと、まず相手をどう呼んだらいいのかが分からない。
初対面でもそうだが、どこまで距離を詰めていいのか頭を悩ませる。
そのへんがうまい人はガンガン友人を作るし、おのずと人付き合いの幅も広くなる。
しかしそれができない人間は、そもそも誰かと話すという経験が乏しいばかりに相手とのコミュニケーションの取り方に悩むのだ。
それを、ぼっち予備軍という。
いまのところアルバはぼっちではないが、やっぱり人との距離の詰め方には自信がなかった。
だからいまだに『ロゼ』と愛称で呼べていないことにある種の虚しさを抱えていた。
「……えっと、じゃあ、ロゼって呼んでいいか? ……ほら、ペリードさんもノルもそう呼んでるし……」
言った!
けれどその声は弱弱しく、およそ自信というものにかけていた。
しかし、アルバの想いは伝わったのか、ロゼは一瞬びっくりした表情を見せたあと恥じらうように手を合わせた。
「あ、じゃあ……わたしもアルバちゃんと呼びますね」
「そこはアルバじゃないのかよ」
「だって、そっちのほうがアルバさんに似合いますし、女神ですし!」
ちょっと良くわからない言い訳だった。
けれど、ロゼは『アルバちゃん』と口の中で反芻すると嬉しそうにアルバの名前を呼んだ。
「アルバちゃん」
えへへと、向けられた笑顔はとても幸せそうだった。
◇ ◇ ◇
ほどなくすると料理が出来たらしい。
ロゼッタ──いやロゼが、得意気な顔で真っ赤な粥と雪のように白いゼリーを見せてきた。
「いや、もう出来たのかよ。これ冷やして固めるやつだろ? もうちょい時間かかるだろ」
「ふっふっふ! わたしは篝火の魔女ですよ? 氷の魔法で時短することなど造作もありません!」
「あんた、氷の魔法使えたっけ?」
使えたらしい。
ロゼが指差す先にはボウルに張られた氷水がある。
触れると、指先から一気に身体の熱を奪った。
「それと激辛粥はこのように──」
ロゼがぱかりと瓶のふたを開ける。
むせ返るほどの独特な匂いが厨房中に広がった。
この赤々しいソースは東の竜帝国で採れる、辛い実を使った特製竜辛ソースだ。
舐めると舌が痺れるほど辛く、水を飲むとさらに辛く感じるという鬼畜仕様の調味料である。
近くにはサクナラミソとパウダー状の赤い粉も置かれている。
おそらくこのあたりのものを混ぜ合わせて作ったのだろう。
瓶から漂う強烈な刺激臭にアルバは鼻を押さえて顔を遠ざけた。
「これを、入れたのか?」
「はい。それはもうたっぷりと♡」
それはさぞかし辛いだろうな。
ひとくち食べて吐き出すロイディールの姿を想像してアルバは同情した。




