ページ2 ホットジンジャーとミートグラタン(前半)
ぐつぐつと大鍋を煮立てる魔女がいました。
ぴりりと辛い黄色の粉をぱらぱらぱら。
木べらでくるくる、火をとめて。
黄金の液体をとろりと加えたら?
「──はい、完成です!」
「あの……なんでもいいけどさ。ひとりごと、でかくね? あとそれ大鍋じゃないし」
本日も通常運転の氷の魔女ことロゼッタは、かまどの火を消して小鍋を取ると鍋敷きの上にぽんと置いた。
対するノルは鼻をひくひく動かして小鍋をのぞいている。
「ショウガ湯か」
「ノンノン! ノルさん。ジンジャーティー、もしくはホットジンジャーです!」
「あ、そう」
どっちでもよくね?
本当はそう思ったが、ぴしりと人差し指を立ててロゼが訂正するので、今後は『ホットジンジャー』と呼ぶことにした。
「うぐ……ぴりぴりする……」
小鍋に顔をうずめてぺろっとなめると、ノルは渋い顔をした。
ロゼが得意げに胸をそらす。
「ふふんっ! それはもう、ショウガを多めに入れましたから!」
「なんでそこ自慢げ? ──いやぁ流石にこれは入れすぎだろ、蜂蜜いいか?」
「どうぞ」
ロゼが黄金色の瓶を渡してくる。
ノルは器用に瓶の蓋をあけて、そのまま逆さにすると、鍋の中にどぼりと蜂蜜を落とした。
「あっーー! ノルさん、入れすぎですよ! 蜂蜜は高いんですから、適量よりちょっと少なめを心がけてください!」
「はぁ? ケチくさいこというなよー。それより、ほれ、ひとくち舐めてみ?」
「……む、甘い。やっぱり蜂蜜はたっぷりのほうが美味しいですね~」
「だろ?」
小言を口にしていたロゼも、やはり甘いほうが好きなのか、小鍋を傾けマグカップにホットジンジャーを並々と注いだ。
「おい、俺のぶんも忘れるなよ?」
「もちろん、わかっていますとも」
ノルが棚から深皿を取ってロゼに渡すと、彼女はだばっと残りの分を皿にあけた。ホールに移動して、ふたりでしみじみとホットジンジャーを堪能する。
「うまいなぁ」
「おいしいですね」
「身体が温まるよなぁ」
「はい、ぽかぽかです」
「………………今日も、暇だな」
「………………ええ、本当に。暇、ですね」
互いに顔をつきあわせて、はぁーっと長いため息を吐いた。
◇ ◇ ◇
先週オープンした『氷の魔女ロゼッタの料理工房』は、大盛況どころか閑古鳥が鳴いていた。
店内は静まり返り、窓から入ってくる冷たい風が、ちょっと不気味な音を奏でている。
シャノンの月ももうじき終わりだというのに連日寒い。
これでは風邪を引いてしまいそうだとノルが身体を丸めると、ロゼが窓を閉めてくれた。
(身体に沁みわたる温かさ……)
ノルはずずっとホットジンジャーをすすって首をめぐらせた。
この閑散とした店内。今日も今日とて一向にお客様が来る気配はない。
どうすれば客が入るのか。
十時のおやつ(クッキー)を食べながら、ふたりは今後の運営方針についてあれこれ頭を捻らせていた。
「うーん。やはり新規のお店にはみなさんも足を躊躇いますよね」
「まぁなー。入ってみてうまいかはわかんねぇし、様子見するやつが多いのは確かだろうなぁ。せめてうまいという噂が広がれば違うんだが……」
「いっそ、ちらし配りでもしてみますか?」
「ちらし? そりゃあ、やらんよりはマシだろうが、あれは紙の無駄づかいだろ」
「ですよねー。紙もただじゃないですし」
「世知辛いな」
「世知辛いですね」
ふたたびため息。
「これがいわゆる、オープン開始一週間後の悲劇というやつですよ……」
「いや、悲劇つうっか、まあ……提供できる料理が少ないからな……。そりゃあ客も来なくなるだろ」
森のオムライスをはじめ、メイン料理数種。
あとは、ドリンクメニュー、いっぱい。
おかげでオープン当初は少ないとはいえ、ぽつぽつあった客足も、開店一週間でぱたりと無くなった。
それはおそらく提供メニューの乏しさが原因だろうとノルは考える。
専門店ならともかく下町の料理屋さんともなれば、安くて、うまくて、腹いっぱい。
この三拍子が揃ったうえで、品数豊富なラインナップを期待して客たちは初来店を試みるのだ。
それがいざ入ったらこのメニューの少なさ。外れを引いたと思うだろう。
正直、味はいい。
たしかに高級店のような洗練された一品ではないし、使われている食材もその辺の市場で手に入る。
見た目で楽しむ芸術的なひと皿でもなければ、単なる家庭料理の延長線。
だが、うまい。
あくまでノルの感想だが、『もったいないなぁ』と思うのだ。
ロゼが頬杖をついて、メニュー表を手に取った。
「そう言われましても。ここでは湖魚も手に入りませんし。作るにしても後はサンドイッチなどの軽食になりますが」
「よし、とりあえずそれも追加しておきなさい」
【季節野菜のサンドイッチ】
ロゼがメニュー表に書き足して、ショウガ湯片手に嘆息する。
「やはりここはひとつ、ノルさんにお店の前で芸をやってもらうのがいいと思うのですが」
「いやいやいやっ、急にどんな展開⁉」
「ほら、帽子などから花を出したり、鳩を出したり。──ああ! 火の輪くぐりなんかもいいですね。じゃんじゃん人が来ると思います!」
「やめて! 最後のやつ、俺死んじゃうから!」
燃え盛る炎の中に飛びこむ自分を想像して、ノルはぶるりと身体を震わせた。目をきらきらさせたロゼなら、このあと本気で用意しそうなところがまた怖い。
「つーか、どうせならロゼがメイド服とか着て──」
と、ノルが切り出したところに玄関の鐘が鳴った。入ってきたのは老婆だ。
品のいい笑顔と服装からして、それなりに裕福な家の人間なのだろう。
もしかして貴族か?
ノルは口をつぐんで老婆とロゼの会話を聞くことにした。
「こんにちは。ここは魔導師さんのお店であっていますか?」
老婆が言った。
(んん? 魔導師?)
ノルは目をぱちくりとして首をかしげた。ロゼが笑顔で対応する。
「はい、あっていますよ。氷の魔女ロゼッタの料理工房はこちらです」
(工房?)
ノルがロゼを見上げると、彼女は人差し指を唇に立てて、しーっと小さく合図してきた。
まぁあとで聞けばいいから、いまは静かにしておこう。
玄関前に佇む老婆をロゼが席へと案内する。
老婆は椅子に腰かけながら、「表の看板を見まして」と優しい笑顔を浮かべた。
「『ご依頼』ですか?」
「ええ、実は先日いなくなってしまった猫ちゃんを探していただきたくて……」
「ふむふむ、猫ちゃんですか」
「はい、こち……ごほっ、こちらを」
老婆は軽く咳こんでから鞄をあけて紙を取り出し、ロゼに渡した。四つ折の紙を広げると、ロゼの瞳が大きく開かれた。
(なんだ?)
ノルがいそいそと彼女の背後にまわり、ぴょんっと高く跳ぶと、一瞬だけ視界に入ったのは、ものすごくリアルな猫の絵だった。
綿毛のようにふわふわとした白猫だ。
一本一本、丁寧に毛並みが描かれていることから、かなりの時間と労力を費やしたことがわかる。
(この婆さん、やるな)
ノルは感心して老婆を見上げた。老婆がこちらの視線に気づいたのか、穏やかな眼差しを返してきた。
「報酬ですが」
紙をおりたたみ、ロゼが切り出した。
「金貨一枚でお受けできます」
(たっか!)
ふっかけすぎだ。金貨一枚といえば、果てしない量の人参が買えるぞ?
これはさすがにこの婆さんも怒るのでは……。
ノルが内心ハラハラしていると、意外にも老婆はホッとした様子で笑った。
「では、お願いします。猫ちゃんを見つけたら、そちらの紙に書いてある住所までお願いします。お代はそのときに」
「はい、たしかに。氷の魔女ロゼッタがお受けいたしました。あなたに火の加護がありますように」
(氷なのに火……)
心の中でつっこむノルをよそに、老婆はゆっくりと頭をさげると店から出ていった。
軽く咳こんでいたが風邪だろうか。
しかしそれよりも。
「おいおいおい! 依頼ってなんだよ。それも猫探しって! うちは料理屋だぜ? なんでそんなもん引き受けてんだよ」
扉が閉まり、ノルがロゼに詰め寄ると、机の上に置いてあるメニュー表を渡された。
「そのことなのですが、やっぱり料理屋だけでは経営が厳しいため、魔女の仕事の依頼も受けることにしたんですよ」
「……お困りのかたは格安で承ります。獣退治に猫探し。お気軽にご相談ください?」
メニュー表のすみに小さく書いてある文字を読みあげ、ノルは顔を渋くする。
「ほんとにやるのか? これ」
「はい。いちおう表の看板にも書いておきました」
「ええ……」
ぜんぜん料理と関係ないじゃん、とノルは思った。
「……まあいいや、ところでさ」
「?」
「さっき婆さんが言っていた、魔導師ってのはなんだ? 魔女とは違うか?」
メニュー表を返しながらノルが訊ねると、ロゼは「ああ……」と呟いて天井を見上げた。ノルもつられて上を見ると、ひとの顔のような染みがあった。怖い。
「魔法が得意なかたを魔導師というのですが、わたしのようにお店を開いて依頼を受けたり、軍に入って国に仕えたり……人によっていろいろですが、魔導師は希少なので、すごく稼げる仕事なんですよ。魔女というのは単に別称ですね」
「ほーん。つまりロゼは魔導師で、すげー稼げる職業だから、あんな大金をふっかけてたってわけか」
「ふふふっ。このわたしに感謝してくださいね? これで夜ご飯は豪勢な鳥の丸焼きが食べられますよ!」
ふふんと誇らしげに胸を張るロゼだが、ノルは不思議と嫌な予感がした。
猫探し。
猫というのはあの猫だ。にゃーと鳴く、あいつ。
(ううむ)
ノルは眉間にしわを寄せる。いつも散歩をしていると、ノルのまわりに集まってきては、爛々とした瞳を向けてくるあいつらだ。そのまま交戦になったことは数知れず。
ふ、やるな……お前。
おまえも、にゃー……。
などと、熱い展開になったり、ならなかったり。
つまるところノルとって、猫は天敵なのであった。
◇ ◇ ◇
ひんやりとした空気が漂う中、王都の北西地区をふたりは歩いていた。ここは貴族や裕福な家柄の者が住む地区だが、今朝たずねてきたお婆さんはこのあたりに住んでいるらしい。そうなると、猫もこの近くにいるのではという話になり、ふたりは猫草を片手にこのあたりをうろついていた。
「さてさて、猫の名前ですが『シュクレちゃん』というそうです」
「シュクレちゃんねぇ。なんかいいにくい名前なんだが。んで? どうやって探すんだ? 白猫なんてどこにでもいそうなもんだが……」
ノルはあたりを見渡した。猫ならあちこちに見かける。ここは猫のたまり場なのだろうか。
「ふわふわの長毛種のようですね」
「それは知ってるが、さっきからけっこうな数を見るぞ? ……そこにもいるし」
階段の上に二匹の猫がいる。灰色の猫と、もう片方が白い綿毛の猫であり、やや警戒するようにロゼを見ている。
おかげでノルのことなど視界にすら入っていない様子で、今日は猫に絡まれることなくノルは通りを歩くことができた。ロゼに感謝だ。
「まぁ……、長毛の猫を買うのはお金持ちのお約束みたいなものですから。この地区に住んでいるかたを考えれば、そこかしこに長い毛の猫がいるのも頷けますね」
「そうなん?」
それは初耳だが、単なるロゼのイメージでは?
ノルとしてはむしろ小型犬を腕に抱いている姿を想像した。もしくは獰猛な犬種。番犬がわりに狼なんかを置いていそうだ。
「ちなみに靴下を履いたような模様のついた猫らしいですよ」
「ほう、ほんとだ」
ロゼが腰をおとして石階段の下段に尻をつけると、ノルも行儀よく彼女の横にちょこんと座って、ふたりで老婆からもらった猫の姿絵を見つめた。
つややかな白の毛並みに茶色の靴下を履いた猫。澄まし顔で佇むその姿は見る人によっては愛らしく思えるだろう。
いまにも絵の中から鳴き声が聴こえてくるほどにうまい。
『にゃーん』
「にゃーん?」
ノルがばっと振り返る。階段下の木のそばを、白い猫が通過する。
ふさふさの尻尾をこれ見よがしに左右に振って澄まし顔。なんとなくノルは嫌な猫という印象を受けた。
しかし、隣からは「かわいい」という声があがった。
「なに? 俺のほうが可愛いだろ?」
「え、まさかの反応」
ノルさんの自意識過剰……とかなんとかつぶやいて、ロゼは立ち上がり、絵と猫を見比べた。
「もしや、あの猫がシュクレちゃんでは?」
「ふむ……言われてみれば」
優雅に歩く猫の足先をみれば、靴下を履いたような模様となっており、つややかな毛並みは絵とそっくりだ。
──金持ちの猫!
一瞬でふたりの思考は重なって、あれがシュクレちゃんに違いないと互いに目で示しあう。
まずはロゼが腰をおとして両手を伸ばしてみる。
「シュクレちゃん、こちらです」
シュクレちゃんはつんっと横を向いた。
「あまり機嫌がよろしくないみたいですね……」
「機嫌つうか、猫はみんなそうだろ。高飛車つうかなんつうか、愛想わりぃよな」
ぴょんぴょんとノルがロゼの隣に移動した。シュクルちゃんはノルをちらりと一瞥すると、その場に座って、ぺろぺろと前足を舐めはじめた。
──遊んであげますわっ!
ノルにはシュクレちゃんの思考が手に取るように読めた。
毛繕いするところを最初にみせつけて、そのあとは地面にごろん。
まるでお前になど興味ないですよ、と嘘ぶいてノルの油断を誘ったあとに一気にまっしぐらするつもりなのだ。
(俺は騙されねぇぞ!)
ノルは四つ足で毛を逆なでて、シュクレちゃんを威嚇する。そんな水面下でばちばちと火花が散っていることなど知りようもないロゼは平然と立ち上がる。
「そうですかね? いつも話かけるとちゃんと返事をしてくれますよ」
「話かける? どんな?」
「にゃーん」
『にゃーーん』
「ほら」
「いや、ほらって……」
ノルの横でロゼとシュクレちゃんの輪唱が始まった。次第に近所の猫たちも集まってきて大合唱。
にゃーにゃー、にゃーにゃーうるさい。
近所迷惑になるからノルはロゼをとめた。
「──ってああ……いっちゃいました」
シュクレちゃんが、ぱーっと走っていってしまった。
残念そうな顔でロゼがつぶやく。集まっていた猫たちも、こちらに興味を無くしたのか散り散りになってどこかへ行ってしまった。
本当に猫は気まぐれだ。
ノルは「けっ」と猫たちに冷めた視線を送った。その様子を見てロゼが首をかしげる。
「もしかしてノルさん、猫、お嫌いですか?」
ふいに投げられた質問に、ぶわっと毛を逆立ててノルは返してやった。
「おうよ! あいつら、俺を見ると追いかけまわしてくるんだぜ? 今日はそばにお前がいるから近づいてこないが……普段のあいつらといったらなぁ!」
それはもうひどいんだぜ?
ぐちぐちと主張すると、ロゼは唇に指を当てて空を見上げた。
「うーん、まぁ猫は狩る者ですからね。ノルさんを動くおもちゃとでも思っているのでしょう。強くなってください、ノルさん」
「いや、さすがに猫には勝てねぇだろ」
「いえいえ、ノルさんの頭突きをお見舞いしてあげればいいのですよ。こう、どーんっと!」
「ええ、それだと俺の頭が痛くなるだろ」
「大丈夫ですよ。ノルさん、意外と石頭ですし。それよりも、です」
それた話をロゼが修正した。
「シュクレちゃんがどちらに向かったのかを探らなければ」
「探る? どうやって?」
「もちろんノルさんのお鼻で」
「俺は犬か」
「お願いします! ノルさんの働きで夜がローストチキンになるか、パンひとつになるかが決まるんです!」
「そんなに逼迫した財政状況だったの?」
両手を合わせて拝むロゼに、ノルは危機を感じた。シュクレちゃんをつかまえないと夜のローストチキンどころか当面の食事も危ういのだ。
パンひとつ。
もはやニンジンすら用意できていない。そんな生活が待っていると思うと寒気がする。
なによりロゼが落ち込むところも見たくないしなぁ、とノルは真面目な顔で鼻をひくひくと動かした。
「あっちだ! あっちからシュクレちゃんのにおいがする!」
ぴょんぴょんと走り出すノルを追って、ロゼも駆け出した。