番外編1 冷製カルボナーラ・前半
先日カルボナーラを食べていたらふと思いつきまして、番外編にしてみました。
燦々と降り注ぐ夏の太陽ことオレの敵。
オレことノルはあまりの暑さに疲弊して木陰で伸びていた。
──夏。
それはウサギにとって『今年の夏でこの儚い命もおしまいかぁ…』と思わせるほどに、マジ猛暑勘弁アツスギルダロフザケンナと呪文のような文句を言ってしまいたくなる季節なのである。
まるで不思議のア…じゃなくて楽しいお茶会でも始まりそうな美しい庭園の片隅で、オレはとにかく死んでいた(生きてます)。
「……クソ暑いんだが」
炎暑。刺す日射し。
じりじりと焼き付く太陽光にいつか引火して、どこぞの白ウサギみたいに肌色一色っつってな。ははは。……笑えねぇよほんと。
「この毛皮脱ぎたい……」
オレは喉の渇きを感じ、水場を求めて立ち上がった。
夏あるある。
日陰から出た瞬間に日陰に戻るやつ。
前足を一歩でも踏み出せば、奴(太陽)はオレを容赦なく焼いてくる。
ここは一気に駆け出し、次なる木陰に瞬間移動したいところだが、やっぱり暑いのでふつうに草影を歩くことにした。
「……オレ、小さくて良かった」
隣には大きな太陽花。
オレンジがかった黄色の花びらが特徴的で、中心にはモサモサとした茶色が見える。
夏の終わりに近づくと、この茶色の部分から種が取れるらしい。
ロゼ曰く、あんまり長く見つめていると鳥肌が立ってくると言っていた。
集合体。
確かに寒気が走るよな。
太陽花の園を通りすぎると今度はアーチ型の緑の門が見えてきた。
薔薇園だ。
花は咲いていない。
瑞々しい葉が繁っているだけの少々物悲しい庭の一角でオレは首をめぐらせた。
──ぱちん。ぱちん。
一定の間隔で何かを切り落とす音。
なんだろうと薔薇園内を散策してみると美しい少女がバラの剪定をしていた。
「ほへぇ……すげぇべっぴんさん」
白く透き通る、柔かそうな肌。
澄んだ泉のような眼差し。
まだ幼さの残る、芸術品みたいなその小さな顔は、えらく整っていてウサギのオレでさえ思わず見惚れてしまう。
お姫様っぽい上品なドレス。
夏の暑さを静めるアイスブルーの布地と同じ色をした青い髪。
きっと彼女が妖精郷から舞い降りた姫だと言われたら、素直に信じてしまうくらいには神々しく神秘的な美しさだった。
「ロゼも綺麗なほうだが、こいつはまた生粋の美人さんだな──と」
見た感じ、十四、五歳くらいかなぁーと美少女から視線を切ってオレは地面に寝そべった。
やっぱり土は最高だ。
オレは土属性の星霊だから土から魔力を吸収している。嘘である。
腹を地面につけた状態でオレは前足に顎を乗せて目を閉じた。
(今日の夜は冷たいもんがいいなぁ)
暑いし熱帯夜だし、夕飯はさらっと食えるもんがいい。そうめんとかそうめんとか冷製パスタとか。
オレがうとうとしながらあれこれ夕飯のことを考えていると、誰かがオレのモフモフボディに魅了されてしまったらしい。
適度な痛みとかゆみを伴う甘美な刺激がオレの腹部を襲う。つまり、脇腹をツンツンされた。
──つんつん。……つん、つつんっ。
オレは薄くまぶたを開けてツンツン主を確認した。
青髪の妖精さんだった。
つーかさっきの美少女だった。
ぱっちりとしたおめめを向けて、オレの背中を小枝でツンツンしている。いや待て。それさっき剪定してたバラじゃね? チクチクするんですけど。
──つんつん、つん……つん、つ……。
徐々に控えめになっていくツンツン具合にオレは首をもたげて少女を見上げた。
「どした? あんまりウサギさんをつんつんすんな? 嫌な顔されんぞ」
あとツンツンするならせめて指にしとけ?
と、諭すようにオレが言うと少女はびくりと肩を震わせた。あたりをきょろきょろと見回す。
まあ、無理もない。
いきなり中年男の声がしたのだ。
少女じゃなくても誰だって驚くだろう。
ロゼからも、『外ではウサギに徹してくださいね』と意味不明なことを言われているし、ここは誤魔化すとしよう。
うっかり寝惚けて喋ってしまったオレだが、こういう時の演技は得意なのである。
聞くがいい。
オレ渾身のウサギの泣き真似を……!
「ぷうぷう」
「…………」
あ、駄目だ。全然聞いてない。
ウサギになりきったオレ(元からウサギだけど)を華麗にスルーして、相変わらずビクビクしたままだった。
へっへっへ。なにがそんなに怖いんだい、お嬢ちゃん。
ノルさんはただの可愛い人畜無害なうさぎさんダヨ?
とか心の中で言っても聞こえるわけないよな。
どうしたもんかなーとオレが天才的な頭脳をフル回転させていると、少女はスカートの中に手を突っ込んだ。
ちらりと見えたステキなおみ足。
そこに装着されていた暗器をスッと引き抜いた。
──暗器である!
鈍色に光るナイフ。
超小型サイズの小刀は、まごうことなく暗殺用の隠し武器であった。
これは狩られる。
戦慄とともにオレが死を覚悟した瞬間、どこからともなく風のような声が届いた。
「リフィリア様。そろそろお部屋にお戻りください。もうすぐ昼食の時間です」
「あ……エリィ」
「どうなされました? そのように青白い顔をして」
クラシカルなメイド服を来た緑髪の姉ちゃんがバラ園の入口からやってくる。
緑の髪色的に、あの眼鏡の兄ちゃんの親戚かなにかだろうか?
そのメイドさんは少女ほどではないとはいえ、けっこうな美人さんだった。
クール系つっつうの?
冷たい瞳で一瞥されて、オレの中の何かが目覚めそうなくらいには氷華のごとく顔が整っていた。
メイドさんを見て安心したのか少女はホッと息をついて笑った。いやいやいや、まずはその暗器をしまいなさいよ。
「声がしたの、男の人の声。でもどこにもいなくて。いつもの刺客の皆さんだったらどうしよう……」
刺客の皆さんとは。
この子は一体いつもなにと戦っているんだろうか。
緑髪のメイドさんも首を傾ける。
「そうですか。それより──」
さらっと流した。
仮にも主の言葉だというのに躾のなっていないメイドさんである。
これはお仕置きか? おしおきと称してグヘヘなこと……あ、すみません。
なんかメイドさんが蔑むような目で睨んできたんですけど超怖い。でもこれはこれでごごほう……はいすみません。
メイドさんは手に抱えた花束を少女に渡すと、添えられていた手紙を開いた。
「ルベリウス殿下から花束が届いております」
「ルーベ兄様から?」
華やかな大輪の花。
頭に飾って踊り出したら常夏の海がそこに見えてきそうな赤い花だった。
メイドさんが手紙を読み上げる。
「愛しのリーアへ。綺麗な花を見つけたから贈るよ。ローズクイン領主の館より──ですって。相変わらずのシスコンぶりね。気持ち悪いのだわ」
そう言ってメイドさんはビリビリと手紙を破いた。ひどくね?
だがわかる。
あれだろ? この国の第一王子ことシスコン王子だろ? 城下でも有名だからオレでも知っている。
眼鏡の兄ちゃんが仕えていた第二王子の兄貴だ。
メイドさんが少女の手を引き、無理やり歩かせる。
「さ、戻りますよ、姫様」
「……待って」
少女はこちらをちらりと見ると腰を屈めてオレの背中をモフモフした。
「姫様、野生の動物には触れてはいけないといつも言っているでしょう? 噛まれたらどうなさいます。手が血だらけになりますよ」
噛まねぇよ。
つーか物騒すぎんだろ、その忠告。
しかし少女のほうは気にせずオレの耳に触れると心配そうな顔でメイドを見上げた。
「怪我をしているみたい……エリィ、手当てしてあげて」
「怪我ですって?」
エリィと呼ばれたメイドさんがオレをじろりと睨んだ。だから怖いって。
「耳が折れてる……。もしかしたらお城の誰かがこの子をいじめたのかも……」
「姫様が折ったんじゃないんですか?」
「──えっ! ちがっ……なんでそうなるの! 最初から耳は折れていましたっ!」
少女が慌てながら必死に弁明する。
「冗談ですよ。そういう種類のうさぎなのでしょう。放っておけば大丈夫です。それよりさあ、小汚ないウサギのことは忘れて早く中にお戻りくださいませ」
小汚ないっていったよ。ブヒッ。
「…………またね」
少女は名残惜しそうな視線をオレに送ってメイドさんに連れられていった。
「ふぅむ」
姫様、とあのメイドさんは言っていた。
ということは正真正銘この国のお姫様か。
オレは大きな城を見上げた。
ノーグ城。
王都の西端にある王様が住む城だが、なんでこんな場所にオレがいるのか?
それは、先日やってきた眼鏡の兄ちゃんの誘いから始まったのだった──。